▼第四十六章

 投入できる兵力はA国大使館だけでは1個小隊が関の山だ。
 しかも非合法に持ち込んだ兵器を大っぴらに使う訳には行かない。
 表立って出来ることは拳銃の携行を許可されているロドリゲスがあくまで、グンデマーロの護衛として可能な範囲に限られる。
 恐らくは、警備の警官やガードマンまで含めれば頭数は稼げる。が、それは戦争には役に立たない。犠牲者の供給源にしかならない。
 つまり、正面切っての戦争に対しては打てる手は殆ど無いということだ。


「中止にすべきじゃあないのか?」

とロドリゲス。

 グンデマーロの執務室に居るのはグンデマーロ本人と、ロドリゲス、ミレイユ。
 先ほどの下見から帰ってから打ち合わせが始まったのである。

「今更、中止には出来んよ。
第一この演奏会はパドル―側の主催だぜ。
何だってこっちが口を出せるんだ」

 平然と言い放つグンデマーロ。

「事情を話せばいいだろうが!!
これでは本当に死人が出るぞ」
「それを何とかするのがお前達の仕事だろう」
「ちょっと待って。
達って何よ、達って。いつの間にあたしが数に入ってるのよ」

 ミレイユが喰ってかかる。

「細かな差異だ。気にするな」
「思いっきり気になるわね」

 しかしグンデマーロは全く取り合わない。

「それより、あちらさんはどう攻めてくると?」
「奴の仕事は皆殺しでは無い。
パドル―社の幹部と、お前さんの命だろう。
他に自分の愉しみのための殺しが少々。
恐らく依頼主が許可した程度の『犠牲者』数で留める筈だ」
「ふむ」
「となると会場に爆弾を仕掛けたとしても、全員を生き埋めに出来る程には使わない」
「なるほど。足止めに使える程度で良いという訳か」
「ああ」
「で?」
「こっちは大した武装も出来ないことは先方も承知しているだろう。
また無関係の人間を多数抱えているというハンデだってある。
一方でクーパーには何も足枷は無い。
更に敷地の出口が一個しかない場所と来ている」
「強襲・・・か」
「そうだ。
あいつは手段を選ばない。
一方で殺しが好きでたまらない人でなしだ。
本物の兵隊を武装して配備するだろう」
「ガキだな」

 グンデマーロが吐き出すように言う。

「ガキには勝てない」
「ほう?」
「いや、日本じゃそう言うようなことわざがあるのさ」
「爺っちゃんの知恵ってか?
そんなものは、海に捨てちまえ」
「とっくに捨てたさ」
「ほう。
それは心強いな」
「心強いもんか。戦争を仕掛けてくる相手に何が出来るって言うんだ」
「何でも」
「・・・」
「心配するな。
打てる手は打ってある」
「お前は相変わらず隠し事が好きな奴だな」
「お褒めに預かりどうも」
「わかった。
詳しいことは後で聞かせて貰おう。
それよりもお前の見込みじゃ、俺達の役どころはどの辺になるんだ?」
「おいおい」
「いや、ペナルティーだ。
ちゃんとこっちの任務の範囲を言え」

降参と言わんばかりに両腕を挙げて見せるグンデマーロ。

「ま、仕方が無いか」


 グンデマーロの見るところ、クーパーは前金でしか請け負わない。
 そしてUFCパリ支社の自由になる資金量からすると動員される先方の兵士も高々一個小隊が限度だ。
 となれば数字の上では十分拮抗している。

「ちょっと待て」

 ロドリゲスは信じられないという顔つきで言った。

「本気でドンパチやらかす気じゃないだろうな」
「その本気でドンパチって奴さ」

 事も無げに言うグンデマーロ。

「後始末は付けられるんだろうな」
「もちろん。
テロリストは全員逮捕で一網打尽」
「良くもそんな勝手なシナリオを書けるものだな」
「それなりに根拠はあるんだがなぁ」
「勿体ぶらないで話せ」


 グンデマーロは既に手を打っていた。

「爆破予告のちらしをな」
「そんなもの誰が出したんだ」
「俺さ」
「何?」
「だから俺が出したってーの」
「で?」

 ロドリゲスは辛うじて感情を押し殺して訊ねる。

「要するに贋の爆破予告をさ。
んだから当然、パリ市警が出張って来るって。
ま、爆発物処理班が探索に当たるから、爆弾の方は問題なし」
「どうだか」
「任せるしかないだろうが」
「いや、その予告が信用されるかどうか、だ」
「まあいい具合だ。
もしまともに信用されれば当然中止勧告だ。
一方、贋ものだと分かれば動かない。
半信半疑なら愉快犯の可能性も考慮して報道には流さないが、一応の対策はするだろう。
それに元々今回の演奏会は聴衆がVIP揃いだ。無碍には出来まい」
「ということは対応されるだろう、と?」
「ああ。
市警に潜り込ませてる奴の情報だとな」

 そんな話をロドリゲスは、これまで聞いたことが無かった。

「潜り込ませてるだって?」
「ああ。
ずいぶん前からな。
教えなんだのは済まないと思うが、何せ事が事なだけに・・
分かるだろう?」
「・・・ああ」
「そうこなくっちゃ」
「それよりも先を話せ」
「どっちにしろ警官と客の護衛で百人弱の人間が配置される。
もっとも戦力としては期待できんので、こっちの兵力で補強するしかない。
会場の方はそれで十分だ。
後は傭兵部隊が敷地に入ってくる前に各個撃破すればいい」
「簡単に言ってくれるじゃないか」
「簡単だろ?」
「お前、市街戦になるんだぜ?」
「そこんとこはよろしくな」
「は?」
「ようするにテロリスト同士の内ゲバに見えるようにしてくれれば・・・」
「馬鹿か!!。
脈略もなく内ゲバなんてあるもんか。
それに死体で身元が割れるだろうが」
「あのー」

 先程からずっと二人の話を聞いていたミレイユが口を挟む。

「何かな?」

 にこやかにグンデマーロが答る。

「まさか、その市街戦あたしも参加?」
「当然」

 ばきっ。

 見事なアッパーがグンデマーロの顎で炸裂する。

「ふざんけんじゃないわよ。
あたしは帰るからねっ!」

 熱り立ったミレイユは、肩を怒らせて出ていこうとする。

「ま、いいけど。
で、ロドリゲスは一人で闘ってもらうことになるな」
「何だと?」

 今度はロドリゲスが熱り立つ番だ。

「仕方が無いだろう?。
なんせこっちの兵力は少いもんでな。
君達以外は会場の警備に投入する」
「関係ないわ」

 ミレイユは冷たく言い放つ。

「そうかな?
霧香くんが出てくるかもしれんのだぜ」

 ミレイユは霧香という名前に思わず振り返る。

「あなた、何か知ってるの?」

 グンデマーロは面白そうにミレイユの顔を見ている。

「大したことは知らん。
ただ君を助けた勢力以外にも、結末に介入した連中が居ると言うことさ」
「何ですって?」
「どう?。
興味が湧いた?」
「ふん、結局あたしには関係無い話だわ」
「そうかい。じゃあロドリゲスは一人で傭兵隊を潰してくれ」
「死ね、ということか?」
「場合によってはね。
まぁ、その辺はそっちの問題だ。
とにかく俺としては任務を遂行してくれればいい」
「質問がある」
「何だ」
「あのガラス細工の建物だ。空からミサイルの一発でも打ち込めば簡単に中の人間をミンチに出来そうなものだが」
「それは無いだろう。
周辺で航空機やヘリの発着できそうな場所は無い。
それ以外の場所からでは誰にも気付かれずに飛び立つことはできん。
ああゆう傭兵は任務の後はどうでもいい、というような手は打たんよ。
プロだからな。脱出経路を確保する方を優先するだろう」
「その憶測はどれほど信憑性があるもんだか」
「大丈夫だ。
UFCにもうちの手のものが潜入しているから多少の動向はわかる」
「二重スパイの可能性は」
「0では無い」

 ロドリゲスはため息をついた。

「ねぇ、あなた引き受けるの?」

 ミレイユは信じられないという風だ。

「まぁな」
「そうだ。ロドリゲスはそういう男さ」

 ミレイユは口を挟んだグンデマーロを睨み付ける。

「どう考えても勝ち目は無いわよ」
「やってみなければ分からん」とロドリゲス。
「ねぇ、分かってるの?。
負ければアスカさんも巻き込まれるのよ」
「いや、それは大丈夫だ」

とグンデマーロが割って入る。

「そのために小隊を会場に配置している。指揮は俺が取る。
兵力としては拮抗している以上、後はロドリゲスが負けるにしても、その前にどれだけ相手の戦力を減らしているかにかかっている。
が、少なくとも相手を無傷で通すような男じゃないさ、こいつは」
「お褒めに預かり光栄」

 ロドリゲスは吐き出すように言う。

「狂ってるわ。そもそも相手の兵力だって推測じゃない。
何を考えてるのよ。こんなところで賭けに出なくったって・・・」
「こっちにはこっちの事情ってもんがあるのさ」
「UFCと、いやバリモアの後ろに居る連中がしばらく手を出せなくするためさ」

 ロドリゲスがそう口を挟むとグンデマーロは肩を竦めた。

「まあそういうことにして置こう。
で、どうするかい?。
ミレイユ嬢は」
「・・・仕方ない。やるわよ。
その代わりギャラは弾んでもらうわよ」
「当然だ。契約外の仕事だしね。ボーナスも付くぞ」
「国債でないことを祈るよ」
「なに、国家がストックオプションめいたことをやるには国債ってのもいいもんだ」


 シュッツはその後は特に変わり無かった。
 いつも通りのレッスンで、それはそれで充実した内容だったのでアスカも、あの時は単に機嫌が悪かったのだと思うことにした。
 だが彼の言ったことが気に懸かっていたのも事実だ。

「聴衆は嫌いか?」

 思い出してみると、聴衆のことを特に気にとめなくなって随分になる。
 以前は、特にコンクール前後は醜い大人達の姿に辟易していたこともあり到底好きになれなかった。そうした嫌な連中に聞かせることがどれほど苦痛だったか。
 ところがどうやらシンジに会った頃から、それはどうでもいいことになってしまった。
 どこかに聴き取ってくれる人間が居る、そう信じられるから偶々嫌な客の前で演奏しても気に止めなくなっていた。
 自分ではそれを成長だ、と思っていたのだ。
 そしてパリに来てからは演奏会がシュッツの課題に対するアスカの回答の場になっていたため、猶のこと聴衆を意識することが無かったのだ。

 だが改めて指摘されてみると、単に聴衆を無視していただけのことにも思えた。


 日本の演奏会では本番前に十分なリハーサル時間を取るのが普通だが、欧米では往々にしてリハーサル無しでいきなり本番の演奏会は珍しくない。今回の演奏会もリハーサルの時間は予定されていなかった。無論会場がその前の時間帯を別のイベントに貸していないので、演奏者が望めばリハーサルを出来ないでも無かった。
 しかし今回の会場のピアノをアスカは以前弾いたことがあって、その癖も分かっていたので今日は開演1時間前に会場入りした。


「今日はいやに厳重な警備ね」

 会場を周囲の角、側面に各々警官が立って居り、楽屋口に居る警官にアスカは誰何されたのだ。

「何でも今朝会場で不審物が発見されたんだそうよ」

 マネージャー役の矢作嬢が言った。

「何、それ?
大丈夫なの?」
「一応、全部発見できたから問題は無いって。
ただ今日はお客さんがお偉いさんばかりだから、それもあって警備が厳重なんじゃない?」

 平和ぼけした国の人間らしく矢作嬢も極めて呑気である。
 出演者ロビーで先に仕事を終えた調律士のルシャール氏が、にこやかにアスカ達を出迎えた。

「どうもキナ臭いですなぁ」
「警官のことですか?」
「ええ。中々通してもらえなかったし、仕事中も、あれは私服警官なんすかねぇ。
妙な男達がずっと客席に居ましたよ」
「ええ?。そうなんですか?」
「別に仕事は邪魔されなかったんで気にしないようにしてましたけど」

 そこへ銀髪の、グレーのスーツを著た痩せた男が割り込んできた。

「やあ、今日はよろしくお願いします」

 年の頃は初老と言っても良い感じで大企業の重役クラスを思わせる。
 顔付きからすると、フランス人では無く中東かどこかの血が入っているようだ。

「今日はよろしく」

 と矢作嬢は答える。彼女は既に見知っているらしい

「あ、アスカ、こちらは今日の主催者のパドルーSA社の方で・・・」
「サイードです。文化事業部のマネージャを努めています」

そういうと右手を差出す。

「あ、ラングレーです」

 握った手は乾いて、暖かだった。

「ピアニストの方と握手出来るのは大変光栄ですな」

 そう言ってサイードは柔やかに笑った。


 ロドリゲスは常套的ではあるが、会場敷地への入口脇に待機することにした。

 ホール裏手搬入口には十トントラックが停車しているが、この中にはA国大使館の兵力である特殊部隊員十二名が待機している。武装しているが何分非合法ということになるので、この時間は未だ展開できないのである。
 代りに敷地内の随所にしかけたカメラからの映像を、トラックの中でモニターしているのである。無論、このトラックも偽装されたもので指揮車両としての装備を備え、装甲も強化されている。
 街路から敷地への通路は橋になっており長さは約十メートル程。河面からの高さは五メートル弱もある。しかも敷地の縁は全て鉄柵が囲んでいる。確かにこれなら橋を渡ってくる相手を各個撃破出来れば守りきれる筈だ。
 一方街路側には警備の警官が立っている。今日の演奏会は招待客のみであるため、不審者を見分けることは難しく無い筈だ。

 ロドリゲスもミレイユも、今日はA国軍の礼装という出で立ちだ。あくまでもグンデマーロ達外交官の護衛という名目である。自由に動き周れるものの、当然武装可能な範囲はたかが知れている。

 警備は来客者の護衛も含めれば敷地内に百人弱は居ることになる。もっともグンデマーロもロドリゲスも、彼等を戦力としては数に入れていない。要人警護の程度のレベルの人間が拳銃一つで、軍隊相手に太刀打ちできるものではない。
 ただし足止めには十分に役に立つ筈だ。そして軽装なロドリゲスらの勝機は彼等警備陣の”人間の盾”にかかっているのである。

 アスカ達の乗った車が先程通り過ぎた時、ロドリゲスは制帽を目深に被って顔を背けた。
 不意に自分の仕事をアスカに知られたくないと思っていることに気付く。


 今日の聴衆はパドルーSAが招いた招待客のみだそうだ。紹待されたのは総勢約八百名。このホールには少なすぎる客だが、実際にはこれらVIPは何人かの護衛を連れて来ている。聞くところによるとホール内に来客者の護衛と警官合せて警備で更に五十名程。ロビーには十名、建物周囲に二十名とのことだった。
 取り敢えず、楽屋のロビーでルシャールから調律の結果を打合せる。

「一応、全体としては平均律で調律。ただしご注文どおりバス部分は若干広目に取ってるすけど。
そうそう、言ってたE音で共振があるって話、一応弦板にストッパーを打っておきました。大丈夫と思いますが」
「ありがとう。完璧ね」
「そう言って貰えると嬉しいですな。
あと、御気付きかと思いますけど、ここのホールの共鳴板、低目のDフラットに固有振動ありますから。
今日は445に合せてあるんで、まあ大丈夫じゃないでしょうかね」
「そうね。あたしも気になってたんだけど、そこまで配慮してくれたら言うことないわ」
「えっと、あとご注文は休憩中に調弦ってことで」
「ええ、後半はね。思いっきり馬鹿っぽくC−dur全開で」
「思い切りましたねぇ」
「ワルトシュタインだけだからね」

 馬鹿っぽく、というのは口が悪いにしてもベートベンが第五のシンフォニーのフィナーレに選んだ調である。彼がそれに祝祭的イメージを抱いていたのも確かだ。そしてこの調はモーツァルトが最後のシンフォニーでやはり祝祭的な音楽を演出した調でもある。

 打ち合わせの後で自分の部屋に入る。着替えとメイクは全て自分でする。
 この時間は誰にも部屋に入らせない。この時間でステージ上の惣流アスカ・ラングレーに変身するのだ。
 全ての雑音をシャットダウンして精神を演奏のためだけに追い込んでいく。


 ロドリゲスは時計を見た。
 午後九時十七分。そろそろ前半が終る。今日の演目は前半がショパンとラフマニノフ、後半はベートーベンのワルトシュタインだけという構成だ。自分の曾て苦手だったものと最も得意とするものの一つ。渡仏後の成果を検証してみるかのような演目という訳だ。ロドリゲスは姪の成長振りを自分の耳で聴いて確かめたかった。キョウコからアスカに至るまでの数奇な人生が一体どんな芸術を産みだしたのかを。

「どうやらお出なすったらしい」

 耳許で指揮車両のオペレータの興奮した声がした。A国チーム全員が無線で指揮車両との連絡を維持している。

「どうした?」
「通りの向かいのビル屋上に設置したカメラで、黒塗りのキャデラックを捕えた。偽装されているが明かに装甲を強化している」
「要人向けの特注車という可能性は?」
「車体の沈み具合から考えて、その可能性は低い。あと3分程で橋の前の検問に差し掛かる」
「了解」

 ロドリゲスは逸る心を押えつつ橋のこちら側門柱の脇に立ち反対側に居るミレイユに合図を送る。
 実のところ、何がどう起きるかは良く分っていないのだ。

 検問に立った警官が車に向かって手を挙げ停車を促そうとした。
 と、その瞬間警官はあおのけ樣に崩れおちた。車の窓からサイレンサー付の銃で撃たれたのだ。反対側にいた警官があわてて銃を構えるが引き金を引く間もなく倒される。
 車はスピードを落さず突込んで来た。

「検問が突破されたぞ!!」

 ロドリゲスが大声で呼ぶ。
 その声に反応して、敷地内にいた警官が一斉に門に向かって走った。
 車は既に橋を半ばまで渡っており、更にスピードを上て警官が閉じようとしている鉄柵に突込んで来る。
 門扉を動かしていた警官が打ち倒され、結局扉は閉らない。そして中途半端に閉じられた門扉は突入してきた車に跳ねとばされる。
 その車に向かって警官が一斉に銃撃をあびせかける。銃弾は黒い車体に穴を開けるが、スピードは一向に落る気配は無い。

 両脇のガラスが引き下げられ機銃が乱射される。その銃弾を浴びて次々と警官が倒れていく。
 ロビーに居る警官が次々とホール建物正面から飛び出して来て銃を構える。
 が、次々と機銃掃射で薙ぎたおされていった。
 その車の後にさっと黒い影がよぎった。ミレイユは軍服を脱ぎ捨て、上下黒のスーツになっている。まるで通りすがりにゴミを投げすてるように、開けはなたれた窓に何かを投げ入れさっと離れていく。

 その数秒後、キャデラックは内部から閃光と轟音を発して膨れあがり、吹き飛んだ。

 すんでの所で車から飛び出した敵兵をロドリゲスが次々と射殺して行く。
 これはあくまでも陽動に過ぎない。

 奴はこの次にやってくる筈だ。

「指揮車、そっちはどうだ?」
「問題ない。背後の河側から何名か壁に取り付いているんで、そっちに1チーム出した」
「何だって?、あちらさんの投入兵力は1個小隊じゃないのか」
「さぁな、おっとぉそっちはバイク部隊の御登場だ」

 街路から橋にむかって五十台程のバイクが殺到してくるのが見える。
 生き残った警官が銃で応戦しているが殆ど相手に損傷を与えることは出来無い。
 だが橋から敷地に入るところで、何台かが横転する。そのまま火花をちらしなが路面を滑りそして爆発する。
 ホール前の広場兼駐車場はたちまち炎上するバイクの篝火で一杯になる。その炎の中でミレイユが門を潛るバイクのライダーの首筋に精確にベレッタを打ち込んでいく。

 門を倒れずに通り抜けた連中を加持は容赦無くしとめていく。弾切れすると、傍らに倒れている警官の死体から拳銃をもぎとり撃つ。
 ざっと見たところで既に警備側の死傷者は三十人を超えていた。敵側の死体も建物正面側には既に二十人は転がっている。

 と、その時ミレイユの攻撃を掻い潜って一台のバイクが侵入して来た。ロドリゲスは銃を構えるが、そのバイクは大きくジャンプしながら、ロドリゲスに向かって機銃を浴せかける。
 ロドリゲスは体を投げ出して銃弾を躱しながら、下から一発の弾丸を相手の燃料タンクに食らわせた。
 車体が炎に包まれそのまま地面に激突するや爆発する。
 が操縦者は、それより先に地面に飛び降りている。そこへ追い掛けて来たミレイユがとどめを刺そうとした。
 しかし、その前に立ちはだかった影があった。
 レオタードのようにも見えるが、どうやら防弾性能を持ったボディスーツらしい。

「霧香!!」
「ミレイユ、約束よ!」と言うが早いか、霧香の手からナイフが放たれた。

 その隙に操縦者は立ち上がってホール正面玄関に向かって走り出す。

「クーパー!」

 ロドリゲスは炎に照されたその男に向かい叫びながら、後を追う。

 もう敵の後続部隊は途絶えていた。
 正面玄関前の広場には既に息のある警官は居なかった。累々たる死体の中で二人の女が死闘を続けていた。


 正面玄関への階段に差し掛かったところで、ロドリゲスはクーパーに追い付いた。躊躇無くロドリゲスはクーパーに向かって数発立て続けに発砲するが、全て躱された。同様にクーパーもロドリゲスに機銃を乱射するがロドリゲスも辛うじて敵の攻撃を躱した。そうやって相手に銃撃を仕掛けながら二人は、階段を驅けあがる。

 階段の一番上、ホールの扉の前に一人の影があった。

 ロドリゲスとクーパーが同時に、その人物に気付いた、その時鈍く低い銃声が響いた。
 その音と共に文字通りクーパーの頭が吹き飛んだ。すなわち鼻から下を残して頭部が血と肉と骨片となって飛び散った。クーパーの体はまだしばらく走りつづけやがて前のめりになって階段に崩れ落ちた。

「また、派手にやってくれたもんだな」

 階段の上の人物が言った。
 グンデマーロだった。


 決着はあっけなく着いた。

 ミレイユは、霧香の繰り出すナイフを辛うじて避けるのが精一杯だった。
 何とか距離を取ろうと図るのだが、その試みは全て霧香の巧みな体術に全て押さえ込まれてしまう。
 このままでは確実に負ける。
 ミレイユが焦り始めたその時、突然霧香が倒れた警官の血糊に足を滑らせ姿勢を崩した。
 その瞬間、ミレイユの体が反応し反射的に、ありったけの弾を撃ちこんでいた。
 霧香の胸に赤い大きな華が咲いた。

「霧香!!」

 だが、倒れながら光を失っていく瞳を見て、ほぼ即死状態であることが分る。


 敵味方双方の死者の合計は百四十名程。ただし死体として数えられるものの数だ。吹き飛んで肉片と骨片に飛び散ったものは勘定に入れていない。正に戦争だった。

 しかしホールの中ではそんな阿鼻叫喚と全く無関係に演奏会は続けられていた。
 最後の曲が終わり、アンコールも滞りなく終わってアスカが舞台袖に引き込むと、サイードが待っていた。

「すみません、お疲れのところ申し訳ないが、ちょっとこちらで待っていて下さい」
「はぁ?」

 怪訝そうなアスカに構わず、サイードはそのまま舞台に出るとマイクを持って話始めた。

「緊急事態です。現在会場前の広場は事故処理のため、出ることが出来ません。
警察が事故処理を終えるまで暫く、ここで待って頂くことになります」

 要領を得ない説明だ。会場はざわめき始める。

「緊急事態とは何だ!」

 そう叫ぶ声がする。が、不思議なことにそれに同調する声は無く、ざわめきは次第に収まっていった。

「ご理解頂いて感謝致します」
「どれくらいかかるんだ?」

 会場から声がかかる。

「後、二、三時間程と思われます」

 ざわめきが起こる。
 だがサイードはそのまま舞台袖に戻ってくる。

「ひとつお願いしたいのですが」

 とサイードは切り出すが、穏やかな物言いの下に有無を言わさぬ強引な調子が聞き取れる。

「何でしょう?」
「暫くの間、何か演奏してお客様の無聊を慰めてはいただけませんか?」
「そんな!」

 矢作嬢が喰ってかかる。

「ギャラは弾みます」

 まるで声でねじ伏せるようにサイードが言った。
 この男は、どうやら単なる勤め人ではないようだ。

「いいでしょう」

 アスカは覚悟を決めた。

「アスカ、何を・・」
「いいのよ」

 アスカは落ち着いた声でたしなめる。


 演奏会でテンションを使い果たしていた。
 しかし、意を決してアスカは舞台に歩み出る。
 盛大な拍手が起こる。

 中央まで来ると、会場を見回す。
 会場を埋めている人々は概ね、中年以上の身なりのよい男女だ。年配のカップルが多いが、その間に恰幅の良い比較的若い男が控えているのが散見される。
 何故か、所々にパートナーの婦人のみ残して空席が見える。ということはサイードの説明を無視して出て行った者がこれだけ居るということだ。
 実際には前半の演奏の時から今日の聴衆が奇妙な人々であることは気がついていた。
 何時に無く「まじめな」聴衆であったのだ。
 真剣に聴いている。
 が、それはどこか事務的なのである。演奏の良し悪しは関係が無い。
 分からないのではない。「関係ない」のだ。
 演奏家にとってこれほど気味の悪い聴衆はちょっと無いだろう。並の演奏家であれば、この反応に焦って演奏を崩してしまいかねない。
 だが、アスカは奇妙な客達の反応を見て、アスカ自身も聴衆を無視することにしていた。
 そもそも『緊急事態だ』と言われて、これだけの人間が、あっさり納得すること自体異常なのである。どうやらとんでもない連中の中に放り込まれているらしい。
 そうした客達の仮面を引き剥がしてみたくなった。
 もう一度演奏しろ、と言われて今度は挑発してみる気になっている。


 何を演奏するかは決めていた。
 まず、いきなりプロコフィエフのトッカータから始める。
 シュッツの演奏を知った因縁の曲だ。
 アスカはピアノに挑みかかるように強烈なタッチを繰り広げる。
 この難曲はともすれば音の単調な洪水になり勝ちだし、またそれ故、モダニズム時代のプロコフィエフのスタイルとして、そんな凡庸な演奏でも受け入れられてしまうことが多い。だがアスカは、そこかしこに内声を見出し、細かなアクセントの全てに過剰とも言える情緒を叩き込む。それを曲のもつ火のついたような勢いに乗せてホール内全体に響かせる。音はまるでホール内の空気に渦を巻かせるかのように駆け巡る。

 お上品な演奏会の聴衆を演じていた人々に動揺が見える。
 人々は強烈な力に体を揺すぶられるような錯覚を覚えていた。
 この空間が渦を巻いて自分に襲いかかってくるような。

 戦慄。

 皆が己が自身のうちに潜む獣性を意識させられるかのように。
 駆け抜けるような演奏は僅か八分程の時間を消費したに過ぎない。
 その唐突な終わりは、床が不意に無くなってしまったかのような喪失感を聴衆に味あわせた。


 それから二時間をアスカは、異様な興奮と感興にかられて演奏しまくった。
 普段は滅多に演目にかけない、リストの超絶技巧練習曲集を全曲弾いた。
 これは音楽であって音楽でない。
 出来そこないの畸形の音楽。
 それ故にこそ今、この時ほど音楽として機能する瞬間は無かっただろう。饒舌なパッセージは全て聴くものにただただ音と直面することを強いる。
 そう、強いること。今日の聴衆にはただ強いられた音楽が似つかわしい。
 聴衆は今度こそ完全に情緒を滅多打ちにされるのだ。苦痛とも快楽とも付かぬ時間を音の海の中に浸って過ごす。
 恐らくは今日の聴衆の多くは聴衆の演技をしていたに過ぎないだろう。なぜそんなことをしていたのかアスカには理解できなかった。
 しかし演奏会が終わって演技に綻びが出来た今この瞬間、彼らの精神は一番無防備な状態を晒している。
 そこにねじ込むように音をたたき付ける。


 演奏を終えてアスカはピアノから立ち上がる。
 体の節々が痛む。
 気を付けなければ、そのままどうっと倒れてしまいそうだが、一方で心地良い疲労感でもある。そうして静まり返った場内を満足気に見回した。
 拍手は起きない。
 それは演奏が不満だったからではない。
 全員が圧倒され身動きも取れなくなっていたからだ。
 呆然として拍手することを忘れている。
 静けさが、麻痺した神経を痛めつける。

 アスカは拍手を待たず軽くお辞儀をすると、舞台袖に下がった。
 今日の仕事は終わったのだ。
 舞台袖で会場内の人々と同様に圧倒されて呆然としているサイードに向かってアスカは冷たく言う。
「ギャラは3倍頂くわよ」
 そうして答えを待たずに楽屋へ向かう。その後ろをまだ呆然としているサイードに気を使いながら矢作嬢が慌てて追いかけていく。


 楽屋前のロビーでルシャールが待っていた。

「どうやら外で銃撃戦があったらしいっすよ」

 と声を潜めて言う。
 それをアスカはぼんやり聞き流す。
 もう何も考えたく無い。
 矢作嬢はその言葉に過剰に反応を示す。

「ええっ?。で、どうなってるんですか?。
出れないってことは無いですよね」
「ええ、もう終わったそうで。
後片付けをしてるからってことらしいです。
楽屋口から出ようとしたら警察が通せんぼしてて出してくれなかったんですけど。
さっき見たらもう誰も居なくなってましたから、もう大丈夫だと思います」

 ほっとする矢作嬢。

「良かったぁ」

 その明い言葉の調子がアスカには、度し難く身勝手で鈍感に思えてしまう。


 まるで銃撃戦が終わるのを見計らっていたかのようにタイミング良く警察が救急車を数台引き連れて到着した。
 そして取調べをすることなく、さっさと死体を片付け始める。
 ロドリゲスは、忙しそうに立ち働く人々の姿を眺めていた。
 今日の襲撃は何かおかしい。
 このタイミングで来れたなら何故、応援をすぐに寄越さなかったのか?
 何故自分達は取り調べられないのか?。

 そうしてホール出口には今日の招待客と覚しき十数名の男達が屯して、何事かを話ながら見物している。同伴して来ていた筈の婦人達は見えない。不気味なのはその男達の様子が、どうみても野次馬とは思えなかったことだ。実況検分とでも言うような至って冷静で、奇妙に真剣な面持ち。

 それにどう考えても無茶な突入を何故クーパーは敢行したのか?。強襲をかけてくるとは予想していたが、どう考えても芸の無い突撃の連続でしかない。兵を捨て駒にするにしても余りに被害が大き過ぎる筈だ。子飼いの部下達はいわば傭兵隊長にとって資本のようなものだ。みすみす犬死にさせるような作戦を続行するような男とは思えなかった。

 更に、何故グンデマーロは、予想していたかのようにあの場所で待っていたのか?。
 これは本当にバリモアのシナリオだったのか?

 広場の真中辺に、一人だけ呆然と立ち尽している人影がある。
 その足元には少女の死体。
 誰も彼らを気に止めていない。

 さすがにロドリゲスにも、今のミレイユにかける言葉の持ち合せは無かった。


 アスカ逹は楽屋出口から車に乗って、正面に回って初めて、「銃撃戦」が生半可なもので無かったことを知る。
 確かに、広場からは犠牲者は運びだされていた。
 散水車が水を撤いているのは恐らく血を洗い流しているのだろう、と初老の運転手が言う。
 だとしたら殆ど広場全体に撤かねばならない程、あちこちで流血があったことになる。
 それに焼け焦げた車と夥しいバイクの残骸。
 アスカは「緊急事態」の一言で済ませたサイードの冷たさと、おめでたくも、謂れるがままに演奏していた自分の滑稽さを思って気が滅入ってくる。
 惨劇の傍らで、それに気付くこともなく音楽会を楽む人々。
 はっきりとアスカは、ある種の憎悪を意識する。
 これは憎悪だ。誰に向けた憎悪なのかは分らないが。
 ふと気が付くと門柱の脇にロドリゲスが侘んでいるのが目に入る。
 その横を車が通りすぎたとき、アスカはロドリゲスの目にはっきりと侮蔑の色が見えた、と思った。


夏の終わりのコンチェルト

第五部 完
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