第77回テーマ館「音楽」
思い出のセレナーデ(3) ジャージ [2010/08/01 10:34:20]
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某年 某月某日 オランダ某所
気がつくと、私はベッドに横たわっていた。見知らぬ部屋。そして日の光が差仕込む
小さな窓をのぞくと、その先には見知らぬ土地の風景が広がっていた。
体を動かすと、全身に電撃が走ったかの様な痛みを覚える。その痛みを感じながらも
自らが現在立たされている現状は、幻でも夢でもない・・・現実であると実感される。
国鉄時代から鉄道乗務員として働き、大きな事故や事件に巻き込まれる事無く、その
職務を果たしていた。それは定年まで続くと思っていた。
しかし、いつも乗務していた寝台特急「富士/はやぶさ号」で、あの得体の知れぬ男
に遭遇したばかりに、同僚の乗務員・中崎をはじめ、機関士も乗客も行方不明になり、
職場である列車も、目の前で消えていってしまった・・・。
『これから、私はどうするべきか・・・。』
6畳程の広さの部屋には、ベッドと机、椅子があるだけで、何の飾り気はない。あえ
ていうならば、誰かが脱がせたのであろう、私の制服と帽子が壁の衣類掛けに丁寧に掛
けてあるだけであった。
これで「鉄格子」でもあれば、まるで「牢屋」だ。私があの「オルゴール」をかけた
からなのか?この現状は、私に何をする為にあるのか?!・・・考えれば考えるほど、
頭の中は混乱し、また同時に絶望さえ感じた。
働くべき場所も、帰るべき場所さえも失い、私は途方にくれ、しばらく外を眺める事
しかできなかった。
青い空、流れる雲、異国の町並みでも、どこか「懐かしさ」を感じさせるのどかな風
景に、私の不安や絶望はしだいに薄れていった。
『この土地がどこであろうとも・・・私はこうして生きている・・・。』
そうだ。中崎も、乗客も、そして列車も、この地のどこかにいるはずだ。
『探そう!』
私はまだ痛む身体をゆっくり動かし、制服に手をかける。『JR』のロゴの入った制服
・・・あれだけ乱暴をされたのに、キチンとクリーニングされ、ワイシャツにはノリが
キッチリとつけられていた。
『誰がやってくれたのだろう・・・』
今頃気がつくが、身体の傷には丁寧に処置がされていた。部屋まで提供してくれたの
はいったい誰なのか?・・・まずはその人物に会う必要があると感じた。
制服を着て、ネクタイを締め、帽子を被る。鏡がないので、ガラス戸を鏡代わりし、
身だしなみの「指差し確認」・・・これは鉄道乗務員としての癖だ。
床下から音楽が聞こえる・・・この曲は・・・。
『車内アナウンスのオルゴール!』
私は、傷の痛みを忘れ、音楽の聞こえる方へと向かった。薄暗い廊下を抜け、階段を
駆け下りる。小さなエントランスに出ると、音楽はピタリと止まった。
『う〜ん、5小節目を少し変えてみよう。・・・タ〜タ〜タタタンッて感じで。』
『ジョニー、こだわり出したら限がない性格は、昔と変わらないな!』
『・・・でも、そこがジョニーの素敵なところよ。』
ざわざわと人の声が聞こえる。エントランスからまっすぐ伸びる廊下の先には大きな
扉があり、それは、その先から聞こえていた。
『よし、もう一度だ!』
この声は・・・あの列車の中で会った「男」か?扉へ向かうと、再び音楽が始まっ
た。軽快に、そして優しい音楽だった。私はそっと扉を開けると、そこには数十人の
若い男女が、各々の楽器で演奏をしていた。彼らは私の存在に気がつかない様子で、
熱心に楽譜を見ながら演奏をしている。そして、指揮をしていたのは・・・あの「男」
だった。
『ワタシ ノ キョク・・・』
富士/はやぶさ号の中で、あの男が言っていた。・・・あの「オルゴール」の曲は
彼が作ったのか?私は帽子を取り、静かに彼らの演奏を鑑賞した。
「男」が指揮棒をピタリと止めると、演奏は終わる。「男」が何者で、彼が為に私
がここにいる事などという、難しい事はすでに忘れてしまい、無意識に拍手をしてい
た。
『車掌さん!・・・傷は大丈夫なんですか?』
「男」が私に駆け寄ってきた。
『ああ・・・まだ少し痛むがね。・・・これは君が作った曲なのか?』
『そうです!「小夜曲より、セレナード・1番」・・・まだ手直しがしたくて。』
「男」はまるで子供のように目を輝かせながら言った。その表情は乗務員室にいた
時とまるで違っていた。
『なぁ、ジョニー、もう正午すぎだぜ?そろそろ飯にしないか?』
演奏者たちが呆れながらも、笑顔でざわめきだした。
『そうだね。・・・車掌さんも一緒にどうですか?』
私は『ジョニー』と呼ばれる男に誘われ、演奏者たちと「昼食」をとった。見慣れな
い料理ばかりだが、素朴で洋食の苦手な私でも美味しく食べる事ができた。
『ジョニー・ハイケンス!・・・こいつはこの町の・・・いや我がオランダが誇る偉大
な作曲家様だ!』
『よしてくれよ、ハンス。大袈裟すぎるよ。』
チェロ演奏者であるハンスという男は、席に着くと同時に酒を注文し、顔を真っ赤に
してご機嫌な様子で大声を出していた。
『そういえば、車掌さんの名前を聞いてませんでしたね。』
ジョニーの問いに、私は少し苦笑した。そういえば彼と出会って、まだ自己紹介なん
てしていなかった。ましてや、今こうして肩を並べて食事をしているのも不思議なもの
だった。
『私は河原孝市。』
『クァハラ・・・コゥニチ・・・?』
皆、「日本語」を話している様子に感じたが、どうも私の名前を呼ぶには「発音」が
難しいらしい。
『「シャショウ」でいいよ。』
私は笑った。
『そういえば、私の傷の手当てと、制服のクリーニングはジョニーがしたのかい?』
『いや・・・』
ジョニーが首を横に振ると、彼の隣に座っていた女性が身を乗り出した。
『わたしがしたの。』
『おおぉ〜これはこれは、偉大なるバイオリニストであり、かつ絶大なる美女、
ヘレンさんのご好意。・・・彼女はジョニーさんの恋人だ!』
『やめてよ!ハンス!』
私の後ろで陽気にしゃべるハンスに、ヘレンと呼ばれる女性は顔を赤らめながら
言った。
『彼女の父さんは医師でね。よく治療の手伝いもしていたから、腕は確かですよ。』
ジョニーはハンスを手で追い払いながらも、笑顔で付け加えるかの様に言った。
『いずれはジョニーの嫁になるんだ。裁縫も洗濯もバッチリ!食事だってお手のもん
さ!なぁ!』
『もう!いい加減にしないと怒るわよ?!ハンス!!』
ヘレンは立ち上がって、酒瓶を投げる素振りをしていた。
『ありがとう。ヘレンさん。』
『どういたしまして・・・「シャショウ」さん。』
小柄な若い女性は、振り上げていた酒瓶をテーブルに置くと、品良く会釈した。
皆、大笑いしながら食事をし、酒を飲み交わし、音楽について熱く語る。・・・食事
をしながら、鉄道乗務員を辞めたら・・・いや、こうやって「音楽」の世界に浸るのも
良いかと思った。
『そう言えばよ、連合軍はベルリン入りしたそうだ。』
『ああ、それ聞いたよ。・・・ヒットラーも死んだらしいな。』
『ナチ狩りがヨーロッパ中ではじまるぞ!』
演奏者たちはざわめきだした。
『ジョニー、今はいったい何年なんだ?』
演奏者たちの話を聞いていたジョニーの表情は暗かった。先まで、あんなに明るかっ
た表情は今はない。
『車掌さん・・・』
ジョニーは首で「別の席へ」と誘っていた。私は無言のまま、彼と同時に席を立っ
た。
『ジョニー?どうしたの?』
ヘレンは不安そうにジョニーに声をかけた。
『なんでもないよ。・・・男同士で話をするだけだよ。』
『ウソよ!・・・あなた、ドイツにいたでしょ?何かあったんじゃないの?!』
今にも泣き出しそうな表情で、ヘレンはジョニーの腕にしがみついたが、彼は先の
暗い表情は彼女に見せず、まるで子供をあやすかの様に、笑顔で言った。
『僕は音楽家だよ?戦争とは何も関係はない。・・・僕を信じて。』
ヘレンの額に軽く口づけをすると、彼女は手を離した。他の演奏者たちもヘレン同様
に不安そうな表情をしていた。
『・・・そう言えば、この間、隣町に言った時によ!ものすげー胸のでかい女がいて
よ!』
ハンスは大声で女の話をし始め、再び演奏者たちのテーブルに笑いが戻った。そんな
ハンスの姿を見ると、彼は話しながら私たちにウィンクをした。「ここは俺がなんとか
するから」と言わんばかりに。
食堂を出て、斜め向かいの小さなバーに行く。昼間には客は私たちしかいなかった
が、ジョニーは何かに怯えているかの様に店内の隅の席を選んで座る。
しばらく沈黙が続いた。ジョニーはどこから説明するか悩んでいるのだろう。
『・・・先の話からすると、今は太平洋・・・いや、第二次世界大戦中なのか?』
ジョニーは私の質問にうなずく。
『今は1945年。戦争はもうすぐ終わる。・・・そして僕は捕まる・・・。』
『どういう事だ?・・・君は音楽家だろ?兵隊だったのか?』
『違う。僕は軍隊に入っていない!ただ音楽の勉強をし、音楽を作ったんだ!』
彼は震えていた。恐怖ではなく、悔しみや・・・悲しみの様なものだった。
『車掌さん・・・僕はナチス・ドイツから1度だけ軍隊の為の「行進曲」を作れ
と指示された事があったんだ。』
『え?・・・じゃぁ、もしかして、それでナチスの協力者としての容疑がかかる
って事なのか?』
ジョニーは首を横に振る。
『作ったけど、「迫力がない」って採用はされなかった。むしろ「軍隊行進曲が
作れない無能な作曲家」と言われたよ。』
『じゃぁ、別にいいじゃないか。』
再びジョニーは黙り込む。
『車掌さん・・・』
『?』
『ごめんなさい・・・』
彼は鼻をすすりだした。彼が私に謝る理由・・・確かにこんな意味のわからない出来
事に巻き込ませたという罪悪感が彼にあったのか?・・・でも、あの「音楽」を聴き、
陽気な人々と食事をしてから、もうすでに乗客や乗務員、列車の事など忘れかけてい
た。
『・・・君が謝っても、仕方がないよ。・・・君は私に「ジョニー・ハイケンス」とい
う作曲家を知らせたかったのだろ?』
複雑な気持ちだ。この世界に来て、絶望で大泣きしたいのは私の方だったからだ。か
と言って、今、この彼を責める事など、私にはできなかった。
『僕という存在を知ってほしかったは確かです・・・。でも・・・。』
『でも?』
ジョニーは両手を握り、神に祈るかの様な格好で、両肘をテーブルに置くと、声を
震わせながら話を始めた。
『僕は・・・僕は「日本」を憎んでいた。・・・だから、車掌さん達も・・・』
『ジョ、ジョニー?』
『・・・僕は、車掌さん達の前に現れた時は「日本人」を殺そうと思ったんだ。』
続く
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