第75回テーマ館「夢の終わり」



残された夢の跡(1) 夢水龍乃空 [2010/01/17 18:22:20]



 この家も広いな。雲田はまずそう思った。
 伊勢の芸術館の事件で、雲田は怪盗スケルトンの足元にも及ばなかった。その怪盗の英
知を読み解き、美学を語ったのは、見た目と能力が全く裏腹な、場末の私立探偵だった。
 後日、傷心の伊勢氏の許可を得て、警察は公式発表として、怪盗スケルトンが何も盗み
出さず、伊勢氏の芸術を奪い去った手口を公開した。失敗だと騒ぎ立てていた無責任なマ
スコミは手のひらを返して、怪盗の美学を賞賛した。
 その怪盗が今回狙うは、雲田の目の前にある熊野家だった。またの名を、秘宝館。決し
て怪しげな置物を集めて展示した建物ではない。文字通り、人類の秘宝にまつわる館とい
う意味だ。主の熊野氏は、今や知らぬ者のない世界的なトレジャー・ハンターなのだ。
「出水さん、こんな家に住みたいと思いますか?」
「盗賊追ってる立場じゃな、何もいいことがないとしか思えん」
「ですよね」
 出水警部補と組んで窃盗の捜査に当たってから、雲田はもう何度そう思ったかしれな
い。広い土地と大きな屋敷があっても、彼らが追うような人間たちに狙われて、肝を冷や
して暮らすことになるのでは、とても幸せだとは思えなかった。
 冒険家の面影もなく臆病な熊野は、金庫室の前でうずくまっている。予告状の時刻はも
うそこまで迫っていた。未だかつて、怪盗スケルトンの魔手から逃れられた者はいない。
 予告状が届いたのは、いつになく早い半月前のことだった。
 これまで何度となく怪盗に出し抜かれながらも、他の捜査官が担当したがらないという
理由から、またしても出水班が出動した。予告状では具体的な獲物を明かさないのがスケ
ルトン流だ。家の中にある貴重品を確かめ、一覧と配置図を作った。警官を配置する場所
を慎重に検討し、死角のない布陣を敷くことに成功した。監視用の警官を伴って何度も足
を運ぶ内に、雲井は秘宝館の中について、熊野以上に詳しくなっていた。
「今度ばかりは、透明怪盗も手が出ないでしょう」
「お前、その呼び方がそんなに気に入ってるのか。来てほしいみたいな言い方しやがっ
て」
「スケルトンなんて変な英語よりずっといいですよ。それに、来てくれないと捕まえられ
ないじゃないですか」
「そりゃそうだな」
 熊野が有名になったのは、宝探しに成功したからだ。
 まだ少年だった頃、田舎の祖父の家で蔵を探検している時、偶然にも開けた行李の中か
ら発見した一枚の古い紙切れが、彼の人生を決定した。
 そこに書かれていた奇妙な言葉と記号のようなものが何なのか、幼い熊野は気になって
仕方なかった。その気持ちは成長するにつれ、薄れるどころか確固たる意志の源となり、
彼の生き甲斐となった。宝の在処を示す秘文書と決めつけ、あらゆる資料を読み漁り、
様々な探検隊や発掘隊に同行して技術と嗅覚を磨き続けた。
 そんな人生が40年も過ぎた頃、熊野はついに決定的な手がかりをつかんだ。勇んで掘
り出したのは、素人が見ても意味の分からない塊だった。だが、長年磨かれ続けてきた熊
野の嗅覚は反応した。それらの写真を著名な考古学者、民俗学者、歴史学者に送りつけた
ところ、大名の取り締まりから逃れた隠れキリシタンが残した、当時としては極めて珍し
い異国製の貴重な品々である可能性が見出された。様式、細工の方法などからほぼ間違い
ないとされていたが、科学のメスが入り、いよいよ本物だとなると、熊野はあっさりとそ
れを手放した。日本の、いや世界の宝ということで国が収容することとなり、その市場価
値に相当する現金が熊野に支払われた。
「読みましたか、あの自叙伝」
「まあな。買い取り額まではっきり書いてあった」
「当時の新聞にも出てましたよ。税金で払うんですから、公開は当然でしょうけど」
「億なんて価値があるのかね、あんなガラクタに」
「なんたって人類の秘宝ですから」
「お前、分かるのか?」
「いや、そうなんだろうなって」
「なんだ」
 いかにもな金銀財宝ならばともかく、歴史的遺産の価値などそう簡単には理解されな
い。話題だけが一人歩きする状況が続いていた。そこに目をつけた出版社が熊野に自叙伝
という形で宝を紹介する本の執筆を提案し、熊野は快く応じた。そしてまた本が大ヒット
となり、熊野は時の人へ、そして大金持ちへとなっていった。
「でも本の写真とは全然別人でしたよね」
「冒険に明け暮れた日々と、家とマスコミの往復だけの日々の違いだろ」
「人は変わるもんですね」
「一文無しのトレジャー・ハンターが、今や怪盗に財産を狙われる立場だ」
「怪盗か。有り金全部盗む気ですかね」
「金の使い方を知らん男だからな。金庫には現金がたっぷりある」
「見た時は気が遠くなりそうでしたよ」
「俺なんかまだ現実味が無いぞ」
「僕は既に記憶がぼやけてます」
「お互い、小市民だな」
「金を持っても怪盗に取られるだけです」
「その通り」
 計画通りに警官を配置して、出水と雲田は寒空の下、二人で周囲の警戒を続けていた。
無駄話でもしていなければ、凍えてしまいそうだった。そもそも、スケルトンが現れたと
して、きっと立ち向かう術など無いと、雲田は思っている。対抗できるとすれば、あの名
探偵しかいない。
 予告の時間が、目の前まで迫っていた。

残された夢の跡(2)

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