夜明けだ。 地平線に太陽の光が一条の線を描き、煌めく陽光を荒野の上に撒き散らし始める。 その光の下に、一筋の砂塵が舞い上がっていた。 交易商が使うサンドトレーラーの巻き上げる砂煙だ。 それを双眼鏡越しに覗く骸骨がいた。 決して本物の骸骨というわけではなかったが、病的に痩せて骨ばった顔立ちに、揃って薄く開かれた陰気な目元と口元、青白い顔色に後退の激しい白髪。 ちょいと見には、酷い病を患った病人にしか見えないような男だった。 だが、この男がサンドモルグを根城にする山賊一味のケインズ一家のナンバーツゥ、ロディ・カーズンだった。 トレーラーを認めたカーズンは、うすい唇に似合いの酷薄な笑みを浮かべ、焚火に飲みかけのコーヒーをぶちまけた。 襲撃の時がきたのだ。 カーズンは空になったマグカップを放り出し、傍らにある小山を覆っていた防水布をひっぺがした。 その布の下から現れたのは人を模した機械だった。 ソリッド。 この世界にはリューと呼ばれる先史文明の遺産が残されていた。 宝珠や札に封印され、ひとたびその姿現せば持ち主を体内に取り込み、持てる力を最大限に増幅する。 だが、その数は絶対的に少なく、あまねく人々に行き渡るものではなかった。 そのため、リューの力に憧れ、手に入れることの叶わなかった者たちが作り上げたのがソリッドだった。 確かにソリッドは普及した。 騎士に、冒険者に、武闘家に、ガンマンに。 むろん、悪党たちにも。 カーズンは片膝をついた格好で駐機するガンマン用のソリッド。ソリッド・ガンナーに乗り込もうと膝の装甲に手を掛けた。 しかし、カーズンの予期し得なかったことが起こった。 ガンナーの装甲に、銃弾が弾けた。 機関銃のように正確に、短い間隔をおいて六発の弾丸がカーズンの手元に叩き込まれた。 弾けた跳弾は朝陽よりも紅い色をカーズンの網膜に焼き付けて、あさっての方向へと飛び去った。 カーズンは己を呪った。 脳の活動が一番鈍くなる夜明け直前の時間帯とはいえ、何者かの接近に気付くことが出来なかったのだ。 夜明け前の見張りをやったことは一度や二度ではない。それこそ数え切れないくらいの朝焼けをカーズンは見詰めてきた。 その朝焼けの中で自分たちを狙う、間抜けな保安官や賞金稼ぎを返り討ちにしたことも何度となくあった。 それだけに、カーズンは恐れた。 自分に気配を悟らせなかった、何者かを。 「ケインズ一家のナンバーツゥ、カーズンね」 女の声が凍りついたカーズンを振り向かせた。 カーズンは二人分の人影を認めた。 一人はカーズンを振り向かせた女。 女にしては背が高く、隣の男とさほど差がない。年は二十歳を少し越えたくらいか。朝陽に煌めく銀の髪。卵形の素晴らしく整った顔は、ウェストガンズの人間とは思えないほど雪のように白い。前髪に隠れた細い眉も、小造りな鼻も口も誂えたように整っていた。 それゆえに、その表情はつくりものめいていて男たちを誘惑する魅力には欠けているように思えた。 だが、カーズンがそう思いかけた直後、女の持つ雰囲気が一変した。 どんなに手練手管を積んだ酒場女でも、こうは出来まいという、まさにとろけるような笑みを女は浮かべて見せた。 ほんの一瞬だが、自分が銃に狙われていることを忘れ、この場で組み敷いてやりたいという欲望に襲われた。 それをしなかった理由はたった一つ。 女の瞳のせいだ。 血統書付きの猫を思わせる琥珀色の瞳は口元の笑みに反し、決して笑ってはいなかったのだ。 その瞳に気圧され、カーズンは知らず知らずのうちに女の傍らに立つ男に視線を逸らしていた。 胸に保安官のバッヂをつけたその男は、グレイのスリーピースをかっちりと着こなし、黒のシルクハットをくすんだ金髪の上に乗せ、空の色をそのまま写し込んだような透明なブルーの瞳を繊細なフレームの丸眼鏡で覆っていた。 バッヂがなければ羽振りのよい良家の御子息、或いは有能な銀行屋か弁護士にしか見えなかった。 いずれにせよ力量を計りかねる二人組だ。 不意に女が動いた。 銃のシリンダーをスイングアウト。 空薬夾が地に向かって落ちてゆき、左手が腰の銃弾を並べたガンベルトの上を滑る。シリンダーを刹那撫でた手首は飛燕の如く返されて、銃が右腰のホルスターに収まる。 果たしてシリンダーに弾丸は装填されたのだろうか? 男が内懐から紙切れを取り出し、広げた。 「間違いない、こいつがカーズンだ。賞金は五千」 「手下たちの金額も忘れないで」 女がカーズンを見据えたまま、男に言う。 「……誰だ、お前ら?」 カーズンは聞いた者の背がうそ寒くなるような陰気な声を出した。 女は何も答えなかったが、男が口を開いた。 「ウェストガンズ保安局所属、クロケット」 カーズンは絶句した。 クロケット。 フルネームはバーニィ・クロケット。 だが、犯罪者連中の間では〈吊し屋〉クロケットと呼ばれ恐れられていた。 「カーズン、お前の手下どもはすべて土に返した。残るは貴様だけだが……」 クロケットはちらりと女を一瞥し、続けた。 「こちらの女性が貴様に話があるということで、異例のことだが同行してもらった」 女は先刻までの笑みを引っ込めていた。 「もう、どうでもいいことなんだけど一応聞いておくわ。カーズン、サンドモルグにケインズはいるのね?」 女の問いは、訊ねているのではなく確認だった。 それにカーズンは答えなかった。 かわりにカーズンの右手が閃き、その手の中に拳銃が出現した。 どんなに不利な状況であっても、腰に吊した拳銃があれば、それに頼って活路を見いだす。それがガンマンだ。 たとえ人殺しや略奪を生業とする無法者であっても、カーズンはその前にガンマンだった。 それにカーズンには勝機があった。 クロケットは両手を手配書で塞いでいた。 そして生意気な口を聞く女はシリンダーを空にしていた。女はシリンダーを撫でたが、撫でた指に弾丸は挟まってなかったはずだ。 カーズンは己の目を信じていた。 百歩譲って、女の銃に弾丸が装填されていたとしても早撃ちなら誰にも負けない自信があった。 ケインズ一家のナンバーツゥ。この陰気な男がその地位を獲得できたのも、ひとえに銃の腕があったからだ。 そして銃声が交錯した。 女とカーズンの視線が一瞬だけ絡んだ。 カーズンは口元にニヤリと薄笑いを貼り付かせると、そのまま後ろに倒れ込んだ。 その体を舞い上がった砂塵がうっすらと覆う。 乾ききった大地が貪欲に、カーズンの血と意識を飲み込んでゆく。 命を失ってゆくカーズンの脇に女が近寄った。 カーズンは最後の力を振り絞ると、ようやくのことで声を出した。 「……あんた、誰なんだ?」 女はカーズンの脇にしゃがむと、カーズンに見えるように笑った。 今度の笑みは先刻の妖艶なものではなく、年相応の爽やかな笑みだった。 「キャラダイン一家を追う、ただのガンマンよ」 カーズンは納得したように目を閉じた。 「あの……噂は本当だったのか。ケインズも運が……ねえな」 それきり、カーズンは黙り込んだ。 「馬鹿な……男ね」 女は憐憫の視線を妙に満足げなカーズンの死に顔に送ると、立ち上がった。 「馬鹿だからガンマンなんてやれるんだ。ガンマンはいつだって自分の死に場所を追い求めているようなものさ。騎士のような高潔さもなく、忍のように非情にもなりきれない。だから悪党のお先棒を担いで自分よりも強い奴の手にかかって死ぬことを望む」 女の肩に手を置きながらクロケットが言った。 女はその手を邪険に振り払い、クロケットに向き直った。 「じゃあ、あなたはどうだと言うの〈吊し屋〉クロケット?」 クロケットは肩を竦めた。 「俺はもっと最低さ。悪党面をした連中を縛り首にして日銭を稼ぎ、本当の悪党をのさばらせておく。わかっちゃいるが、これが俺の仕事だ」 今度は女が肩を竦める番だった。 「それなら、あたしと五十歩百歩だってことはわかってるわけね」 そう言うと女はクロケットに背を向けた。 「もう、行くのか?」 「ええ、ケインズがいることもわかったし、寄らなきゃならないところもあるから」 クロケットは空に向かって溜息を一つつくと、手配書をちぎって風に撒いた。 「つきあいましょう、レイディ」 だが、女はかぶりを振った。 「どうしてだ? 俺が行かなきゃ金にはならないぜ。奴の賞金は二万、それをみすみすふいにする気か?」 女は肩越しにクロケットを振り返ると、あの微笑を贈った。 「ケインズは影も形もなくなるからよ」 左腰に吊したホルスターに収まる奇妙にごつい鈍銀に光る拳銃の銃把を、意味ありげに叩いて見せる。 「カーズンたちの賞金はどうする!」 「明後日には寄るわ!」 女の声が風に乗って届き、クロケットはまた溜息をつきながらシルクハットを目深に被りなおして、去りゆく女をただ見送った。 |