『テーマ館』 第19回テーマ「ワールドカップ」



 「ソファの上のある一幕 −ワールドカップ・其の四−」   by MoonCat

「ソファの上のある一幕 −ワールドカップ・其の参−」へ戻る

      イギリスの夏は長い。午後の明るい日差しは七時頃まで衰える事を知らず、蒼い天
      空に覆われた薄闇は十時近くまで続く。数年前から世界的な気温の上昇に伴って、
      この国の夏も日中は南東部においては、三十度を記録する程となり、近い将来は南
      仏位の気候になるのではないかと、学者の間ではまことしやかに語られている。

      極東の島国よりこのヨーロッパの島国に来てから、七年の歳月が流れていた。故郷
      においては戦後より続くアメリカに対する憧れが強いにも関わらず、彼女が敢えて
      この斜陽の国を選択した所以は、彼女すら知らない。ただ確かなのは、家族や生ま
      れ育った故郷を捨ててまでここへやってきた事を自分が後悔しておらず、そしてそ
      こでの二十年近くの人生よりも遥かに幸福である事を、彼女が確信していた事であ
      る。幼い頃より読書の虫であり、自らも色々な文章をしたためる事が好きだった彼
      女は、途切れ途切れではあるがよく日記をつけていた。あらゆる人間の人生は、そ
      の一つ一つが非凡であり、他人には想像する事の出来ぬ事件の数々を含めている。
      彼女のそれも然りであった。が、その事件群の一つの為に、最初の十数年分が彼女
      自身の手で焼却されてしまったのは、残念と言わざるをえまい。

      その夜、彼女はソファに座って過去七年間の日記に目を通していた。子供の頃のそ
      れとは異なり毎日書き込まれる事はなかったが、何か事件が起こったり心に感じる
      所がある時には、決まって数ページに渡って細かに記してある。ロンドンの西端に
      あたるその住宅地は、その日は殊の外静かだった。しかも幸いな事に、上階の住人
      は外出しているらしい。庭からは、ナイチンゲールの声すら聞こえている。久々の
      静けさの中で、彼女の指はページをめくり続けた。

      友人からのプレゼントであるティーコージーに包まれた大きなティーポッとの中身
      が空になる頃、彼女はふと視線を宙に浮かせた。意識が日記の始まる遥か以前まで
      飛ぶ。彼女は十六歳であった。高校一年の夏休みのある一幕である。ダンヒルを一
      本、赤と金の正方形の箱から抜き出すと、火を付けた。ちなみに、これは勿論、二
      十四歳の彼女である。

      彼女が初めてイギリスに降り立ったのは、一九八九年の事である。ほんの三週間で
      あったが、ホームステイをしながらロンドン郊外の小さな町にある語学学校で勉強
      をした。同じ英会話教室の仲間と共に二十人程の集団でやってきた彼らの他に、か
      なりの数の留学生達がヨーロッパの各国から個人で訪れており、彼女が入れられた
      初級コースの十五人中、日本人は彼女を含めて三人。その他は全てヨーロッパ人で
      あり、その中でイタリア人の比率が最も高く、合計で七人程いた。

      言葉が不自由な事による不安の為か、それとも遺伝子による命令か、殆どの日本人
      は他の母国人と固まってグループを形成していたが、彼女はこの陽気で気さくなイ
      タリア人と仲良くなっていた。本来ならば彼女は英語の練習の為に、イギリス人の
      友人を作りたかったのだが、当然の事ながら学校には教師以外の英国人など存在せ
      ず、ましてや町の若者などは、自分等のテリトリーを闊歩する外国人などには、目
      もくれようとはしなかった。そのようなわけで、訛りの強い片言英語を話すイタリ
      ア人が最高の練習台とは決して言えぬにせよ、日本人同士で日本語を喋る事を考え
      ればまだましと言えたのである。毎日のようにランチやパブ巡りを共にして何を喋
      り続けていたのか、既に彼女の記憶にはない。が、その三週間に彼らが、帰国して
      からも何年か文通を続ける位の友人達に成長したのは確かだった。彼らを通じ、自
      然に彼女はイタリアに興味を持った。それは長くは続かなかったが、しばらくの
      間、彼の陽気な国とその文化は、たしかに彼女の心を掴んで放そうとはしなかっ
      た。

      同年冬、彼女はイタリア語の勉強にまで手を出していた。美術も好む彼女には、
      フィレンツェが舞台のNHKのルネサンス芸術のドキュメンタリー番組も、かかさ
      ず見ていた。そして瞬く間に一年が過ぎ、一九九〇年夏がやってくる。イギリスで
      感染したイタリア菌は、まだ活発に活動を続けていた。日本でサッカーが流行する
      以前の話である。ワールドカップの開催も、大々的には宣伝されていなかった。
      が、ある日朝刊に、イタリアでサッカーの祭典が開かれると、小さな記事が告げて
      いた。イタリアと日本には夏の間、七時間の時差がある。全ての試合を見るような
      事はしなかったが、ひいきの二カ国であるイギリスまたはイタリア・チームの試合
      の晩は、押し殺したような歓声が、テレビの置かれた居間から漏れていた。残念な
      がら、両国とも準決勝で叩かれてしまったが、彼女がこの夏の夜の試合の数々を満
      喫したのは確かである。

      秋が訪れ、彼の国よりの手紙の数も減り、イタリア語講座を見る事もおこたわれ、
      ドキュメンタリー番組も最終回を迎えた。そして時が移るに従って、彼女のイタリ
      ア病もいずこかへ消え去った様であった。次のワールドカップは一九九四年、アメ
      リカで開催され、その頃には彼女が既にこの国へ渡って二年の歳月が経っていた。
      一度もテレビのチャンネルを合わせる事もなく、一ヶ月余りのスポーツの祭典は、
      何の注意も払われぬまま幕を閉じた。

      そして今、二十世紀最後のワールドカップが、隣国であるフランスで開かれようと
      している。時差はほんの一時間に過ぎない。無理に深夜まで起きている必要はな
      い。再びイタリア、またはイギリスの活躍を、彼女は追うのだろうか?その答え
      は、彼女すら知らぬ所である。

(投稿日:06月03日(水)01時17分37秒)