第77回テーマ館「音楽」
思い出のセレナーデ(4) ジャージ [2010/08/01 13:14:16]
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1945年 某月某日
私の目の前にいる若い男・ジョニー・ハイケンスは神父に罪の告白をするかの様に顔
を渦ませた格好で語り始めた。
『僕の作った「セレナード」は、どう行った経緯なのかは分からないけど、日本の軍部
が使っていたんだ。』
ジョニーの台詞で、私は幼い頃の事を思い出した。とは言え、私は戦後生まれで、戦
時中の事は知らない。だが、私の亡き父が若かりし頃、よく鼻歌で歌っていた。
『父ちゃん、それは何の歌?』
『これはなぁ、戦争中に軍隊のお偉いさん達がラジオ放送する時に使った曲だよ。』
・・・国鉄に入社した時には父は他界し、寝台特急の乗務員になった時、この曲を聴
いて、父を思い出して泣いた事がある。
『僕は戦争の為に、あの曲を作ったんじゃない!・・・なのに日本人が勝手に・・・
だから、だから僕は・・・』
思いつめていた物が弾けたかの様に、彼は泣き崩れた。あの軽快で優しい歌が戦時中
の日本で使われた。日本は当時、ドイツと同盟国でもあった。・・・となれば、連合軍
は彼を「ナチス・ドイツの協力者」同等に扱うだろう。
私は、ただ泣き崩れている彼を見つめるしかなかった。
『・・・何があったかしらんが、店に来たら何か飲め。これはワシのおごりだ。』
老いた店主がテーブルに紅茶2人分、とても無愛想な表情で置くと、すぐにカウンタ
ーに戻っていった。
『もしかして・・・聞かれたのか?』
『いや、ここのマスターは戦争で耳をやられているから、僕らの声は聞こえない。』
『そうか・・・』
私は運ばれてきた紅茶をすすると、ジョニーも少し我を取り戻したかの様に、落ち着
いた様子で紅茶を口へと運ぶ。
『君が戦争加担者ではない事はわかったよ。・・・少なくとも、私の時代の日本人は
君の曲を愛している・・・。』
私は、あの亡き父の事を彼に話した。そして時々、あの車内オルゴール曲を録音して
喜ぶ乗客が多数いる事も・・・。
『ありがとう・・・車掌さん。』
ジョニーはペンとメモ帳を取り出し、何か書き始めた。
「タバコを買ってきてください。」
そう書かれたメモをカウンターにいる店主に手渡した。店主は機嫌の悪そうな表情で
『老人をこま使いにするな』
と大きな声を出しながらも、外へ出て行った。店主の背中を見つめつつ、ジョニーは
ふっとため息をつき、席に戻った。
『車掌さん。もうすぐ連合軍のMPが来ます。・・・車掌さんの列車は、この前の通りを
北へ行った所の駅に止まっています。』
『ジョニー・・・』
ジョニーは上着の内ポケットから、あのピストルを取り出した。
『列車も、乗客も・・・そして、あの若い車掌さんも無事です。早く「日本」に帰って
ください。』
『ジョニー!そんな物を持っていては駄目だ!本当に戦争加担者になってしまうぞ!』
私は彼からピストルを奪った。彼と出会った時もこんな状況ではあったが、今回は抵
抗がなかった。彼は『あぁ・・・』と両手を見つめていた。
『・・・戦争がなかったら、僕はもっと曲を作れたのになぁ・・・』
ジョニーが持っていたピストルはドイツ製らしく、ドイツ語の刻印がされていた。音
楽を純粋に愛する者にはふさわしくない代物だ。彼がドイツから持ち帰った物は、こん
な物ではなく、もっと大事なものだったはずだ。
外から車が激しく止まる音が聞こえた。小型の軍用車だ。そこからMPのマークが記さ
れているヘルメットを被った兵士たちが、小銃を抱えて数名降りてきた。
『ジョニー・ハイケンスだな?・・・君には親独容疑がかけられている。我々と同行を
していただく。』
指揮官らしき男がジョニーの前に立ちふさがった。ジョニーは胸を張り『はい』と答
える。
『隊長!この男、銃を持っています!』
一人の男が私を指差した。・・・しまった!ジョニーから取り上げたピストルを持っ
たままだった!
『違います!この人は僕から銃を奪っただけです!』
『黙れ!この親独者が!』
必死に私を庇おうとするジョニーを、MPの隊長は殴り飛ばした。ジョニーはそのまま
店の壁にたたきつけられる。
『お前、ジャップ(日本人への軽蔑用語)だな?・・・こいつも連れて行くぞ!』
数名の兵士に囲まれ、もう助かる素手はないのか・・・そう諦めかけたとき、何気に
ジョニーを見ると、何処かを指さしている。・・・裏口か?一か八かって事か・・・。
私は手に持った銃を構えると、大声をあげながら引き金を引いた。店内に銃声が轟く
中、私はジョニーに案内されるかの様に裏口へ走り出した。
ゴミだめと化した裏通りから、大通りに出ると、ジョニーはすばやく私から銃を取り
上げると、バーの前に止まっている軍用車へ駆け寄り、運転席に乗っている兵士に銃を
突きつけ、引き釣り降ろした。
『これで駅まで行きます!』
『君は馬鹿か?!』
MP達が銃を撃ってくる。とにかく今は逃げるしかない。ジョニーは運転席に乗り込
み、私は助手席に乗り込んだ。
『音楽家のすることじゃないだろ?!』
『飛ばしますよ!!黙っていてください!!』
屋根のない、小型の軍用車は大きなエンジン音を上げると、蛇行しながら大通りを
走り出した。
『なぁ!ジョニー!!・・・お前は何故そこまでするんだ!!』
『僕の・・・僕の事を未来の人に伝えてほしいんです。僕は、戦時中にドイツにいた
だけで、すでに戦争加担者になっています。でも、それは一部の偏見。だから、真実
を伝えてほしいんです!!』
そう言うと、ジョニーはアクセルを全快にした。ジェットコースターに乗っているか
の様で、生きた心地はしなかった。
市外を抜けると、穏やかな草原が広がっていた。そして通りの先には赤い屋根の駅舎
らしき建物が見え、そして、あの見慣れた青い車体『富士/はやぶさ』号が静かに止ま
っているのが見え始めた。
『私の列車だ!』
『車掌さん!しっかり捕まっていてください!』
駅の前には、連合軍の兵士たちがバリケードを作っていた。戦車やら装甲車が並んで
いる。
『む、無茶だ!!』
ブレーキをかける事無く、ジョニーは戦車の間をすり抜け、銃弾をかすめて進み、そ
して正面で大きくスリップをし、私たちは車から放り出された。
全身を強く地面にたたきつけられたが、幸いにも身体は動く。ジョニーは?!
『走って!車掌さん!!』
ジョニーは足の骨を折ったらしく、動ける様子ではなかった。彼の元へ行きたくと
も、銃弾の雨で近寄る事はできない。ジョニーは銃を拾うと、最後の抵抗を心みてい
た。
『ジョニー!!』
『早く!列車ももうすぐ出発します!!急いで!!』
すまない・・・私が銃を持っていたばかりに・・・。私は駅舎をくぐり、すばやく列
車に乗り込んだ。私が乗り込むと同時に列車の自動ドアが閉じる。そして列車はいつも
の様に走り出した。
私は乗務員室に入ると、業務用の小窓を下ろし、駅前のジョニーの様子を見た。が、
他の方からまだ銃弾が飛んでくる。私は急いで窓を上げ身を低くした。国鉄時代の鋼鉄
製の車体は戦車並みに硬い様子で、弾丸はキンキンと音をたてて弾きとばしていた。
『日本へ帰るぞ・・・「富士/はやぶさ」よ!』
そう大声で叫ぶと、私はあの「車内オルゴール」を鳴らした。
チャラララ〜ラララン♪・・・
『河原さん!河原さん!!』
誰かに声をかけられて目を覚ます。聞き覚えのある声だ・・・。
ぼんやりしていた視界がハッキリすると、目の前には呆れた表情で私を見つめる中崎
の姿があった。
『あ、ああ?!お前!!』
『どうしたんですか?』
若い乗務員・中崎の姿を見、そして外を見た。あぁ、見慣れた日本の風景だ。
『・・・今は岩国を過ぎた所ですよ。』
『なぁ、乗務員室に外国人がいただろう?!』
『はぁ?』
中崎は首をかしげた。何度も説明しても首を横に振ったり、最後には笑って「夢でも
見ていたのでしょう」と笑われる始末だった。
『河原さん、相当お疲れの様子でしたから・・・』
『寝ていたのか?私は?!』
『ええ、大阪を過ぎてからずっと。・・・あ、ご心配なく。乗務員室は閉めておきまし
たから、乗客に見られてはいませんよ。』
鬼の首を取ったかの様に、河原は笑った。
洗面台に行き、私は顔を洗った。あれは・・・夢なのか?でも、あまりにもリアルす
ぎる。
『車掌さん』
ハンカチで顔を拭いていると声がかかった。
ジョニーか?!
『夕べはどうも。』
振り向くと、名古屋から乗った乗客だった。
『眠れましたか?』
私はすばやく「業務モード」に切り替えて、ありきたりの質問を乗客にした。
『えぇ、初めてのブルートレインやったけど、グッスリ眠れました。』
『それはよかった。』
すると、乗客は何かモジモジとしていた。
『どうしました?』
『え?・・・わたし、鉄ちゃんではないんですがね・・・あの朝にかかった車内アナウ
ンスの音楽ありますでしょ?・・・あれって、「はいねけんす」って言うんです
か?』
乗客の質問にドキっとした。初めてブルートレインに乗る乗客が何故、その質問をす
るのだろうか?乗客は「変な事を聞いたかな?」という様な表情をしていた。私は乗客
に「ハイケンスという作曲家が作ったメロディー」である事を伝えると、乗客は、また
不思議そうな表情をした。
『どうかされました?』
『いや、変に思わんでくださいね、車掌さん。・・・夕べ夢で、その「はいねけんす」
って人が現れましてね・・・』
乗客は恥ずかしがりながら、夢の話をした。私のとはやや違うようだが、確かに彼は
何かを訴えていた。
『下関のふぐ寿司、楽しみにしてますんで・・・』
と、乗客は客室へ戻っていった。
列車は定刻どおりに運行。車内設備に異常なし。乗客に異常なし。あれから何事もな
く・・・と言いたいが、起きてから制服の帽子が見つからない。
『もしかして・・・あの「駅」で落としたのか?』
連合軍の兵士に追われ、命からがら列車に飛び乗ったあの時。あの時のジョニーの苦
痛な叫び・・・あれを「夢」で片付けられるものか。
下関に定刻で到着。機関車付け替え作業のため、数分間停車する。ここからは乗務員
もJR九州の乗務員と交代をする。一夜の状況報告、乗客数の確認など報告をする。だ
が、そこではジョニーの件は出せなかった。
こうして、私はいつもと変わりなく、「富士/はやぶさ」の業務を終える。
2008年 3月某日 東海道線・東京駅付近
私にとって最後の「寝台特急・富士/はやぶさ号」の乗務であり、最後の勤務の日で
あった。同列車はこの月のダイヤ改正で廃止となる為、東京駅付近で思った事をアナウ
ンスせよと仲間や上司から話があり、ありがたくアナウンスをさせていただいた。
チャラララ〜ラララン♪・・・
『本日は寝台特急『富士/はやぶさ号にご乗車いただきましてありがとうございま
す。まもなく終点、東京です。』
私は流れる東京の町並みを眺めながら、ジョニー・ハイケンスの話を語った。
『富士/はやぶさ号と共に、純粋でかつ、逞しき作曲家・ジョニーハイケンスは永遠に
皆様の心の中に行き続けることでしょう。また皆様にお会いできます事を乗務員一同
心よりお祈りいたします。間もなく東京です。東北・秋田・山形・長野新幹線ご利用
のお客様・・・』
ジョニーとの出会いは幻なのか、現実なのかは、退職してしばらくは考える暇がな
く、妻との旅行や、初孫の誕生と大忙しであった。その間に、「富士/はやぶさ号」は
廃止となり、私は孫を抱きかかえながら、ニュース番組でその姿を見送った。
『・・・次のニュースです。オランダの「オランダ鉄道」が保管していた鉄道員の帽子
に、今、世界中の鉄道関係者や愛好家達に話題になっています。」
ニュース番組を見て、私は驚いた。オランダの鉄道会社が60年以上保管していた
帽子は、間違いなく私が紛失した帽子だったのだ。
『・・・デザインからJR西日本の物ととても酷似しており・・・』
私は大笑いした。間違いない。ジョニー、君とは本当に出会った。そして、私は君の
事を、私なりに伝えた。あれは夢ではなかったんだよ。
数少なくなる寝台特急。そして共に少なくなる「ハイケンスのセレナーデ」しかし、
思い出だけは、なくなる事はない。
(完)
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