この文章は,伊藤政雄・竹村 茂著『世界の手話・入門編』(廣済堂出版・ケムの本のコーナー参照)付録「日本語対応手話とは」から採録しました。画像ファイルを含みます。
2005/08/05〜
現在の日本の聾学校ではあまり手話が使われていないことをみなさんはご存じでしょうか。聾教育では口話主義と言って「ろう児に口話を教えるためには手話は使わない方がよい」という考え方が強く残っています。口話とは耳の聞こえない人が普通の耳の聞こえる人と同じように声を出して話し、また相手が話しているときの唇などの動きを見て相手の話を理解することです。ろう者が健聴者の社会に入っていくためには口話はとても大切なことですが、「口話を教えるためには手話は使わない方がよい」という考えは誤りです。
病気や事故などで成人になってから聞こえなくなった中途失聴者もたくさんいます。この人たちはことばを覚えるときに聞こえていたのですから、発音は普通の人たちと変わりません。しかし、読話(話しているときの相手の唇などの動きを見て話を理解すること)は学習・訓練しなければなりません。これは既に大人になっている人には大変な苦労です。いきなり読話を教えても難しいので、まず手話を教えるとその手話が手がかりになって読話の学習がスムースにいくことがあります。
手話が読話の手がかりになることは大人だけでなくろう児の場合も当てはまると思いますが、現在の日本の手話は必ずしも日本語と同じ表現になっていませんので、手話は正しい日本語の習得の妨げになると考えられています。
そこで、日本語を手話で表現することによって手話がろう児の日本語の習得に役立つようにと考えて、日本語対応手話が研究されています。
日本語対応手話とは、音声や文字で表現されている日本語を、手指及び口形によって表示するものです。日本語対応手話の目的は、文法・語彙その他の面で、日本語と対応する手話を作成することによって、聾教育や社会生活での手話の有用性高めようとするものです。
教育の場では、口話と併用しやすい手話であることによって、積極的に口話と併用することを考えています。日本語対応手話を口話と併用すれば、口話だけ、手話だけのときより分かりやすくすることができます。
また、手話で日本語を正しく表現できるようになりますから、手話が日本語の習得に役立ちます。教科学習の場でも、今までの手話よりも豊富な語彙を持つことによって、伝達効果を高めることができます。
成人の聴覚障害者の社会生活の場では、昔から使用されてきたいわゆる伝統的手話(口話併用を条件とせず、日本語の文法によらない表現形式を含む手話)との役割分担をはかります。どちらかといえば、放送や研究会などの日本語の表現に依存する度合の高い場面での使用を目的とします。
現在、成人聴覚障害者のコミュニケーションでは、口話を併用し、日本語の語順に手話を配列し、付属語などは口形で示す表現形式が多くなっています。日本語対応手話はこの形を練り上げて行こうとするものです。
言語は日常生活に根差していますから、外からの力で改革できるというものではありませんが、時代を画する文学作品がその時代の言語を方向付けるように、日本語対応手話の提案が、聴覚障害者をとりまく生活環境の著しい変化に応じた手話の発展に貢献できると考えます。
手話が聾教育に利用されない理由として、日本語の単語と手話の単語が一対一に対応しないことがあげられます。例えば、従来の手話では「階段をあがる」の「あがる」のときは「人差指と中指を足に見立てて、階段をのぼるさま」をし、「片思いの子にあってあがる」の「あがる」のときは「顔が真っ赤になるようす」をします。手話にはこのように、手の形で対象の形を模倣して意味を表す写像性がありますから、自然発生的に生まれた手話の単語はどうしても日本語の音声語と意味がずれてしまいます。
また、日本語の単語と手話の単語が一対一に対応しないと日本語の一つの単語にいくつもの手話の単語ができてしまい学習や記憶の負担が増すばかりでなく、手話を使用するときにも日本語を聞いたときにどの手話を使用するか判断しなければならなくなります。
そこで、日本語対応手話では日本語の単語と手話の単語を一対一に対応させることを原則としています。
従って、日本語の単語と日本語対応手話の単語とは語の意味が等価になります。
日本語の単語と手話の単語を一致させるといっても、手話の単語を日本語の単語と同じ数だけ造語することはとてもできません。そこで手指と口形は同時に発信できるという利点を活用して手指で大体の意味を示し、口形で細かい語の区別を表すことにします。
例えば、図の手話は普通「法律」という意味で使われますが、手話は大体の意味を表すこととして、口形で「ホウリツ」「ジョウレイ」「キヤク」と分化させることにします。このような手話の使い方を枠記号、そのとき細かい区別を示す口形を分化記号といいます。手話を口形で意味分化させ、また手話が口形読み取りを枠付けすることで読話が容易になります。このように同一の手話で示し、口形で分化させる語を同形語ということにします。
漢字を手話で表すことができれば、いろいろなメリットが生まれます。
まず、日本語は漢字の熟語が非常に多いので、漢字対応手話をつくれば、その漢字対応手話の組合せでいろいろな熟語が表せます。例えば、「事」と「物」という漢字対応手話を組み合わせて「事物」という熟語をつくることにすれば、次に「品物」や「事実」という手話をつくるときに「事」や「物」の漢字手話が利用できます。
また、「愛情」と「情愛」のように似た単語で微妙なニュアンスの差を持った単語も、漢字手話を使えばはっきり表現し分けられます。
日本語を手話で正確に表現するために、1単語に対し1つの手話を対応させることを目的としていますが、日本の成人の理解語彙数は平均5万語前後と言われ、その5万語ことごとく対応した手話を創り出すのはまず不可能ですし、もし創り出したとしても今度は覚えるのが大変です。ところが、漢字対応手話を使えば漢字の組合せでたくさんの語を表すことができます。現在の新聞などは人名・地名などを除き常用漢字1945字で表していますが、手話も常用漢字1945字を表せれば新聞なみの表現力を持つことになります。
従来の手話では、日本語の付属語に当たるものを手話の語彙としてはあまり持っていなくて、表情や手話の空間的配置によって表すことが多いのですが、日本語対応手話では付属語を原則として正確に表現します。
1音節の助詞は指文字を用います。
例「は、が、を、に、で、へ、も、−−−」
2音節以上の助詞と助動詞は手話をつくります。
例:助動詞「れる・られる」 | 例:助詞「から」 |
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日本語の動詞・助動詞や形容詞・形容動詞などは活用といって語尾が変化しますが、語尾変化は原則として口形で表示します。ただし、紛らわしいときや必要なときは指文字で表示します。
普通動詞に対して、可能動詞であることを表示したいときは「可能」の手話をつけます。
活用変化のうち、命令形だけは下図の手話をつけて区別して表します。
例:「可能」 (「見る」の手話+この手話=「見える」) |
例:「命令」 (「見る」の手話+この手話=「見ろ」) |
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