第77回テーマ館「音楽」



思い出のセレナーデ(1) ジャージ [2010/05/21 23:03:24]

 2008年 2月某日 東海道線・静岡駅付近

 チャラララ〜ラララン♪・・・
『本日は寝台特急・富士/はやぶさ号にご乗車いただきまして、まことに有難う
 ございます。只今の時刻は午後9時を過ぎたところです。すでにお休みのお客
 様もいらっしゃいます。これから先、停まります駅の到着時刻と車内のご案内
 また、2・3のお願いをいたしまして、今晩の放送を緊急の場合を除きまして
 お休みさせていただきます・・・。』

 再び車内オルゴールを鳴らし、放送のスイッチを切ると、私は大きく息を吐き
乗務員用のイスに腰をかけた。
 東京を出発した寝台特急は、昼夜をかけて九州へ向う。途中、下関で機関車の
付け替え作業があり、そこでは乗務員も交代する。その時間まで私たち乗務員は
休むこと無く仕事をする。

 しかし近年、九州への旅行やビジネスには新幹線や航空機を使う事が多くなり、
寝台特急の必要性が薄れてきた。先の検札(注)時でも、乗客の数はよりも空い
ている席の方が多く確認できた。昔は・・・と過去の思い出を浸るより、定年を
翌年に控えている私としては、優柔無人に車内を走らなくても良いと思っている。

 名古屋定刻通り到着。乗者1名。時間通り出発。

 大阪を過ぎると乗降者はまったくなく、それでもルール通りに自動ドアを開閉
する。

 いつも通る路線。時として思わぬトラブルもあるが・・・今夜も機関士が居眠
りしなければ、問題はないだろう。と、乗務員手帳を閉じながら流れる夜空を窓
ごしに眺めると、
『か、河原さ〜ん!!』
 私よりも遥かに若い乗務員が慌しく駆け込んできた。
『どうした中崎?あんまり大きな声をたてるとお客様が・・・』
『不審者が1号車の乗務員室にいます。』
 荒い息使い、そして緊張した表情で、中崎は私の言葉を負い被せる様に言った。
客車乗務員は私と中崎の2人。列車には機関車側1号車と6号車、そして今いる
7号車と最後尾12号車の4箇所にあり、乗務員は退室する時は鍵をかける事に
なっている。一般客が入り込む事は考えられないが・・・
『中崎、お前、鍵はかけておいただろうな?』
『もちろんですよ!・・・トイレに行って戻ってきたら・・・。』
『本当だな?』
 ここで中崎を疑っても仕方が無い。まずは状況を確認をしに行かなくてはいけ
ない。
『じゅ、銃を持っていますよ。』
『な?!』
 予想外の報告だった。初めは無賃乗車か鉄道マニアの仕業だと思った。が、そ
うであれば、いくら若い中崎であろうとその場で対処できただろう。しかし銃を
持っているとなると、下手に動くことはできない。
『・・・まずは機関士と下関乗務員センターに連絡する。』
 ハイジャックとは聞いた事はあるが、トレインジャックなんて、ましてやこん
な狭い日本で起きるとは・・・。
『河原さん?』
『無線が使えない・・・』
 先まで使っていたはずの無線は、私たちの行動の邪魔をするかの様に突如使用
不可能となった。向かいの6号車も同じだった。
『中崎、お前は最後尾に行って外部に連絡を取れ。使えなかったら携帯電話でも
 いい!』
『か、河原さんは?』
『1号車に行く。・・・いいか、乗客に気づかれるなよ!』
 声を殺して中崎に指示をし、私は激しく揺れる車内を小走りで進み、1号車の
乗務室に進んだ。車内はとても静かだった。それがとても怖いぐらいでまるでお
化け屋敷にでも入ったかの様だ。
 3号車に入る。目的地が近くになるにつれて心臓の音が耳元鳴っているかの様
に早い鼓動を感じる。とその時
『車掌さん』
 突然声をかけられ、大声を出しそうになったが、そこはグッとこらえた。
『車内販売ってどこらへんからあるんですか?』
 名古屋からの乗客だった。
『車内販売は徳山からですよ。下関では5分停車時間がありますので、名物の
 「ふぐ寿司」が購入できますよ。』
 乗客は一礼すると再び寝台席に戻り、カーテンを閉めた。予想外の出来事が
起きようとしているにも関わらず、条件反射の様にサービス案内ができたのは
長年の経験の賜物か?・・・あの乗客が、いやこの列車に乗車している、我々
全員が安全に目的地につける事を祈りつつ、1号車の乗務員室までやってきた。

 1号車の客室内を通り抜けると、乗客乗降車スペースがあり、その角には乗
務員室がある。前方の窓からは客車を牽引している電気機関車の姿が見え、時
々、街頭で『富士/はやぶさ』のトレインマークが不気味に照らしだされる。
 冷汗をハンカチで拭い、帽子を被り直し、縦書きで『乗務員室』と書かれた
窓から室内の様子を見る。

 確かに男がいた。

 鉄道関係者ではない。そして報告どおり銃の様な物を持っていた。乗務員室
には、間違いなく鍵がかかっている。中の男は私にはまだ気がついていない様
子だった。

 しばらくすると中崎がやってきた。
『ダメです。』
 あの「男」の仕業なのか?いったい何が目的なんだ?!業務用携帯電話まで
使えない。何もしなければ、朝までこのままで済むが、乗客が起きる時間にあ
の「男」が出てきてしまえば、大変な事になる。
 考える余裕はない。前方の機関車のトレインマークを見て、私は覚悟を決め
た。
『中崎、お前はここにいろ。オレが何とかする!』
『ちょ、か、河原さん!何とかするって?!』
『あの男と話す。万が一あった時は、乗客を後ろへ誘導。マニュアル通りにな』
『マニュアルって・・・それ、火災時の時の・・・』
 私は鍵を取り出し、乗務員室のドアの鍵穴に差し込んだ。
『河原さん一人にしておけないですよ!』
『バカ野郎!2人とも死んだら、誰が乗客の安全を守るんだよ?!』
 中崎を突きはねると同時にドアは開いた。いや、開けられた。男は銃を持ち
仁王立ちをしていた。

『外人か?』
『か、河原さん、ここは・・・僕が・・・。』
 中崎は英語で男に問いかけた。外国人旅行客の為に乗務員には英会話ができる
様に会社から指示をされていた。私が英語が苦手なのを、この若い乗務員は咄嗟
に思い出したのだろう。
 男は中崎の声に首を振るばかりだった。そして他所の国の言葉で何か訴えかけ
ていた。
『英語じゃないですよこれ?!』
 中崎は狼狽したように言った。
『じゃぁ何語なんだ?!』
 言葉が通じないのなら、手振りで表現するしかない。男は相変わらず乗務員室
の入り口を塞いでいた。私たちはなんとか、その「男」の目的を聞き出そうと必
死だった。

『ニホンゴ、ワカル。アナタタチ、ケイサツカンデハ、ナイカ?』
 「男」がカタコトで話始めた。
『いや、車掌だ。』
『そ、そこは関係者・・・車掌しか入れない決まりになっていて・・・』
 私と中崎は同時に男に話していた。
『シャショウ・・・ケイサツデハナイ。ワカッタ。』
 「男」は安心したかの様に、乗務員室のイスに腰をかけた。そして何語か解ら
ない言葉を話しては頭を両手で抱えていた。話せば解決しそうだが、銃が気にな
る。いつ「男」が暴れだすか解らない状態だった。
 乗務員室は2人は入れる。1対1で話すには丁度良い。とにかく落ち着いて話
す事にした。
『・・・中崎、ここは彼と2人で話した方が良いと思う。・・・持ち場に戻って
 くれ。』
『河原さん!』
『中崎!!・・・お前、来月「親父」になるんだろ?』
 中崎はまだ何か言いたい様子だったが、自分に新しい「家族」ができると思い
出したのか、静かにその場から離れようとした。
『マテ!』
 「男」は突然立ち上がり、銃をかまえた。
『違う!彼は仕事に戻るだけだ!!無線は使えないから、警察を呼ぶ事はできない!』
 私は必死に彼を静止させようとした。「男」は興奮していた。何かに怯える様に。
背丈は私よりも遥かにあり、力もあった。
『河原さん!』
 ただならぬ状況で引き返してきた中崎。
『バカ!来るな!!』
 機関車の汽笛の音と共に1発の銃声。そして、中崎が倒れた。

 中崎はその後動かなかった。銃声がしたが、乗客は誰1人とも起きてくる気配は
ない。車内がゆれる度に、中崎の体は力なく転がっていた。
 私は我に気づくと、素早く中崎に駆け寄った。
『中崎!中崎!!』
 呼吸がない、脈もなかった。
 私の背後では、銃を撃った「男」が嘆いていた。突然の出来事に「乗務員」である
ことを忘れた私は、「男」の胸倉をつかんだ。
『お前の目的は何だ?!言ってみろ?!!』
『ワタシノ キョク コノ レッシャ二アル。モウイチド、キキタイ。』
『何を寝ぼけた事を!!』
『タノム・・・ワタシノ ツクッタ オンガク ナガス。 タスカル。ワタシモ、
 アノ ワカイ オトコモ』
 銃を床に落とし、何度も『タノム』を男は繰り返しに言った。彼は泣きながら
私にしがみついてきた。次の駅で列車を一時停車させ、この「男」を警察につきだ
せばいい。職務中何人たりとも暴力をしてはいけない乗務員の掟を破った私には、
もう、円満退社は望めない。そして、中崎も・・・戻らない。

『タラララ〜ラララ〜ラララララン♪』
 「男」は歌っていた。私は空いている寝台に中崎を横たわらせると、両手を握らせ、
そして寝具をその上からかける。その間も、あの「男」は歌っていた。
 乗客の安全が第一・・・とにかく車内の点検をした。次の駅まで時間はタップリあり、
無線機の調子が戻れば警察にも連絡が取れる。・・・だが合いも変わらず無線機は使え
なかった。
 12両編成の客車は1号車の乗務員室以外、以上はなかった。乗客は深い眠りに
入っているかのように、通路に出てくる者はなく、またトイレや洗面台を使用した
形跡もなかった。
 「男」は1号車の乗務員室のイスに座ってうつむき、同じ曲を口ずさんでいた。
『お前は何者なんだ?』
 しばらくの巡回で気持ちが落ち着いたためか、私は「男」に声をかけた。
『サッキョクカ』
『お国は?』
『オランダ・・・モドリタイ。』
 「男」泣き出した。
『ワタシ ノ クニ。シアワセダッタ。 デモ、センソウデ ナチ ニ
 トラレタ。』
『ちょっと待てよ、いつの話だ?オランダは今、戦争なんかしていないだろ?』
『シャショウサン、ワタシノ キョクヲ ナガシテクダサイ』
 妄想癖なのだろうか?彼の言っていることはまったく理解ができなかった。
彼の口ずさむ歌と、この列車に何があるのか解らない。

『タラララ〜ラララ〜ラララララン♪』

 あるフレーズで聞き覚えがあった。私は「男」にもう一度、そのフレーズを
歌ってもらった。
 間違いない。彼は・・・この「男」の言う「私の曲」とは、この列車の放送
で使うオルゴール曲だった。何処かで、私たちがこの曲を流すのを見たのなら
彼はこの乗務員室に勝手に忍び、その曲を探そうとしていた。でも何故、銃など
持っていたのか?また「ナチ」ってなんだ?
 私の目には放送用オルゴールのテープボタンが写っていた。今は深夜帯。人
一人が死んだ緊急時としても、犠牲者は乗務員。緊急放送をかけられないし、
ましてや「オルゴール」など鳴らせない。
『ソノキョク ナガス ミナ ダイジョウブ』
 私の目線に「男」は気づいた。
『深夜帯は、いかなる状況においてもオルゴールは流す事はできない!』
 どんな状況でも、「オルゴール」は流してたまるものか!
『ヨルデハ ナケレバ イイネ?』
 「男」は立ち上がると、乗務員室の外側の窓を開けた。冷たい夜風が一気に
車内に入り込んでくる・・・そして闇夜がどんどんと明るくなってくる・・・。
私はすべてに疲労を感じ、そのまま意識を失った。

続く


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