第72回テーマ館「見えない」



見えない盗品(下) 夢水 龍乃空 [2009/01/12 16:53:07]


「じゃ、透明怪人は何をしたんですか?」
「怪人登場ですね。けど、分からないんですか。困ったなあ」
 締めてはすかしすかしては締め、何なんだコイツは。雲田はこの探偵が一番の謎だと
思った。
「本人が言ってる通りです。警察は正しい。怪盗は物理的に何も盗んでいない。これが答
えです」
「でもそれじゃ、伊勢氏の反応が説明できません!」
「そこですか」
「そこに決まってるでしょ! 最初からそう言ってますよね?」
「あー、そうでした」
 勘弁してくれ。雲田は疲労感を押し殺して、ソファーに座り直した。
「伊勢さんが一番恐れていたことを、怪盗がやってしまったからですよ」
「恐れていたこと?」
「怪盗が盗んだのは、伊勢さんの夢です」
「え?」
 探偵の声のトーンが少し落ちたことに、興奮していた雲田は気付かなかった。
「様々な仕掛けを施して、観客の感覚を刺激し、この館には何かあると思わせる。そして
それが何なのか、それぞれの感性に従って想像力を働かせることで、究極の芸術を提供す
るのが、伊勢さんの目的であり、あの館の構想でした。透明怪盗は、その構想を破綻させ
たんですよ」
 雲田は考えた。だが分からない。探偵は淡々と続けた。
「観客が感覚を刺激されるのは、そこに何かあるという強い意識からです。あなたがそう
だったように。それには、見えない、触れないけれど、確かにそこにあるという信頼が、
何よりも重要です。信じる気持ちがなければ、意味が無いんです」
「信じる・・・」
「そう。どんな芸術でも、自分の思いを表現できる、伝わると信じるから制作される。作
品にそんな思いがこもっていると信じるから、鑑賞することで何かを感じ取れる。美しさ
というのは、一方的に発信すれば誰にでも伝わるわけじゃない。誰かがそれを美しいと信
じた時、そこに美しさが宿るんです」
「宿るんですか」
「美しいと思って作ったものでも、受け入れられなければ成立しない。発信ではなく、受
信の時に美しさが決まる。その作品の美を信じる人がいれば、その作品は美しいんです」
「信頼の中でこそ芸術が輝くと?」
「伊勢さんは、そう言いたかったようですね」
 では、盗賊は何をしたのか?
「怪盗は何もしなかった。でも何かを手に入れた。つまり、怪盗としては盗みに成功した
んです」
 我、得たり。雲田の頭に、その言葉が浮かんだ。
「最初から何もなかったんだから、盗めはしない。でも見えないアートは盗まれた。もう
分かるはずですね。人の心から、作品の存在を信じる根拠を盗んだんですよ」
「ある、という信頼、ですね」
「そうです。盗みはしないよ。無いんだからね。そう言いたかったんでしょう。伊勢さん
はそれを最も恐れていたが、警察と同じく物ばかり相手に行動する盗人が作品に気付くと
は、思っていなかったんでしょうね」
「だからきっと、何かを盗りに来ると思っていた」
「ところが目立った行動は起こさない」
「そしてあのカード」
「怪盗の意図が誰よりも理解できたからこそ、そこまで動揺したんです」
 可哀想に。雲田は伊勢に同情した。
 怪盗は、特に人をないがしろにして己の利益を追求してきた連中から、その財力の象徴
とも言える何かを盗み出すことにこだわってきた。そんな物無くても生きて行けるだろと
言わんばかりに。ならば、伊勢氏は何をしたというのか?
「気に入りませんね。今回の件だけは」
「手口ですか?」
「標的の選び方ですよ!」
「ははあ。伊勢さんから夢を奪ったことが、怪盗の美学に反すると」
「美学ですか。そうかもしれない。オレはあいつの美学を、どっかでカッコイイと思って
た。でも、今回だけは」
「いや、それがね、まだ続きがあると思うんです」
「え?」
「透明怪盗は、自己満足に浸って本当に大切なことを見失った人たちを狙っています。主
に財産に目が眩んだ人を選ぶようですが、今回は伊勢さんを試したのではないかと」
「試す?」
 探偵はうなずいた。
「伊勢さんは、自分は芸術の真の理解者だと信じていました。そうかもしれないし、実は
伊勢さんだって分からないことがあったかもしれない。でも、伊勢さんは自分が全てを
知ったと思った。それどころか、人を試して自分の信じる芸術を押し売りしているよう
に、怪盗には思えたんじゃないか」
「思い上がりだと? それこそ、怪盗自身の思い上がりです」
「そう。だから引き分けた」
「え?」
「怪盗に盗めなかったモノ、盗まなかった時はない。でも今回は何も、物理的には、そし
て世間的には、盗んでいない。失敗と騒ぎ立てたマスコミもいます。怪盗はその評価に甘
んじる代わりに、伊勢さんに思い知らせたかった。それほど、強い意志があったというこ
とです」
 怪盗なりの思いがあってのこと。人の強い思いがあって初めて成立する作品を盗むこと
で、伊勢氏の何を試したかった? 怪盗スケルトン・・・。
「だからこそ試したかったんでしょう。伊勢さんや、作品に気付いた人たちの信頼の強さ
を」
「あ」
 馬鹿な方ではないと思っていた雲田だから、ここまで気付かなかったことが悔しかっ
た。ヒントは出尽くしている。それどころか、探偵は雲田が知らない知識など一つも使っ
ていないのだ。
「分かりましたよ。
 そこにあると信じた人の心にだけ、作品はやってくる。怪盗に否定されたからって、な
んだ無いのかと冷めてしまうようでは、本当の信頼とは言えない。人の意見に惑わされ
ず、自分の信じるべきものを信じ抜く思いの強さを、スケルトンは試したんだ。いや、今
まさに、試されているんですね?」
「そういうことじゃないかと、僕は思うんですよ」
 それなら分かる。今回の事件も、怪盗はその美学に反してなんかいない。本当に大切な
ものが何なのか、人に思い出させることにこだわる怪盗。面目躍如ではないか。
 敵であることも忘れて、雲田は嬉しかった。

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