第74回テーマ館「ゾンビ」



秘境山荘の怪異 (2) 夢水龍乃空 [2009/09/28 20:51:34]

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 しばらくすると、二階からバタバタと音がして、天崎たちが下りてきた。
「温泉行ってきまーす」
「はいはい。ごゆっくり。でも暗くならない内に戻ってくださいね」
「なんかお父さんみたーい」
 笑い合う二人に、真剣な顔で滝吉が言った。
「この辺は、自然のままの山です。明るい内でも、肉食の小動物や蛇くらいは出ます。滅
多に遭わないが、毒蛇だっていないわけじゃない。血清は用意してるがね。特に夜になれ
ば、獰猛な連中が活動を始める。山を甘く見ると、大怪我しますよ」
 二人組は小さくなって顔を見合わせていたが、やはり温泉は行きたかったようで、行っ
てきますと一言言うと、森へ入っていった。すぐに笑い声がしたから、あまり深刻に考え
ていないのかもしれない。
 二時間ばかり、何事もなく時が過ぎた。時折、滝吉が山道を見やるのは、天崎たちを
追った中町の姿を警戒していたのだろう。
 4時を過ぎた頃、最後の予約客が現れた。
「ごめんください」
「いらっしゃい」
「吉田です。お願いします」
「承っています」
 今度は大人の女性だ。山に合わない原色の服に、サングラスをかけている。美人でスタ
イルもいいが、同年代の若い女性を見たばかりの切山には、化粧が濃いなという印象しか
無かった。
「お部屋は二階です。あれ?」
 荷物を持ち上げて、切山が妙な声を上げた。
「どうしたの?」
 すかさず、吉田が聞いてきた。
「あ、すみません。思ったより軽かったので」
「ああ、それね。私フリーライターなのよ。いつでも全国飛び回ってるわ。荷物の量で鞄
を変えるのが面倒で、いつもそれなの。今回は荷物少ないから、見た目より軽いわね」
「そうなんですか。さっきの人たちの倍くらい大きいのに、中身の感じが同じくらいだっ
たから。同じ女性なら荷物はそんなに変わらないんじゃないかと思って」
「あら、女の客がいるの? 話し相手になってもらおうかしら。若い人?」
「ええ。大学生だそうです」
「いいわね。どうせ温泉目当てでしょ。他に客はどのくらい?」
「山岳カメラマンの男性と、あの、芸術家と言っている男性が泊まってます。今はそれだ
けですね。先週まで結構入ってたんですが、ちょうど何日か空いてたところなんです」
「じゃあいい時期だったわね。誰もいないのも寂しいけど、いすぎるのもねえ」
「まあ、全部で11人しか泊まれない宿ですけど」
「あ、そういえばそうね」
 二人組はお互いにしゃべっていたが、今度は切山が話し相手にさせられている。女はほ
んとによくしゃべるなと、切山は思った。
「こちらです」
 説明を終えて鍵を渡して、切山はロビーに下りた。荷物をほどいたとも思えないが、吉
田もすぐ後に下りてきた。
「オーナー、お話しできるかしら?」
「ええ、構いませんよ。何か?」
「取材よ取材」
 カウンターの滝吉をつかまえて、周辺の見所について聞き始めた。いつの間にか大きな
手帳を開いて熱心にメモしている。自称芸術家を知っている切山は、この人は本当に仕事
なんだなと、変なところで納得した。
 ちょっと見てくると言い残して、吉田が足早に出て行った。一応、靴は最初からスニー
カーで、深入りしなければ歩くのに不自由はなさそうだった。
「やれやれ。向こうの方がしゃべってたんじゃないか?」
「そうですね」
 解放された滝吉は、少し疲れ気味に言った。
「さて、夕食の準備でもするかな」
「はい」
 料理は滝吉が一人でする。代わりに、切山がカウンターで電話番だ。予約は終わってい
るが、飛び込みで来ないとも限らない。誰もいなくなるわけにはいかないのだ。防犯とい
うのは、あまり考慮していないが。むしろ、警戒するのは野生動物の侵入である。
 そのうち、吉田がまず山荘へ戻ってきた。靴にだいぶ土が付いていたから、かなり歩き
回ったようだ。
「なかなかいい所ね。野鳥がたくさんいたわよ」
「見つけましたか。とにかく手つかずの自然だから、リスとかイタチとかもいますし」
「へえ。会ってみたいわね」
 部屋に上がった吉田は、すぐにロビーへ来て手帳を開いた。切山は思いきって、疑問を
ぶつけることにした。
「あのう、お部屋は窮屈でしたか?」
「え? ああ、部屋でやればいいのにって? そうじゃないの。ここにいれば人が通るで
しょ? 面白い話が聞けるかもしれないから」
「ああ、そういうことですか」
「心配させちゃったかしら?」
「いいえ。でも、今時のライターさんって、モバイルとか使わないんですか?」
「私は苦手。紙とペンが一番いいわ。電池切れも怖いし」
「へえ。なんか、バリバリ働いてそうな感じなのに、意外ですね」
「そう? 結構アナログなのよ」
 暗くなる前に、しっかり全員が戻ってきた。天崎たちは雰囲気満点の秘境温泉に満足げ
で、大間はその二人をつかまえて写真の話に夢中だ。中町はそんな様子を離れて見なが
ら、相変わらずニヤけた顔をしている。覗きに行ったのかどうか、それだけ見ても分から
なかった。吉田は一人、ロビーの椅子に座ってずっと手帳に書き込みをしている。取材で
得たものがあったのだろう。
 切山はぼんやりとそんなことを思いながら、カウンターで暇を持て余していた。
 この日の夕食は、若い天崎と一谷を中心に賑やかなものとなり、大間は女性三人にレン
ズを向けてはしきりとシャッターを切っていた。案外、人物写真も得意なのかもしれな
い。
 吉田が遅くまでロビーで仕事をしていた以外は、みな自室へ引き上げ、静かな夜となっ
た。その翌日、事件は起きた。

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