本稿は,ケムの修士論文の「第1章 手話辞典の歴史」です。
第1章 手話辞典の歴史
2005/08/05〜
本章では、日本の手話辞典の歴史を概観し、「手話・日本語辞典」の必然性について述べる。
資料を検索した範囲で最初に「手話辞典」と称したものは、昭和38年(1963年)に刊行された松永端の『手話辞典』1 である。厚生省社会局長・大山正が「推薦のことば」を書き、「凡そ辞典と名のつくものの数は、実におびただしいものでありますが、手話に関する辞典といえば恐らくこれが最初のものではないかと思います。」と言っている。『手話辞典』の発行元である日本特殊教育協会の市村栄は「発刊にあたって」の中で「ろう者の日常会話の中で、もっとも多くつかわれているもの二千五十語、数詞二十語、都市や国名二十二語、指文字四十五語、その総語彙は二千一三七語をもって「手話辞典」なるものを書かれた、ということはこのろう教育界並にろうあ界のできごととしては、特に特筆すべきことであり、快挙といわなければならない。」としている。
この本は新書版176ページで、2,137語を載せていることから分かるように、イラストを使わないで、言葉だけで手話の説明をしている。7ポイントくらいの小さな活字で、2段組でぎっしり書かれている。冒頭のところを引用する。
愛(愛する) 掌をしたに向けてやや彎曲させた左手の手甲の上を右手掌で撫でまわす。子供の頭を愛撫する身振り。
相変わらず 過去−同じ同じ−同じ 過去を表した手まね(右手掌を右肩越しに後方へ押しやる)から、その手の親指と人差指の指頭をつけ合わせては離し、つけ合わせては離しながら、手を前方へまっすぐに移動させて行く。親指と人差指の指頭をつけ合わせるのは「同じ」の意味。すなわち過去から同じ同じとつまり変わらぬこと。
挨拶 指頭を上にさした両手の人差指を前で対立させてから、両手をおじぎするように屈める。(p.26)
現在の手話の本で、「イラストにつける手の動かし方の詳しい解説」という趣きであるが、手話を知らない人には、手の形や動きを想像するのは難しいと思う。しかし、手話がある程度分かっている人には解読が可能で、昭和30年代の手話を保存するという意味は大きい。また、「愛(愛する)」のところで、「子供の頭を愛撫する身振り。」とあるように手話の語源2 を説明しているのも理解を助けるし、その時代に手話がどのように理解されていたかを知ることができる。
辞典の構成を見れば、日常会話の語彙が五十音順に配列され、「数詞」「主な都市と国名」「指文字」が付録としてつく形になっているので、「日本語・手話辞典」である。「序、凡例、目次」の後に、ア、イ、ウ……別にまとめられた「語彙一覧」がついているのが特徴である。
同じ昭和38年(1963年)に『日本手話図絵 −手まねのてびき−』3 が早稲田大学心理学研究室ろう心理研究会から発行されている(「図 1」)。実際は金田富美の著作4 である。金田はこのとき国立ろうあ者更生指導所にいたので「ろうあ者の更生指導に携わる方々に本書を活用していただけるならまことに幸せなことである。」とあとがきに書いている。聴覚障害者の手話を写真に撮って、矢印を入れ、かんたんな解説を付け五十音順に配列した「日本語・手話辞典」である。
約800の写真(数詞を含む)と指文字のイラストを載せている。
図 1 『日本手話図絵』
「手話例文」がついているのが特徴である。日本語の例文の後に、使用する手話が手話番号とページ付きで示されている。 ほんと(670)125では、「ほんと」が手話の日本語ラベル、(670)が手話番号、125がページ数でる。
「たしかにそうです。または、まったくそうです。」 |
ほんと(670)125 |
「このコーヒーはおいしい。」 |
スプーンでかきまわすしぐさ。 飲む(581)107 → におい(570)105 →いい(68)13 → 味(24)5 →おいしい(166)30 |
この年にはさらに、『手話法日常会話便覧』5 が天理教手話研究室著で、天理教聴覚障害者布教連盟より出されている。松永端の『手話辞典』と同じく、基本は言葉で手話を説明する形をとっている。
序文の後に指文字と数詞のイラストによる説明があって、次に「手話図解」として基本的な手話106個のイラストが載っている。その後に
頭の部 顔の部 額の部 目の部
頬の部 鼻の部 口の部 あごの部
……等31の部に分けて説明している。最初の方は、手話が体のどの部位で行われるかになっているが、体の部位による分類で一貫している訳ではない。「国名の部」「地名の部」「生き物の部」と意味による分類が混じったり、「拇指小指の部」「示指の部」「拇指示指の部」6 と指の形や、「掌内及横向の部」「掌二方向の部」「合掌の部」「掌半反転握手の部」と掌の向きで分類したりしている。
「頭の部」では、
頭 示指にて頭をさす。
思う 右示指の指先をこめかみの上部に軽くつける。
考える こめかみにつけた右示指を二、三回ひねる。
意見 A思うと同じ B考えると同じ。
思想 考えると同じ。
思案する 考えると同じ。
主義 考えるの手話につづいて手本(58頁)の手話をする。
ためらう 考えるの手話につづいて迷う(39頁)の手話をする。
……
と配列され、各「部」の中では基本的の手話から応用的な手話へと配列されている。
昭和38年(1963年)は、『手話辞典』『日本手話図絵』『手話法 日常会話便覧』の三著が同時に出た年として、日本の手話辞典史において画期的な年であった。しかし、『手話辞典』は日本特殊教育協会、『日本手話図絵』は早稲田大学心理学研究室ろう心理研究会の発行であり、一般の書店で市販されたとは考えにくい。『手話法 日常会話便覧』は天理教布教のための本であり、これも一般の人の目にはふれないものであろう。
辞書は一般に次のように定義される。
「単語を,ある基準にそって整理配列して,その表記法,発音,品詞名,語源,意味,用例,用法などをしるした書。」7
「ことばや文字をある観点から整理して配列し、その読み方、意味などを記した書物。」8
「ある基準」や「ある観点」とは何を指すのであろうか。言語が確立した後の時代の辞書は言語の実態をありのままにまとめることが目的になるが、言語が確立していない時代の辞書には、言語の規範を示すという役割が与えられた。たとえば、
18世紀はヨーロッパを通じ合理主義が風靡(ふうび)し,フランスやイタリアではアカデミーが設立されて,国語の純化と標準語確立のための辞書の編集が行われていた。イギリスでは結局,国語問題に携わるアカデミーは成立しなかったけれども,標準的な新辞典の編集は,S. ジョンソンという偉大な個性によって,ほとんど独力で完成されたのである。この《英語辞典》2巻(1755)は従来の英語辞典の集大成というべきもので,収録語数約4万3000,ようやく固定しかけてきた綴字法を整理し,語源を不十分ながら与え,語の意味用法をおもに17世紀以降の文学作品からの引用例によって説明し,ほぼ近代的な国語辞典に仕上げることに成功した。9
英語の辞書の場合は正書法(綴字法(ていじほう))を示すという役割が大きい。同様に初期の手話辞典には手話単語の形を確定するという役割があった。(全日本ろうあ連盟の発行する手話の本は、いまなおこの役割を担っている。)
昭和44年(1969年)に、栃木県立聾学校と栃木県ろうあ協会が『手指法辞典(上)』10 を発行した。『手話の世界』11 によると「「手指法辞典」を作成している時点では、「わたしたちの手話」も発行されていない状態で」、「私たちは、当初より全日本聾唖連盟と共にこの辞典を作成することを望んでいたのであるが、そこまでは至らなかった。」12 『手話の世界』は『手指法辞典』を次のように総括している。
「手指法辞典」は、伝統的手話と共存しながら、その中で、「日本語の手話」の存在を示すことに目的があり、その一つのモデルとして提出されたものと見てよいと思います。(p.168)
図 2 『手指法辞典』
No. | 見出し語 | 図 解 → 関係ある語 |
||
・類義語 ○例 文 留意事項 |
||||
1868 | 前(時間的) | 前に使用しない。(×前にいる人) |
||
・昔 ・過去 ・以前 ○食事の前 時間的に過去を示す場合にだけ使う。場所的な |
『手指法辞典』は、次に述べる『わたしたちの手話』よりも辞書として進んだ面を持っている。「図 2」に「この辞典の使い方」で掲げている図と実例をあげた。13 このような使用法の説明や例文、留意事項は『わたしたちの手話』にはない。
『手指法辞典』は、聾学校で手話を使って日本語を教えるという立場で作られている。次に述べる『わたしたちの手話』と共に、日本で手話が社会的に認知される以前の辞典なので、手話を言語として確立しようという意気込みが感じられる。言語の規範を確立しようという意図を持った辞書である。
手話の本が広く社会的な影響力を持つのは、昭和44年(1969年)10月の全日本聾唖連盟14 の『わたしたちの手話』15 の登場を待たねばならない。『わたしたちの手話』は辞典ではなく、語彙集である。巻末に日本語索引を付けている。内容は『わたしたちの手話(1)』に例を取ると、「手話図解」として、
1.人物 2.疑問詞 3. 数 4. 時
5.社会一般(a.基本用語 b.スポーツ c.自然用語 d.地名)
6.一般名・動・形容詞
の分類で手話のイラストを並べて、簡単な動作の説明を加えているだけである。辞書としての手話単語の語義や用法の説明はない。例を「図 3」にあげた。16
図 3 『わたしたちの手話(1)』
き の う | あ し た |
「1」を反対に向け顔の横から 肩上より後におしやる |
「1」を顔の横に置き, 指腹を前方へ折る |
『わたしたちの手話』は辞典ではなく語彙集であると書いたが、辞書の歴史をひもといてみると(「日本語の辞書(1)」17)、辞書は語彙集から始まっている。漢字辞書は別にして、現存最古の国語辞書は『倭名類聚抄』であるが、その体裁は
漢字、漢語を見出しとし、これを意義によって天・地・水・歳時などの「部」に分類し、部はさらに下位分類されている。例えば、天部は景宿・雲雨・風雪の三つに分類(この下位分類を「門」とよぶ)されている。(p.296)
室町時代に作られ、江戸時代に広く使われた『節用集』は「いろは引きの国語辞書」とされているが、
語頭の音節によっていろはに分類(部)し、さらに部内を意義分類(門)したいろは引きの分類体国語辞書である。(中略) 部の下位分類である門数も諸本間の差異が著しく、多いものは文明本(1474(文明6)年)の天地・家屋・時節・草木……光彩・数量・態芸の16部門であり、少ないものとしては天正18年本(1590年)の天地・時候・草木・人倫・支体・畜類・財宝・食物・言語進退の9門というように多様である。(p.312)
手話をテーマごとに分類して並べる語彙集の形をとるのは、辞書の初期の形態であると言える。事実、この後、たくさん刊行される手話の入門書は、ほとんど語彙集の形をとっている。
『わたしたちの手話』は、全日本聾唖連盟が手話の普及と標準化をねらって出版したもので、冒頭の連盟長・大家善一郎の「発刊にあたって」や手話法研究委員会の「はじめに」「手話概説」は一種のマニフェストになっている。「はじめに」から引用すると
今日私たちのコミュニケーションの手段である手話が地域によって若干異っていることから生れる不便が、ろうあ運動の全国的な発展によって鋭く意識されるようになり、手話の標準化あるいは統一に関する提出議案が毎年の全日本ろうあ連盟評議会でくり返し提案きれるようになったことと、昨年福島市での第1回全国手話通訳者会議が成功し、全国的に生れている健聴者の手話学習会もしくは奉仕グループ相互の連絡がとられ、さらに発展しようとしている時、連盟の立場から、これに適切な手話テキストを提供することが緊急の任務となって来たことであります。(p.4)
と、手話の標準化が鋭く意識されている。手話はまだ社会的に言語として認知されていなかったという時代背景を知ることのできるマニフェストである。「発刊にあたって」や「はじめに」は14年後の改訂版でも、「「初版」発刊にあたって」「「初版」はじめに」として残されている。『わたしたちの手話』は(1)から(4)までが続けて発行された後、しばらく間をおいて(5)以降が発行され、1983年以降は(1)から(4)の改訂と(10)までの作成が平行し、その中で、現に行われている手話を採録して手話の形を確定することと同時に、時代の要請に応える新しい手話の作成が行われている。その様子を見るために発行年を列記しておく。(書名「わたしたちの手話」は省略)
『(1)』1969年10月25日
『(2)』1971年3月30日
『(3)』1972年5月15日
『(4)』1974年8月20日
『(5)』1980年6月30日
『(6)』1981年8月1日
『(7)』1982年7月20日
『(1)改訂版』1983年1月10日
『(8)』1983年10月1日
『(9)』1984年8月1日
『(10)』1986年5月1日
『(2)改訂版』1987年9月1日
『(3)改訂版』1987年10月10日
『(4)改訂版』1988年5月30日
『新しい手話T』1989年12月12日
『新しい手話U』1992年6月5日
『新しい手話V』1997年12月10日
『続1』1993年6月5日
全日本ろうあ連盟の手話辞典への本格的な取り組みは、1987年に設立された日本手話研究所とともに始まる。同研究所は、5つの部会(研究セクション)に分かれて研究活動を進めている。同研究所のホームページ18 からその活動のようすをみることができる。
『日本語−手話辞典』編集室(同編集委員会)は、研究所発足当初から日本語と手話の互換性を高めるための『日本語−手話辞典』の編纂に取り組み、9年の歳月をかけて1997年に2000ページあまりの大部の辞典を発行した。この辞典は、「手話が日本語と一対一に対応するものではなく」、手話の「主体・対象・動作・手段・態様などによって」その表現が異なることを示した、画期的手話辞典であることに特徴がある。(後略)
2-2日本手話確定普及研究部
日本手話確定普及研究部は、全日本ろうあ連盟が主催して1969年から取り組んでいる「手話の共通化」を目的として「標準手話」の確定と普及を行ってきた「手話研究委員会」を発展的に改組して組織された。同研究部は「標準手話研究」と「(標準)手話の普及定着」のための調査・研究活動を行ってきた。この研究成果は全日本ろうあ連盟が発行する『わたしたちの手話』(全11巻)『新しい手話』(全3巻)として発行され、これまでに日本国内を中心に数百万部を普及。日本における手話の普及と社会的に(ママ)認知に決定的な役割を果たした。
またこれらの研究事業は国の認めるところとなり、1982年以降、厚生省が当連盟に委託する「標準手話研究事業」「手話普及定着事業」として継続されている。
2-3外国手話研究部
(略)
2-4手話構造研究部
手話構造研究部は、全日本ろうあ連盟が主催した「手話造語法研究委員会」の研究成果(『手話開発のための造語法に関する研究報告書』(三菱財団助成事業)等)を継承して組織された。この研究成果などをもとに『手話−日本語辞典』(仮称)を編集作成することを目標に手話の基礎的・構造的研究に取り組んでいる。
1995年には、これらの基礎研究をまとめた『「手話−日本語索引」研究報告書』(社会福祉法人丸紅基金助成事業)をまとめた。諸外国の手話に関する研究の成果も取り入れつつ日本手話の構造に関する基礎的研究を行っている。今後は、これらの研究の成果をもとに「手話−日本語辞典」の編纂に取り組む計画である。
2-5ろう教育研究部
(略)
日本手話研究所の成果は、1997年に出版された『日本語−手話辞典』19 である。語義および用例を詳細に記述している。初めて「日本語−手話辞典」というものが誕生したと言える。
一方、「手話−日本語辞典」の方は、手話構造研究部が担当しているようであるが、まだまだ構想の段階であるようである。
全日本ろうあ連盟の出版物は、現在でこそISBNコードがついて一般の書店でも購入できるようになったが、筆者が聾学校に入った昭和49年(1974年)当時は、全日本ろうあ連盟に加盟する地区団体を通してしか手に入れることが出来なかった。
手話の本が一般の書店に並び、ベストセラーになったのは、昭和55年(1980年)の丸山浩路『百万人の手話』シリーズ20 が始めてである。昭和57年(1982年)に出た伊藤政雄・竹村茂の『手話入門』21 は、コンパクトな新書版の中に豊富な手話単語を収録して気軽な手話の本のブームを作った。いずれも手話の語彙集である。
NHKは昭和52年(1977年)に「聴力障害者の時間」の時間でテレビに手話を取り入れた。この頃から大学などで手話サークルが広まった。平成2年(1990年)4月には「みんなの手話」22 という手話教室が放映されるようになり、またテレビドラマで手話が取り上げられ手話ブームといわれる時代になり、手話の本がたくさん刊行されるようななる。しかし、そのほとんどは手話の初心者をねらった入門書であり、手話の語彙集か簡単な手話会話の入門書である。
辞典の体裁をとったものも、『手指法辞典』『日本手話辞典』『写真手話辞典』『イラスト手話辞典』23 など少数あるが、すべて「日本語−手話辞典」である。
このように手話の本が普及したということは、手話の辞書においても、規範主義から記述主義への転換の条件が整ったといえる。
国広哲弥は「規範主義と記述主義」24 の中で次のように述べている。
完成後世界最大最良の辞書として長年世界に君臨してきた『オックスフォード英語大辞典』(ODE)の基本的性格は、1857年にトレンチが行った講演「英語辞典の若干の欠陥について」に端を発する。トレンチによれば「真の辞書というものは、良い言葉悪い言葉すべての一覧表」であるべきで、また辞書編集者は「歴史家であり、批評家ではない」というのであった。辞書の歴史主義と記述主義はここに始まると言ってよい。
辞書の歴史をみると、ある言語の確立のために規範主義に基づく辞書が求められるのであるから、記述主義(歴史主義)に基づく辞書が成立すれば、その言語は成熟した段階に達したといえるであろう。
『三省堂国語辞典』『三省堂現代国語辞典』の編者として名高い見坊(けんぼう)豪記(ひでとし)は、自らの辞書編纂の生涯を語った『ことばの海をゆく』25 で次のように述べている。
辞書は社会のことばを映す鏡である。(客観主義) 同時に、辞書は各人の言語行動の鑑(かがみ)である。(規範主義) これが「辞書=かがみ論」です。
ここで注意していただきたいことは、鏡と鑑の間に一定の順序があるということです。まず鏡であって次に鑑となりうる、ということにとくに注意していただきたいのです。
手話の辞書を作成するときには、「まず鏡であって次に鑑となりうる」ことを目標の一つにしなけらばならない。
前項までに紹介した手話辞書は、『手話法 日常会話便覧』を除いて、いずれも手話語彙が日本語見出しの五十音順に配列されているか、手話語彙がテーマごとの並べられて索引がつく形になっている。
このような手話辞典に関して、『わたしたちに手話』の編纂にかかわった田上隆司は、「ろうあ運動」(昭和53年(1978年)春季号)に「『わたしたちの手話』編さん26 上の諸問題」で、問題提起をしている。この論文は未見であるが、『手話の世界』27 にまとめられているので、それに基づいて検討する。
『手話の世界』では、手話辞典の果たす役割の主なものとして4点をあげている。
@ある手話が、どういう日本語に当たるかを示すことができる。
Aある日本語を、手話では、どう表現するかを示すことができる。
B手話の標準形を示すことができる。
C手話の全国共通化や手話普及の基礎資料とすることができる。(p.165)
昭和50年代の初頭は、手話は今日ほど普及していなくて、社会的な認知もなされていなかった時代なので、BCのような役割が手話辞典に要求されていた。しかし、辞典本来の役割は、言葉のありのままの姿をとらえることであろう。@Aが辞典本来の役割である。
『手話の世界』では、「手話辞典には三つの型がある」(p.168)として、次のように述べている。
@「A型。ある手話を見て、それがどういう意味か分からないときに使う。英語や漢字がわからないとき、英和辞典や漢和辞典を用いるのに似ている。」
A「B型。『わたすたちの手話』の形式。A型とは逆に、ある意味からどんな手話かを探す形式。手話は原則として一つだけを示す。(当然、手話と日本語は一致するものという前提になっている。)」
B「C型。意味から手話を探す点はB型と同じ。しかし手話は一つでなく、意味に応じて変える。(当然、日本語と手話は一致するという前提はない。)和英辞典に似ている。」
B型は、日本語対応手話の辞書で、手話と日本語を一致させて使用する日本語教育用のものである。C型は、日本語と日本手話は別の言語であるという考え方にたった日本手話の辞書である。辞書の形式としては、いずれも「日本語・手話辞典」である。
現実に手話辞典と称しているもの中には、日本語に対応する手話を一つだけ示すB型の辞典が多い。それは、日本語と手話は一致するという考えに基づくものではなく、単にその日本語に対応するいろいろな手話を収集する努力を怠っているだけである。『手話の世界』でも、この点について「編集労力などの点からそうなったものでしょうが……」(p.175)と述べている。現在、手話辞典と称しているものの大部分は、手話の語彙集の範疇を越えていない。
A型の辞典、つまり「手話・日本語辞典」は、『手話の世界』の刊行された時点(昭和54年)では実用化されていない。そこで「このような辞典が他に見あたりませんので、次に私たちの試案を提出し、今後、このような辞典が編集されるときのたたき台としたいと思います。」として、次のような試案を示している(p.175)。 以下、「田上等試案」と表記する。
@まず、手話が身体のどの辺りにあるかを見る。複合語の場合には、最初に行なう手話の位置で調べる。そのため、身体の位置を次のように分けます。これはもちろん仮の区分ですが、例としてあげます。
頭、額、耳、目、鼻、ほほ、口、あご、首、肩、胸、背中、腹、上腕、下腕、ひじ、腰、もも、空書
A 次に、手の形で調べる。
手の形に変化のあるときは、最初の形で調べる。手の形の分類としては、大たいの形を示すものとして指文字を用いるのがよいと思います。「ア」の形、「イ」の形などです。指文字がないときは、略画で示すとよいと思います。
そうすると前の手話なら、「図 4」のようになると思います。
図 4 「田上等試案」
体の部位 | 目の位置 | |
手 の 形 | 「メ」の形 | |
手 話 |
2,3回くるくるまわす 見て回るの意味 |
|
使用できる日本語 | 見物 見学 観光 | |
使用できない日本語 | 見回り 監視 |
この「田上等試案」では、最初に手の位置に着目している。もし3,000語程度の手話単語を分類しようとしたとき、「田上等試案」の19の位置の分類では、1つの分類に150前後の手話単語が属することになる。次に手に形で分類することになっているが、この2段階の分類で十分に150前後の手話単語を区別できるであろうか。また、この手の位置は身体を単に分割して示しているだけで、手の位置が手話単語の意味と関係を持つことが考えられていない。『手話の世界』の「田上等試案」は試案の段階で実用化されていない。
筆者の『手話・日本語大辞典』では、まず手話単語全体を「片手の手話」(片手で表す手話)、「両手同形の手話」(両手で表し、両手が同じ形の手話)、「両手異形の手話」(両手で表し、両手が違う形の手話)に大きく分類する。「片手の手話」は、手の位置が意味に大きく関与するが、「両手で表す手話」では、手の位置より、両手の動きと両手の相対的な関係の方が意味の弁別に関与するからである。
次に、手の形に注目して分類する。手話には動きがあり、人間は動くものに注目するから、手話を認知するときには、最初に手の形に注意が向くと考えるからである。28
手話には標準化された文字がないので、「手話・日本語辞典」を作成するとき、どのような方法をとるかが問題になる。
アメリカでは、Stokoe等の DICTIONARY AMERICAN SIGNLANGUAGE 29 が「手話・英語辞典」として実用化されている。
図 5 DICTIONARY AMERICAN SIGNLANGUAGE
しかし、この辞典は「図 5」にあるように、手の位置(Tab)と形(Dez)を記号化して検索するシステムになっている。(さらに手の動きSIGを加えて再分類する。)この辞書を使うためには、新たに手話の記号を覚えなければならない。この記号の数は手の位置(Tab)が12個と形(Dez)が21個あるので、大変な負担である。そのためにあまり普及しておらず、わずかに中華民国の『手能生橋』30 がStokoeの記号を使ったた索引を巻末に載せているが、この本の語の配列は手話の初心者の学習用になっている。
日本では筆者が平成7年(1995年)にプロトタイプの『手話・日本語辞典』を刊行し、平成11年に辞典としての体裁を整えた『手話・日本語大辞典』を刊行した。
この辞典の発想は『手話の世界』の「田上等試案」やStokoe等の DICTIONARY AMERICAN SIGNLANGUAGE ではなく、児玉幸太編『くずし字解読辞典』31にある。同書の「はしがき」に、
本書は行草体の文字、いわゆる、くずし字を起筆順に配列し、本来の文字(楷書体)を知らせようとしたものである。漢字のくずし方にはもともと一定のきまりがあるが、ときとして楷書体の筆順によらず、また筆勢の上から著しく書法を変えたりすることがあって、かなり読み慣れた人でもしばしば戸迷うものである。
従来、書道家の手になる「くずし方の本」というようなもの、あるいは古来の名筆を集めた「草書辞典」などという書物はいくつかあるが、書かれたくずし字を何と読むかを知るためには、これらの書物の使用にかなりな習錬を要した。本書はそのような不便を少しでも緩和しようとして考案し、多くのくずし字を五つの部首に分類し、配列した。
本書の主眼は、特に大学の史学科において古文書や近世文書の解読演習を行う際に役立たせることにおいた。(中略) くずし字は、書法が複雑で、「漢和辞典」の部首分類のように配列することがむつかしく、そのためにあるべくしてなかったということができよう。本書はその意味で先駆的なものと自負しているが、それだけに粗漏・不整一は免れないであろう。御使用諸賢の御叱正を得て、逐次改善を加えていきたいと考えている。
昭和四十五年九月 編者
とあり、凡例では、
一、くずし字の配列の仕方は、すべての文字の第一画を基準として、次のような五種類の部首に分け、第二画以後もこれを基本の配列根拠とした。
1 縦点 下に向かって連続する点で起筆するもの
2 横点 右に向かって連続する点で起筆するもの
3 斜棒 右上から左下へ斜めに伸ばす棒で起筆するもの
4 縦棒 上から下へ伸ばす棒で起筆するもの
5 横棒 左から右へ伸ばす棒で起筆するもの
二、各部首の中での配列順も右にならった。起筆が点であるか、棒であるか明らかでないことが多いので、そのようなものはその双方に収めた。この順序は、点が先で棒か後、縦が先で横が後ということである。ただしくずし字は幾通りかに変化するし、検索上からも似た形の文字が同じところに並んでいる方が見易いので、細かいところでは必ずしも原則通りには配列できなかった。
大学の史学科で近世の古文書を読む勉強をしたことが、『手話・日本語辞典』『手話・日本語大辞典』の発想の元になっている。参考に検索のページを「図 6」にあげておく。
図 6 『くずし字解読辞典』の検索表