この原稿は,1999年1月23日に川崎市の「プラザ大師手話講習会」で,初心者向けに「手話とは何か」を講演したときの原稿です。他の原稿と重なるところがありますが,ダイジェスト版,入門用としてお読みください。
2005/08/05〜
英会話の練習を始めるときには,だれも英語とは何かということを問題にしません。手話を学ぼうとすると,手話とは何かがよく問われます。そこに手話の抱えている問題が象徴的に現れています。一般に言葉は音声によって表出されます。言葉が生まれてくるときには,身ぶりも音声も同時に発生したのかも知れませんが,人類の長い歴史の中では,音声言語がずっと支配的でした。その音声言語に基づいて文字(書記言語)が発達しました。ひとりの人間の成長の歴史をみても,身ぶりは言葉の発達に重要な役割を果たしますが,聴覚に障害がなければ,まず音声言語を身に付けて,その後で文字を学びます。 音声の特徴のひとつとして,言葉はひとつずつ1本の糸のように連続して発話されるということがあげられます。複数の単語が同時に発話されることはありません。しかし,聴覚に障害のある人びとの言語である手話は目で見る言語で,手の形や位置,方向,顔や体の表情など,手話を構成する複数の要素が同時に空間に展開されます。そこから音声言語とは違う手話の様々な特徴が生まれます。
@手話はイメージを表現する
具体的なイメージを表現する手話があります。目で見て分かりやすいのですが,そのイメージに意味が限定されてしまいます。そのため,手話の単語の持つ意味の範囲は,おのずと音声言語と違うものになります。例えば,「切る」という語を考えてみます。手話では,
「切る(ハサミで)」 |
---|
「切る(包丁で)」 |
「切る(カッターで)」 |
などがすぐに思い浮かびます。この手話はいずれも具体的な「切る」を表しているので,「鋸(のこぎり)で切る」「刀で切る」の「切る」は表せません。それぞれ具体的な動きを考えて表すことになります。
A手の動く方向で意味が決まる
特に動詞の手話に多いのですが,手の動きの方向が意味を決める手話があります。例えば,「行く」「来る」は手の形は同じで,「行く」という手話は手前から実際に行く方向に向けて手を動かし,「来る」という手話は実際に来た方向から手前に手を動かします。
「行く」 | 「来る」 |
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「教える」「教わる」,「追い払う」「追い払われる」などもこの例です。
「教える」 | 「教わる」 |
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「追い払う」 | |
「追い払われる」 | |
受け身の表現「〜れる」を表す助動詞の手話も考案されていますが,これは主に教育の現場で使われていて,聴覚障害者が日常的に使っている手話では,音声言語の受け身にあたる意味は,手の動きや位置によって表されています。また,「認める」を反対方向にすると「認めない」になるなど,手の方向の違いで意味が逆になることがあります。「貸す」「借りる」などもこの例です。
「認める」 | 「認めない」 |
---|---|
「貸す」 | 「借りる」 |
B手の位置をうまく利用しよう
「私が彼に本をあげる」を表すときは,「私」と「彼」の手話を別々の位置で表して,「私」の位置から「彼」の位置へ「本をあげる」動作をします。手話では両手が使えますから,片手だけで表せる手話なら,例えば右手で「女」を表し,左手で「男」を表して,左手で右手を追いかけるように動かせば,「男が女につきまとう」ようすが表せます。あらかじめ右手の「女」,左手の「男」に説明を加えておけば,だれがだれを追いかけたという具体的に話を表せます。日本の手話は親指で「男」,小指で「女」を表しますから,この特徴を利用すればいろいろな表現ができます。男,女を区別しないで人を表すときは,人差指を使いましょう。親指は日本では「男」を表しますが,外国では「良い」を表すことが多いようです。小指は日本では「女」を表しますが,外国では「悪い」という意味で使われることもあるので注意しましょう。
C二つのことを同時に表現
手話では「私が彼に本をあげる」のように空間のイメージをうまく利用したり,「男が女につきまとう」のように両手で別々のものを表し,それを組み合わせたりすることができます。このような表現は「手話の同時性」をうまく利用していると言えます。「手話の同時性」を利用して,新しい単語を作る場合もあります。例えば,「授業(教わる)」は「本」と「教わる」,「待ちぼうけ」は「待つ」と「うろうろする」の組み合わせです。
「待ちぼうけ」 |
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D顔の表情も重要です
音声言語で軽い調子で「ウソ?」といえば,「それ冗談でしょ」というような軽い意味になりますが,相手に向けて怒りをこめて「嘘!」といえば「嘘を言って人をだましたな!」というような強い意味になります。話し言葉では声の高さや調子を使いますが,手話では顔の表情や身振りを使います。「目をみひらく」とか「眉をひそめる」という慣用的な言い方がありますが,これは驚いたとき,嫌なことを見たときの表情を表しています。「驚く」の手話に「目をみひらく」,「嫌い」の手話に「眉をひそめる」など,表情をつけると表現が豊かになります。
E手話と日本語の意味のずれ
日本語の意味と手話の意味とは必ずしもぴったりとは一致しませんので,手話の形につけられている日本語は,意味ではなくて「日本語のラベルだ」と言われています。手話の意味が日本語とずれていることから,手話は音声言語に比べて劣った言語だという考えもあるようですが,それは間違いです。例えば「稲」と「米」は本来同じものですが,日本語では植物として見たときは「稲」,食物として見たときは「米」といいます。英語ではどちらも「rice」です。日本語では「牛」「牛肉」なのに,英語では動物として見たときは「cow」,食用として見たときは「beef」と言い分けます。これは日本人が米を主食としている一方,英米人の生活には肉が密着しているからです。このように英語と日本語では同じものに対しても,意味の区切り方に違いがある場合があります。これは文化の違いによるものです。同様に手話と日本語も意味の区切り方が違う場合がありますが,それは,この世界を音声言語を通して見るか,手話という視覚言語を通して見るかという文化の違いに過ぎません。ひとつの手話の形に,たくさんの日本語の意味がつけられている場合があります。
「聞く・聞こえる・音・聴覚・〜そうで」 |
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日本語では同じなのに,手話では形が違う場合があります。前に「切る」の例を出しましたが,「飲む」なども具体的に場面を思い浮かべて手話を使う必要があります。
「飲む(コップで)」 | 「飲む(お猪口で)」 |
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「飲む(お椀で)」 | 「飲む(ジョッキで)」 |
これは,英和辞典を引くと,ひとつの英単語にたくさんの日本語の訳が載っていて,和英辞典を引けば,ひとつの日本語の訳にたくさんの英単語があてられているのと同じことです。
F複合手話で語彙を豊かに
英語の勉強では,熟語の習得がひとつのポイントになりますが,同じように手話でも複数の手話を組み合わせて,手話の熟語を作って新しい意味を表すことがあります。例えば,英語では by THe back doorで“秘密に,こっそりと”ですが,手話では「顔」と「会う」を組み合わせると「お見合い」という手話になります。これは一般に複合手話と言われます。
例:「お見合い」=「顔」+「会う」 | |
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また,「置く」という手話を,位置をかえて三度繰り返して,「配置する」という意味にするなど,手話の写像性を生かした熟語的表現もあります。
「配置する」 | 「クラス」 |
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これは「クラス」などを表すときに使う手話ですが,位置を変えて3回くらい繰り返すことで「クラスごとに」と複数を表します。複合手話の使い方にも習熟して,語彙を豊かにしましょう。
G手話より日本語が優位な言語
日本社会の現状では,音声言語の方が圧倒的に広く使用されているため,音声言語は手話より優位な言語となっています。現代の日本社会で生きていくためには,聴覚障害者も,まず日本語を学ばなければなりません。日本語と手話のふたつの言語で生活している成人聴覚障害者も,教育段階では2〜3歳から日本語を修得し,日本語で生活し,社会に出てから手話を修得するという形が多いようです。初めて手話を習う人は,「自分のつたない手話は,思ったより容易に聴覚障害者に通じるけれども,聴覚障害者の方の使う手話は,なかなか読み取れない」という経験をすると思います。聴者は声を出しながら手話を表しますから,聴覚障害者の方は,手話を手がかりにして読話しています。一方,聴覚障害者はふつう声を出さないで手話をしますから,読み取りが難しいのです。これは日本の社会では,日本語の方が手話より優位な言語であるという事情によるもので,手話を使うときにはその点をよく考慮しなければなりません。
国語教育や英語教育では,日本語や英語が言語であるかどうかが問題にならないのに,手話を論じようとすると,なぜか「手話は言語であるかないか」が問われます。これは聾教育に手話を導入するかどうかの問題とかかわっています。
@口話法とは
聾教育の主流は,「口話教育」と言って,耳の聞こえない子どもたちに,耳の聞こえる子どもたちと同じように,話せるように,また,相手の口の動きや表情を見て,前後や周囲の状況も判断して,相手の話すことを理解できるように教育しています。 そのためには,補聴器など聴覚を活用する手段は積極的に導入しますが,手話を使うと口話を使わなくなると考えて,ほとんど聾学校では手話を教えていません。かつては手話を使うと罰を与えるということもあったようですが,現在では中学部・高等部になると手話を使うのは黙認するし,高等部の教員は手話を使う人も多くなります。 日本には聾学校は分校も含めて107校ありますが,手話を正規に教育している学校は数えるほどしかありません。
<手話の正規教育している聾学校>栃木県立聾学校奈良県立ろう学校香川県立聾学校三重県立聾学校東京都立足立ろう学校 聾学校を出た生徒が社会人になって,たとえば病院に行くときに手話通訳を派遣してもらっても,その手話通訳者の手話が分からない,あるいは大学に入って手話サークルに入っても,手話が分からないという事態も生じています。
A口話法が聾者に与える影響
口話法にどんなに習熟した人でも,健聴者にはかないません。口話法という方法を推し進めていくと,聴覚障害者は健聴者に対してどんな場合でも劣等感をもって接しなければなりません。普通,どんな人間でも優れた面と劣った面を持っていて,ある場合には他人に優れ,ある場合には他人に劣るという経験を繰り返していく中で成長していくのですが,口話法だけで聴覚障害者を育てていくと,コミュニケーションという最も人間的な問題で他人に優れるという経験なしに大人になることになります。
Bバイリンガル教育論
北欧のスウェーデンなどでは,ろうの子どもたちが自然に習得できる言語は手話であり,まず手話を習得する機会を与え,それを基盤に書きことばや話しことば,学力を身につけさせようという考え方で教育が行われています。最近,日本でも聾児を持った成人聴覚障害者の中には,まず日本手話を教えて次に日本語を教えるのがよいという考え方を持つ人が出て来ています。人間の言語獲得はどう行われるのか,という大きな問題とかかわっていて,簡単に結論の出せない問題だと思います。とにかく聾教育に手話を導入するためには,まず手話が言語であることを証明しなければなりません。(手話が言語であることが証明されても,言語干渉の問題が起きるのですが……)
C手話は言語であることの証明
例:「机」 |
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D信号と言語
最近,手話のできるチンパンジーが話題になっていますが,いわゆる動物の言語は,言語でなくて信号です。信号というのは,一対一の対応しかなくて,自由な組み合わせができない。
交通信号 | 赤 | 止まれ |
青 | 進め | |
黄 | 注意 |
それに対して,人間の言語は要素を自由に組合せて多様な表現をすることができます。 たとえば,現実に知覚される組合せを表した文の単語の一部を入れ替えることによって,現実に存在しないものをイメージとして作り出すことができます。
知覚されるもの | 知覚されるないもの |
蹄を持った馬 | 翼を持った馬 |
E二重分節論
手話が言語であることの証明として最も分かりやすいのは「二重分節論」です。 言語のメッセージは表意的で線的に配列される最小の単位,すなわち記号素(単語をさらに表意的な最小の単位に分解したもの)に分けられます。たとえば「手話を勉強する」ということばは,「手話/を/勉強/する」と分けられます。これを第一次分節といいます。 記号素は,さらに表意的でなく弁別的で線的に配列される最小の単位,すなわち音素に分節されます。これを第二次分節といいます。 音声言語の特徴として「分節された音声」(有節音)ということが挙げられます。人間が発する音声は単なる音の連続ではなく,区切られた音節です。これを音素と言います。たとえば「手話を勉強する」ということば/Syu,w,a,o,b,e,n,kyo,s,u,r,u,/という分節された音声によって構成されています。(但し,日本語では/Syu,wa,o,be,n,kyo,su,ru,/と8個の音節に分節しても同じことです。) 手話も,意味を表す最小の単位,いわゆる手話の単語に分節され,さらに意味をもたず手話の単語を構成する最小の単位,いわゆる手話単語の構成要素に分節されます。
手の動き | ||||
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前方へ | 後方へ | |||
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「1」 | あした | きのう | |
「2」 | あさって | おととい |
「あした」 | 「きのう」 |
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「あさって」 | 「おととい」 |
この手話単語の構成要素を,手話言語学独自の用語で「手話素」とか「構動素」とか呼ぼうとする考え方と,音声言語と同じものであるから「音素」と呼んで差し支えないという考え方があります。手話の構成要素を音素と呼んで差し支えないと考える人びとは,「手話にも音声言語と同じ音韻構造がある,だから手話も言語である。」これが手話が言語であるということを言語学的の証明する現在トレンディな方法です。
@声には「位置」がないけれども…
声には「位置」がないけれども,手話には「位置」があります。手話はその手話を行う位置で意味が違ってくることがあります。
「盗む」 |
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例えぼ,「盗む」という手話は使う位置と方向に気をつけなければなりません。手話で話している相手から自分に向けて「盗む」という手話をやると「お前から盗んでやるぞ」という意味になってしまいます。位置をうまく利用すれば「文法関係」が表せます。 声はどこで発しても同じ意味になります。「俺はお前の金を盗んでやるぞ」と言う場合,相手の背中から言っても,横に並んで言っても同じ言い方でかまいませんし,同じ意味になります。そこで“てにをは”などの「助詞」を使って文法関係を表す工夫をします。
A手話はミラーイメージ
手話はミラーイメージです。つまり手話は表す人の見ているイメージと,その手話を受け取る人のイメージはちょうど鏡に映ったイメージを見るように反対になっています。 ここから,手話は右手で表しても,左手で表しても同じという特徴が生まれます。 また,手話の初心者にとっては,指文字「わ」と「ゆ」,指文字「と」と「う」の区別がなかなか覚えられないという問題が起きてきます。(実は,われわれが文字を習得するの段階でも同じことはおきていますが,たいがいの人はもう苦労したことは忘れている。アルファベット「p」と「q」,「b」と「d」など) 音声語にはミラーイメージという問題は起こりません。 音声は位置を伴いません。音声にはどの位置で受けとっても同じ聴覚映像を生じるという特徴があります。つまり話し手Aの発した音声がA自身にフィード・バックされるときの聴覚映像と,聞き手Bに生じる聴覚映像とは,主観的に同じものです。これを「相互主観的」といいます。 手話の場合は視覚映像によった伝達でですから,位置をともなっていて,話し手と受け手の視覚映像は対称的な形をしています。 口話法では,話し手にあるのは視覚や聴覚によらない自己の運動知覚で,受け手にあるのは視覚映像です。従って相互主観性は音声言語の特質です。 例:「自分」「御自分」「てまえ」「おてまえ」 逆に第二人称を第一人称に解さなければならないこともあります。ソクラテスはデルポイの神殿に掲げられた「汝自身を知れ」を自己の座右の銘としましたが,ソクラテスが自ら「汝自身を知れ」と言ったとき,「汝」は第二人称としてアテネの人々をさすのでなく,第一人称としてまず,ソクラテス自身をさしているのです。「汝自身を知れ」をそのまま手話に置き換えたのでは,その意味は表現できません。 次のような表現は手話では起こりません。【「お母さん,買い物に行って来るから,僕おりこうにして留守番していなさい」】(話し手は母親)
B事物と運動
日本語は事物と運動をわけて表現することが多い言語です。これを「分析的」な表現と言います。これに対して,手話では単語が「写像的」に成立しているために,表現が「総合的」になります。 ここでは「総合的」と「分析的」とを次のように定義します。たとえば「きる」という語を考えると「きる」という行為(運動)が単独で存在するわけではありません。「刃物できる」とか「木をきりたおす」「人をきり殺す」「衣類をたちきる」等々事物と運動が結びついて存在しています。運動が単独で存在することはありません。 ところが日本語では事物と運動をきりはなして, 「刃物」(事物)十「きる」(運動), 「木」(事物)+「きりたおす」(運動)のように表現します。こういう表現を「分析的」と言います。 中国語では 「切」(刀できりきざむ) 「伐」(木をきりたおす) 「斬」(人をきり殺す) 「裁」(衣類をたちきる)などのように事物と運動を結びつけたままで表現します。こういう表現を「総合的」と定義する。(望月八十吉『中国語と日本語』) 手話も総合的な表現が多い点では中国語と似ています。先ほど上げた「切る(ハサミで)」「切る(包丁で)」「切る(カッターで)」などの他,次のようなものも例として上げられます。
「値上げ」 | 「値下げ」 |
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「雨(降る)」 | |
「雨」の手話は「雨が降る」をも表す。いずれも事物と運動を結びっけて表現しているから「総合的」な表現である。
C「使う」(総合的な表現の例外)
「使う」という手話があります。
「使う」 |
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この手話は右手が「お金」の形をしていますので,「お金」以外の,例えば「人を使う」「頭を使う」「車を使う」などの場合には,この「使う」の手話はなじみません。
「人を使う」=「指示する」 |
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「頭を使う」=「考える」 |
「車を使う」=「車」+「運転」 |
などの表現を工夫すればいいのですが,ここで注意してほしいことは,なぜ日本語では,「お金を使う」のときにも,「人を使う」「頭を使う」「車を使う」などのときにも,同じ「使う」の手話を使うかということです。それは「お金を使う」「人を使う」「頭を使う」「車を使う」等々の間に「ある共通した性質」があるからであり,音声言語の「使う」ということばは,「お金を使う」「人を使う」「頭を使う」「車を使う」等々の間に「ある共通した性質」があるのだという発見に導いてくれるのだと思います。 音声には具体的なイメージがないので「ある共通した性質」を発見するのに便利なのですが,手話では具体的なイメージからくる制約があります。この「使う」という手話の例は「言語は社会的な約束の上に成立している」ことを証明していると思います。 以上,手話の表現には「総合的」なものが多いという特徴を指摘しましが,これは中国語と共通する特徴です。 中国語の特徴を調べてみますと手話と共通する点が多いのに驚かされます。中国語は語彙的,概念的な言語で,文はもっぱら語順によって成立し,屈折とか活用はありません。語法(文法)関係を表す語はあっても少ないし,またその意味は比較的具体的です。孤立語で,単音節語であり,一つの音節は意味単位である,等々です。
4.手話の分類
@日本手話
手や身体を使って空間に表される言語である,目で見て受け入れる言語であるという手話の特徴を最大限に生かして文法関係を組み立てているのが日本手話です。日本語の文法にとらわれないで表現します 日本手話という言い方は「ろう者の用いる手話は,音声言語に匹敵する,複雑で洗練された構造をもつ言語である」という主張を含んでいます。
<日本手話の特徴>
A日本語対応手話
日本語を,音声でなく,手指で表そうとするものが日本語対応手話です。
口話教育ではどうしても聾児に日本語を獲得させることが難しい,聞こえないのであるから手話という手段を使って日本語教育をしたらどうかという発想で,昭和45年から栃木県立聾学校で「同時法」として日本語に対応した手話を使った聾教育が始まりました。幼稚部から,小学部3年までは指文字,小学部4年から日本語に対応した手話を導入していくという方法です。 栃木県立聾学校では栃木県ろうあ協会と共同で『手指法辞典』を編纂して使っています。 日本語対応手話の本としては,より語彙数を充実させた『新・手話辞典』(手話コミュニケーション研究会,中央法規,1992年1月25日)が出ています。
<日本語対応手話の特徴>
日本語対応手話には,最近一部のろう者から強い反対意見が出されています。<シムコム:sim-com> simultaneous communication 音声言語を話しながら手話の単語を並べることをシムコムといいます。 「同時に二つの言語を話すことは所詮無理なことであり,日本語か手話のどちらか(あるいはその両方)が中途半端になる。とりわけ,日本語の音声が聞こえないろう者にとっては,きわめて不完全なコミュニケーション手段だと言わざるを得ない。」(「ろう文化宣言」木村晴美・市田泰弘 1995)
B中間型手話
日本語対応手話と日本手話の中間にある手話というニュアンスで中間型手話と呼ばれるものがあります。 主に成人の聴覚障害者と手話を理解する聴者との間で使われています。 日本語対応手話の次の2つの面で日本手話に近づけたものです。
<中間型手話の特徴>
5.終わりに
落語「ひとつ目の国」
ある男が,ずっと北のほうへ行くと,眼の一つしかない人間ばかり住んでいる国があるというニュースを耳にしました。「一つ眼だって? それは珍しい! つかまえて見せものにしたら,たいへんもうかるにちがいない。」彼は一つ眼の人間を生けどりにする計画を立てて,北へ北へと旅をつづけました。 目ざす「一つ眼の国」について,一つ眼の子供を見つけ,これを生けどりにしたまでは成功でしたが,その子供が大きな声を立てて助けをよんだので,たくさんの人たちがかけつけて来て,彼はとうとう生けどりになってしまいます。 「一つ眼の国」の人たちは彼を見てビックリしました。「おやこれは二つ眼の人間だ! これは珍しい! 見せものにしよう」と,彼は「一つ眼の国」で見せものにされてしまいました。