第77回テーマ館「音楽」
ミスアンサンブル 5 夢水龍乃空 [2010/07/11 00:11:20]
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「これはまた、手がかりの少ない話ですねえ」
「はあ」
「これで解決しろと言われても、どんなストーリーでも当てはまりそうに思えてきます
よ」
「はあ」
昨日の出来事を洗いざらい話したのだが、探偵にも謎解きは無理そうだった。それはそ
うだろうと宇納も思う。探偵のせいではない。だが、これ以上どうしたらいいのか、宇納
には分からなかった。
「その女性が鍵ですね」
「女性ですか」
「はい。何かに気づいたんです。そして詰め寄ったことで、チューバの子の何かに触れて
しまったんです」
「はあ」
「その人のこと、思い出せませんか?」
「え?」
「あなたを知っているようだと言っていましたし、あなたも見覚えがあるんですよね?」
「そんな気がします」
「思い出してください。その人がどういう人で、どんな経験をしてきたのか、それが分か
れば手がかりになるはずです」
「そうですか」
「何かに気づいたのは、いわゆる女の勘というものかもしれません。ただ、脈絡無く勘が
働くというのも妙です。連想される体験があったからこそ、その人は気づいたんだと僕は
思います」
気の抜けた口調とは裏腹に、確信めいた強さを感じさせる探偵の雰囲気に押されて、宇
納は記憶を探った。
とにかく、知っている女性について思い出せばいい。最近ではない。クラスメート、近
所の友達、あとは……。
「単に顔見知りくらいなら、無視していいです」
「は?」
探偵がいきなり割り込んできた。
「その人がなぜスタジオを訪れたか、分かりますか?」
「あの、いいえ」
「噂を聞いたからでしょう」
「うちの噂ですか?」
「正確には、あなたが開いたスタジオの噂です」
「僕が開いたスタジオの……」
宇納の心がざわめいた。封印していたはずの扉が、開きかけている感じがした。
「人気のスタジオがある。やっているのは宇納という人らしいと。珍しい名字ですから、
自分が知っているその人だと考えたんじゃないでしょうか。だから一度見てみたくて、訪
ねてきた。きっと、あなたに特別な感情を持っている人のはずです。しかも、普段は会う
ことができないし、改めて名乗ることもしづらい、気まずい別れ方をしたような人に心当
たりはありませんか?」
扉は完全に開いた。ずばり、探偵が言うような人物に心当たりがあった。面影をたどれ
ば、間違い無く望野だった。髪型も服装もすっかり落ち着いた大人の女性で、雰囲気がま
るで違うから気づかなかった。いや、気づこうとしていなかったのかもしれない。
「あります」
「誰ですか?」
「昔の……恋人です」
「ほほお」
促されたわけでもないが、宇納は望野との関係について、二人の間に起きた様々なこと
について、すっかり話していた。話し疲れた宇納に、探偵は麦茶を出してきた。飲み干す
のを待って、探偵は言った。
「どうやら、僕に解決できる事件ではなさそうです」
「そんな……」
「あなたにしか解決できないということです」
「ぼ、僕が?」
「はい」
冗談だと思った。だが探偵はとてもふざけて言っているようには見えない。
「あの、本気ですか?」
「もちろんです。僕が何をしたところで、何を話したところで、ブラスの女の子たちも、
望野さんも、誰も幸せにはなれません」
「な……」
だったら自分なら幸せにしてやれるのか。宇納はそう言いたくて仕方なかったが、口に
出せなかった。探偵のゴールは事件の関係者が幸せになれることだというわけだ。自分で
は達成できないから、宇納にやれと言う。意味が分からないが、何か重大な使命を託され
たような気がした。
「僕は、何をすれば」
「僕の言う通りにしてください」
「はい」
探偵は、まるで不可解な、暗示めいた台詞と行動だけを指示して、宇納を帰した。
翌日の夕方、宇納は水柿に電話をした。形ばかりの会員登録名簿が、意外なところで役
に立った。必ず四人で集まるようにと念を押して、できるだけ早い日を選ぶよう伝えた。
その日のうちに連絡が来て、明日なら、という返事を受け取った。平日はスタジオが休
業だから空いている。宇納も会社を早退して時間を作り、五人はスタジオに集合した。そ
のことは、指示された通り探偵にも連絡しておいた。
「さて、日曜は驚いたよ。あれからどうなったのかな?」
「その話ですか?」
「そうだよ」
目の前の四人の気まずい空気を見れば、宇納にも事態が変わっていないことは明白だっ
た。
「まず、奥戸さん、なにも逃げたりしなくてよかったんだよ。あの人は君を傷つけようと
したわけじゃないんだ」
奥戸は返事をしない。目にはじわりと涙が浮かんできた。なぜか、探偵はそれを予想し
ていたので、宇納は焦らずに続けられた。
「それから水柿さん、何か僕たちに隠していることがあるね」
「……え?」
挑むような目線を向けられるのも、探偵に言われた通りだった。
「羽間さんも、知っているよね?」
「イッ……」
焦って変な声を出してうろたえることは、探偵の予想に無かった。ただ、困ったような
リアクションを取るだろうとは言われていた。
「あの、わたしは、あんまり、っていうか、それは、ちょっと……」
「菜穂」
「あ、うん」
水柿が羽間をたしなめる。水柿がある計画の首謀者だから、と宇納は言われている。聞
いていないのは、その計画の中身と今回のトラブルの真相だ。台詞の指示は長いが、途中
からはその場に合わせてよろしくと言われた。その期限が近付いている。
「水柿さん、万行くんは秋祭りに来るって?」
「え」
「奥戸さんに、ちゃんと言ってあげないと」
「そ、なんで?」
「僕には分かってるよ。だから四人で来てほしいってお願いしたんだ。きっと、ただ呼び
出しても奥戸さんを連れてきてくれなかっただろうから」
「もうやめて!」
奥戸が叫んだ。頬には涙が流れている。可哀相だがある程度追い込んでおかないと確か
められないことがあるから、水柿を問い詰めて奥戸の感情が高ぶることがあれば次へ進ん
でほしいと、探偵に言われていた。これがそのことだろうと、宇納は判断した。
「奥戸さん、君は間違ってるよ」
「なにが? わたしが何したっていうのよ?」
「何もしないからさ」
「え?」
「だから水柿さんが動いてくれたんじゃないか」
「動いてくれた? くれたってどういうこと?」
大人しい奥戸の激しい態度に、他の三人は戸惑っていた。そこで水柿に話を振る。探偵
の指示はこれで終わりだった。
「水柿さん、彼女は知ってるんだよ。君なら分かるね?」
これで分かってくれなかったら、宇納に打つ手は無い。祈るような気持ちで返事を待っ
た。
「果純、まさか見てたの?」
「見たよ」
「じゃ、それで……」
「いいのよ別に。凪沙が誰と付き合おうと。でも、わたしの気持ち知っててなんで彼と」
「え、違うの。わたし、彼と果純をくっつけたくてそれで」
「え?」
一瞬ためらいを見せたが、水柿は決心したように話し始めた。
「果純って奥手だから、男の子に声かけるなんてできないじゃない? でも無理に後押し
してあっさりフられたりしたらって思って、まず彼の気持ちを確かめておいたの」
「そんな……」
「ごめんね。内緒にしないと意味ないでしょ? 菜穂にも付き合ってもらって、ほら、わ
たし一人じゃ果純を口実にして会ってるみたいで怪しいから、直接聞いたの。果純のこと
どう思うって」
奥戸は怖々と次の言葉を待っていた。
「そしたら、気にはなってたって。大人しいけどしっかりしてて、気が合いそうだって
思ってたって」
「ほんと?」
「ほんとだよ。だったら二人の出会いを演出しようってことになって」
「え、万行くんも一緒に?」
「ううん。そういうことしてもいいって聞いたらいいって言ってくれたけど、そっからは
わたしたちのアイディア。彼にも内緒」
「そんなこと」
伊ヶ崎もすっかり話に夢中になっている。いつの間にか、宇納もドキドキしながら聞き
入っていた。
「で、秋祭りのイベントを使おうってことになって、来てほしいってお願いしに行ったの
よ。それが先月の部活の帰りってわけ」
「あ!」
「校門から出てくる果純が見えた時は正直びっくりしたよ。彼の方はさりげなく歩いて
行ってくれたけど、わたしの方がドキドキしちゃって。内緒話を聞かれたかと思ってさ」
「話なんて聞こえなかったよ。ただ、二人で楽しそうに話してるのだけ見えて……」
「わたしが彼と付き合ってるって思った?」
「だって、凪沙美人だし、人気あるし、誘われたら男の子なら絶対断らないと思うし」
「もお、バカ。なんで親友の好きな人にわざわざ手出すのよ。わたしそういう女じゃない
よ?」
「ふふっ。うん。そうだよね」
感動している伊ヶ崎がフルートをくるくる回す様子を見ながら、宇納の胸は高鳴ってい
た。
似たような経験をかつてしたことがある。奥戸の立場が自分で、水柿の立場にいたのは
望野で、相手は森重だった。もしあの時、望野があれほど驚いた理由が、見られたことで
はなく聞かれたと思ったことだとしたら。思い当たることならある。二人が宇納に対して
共通に抱いていた思い。もっと前に出て叩いてほしい。ドラムに誇りを持ってほしい。そ
のために、何か二人で計画していたとしたら? その内緒話を聞かれたと思い驚いただけ
だとしたら?
誤解が解けて元の笑顔を取り戻した四人の楽しそうな姿を見ながら、宇納は自分がとん
でもない過ちを犯したのではないかと思い始めていた。あの日、望野は何かを言おうとし
た。宇納は聞く耳を持たず、望野を追い出してしまった。あの時、何が言いたかったの
か、今なら分かる気がした。
廊下へ出て玄関へ向かうと、ロビーに座る人影があった。その人は、宇納を見て立ち上
がると、はにかんだような顔で前髪を払いながら言った。
「昨日、探偵っていう人に声かけられて、話、聞いたの。今日この時間にここへ来いって
言われて、来ちゃった」
「アキ」
「……キリちゃん」
宇納は、何と言ってあげればいいのか、ちっとも分からなかった。自分の気持ちを伝え
ようと、必死で考えた結果がこうなった。
「ありがとう」
望野は、ぎこちない宇納の言葉に、にっこりと微笑んだ。
「あの時、言いたかったこと」
「うん」
「聞いてくれる?」
「ああ」
何を言おうとしていたのか、宇納には分かっていた。でも、望野の口からちゃんと聞き
たかった。聞いてあげたかった。あの日聞けなかった自分を見捨てなかった望野に対す
る、せめてもの罪滅ぼしに。
探偵の言う意味が、ようやく宇納にも分かった。探偵が真相を語り、説得することは容
易だったろう。けれど、この事件はそれじゃ終わらない。関係者が自ら気づき、理解し合
えて初めて解決できる。そういうものだったのだ。きっと今宇納が感じていることも、探
偵にはお見通しだったに違いない。宇納にはそう思えた。
望野の話をちゃんと聞くことができれば、あの瞬間に戻って、またやり直すことができ
るかもしれない。そんな自分の気持ちを。
完
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