第74回テーマ館「ゾンビ」



秘境山荘の怪異 (1) 夢水龍乃空 [2009/09/28 20:51:58]


 その日の客入りは、例年より明らかに多かった。いつにない忙しさの中でも、オーナー
の滝吉の顔に笑顔が絶えることは無かった。
 切山は、大学に入ってから毎年、休みの間はこの山荘でアルバイトをしていた。滝吉と
もすっかり馴染みになり、今年も来てくれて助かったと、このところは毎日のように言わ
れていた。山岳部の切山としては、休憩時間の間でも近くの山々をトレッキングできる、
地理的に恵まれたこの山荘が気に入っていたので、ただの趣味だからと、照れ隠しに答え
るのだった。
 現在宿泊中の客は、山岳カメラマンの大間と、自称芸術家の中町だ。大間は毎日、大き
な体に撮影機材を背負っては山に入り、その日のベストショットを、滝吉と切山に披露し
てくれた。反面、中町は基本的にロビーでくつろぐか近くの遊歩道を散歩する程度で、芸
術活動らしき行動は見せていない。インスピレーションを待っている、というのが、本人
の言い分である。
 そんな男ばかり四人の宿に、この日からは女性客の予約がまとめて入っていた。話のつ
いでに、大間と中町にもそのことは伝わっていて、特に中町は、その話を聞いて以来、目
立ってうきうきとし出していた。そのことから、切山は何となく、この客の目的が分かっ
た気がしていた。
 山しかないようなこの場所でも宿が成り立つのは、歩いて三十分ほどの山奥に、一部の
マニアには知られた秘境温泉があるからだ。もちろん整備などされていない、野ざらしの
湯である。街からあまりにも遠いため、この宿に宿泊しながら温泉に入るのが通例となっ
ている。今度の女性客も、どうやら温泉目当てらしい。そして中町は、その温泉に入りに
来る女性客目当てなのではと、切山は見当をつけたのだった。
 朝から準備をしてあるので、チェックインは午後ならいつでもいいことになっていた。
だいたいは、麓にバスがある日の高い内にやってくることが多い。狭いながら駐車場はあ
るので、車でも大丈夫なのだが、ガードレールの無い崖っぷちを長く走ることになるた
め、運転に自信があっても、通行は命がけだ。大多数の客は、麓までバスで来るか、少し
登ったところにある観光施設の駐車場を借りて、そこから歩いてくる。
 そしてまだ2時前というのに、若い女性の二人連れが到着した。応対は切山の仕事であ
る。
「いらっしゃい」
「予約していた天崎ですけど」
「はい。お待ちしてました。お二人でしたよね」
「一谷です。よろしくお願いします」
 天崎と一谷の二人は、大学のサークル仲間だそうで、秘境を訪ねて歩く趣味があり、今
回も一緒に計画を立ててやって来たそうだ。チェックインの簡単な手続きの間、よくしゃ
べる二人はたたみかけるように切山に聞かせてくれた。熊のような親爺が切り盛りしてい
る宿と聞いていて、若い切山がいたことでちょっと安心したらしい。
「部屋は二階です。荷物持ちますね」
「お願いしまーす」
 かわいらしい柄の小さな鞄を二つ下げて、切山は二人を部屋に案内した。最小限度の荷
物だけを詰めているらしいところが、旅慣れた様子を感じさせた。
 山荘の一階はロビーとスタッフのプライヴェート・スペースで、客室は全て二階にあ
る。ロビーは時間によって食堂となる。室数は、一人用が5部屋に二人用が3部屋だけ。
予約では半数が埋まる予定だ。
「こちらになります」
「うわあ、いかにもって感じぃ」
「ほんとだぁ」
「意外と眺めいい」
「えーうそうそー」
 はしゃいでいる二人に、軽く説明をして、切山は鍵を預けて部屋を出た。中高年を相手
することの多い場所では珍しい賑やかさに、切山もつられて気分が良くなってきた。
「オーナー、なんか賑やかですね」
 二階から漏れ聞こえる声に耳を向けながら、カウンターの滝吉に話しかけた。
「そうだね。若いってのは、いいもんだな。君の好みのタイプはいたかい?」
「なんですか、いきなり」
「どうせ彼女なんていないんだろ? しかし、お客さんでいる内は手を出さんでくれよ。
ハッハ」
「参ったなあ」
 しばらくすると、散歩していた中町が戻ってきた。
「あれ、お客さん?」
「ええ。若い女性たちが到着しましてね」
 滝吉の言葉に、あからさまにニヤニヤしながら、「へえ」と言って、中町はまた外へ出
て行った。切山が滝吉に苦笑してみせると、滝吉もやれやれといった表情を浮かべた。ど
うやら、同じことを考えていたようだ。
 残る予約客は、あと一名のみ。

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