第75回テーマ館「夢の終わり」



残された夢の跡(5) 夢水龍乃空 [2010/01/17 18:20:57]


残された夢の跡(4)


「おい、帰るぞ」
「あ、僕はちょっと」
「なに? 報告書は?」
「明日書きます。絶対」
「・・・」
「すみません。今日はどうしても」
「ふん、じゃあ報告書は俺がだいたい作っておく」
「あ、すみません」
「じゃあな」
 雲田は、引き上げる出水たちには付いていかず、熊野家に残った。理由は、美和が展示
品を見たいと言って残ったからだ。あの娘は只者じゃない。そして何かを隠している。そ
れを確かめたかった。
 博物館に戻ると、美和の姿は無かった。やはり目的は見物なんかではなかったのだ。そ
のまま廊下に上がり、奥へ進むと、書斎の前に立っている美和が見えた。何か、中に話し
かけているようだ。まっすぐな廊下だから、これ以上は近づけない。もどかしかった。
 少しして、書斎から奥さんが出てきた。二人で連れ立って雲田の方へ、いや、博物館の
方へ向かうようだ。急いで廊下を戻り、雲田は展示品の影に隠れた。
 二人は博物館までやって来た。冒険家だった頃の熊野の話で盛り上がっているらしい。
雲田が見てきたどの時より、奥さんの声は楽しげだった。
「本当に、その頃の熊野さんが好きだったんですね」
「はい」
「だから協力したんですね?」
「何のことかしら」
「いいんですよ。私は警察官ですが、法よりも正義を守ります。私はみんなの夢を守るた
めに警察になりました。だから、私は夢を追う人の味方です」
 どういう話だ? 流れが見えない。奥さんが犯人みたいなことを言っていないか? い
や、協力者と・・・。雲田は、美和が語ろうとすることに気づき、鳥肌が立った。
「熊野さんは、宝探しのために生きてきた人だそうですね。馬鹿みたいに一途で、馬鹿み
たいに熱くて、とっても素敵な人でした。特に、あなたにとっては」
「そうね。とても輝いていたわ」
「でも宝を見つけてからは、その輝きを失ってしまった」
「ええ」
「悲しかったでしょうね」
「あまりにも、変わってしまったから」
「でもそれでもあなたの愛情が変わることは無かったんですね」
「どうかしら。前のように好きではいられなくなったのは確かよ」
「だから、取り戻したかったんですよね」
「・・・」
「そのために、スケルトンの誘いに乗った」
 やっぱりそうか。雲田は確信した。美和が隠していたのは、その事実だ。熊野の奥さん
を告発することを、美和は躊躇った。でもなぜ? スケルトンと接触した人物の確保は、
捜査上極めて重要な意味を持つ。それくらい分かるはずなのに。
 息を殺して、続きを待った。
「スケルトンの計画には問題がありました。もし目録作りが提案されなかったら、もし博
物館の目録が最後に作られることになったら、もし倉庫のカードが事前に発見されたら、
そういう可能性は十分あります。そして、スケルトンにはコントロールできません。どう
しても協力者が必要でした。それがあなたです」
「どうしてかしら?」
「カードを張ったのがあなただからです」
「あら、どうしてそんなことが言えるの?」
「位置が低いんです」
「・・・え」
「カードがあったのは、私の目線の高さです。その背に合うのはあなたしかいません」
「スケルトンも背が低かったんじゃない?」
「だとすれば余計に、その事実を伏せるため高い場所に張るでしょうね。そんな警戒心の
無い、背の低い素人の仕業だということは明らかです」
 この娘は、カードの位置という情報から、犯行のシナリオをすっかり見抜いてしまっ
た。恐るべき能力。雲田は体の震えを抑えられなかった。怪盗と戦える名探偵は、一人で
はなかった。
「あなたは、気付いてほしかったんですよね」
「・・・」
「かつて命の次に大事だった秘文書と発掘道具が、毎日少しずつ消えていくことに、熊野
さんが気付いてくれることを願ったんじゃないですか? あなたが大好きだった、輝いて
いた頃の情熱を、熊野さんがまだ忘れていないと信じたかったんですよね」
「信じています。今でも」
「熊野さんは夢を叶えて、同時に夢をなくしてしまいました。夢の終わりが愛の終わりに
なってしまわないように、思い出してほしかったんですよね。その夢の跡を失うことで、
夢がいかに大切だったかを、思い出させたかったんですよね」
「あなたは、どうしてそう思うの?」
「私も、夢を失いかけたことがありますから」
「そうなの」
 雲田は二人の姿が見えなかったが、奥さんは泣いているような気がした。美和は真相を
暴いて追い詰めるのではなく、犯人を癒そうとしている。許そうとしている。それは警察
官としてはっきり間違いだと雲田は思う。だが、出て行って何かする気にはなれなかっ
た。
「証拠はありません。あくまでも、私の推理です」
「そうよね」
「だから、誰にも言いません。あなたは熊野さんを見守ってあげてください」
「え」
「熊野さんは、魂が抜けたような姿に見えました。何か大事なものを失ったんです。それ
が何なのか気付いて、やり直そうとする時、あなたの存在が必要になります」
「そうだといいわね」
「あなたはそこで、熊野さんを支えてあげてください。それが一番の償いです」
「そんなことでいいのかしら?」
「あなたにしかできないことです。一つの夢は終わりました。でも、夢は一つしか見られ
ないわけじゃないですよ」
 話を終えて、美和は奥さんを解放した。足音が過ぎ去ってから、美和は言った。
「雲田さんですよね。聞いていたなら分かってるはずです。私はあの人を告発しません。
雲田さんがどうするかは、自分で決めてください。では、失礼します」
 バレていたか。雲田は苦笑した。あの娘、頭は切れるが人を見る目がない。俺がそんな
野暮なことをする男に見えたのか?
 怪盗スケルトン。象徴的な何かを盗むことで、本当に大切なものを思い出させようとす
る者。怪盗の美学、今回もしっかり見せてもらったぞ。
 寒空に広がる星を見ながら、雲田は署まで歩くことにした。夜の静けさが、とても気持
ち良かった。

完


戻る