「いいかい、魔法の効果は一日きりだよ」 ウェストガンズ南部最大の歓楽街ツインストーンの中、薄汚れた路地裏に店を構える魔法使いの老婆カラミティは、背を向けて店を出て行こうする男に声をかけた。 男は肩越しに振り返り、カラミティに横顔を見せるとニッと笑った。 「判ってるわ、一日あれば充分よ」 |
ウェストガンズの南の外れ、サウスタコスとの国境を接するあたりにサンドモルグの町はあった。 時折、行商が訪れる程度の小さな町でしかなく人口はわずか五十名にも満たない。 サウスタコスに近すぎたのが、この町の発展を妨げたのかも知れない。 だが、この貧乏な町には裏の顔があった。 サウスタコスに近すぎたのが理由だろう。 この町はウェストガンズで犯罪を犯した連中の格好の隠れ家となっていたのだ。 実際のところ犯罪者にとってサウスタコスに魅力はない。食い物はあっても金のない国など何のスリルも味わえない。 しかし、ウェストガンズ当局にはサウスタコスでの捜査権及び逮捕権がないため、ほとぼりが冷めるまでの一時しのぎには絶好の場所なのだ。 つまりサンドモルグは、ウェストガンズとサウスタコスを結ぶ裏の通路として機能していたわけだ。 そして今日もまた一人、サンドモルグに「客」が訪れた。 サンドモルグも昼間は暇だ。犯罪者が逃げ込んでくるのは夜と相場が決まっている。 町で唯一、昼間から商売している酒場の若いバーテンダーは、そばかすだらけの顔をくしゃくしゃにして大きなあくびをすると退屈しのぎに拳銃を弄びはじめた。 細っこい体に不似合いな大型のリボルバーを構え、いっぱしにガンスピンなぞを決めて見せる。 彼は人を撃ちたくてしようがなかった。 初めて人を撃ったのは一年ほど前のことになる。 町に潜入捜査で潜り込んでいた保安官をなぶり殺しにしていた。 もっともそれは、彼自身のミスの尻拭いにすぎなかったのだが。 ともあれ、その日から彼も悪党の仲間入りを果たした。 殺人、略奪、強姦何でもありの日々が始まったのだ。中でも彼を虜にしたのは、やはり殺人のスリルだった。 火を吹く銃口、飛び散る血、のたうつ肉体、鼻をつく硝煙と血の匂い…… 彼はそのゾクゾクする気分を思い出しながら、気取ったポーズで銃口を入り口に向けた。 そのとき手入れの悪いスイングドアの蝶番を軋ませて、男が一人店の中へと入ってきた。 年の頃は四十くらい。埃に汚れて白っぽくなったブラウンの髪を陽に焼けたどうということもない浅黒い顔に乗せ、がっちりとした体格にその顔を乗せていた。 贔屓目に見ればそれなりのいい男とも言えなくはなかったが、おおかたの人間は首を横に振るだろう。 男の右頬には醜い刀傷が一条走っていた。 だが、その傷は迫力とは結びついてはいなかった。 男の瞳がすべてを帳消しにしていた。 あまりに人の良さそうな丸っこい目を男は持っていたのだ。 ちょっと見なら、気のいい農夫程度にしか見えない。 それでも男の格好は厚手のデニムシャツにジーンズ、革のベストにブーツ。そして腰に吊した二丁の拳銃。 典型的なガンマンのスタイルだ。 もっとも、それが板についているかどうかは別にしてだが。 男は歩く度に大量の埃を撒き散らしながら、カウンターに向かってきた。 ――ロクでもねえこと言いやがったら、ぶち殺してやる。 バーテンダーはすがめた目で男を見ながら、そう心に決めた。 「水をくれ」 カウンターにつくなり、男は言った。 バーテンダーは心の中で溜息をつき、胡散臭げに男を見下しながら答えた。 「うちの水は高けぇぜ。なんせこんな貧乏な町だ、酒より高くつくけどいいのかい?」 小馬鹿にしたバーテンダーの物言いも意に介さず、男はカウンターに金貨を二枚放り出した。 もしかすると馬鹿にされているのが判っていないのかも知れない。 しかし、そんな男はここにたどり着く前にくたばるのがオチだ。 バーテンダーはさっと金貨を拾うと、コップ一杯の水を男に差し出し、カウンター越しに身を乗り出した。 「あんたも逃げてきたクチかい?」 先刻とはうって変わったなれなれしさだった。 男は黙ってうなずくと、水を一息にあおった。 バーテンダーの態度が豹変したのは金貨の効果だけではなかった。 若いとはいえ、犯罪者どもの中で店を任されているような男だ。目の前にいる男が同類かそうでないかは多少のやりとりでわかる。 男が挑発に乗らなかったのは脳味噌が足りないからじゃない。 殺しが、面倒くさいからだ。 目の前にいる気の良さそうな目をした男からは、まぎれもない人殺しの匂いが漂っていた。 「ゆうべ、ツインストーンで揉めごとを起こしちまってな」 口元に苦笑を刻み、男が言った。 ――殺し、だな。しかも女がらみ。 バーテンダーは悟った。が、それをわざわざ訊ねて自分の命を落とすほどの間抜けではなかった。 「おかわり、くれるか?」 男がコップを掲げた。 「お……おう、そんなら話は別だ。でも、酒じゃなくてもいいのかい?」 男が凄みのある笑みを、口元に造った。 「酒を飲んだから揉めごとを起こしたんだ」 バーテンダーは黙って水をコップに注いだ。 それをゆっくりと飲み干し、男はおもむろに呟いた。 「で、サウスタコスに渡りをつけたいんだがよ。いるんだろ、ここに?」 「誰のことよ?」 バーテンダーはとぼけた。 とぼけなけりゃならない訳があった。 例の保安官の件がそうだった。 「ケインズ……いるんだろうが」 男の目が細くなった。人の良さそうな表情はすっかりなりを潜め、刀傷の似合う人殺しの顔になっていた。 「ケインズっても、ありふれた名前だからなあ」 それでもバーテンダーはとぼけた。 あんな目に遭うのは、一生に一回こっきりで充分だ。 という目に、保安官を始末したあとにあっていたからだ。 男は溜息とともに言葉を吐き出した。 それほど気が短いわけじゃないらしい。 「六年前の話だが、ラグウッドの武勇伝を聞いたことがあるだろう。ダグ〈ファイアーボール〉メイフィールドを粉微塵にした話だ」 バーテンダーの顔が安堵に歪む。 「お……おう、それなら毎晩のように聞かされてっからよ。ケインズさんのいた強盗団……」 「キャラダイン一家」 「そうそう。で、ファイアーボールを返り討ちにしちまったんだってな。一対一ならファイアーボールも負けなかったんだろうが、八人相手じゃ、どうしたって勝ち目はないわなあ」 こくりと男が頷く。 「なんでも、ファイアーボールの最後のざまは情けなかったって話じゃないか」 男の眉がぴくりと跳ねた。 バーテンダーは気づかずに続けた。 「ケインズさんのガンナーにひっ掴まれて、小便漏らしながら命乞いしたってなあ。通り名の魔法銃もやるからって言ったとか。けど、そのまんまケインズさんが握り潰したってか」 男の肩が震えた。 今度はバーテンダーも気づいた。 それほど激しい、発作的な動作だった。 「な……なんだよ」 バーテンダーは一瞬、カウンターの上に置いたままの拳銃に手を伸ばしかけた。 いましも男が拳銃を抜くんじゃないかと思うような動きだったのだ。 しかし、彼の思うような事態には至らなかった。 男は、爆笑したのだ。 カウンターをぶっ叩きながら笑い転げる。 「お、おい、あんた」 バーテンダーは声をかけたが、男はたっぷり一分は笑い続けていた。 「わ……悪いな。いや、そりゃ傑作だ。俺が今まで聞いてきた中じゃ一番面白い」 バーテンダーは眉間にしわを寄せた。 「作り話なのか? これ」 「いや、大筋はあってるぜ。今んところ一番笑えたのはダックの決闘話だったが、ケインズの奴ぁ、新聞屋でも喰ってけるんじゃねえか」 「まさか……あんたもキャラダイン一家なのか?」 「まあ、な」 バーテンダーは今度こそ、安堵の溜息を吐き出した。 「なんだよ、初めっから言ってくれりゃあいいのによお。そしたら俺もあんなに命の縮む思いしてとぼけたりしなかったのによ」 「いい、悪党になれるぜ」 男がそう言うと、バーテンダーは満更でもなさそうに顔を上げ言った。 「へへ、これでも俺ァ、ケインズ一家の一人なんだぜ」 「他の連中や、ケインズは?」 男が訊くと、バーテンダーは拗ねた表情を浮かべ背を向けた。 「キャラバンの襲撃に出払ってるよ」 「ケインズは?」 「上で寝てるよ。飯と酒がねえと切れるから、俺が残って支度をしなけりゃならねえんだ」 「そうかい」 男の口元に微笑が浮かんだ。 それは果てしなく冷たく、とても旧友に会いに来た人間が浮かべるものとは思えなかった。 そして、背を向けていたバーテンダーがその笑みに気づくはずもなかった。 「でもよう、珍しいなあ。キャラダイン一家はバラバラになって各地で暴れ回ってるって話だったからよう」 「まあ、だいぶくたばった奴も出てきちゃいるがな」 男がバーテンダーに答えてやったときだ。 「なあにくっちゃべってやがんだっ!」 いきなり、雷のような大声が二階から落ちてきた。 「ケインズさん……」 バーテンダーは首を竦め、階段から続く二階の廊下を上目遣いに見上げた。 廊下の手すりにもたれたケインズはとてつもない大男だった。 灰色熊、とは行かないまでも黒熊相手なら素手でも充分勝負出来そうな体格を誇り、無数の傷に覆われた禿頭と顔が無言の迫力を醸し出している。 これでは誰だって、先刻の話を信じざるを得ないだろう。 「誰だあ、そいつァ?」 ケインズはぼりぼりと無精髭の生えた顔をひっ掻きながらバーテンダーに訊いた。 「誰って、キャラダイン一家の……!」 バーテンダーは愕然として振り返った。 「久しぶりだな、ケインズ」 そう言うと、男はケインズによく見えるように顔を昂然と上げた。 見るはずのない顔だった。絶対にだ。 だが、その顔はそこにあり、あまつさえ口を開き、あのときと同じ不敵な笑みをケインズに見せつけていた。 「おお……うあわあああっ!」 いきなりケインズは叫ぶと、身を翻した。 それと同時に男の右腕が機械じみた動きで跳ね上がり、黒く大きなリボルバーがその手の中で光った。 それが腰だめに構えられたとき、ケインズの背中はまだ男の視界の中に捉えられていた。 酷薄な笑みが男の口元に浮かぶ。 左手が銃のハンマーに添えられた瞬間も、ケインズの背はほとんど変わらぬ位置にあった。 機関砲のような轟音が六発轟いた。 ファニングだ。 シングルアクションのリボルバーを早撃ちするテクニックで、腰だめに保持した銃のハンマーを掌で叩き起こしながらトリガーを引いて連射する。 男の腕は神業と呼んで差し支えのないものだった。 安っぽい造りの土壁が、極めて正確に人間の型どおりにぶち抜かれて崩れ落ちる。 しかしケインズは立ち止まることなく部屋の中へと飛び込んだ。 ケインズの胆力が為せる技か、足を竦ませることもなかったのは大したものだ。 ケインズの姿が消えても、男は慌てなかった。 シリンダーをスイングアウトして、空薬夾を足下にばら撒き、左手を弾帯の上に滑らせた。 「動くんじゃねえっ!」 男が顔を向けると、目の前に銃口があった。 「やめとけ」 短く、そして冷たく男は言い捨てた。 「へ……へへ、強がんじゃねえよ。俺もヤキが回ったな、保安官にすっかりだまされちまったぜ」 「保安官じゃない」 「関係ねえよ、あんたを殺しゃあケインズさんに認めてもらえる。そうすりゃあ俺はケインズ一家のナンバースリーだ。こんなちんけな店なんかとっととたたんじまって、好きなようにやれるんだ」 そのとき、二階でガラスの割れる派手な音が聞こえた。 どうやら、ケインズが外へ飛び出したらしい。 「御託はそれで終わりか?」 「なんだとぉ?」 「俺の邪魔をしなければ、命まではとらない。邪魔をしたいのなら、殺すぞ」 銃口が目の前にあることも全く意に介さず、男は淡々と言い放った。 しかし、その態度はバーテンダーに残されていたあるかないかの理性を簡単に弾き飛ばしていた。 「吐かせえっ!」 狭い店の中いっぱいに、轟音が響いた。 バーテンダーは、その音が自分の拳銃が発したものだと信じて疑うことはなかった。妙に腹が灼熱したような気がするのも、久しぶりに人を撃ち殺した高揚感からだと思っていた。 なんと言ったって、男は目の前でシリンダーを外していたのだ。 それに対して自分の拳銃は、男の目の前にあったのだ。外しっこない。 そのはずだった。 バーテンダーは足から力が抜けるのを感じ、同時に腹の奥から熱い物が喉にこみ上げてくるのを感じた。 「へへ……だらしのねえ」 照れたように呟きながら、バーテンダーは脚に力を込めようとした。が、力は入らない。 代わりに熱い物が口からこぼれだした。 鮮血が、埃で汚れた床に広がった。 バーテンダーはそれを実感することはなかった。 それよりも早く、死神の腕に捕らえられていたのだから。 男が右手に持っていたリボルバーから、硝煙が立ち上っていた。 いつの間に弾を込めたのか? 信じがたいほどの早業だった。 「馬鹿……」 男が吐き捨てるように言った瞬間、店の中が暗く翳った。 男はすぐさまテーブル越しに身を投げ、飛び越えたテーブルを掩体にして身を伏せた。 直後、男のリボルバーなどと比較し得ないほどの轟音が店の中を襲った。 店の中は爆弾が落ちてきたような騒ぎになった。 カウンターは全て剥ぎ取られ、酒棚からは酒瓶が一掃されてしまい、梁も柱も大きく抉られて傾ぎかけ、土壁は全て崩れ落ちて店の裏まで見渡せるような有り様だ。 唯一まともに残ったのは、大穴が開いて外れかかったスイングドアくらいのものだった。 「どうでえ、どこのどいつか知らねえが趣味の悪ぃ顔ぶら下げてきやがって、ちったあ思い知ったか」 ソリッドガンナーのむき出しのコクピットで、ケインズは高笑いしながら吠えた。 店の中からは酒の滴る水音しか聞こえてこない。 他の家からは何の物音も聞こえない。巻き添えにはなりたくはないだろう。 「悪すぎる、冗談だぜ」 ケインズはそう呟いたが、言葉とは裏腹に薄気味が悪かったのだ。 男の顔は、六年前にケインズたちが血祭りに上げたファイアーボールの顔だったのだ。 しかし、殺っちまえば全ては終わる。 ケインズは今までそうやって生きてきた。 これからもそうだろう。 だが、それは彼個人だけの主義と言うわけではない。 ケインズは油断していたわけではなかった。 にもかかわらず、衝撃波に顔をひっぱたかれ、轟音が鼓膜をぶちのめすまで気がつかなかった。 男は生きていた。 銃口をケインズに向け、無表情に立っていた。 「化け物かよ……」 ケインズが使ったのは散弾だった。 散弾といっても、対ソリッド用のものだから弾の大きさはどでかい。 だから酒場は粉々になった。 しかし、散弾は拡がるためにいくばくかの距離を要する。 せめて使った銃がソードオフのショートバレルなら、なんとかなったかも知れない。だが、ケインズが使ったのはレギュラーサイズのままのバレルを持ったショットガンだった。 男は店の奥ではなく、入り口の方へと身を投げ出していた。散弾が拡がり始める範囲外へ飛び込んで難を逃れたわけだ。 そのことから見ても、この男がケインズの戦いかたを熟知しているのは間違いない。 とはいえ、男も無傷では済まなかった。 衝撃波や弾け飛んだ木っ端にやられ、シャツはあちこちが破れ、腕からは血が滴っていた。 だが、男の闘志はいささかも衰えてはいなかった。 その証拠に、硝煙をたなびかせる銃口は微動だにせずケインズの額を狙っている。 「てっ……てっ……」 ケインズは完全に取り乱していた。 無理もない。 六年も前に殺したはずの男が目の前に立ち、自分を追いつめているのだ。 「……久しぶりだな、ケインズ」 口元から垂れた血を舐め取って男が微笑い、先刻と同じ言葉を繰り返した。 「うがあああっ!」 ケインズは吠えると、ガンナーのショットガンをポンプした。 「くたばれえっ! 死に損ないっ!」 ショットガンの銃口が男に向かって弧を描く。 わずかに手首を動かして、男は無造作にトリガーを絞った。 決して軽くはない衝撃が腕を走り、紅い飛沫が散る。 その銃弾は正確にショットガンの銃口に吸い込まれた。 薬室の中で爆発したショットシェルは狭い空間の中で超高圧の嵐となり、装填されていた他のショットシェルをも誘爆させた。 当然、ガンナーの右腕はその衝撃に耐えられるわけもなく装甲を撒き散らしながら消し飛んだ。 「てめえ……」 新たな傷の増えた顔から流れる血を拭い、ケインズは大声で吠えた。 「ブッ殺してやるッ!」 ケインズは逆上していたが、正気はまだ保っていた。 先刻喰らった衝撃波の数をケインズは覚えていた。 いや、体で覚え込まされたと言うべきか。 男の銃撃は、正確にケインズの両肩を掠めて切り裂き、両耳をきれいに吹き飛ばしていた。 その前に、店の中で起こった銃声もケインズは聞き逃していなかった。 ――奴の拳銃にゃ弾丸はねえッ! ガンナーの左腕が目にも止まらぬ早さで動き、腰のリボルバーを抜いた。 正確に、極めて正確にガンナーの銃口は男を狙った。 じりっ、とガンナーの指がトリガーを絞り始める。 そのときだ、男の頭と腕がだらりと下がり、リボルバーが血の滴とともに滑り落ちた。 ついに力尽きてしまったのか? 黒い拳銃は地面に向かって落ちる。 ケインズは一瞬己の目を疑った。だが、それも一瞬に過ぎず、口元に下卑た笑いを貼り付かせ、自信満々にトリガーレバーを引き絞っていった。 ガンナーはその動きをそのまま伝え、トリガーは撃発点へ向けて進行する。 男の顔が不意に上がった。 まるで、何でもないという顔をして。 今まで動くことのなかった男の左腕が閃いた。 雷光の如く。 陽光の中に紅い滴が宝石のようにキラキラと輝き、男の腕を彩った。 先刻、右手で抜いたときより格段に速い。 そして、左手の中に鈍銀色のリボルバーが現れた。 〈ファイアーボール〉 ダグ〈ファイアーボール〉メイフィールドと共にあった魔法銃。 市販されているレディメイドの銃ではない。 超一流のガンスミスがミスリル銀を使い、丹念に作り上げた世に一丁しか存在しないハンドメイドの逸品。 強大なパワーを持つ弾丸に耐えるためのヘビィバレル。その冷却のために銃口に設けられた小さなフィン。それには炎系の呪文が刻み込まれ、弾丸の発射毎に回転し、あたかもラマ教のマニのような効果を発揮して弾丸に魔法を送り込み、とてつもない破壊力を発生する。 個人で携帯できる対ソリッド兵器としては最小の物だ。 轟音は、ほぼ同時だった。 ガンナーにすさまじい衝撃が走り、機体が真横を向いて傾いだ。 だが、男の体も酒場の奥へと吹っ飛ばされていた。 「へ……へへへ、どうでえ」 その姿を見て、ケインズが音程の狂った笑い声を上げた。 「にっ……二度と生き返れねえようにしてやるゥ」 体中をひきつらせ、狂ったように笑いながらケインズはガンナーの銃を構え直そうとした。 その途端、レバーからスパークが走り、ケインズの腕に絡みついた。 「なっ!」 いきなりガンナーが踊りだし、ケインズはコクピットから振り落とされた。 予期せぬ出来事にケインズは受け身すらとれず、首から地面に叩きつけられた。 操縦者を失ったガンナーは、それでも勝手に踊り続ける。 青白いスパークを体中にまとわりつかせて。 ひときわまぶしいスパークが装甲の上を走り始めた。それが通り過ぎた後の装甲板はどろどろに融解していた。 現代で言う、プラズマ溶断機並の威力だ。 スパークが虚空へと消え去ったたとき、ガンナーは原形を一切とどめていなかった。 霞んでいこうとする目を必死に開いて、溶解した残骸を見つめていたケインズは苦しい息の下、どうしても信じられずに呟いていた。 「ファイアーボールじゃねえ……だとォ」 使われた銃がファイアーボールなら、機体は紅蓮の炎に包まれているはずだった。 これは、まさに…… そのケインズの視線を、使い込まれてくたびれた黒いブーツが遮る。 男は生きていた。 ガンナーの銃弾を受けたはずではなかったか? ケインズは渾身の力を込めて、視線を上へとあげた。 だが、男の顔は残念ながら逆光に隠されてしまっていた。 「てめえ……本物の化け物か?」 「衝撃波を……喰らっただけだ」 男は淡々と答えた。 しかし、一つ間違えばあの世行きには違いない行為だったはずだ。それを顔色一つ変えずにやってのけたということがケインズには信じられなかった。 しかし、男の言葉は嘘ではなかった。 それが証拠に、かろうじて無傷だった左腕もいまではむき出しになり鮮血にまみれている。 魔法銃に血が伝い、銃口から血の滴を地面に向けて放ち続けている。 衝撃波に巻き込まれ、かまいたち現象にやられたのだ。 「ケインズ。あんたに会うには時間がかかった。ドレン、マクファースン、ギャリー、ダック、アーレン、ビリィは若造だったから楽だったが」 まるで感情の抜け落ちた声だった。 ただ、一人だけ。ビリィと言ったときに、男の顔を昏いものがよぎっていた。 だが、ケインズがそれに気づくことはなかった。 「あ……あいつらも」 「ガンマンとして殺してやったぜ。俺に比べればマシだとは思わないか?」 雲が太陽を覆い隠した。 男の瞳と謎の魔法銃の銃口が、冷たくケインズを見おろしていた。 ケインズは自分の命が失われる瞬間を待った。 どのみち助からないのは判っていた。首の骨が折れている。しかし、痛みは感じていなかった。雷撃を喰らったときに、神経系がいかれてしまったらしい。 だが、男は動かなかった。 「魔法が、切れる」 謎めいた言葉が男の口からこぼれ、一陣の風が男の姿を陽炎の如く揺らめかせた。 ケインズは己が目を疑った。 目の前に立っているのはファイアーボールなどではなかった。 美しい女だった。 根っからの悪党であるケインズですら、息を飲むほどの美女だった。 輝く銀髪、ウェストガンズ人とは思えない白い肌、そして見たものに強烈な印象を与えずにはおかない琥珀色の瞳。 その瞳に射すくめられたとき、ケインズの脳裏にファイアーボールを殺した直後の光景がまざまざと甦った。 キャラダインのリューガンナーに踏みつけ、にじられてただの肉片に成り下がったファイアーボール。 その血塗れの土を一握り掴んで、キャラダインたちを感情のこもらぬ目で見つめていた少女が確かにいた。 「おめえは、いったい?」 返答は雷鳴と銃声だった。 ケインズの首が胴体から離れ、体は瞬時にして消し炭と化した。 最後の質問にすら答えてはもらえず、ケインズは死んだ。 「〈ライトニング〉。ただの賞金稼ぎよ」 ライトニングと名乗った女は、離れたところに転がったケインズの首に向かって答えた。 血塗れの魔法銃をホルスターに納め、ライトニングはなにかを考えるように小首を傾げ、不意に右手に残ったリボルバーをファニングした。 ケインズの首が宙に跳ね、轟音ごとに粉砕されながら土の上に意味のない模様を血と脳味噌で描いた。 唯一砕かれずに土の上に落ちた目玉をブーツの先で踏み潰しながらライトニングはホルスターにリボルバーを収め、視線を向かいの娼館に向けた。 「クロケット、いるんでしょう?」 ライトニングが言うか言わないかのうちに、スイングドアが開かれ、スリーピースを決めた伊達男。ウェストガンズ保安局所属の保安官、バーニィ・クロケットが現れた。 「やれやれ、ばれてたか」 丸眼鏡を指先で押し上げながら、クロケットは少しも悪びれることなくライトニングに笑いかけた。 「手ひどくやられたな、クリスらしくもない」 クロケットは娼館から持ち出した酒瓶をライトニングに放り投げた。 それを受け取り、ライトニングは一口飲み干してから傷口にそれをぶちまけた。 酒は傷口に容赦なく滲みるはずだ。それでもライトニングは眉一つ動かさなかった。 クロケットに対してのやせ我慢にしても、少し異常ともいえる意地の張りかただ。 「あたしの行動は、あなたたちにとって渡りに船だったわけね?」 ライトニングは小首を傾げ、上目遣いにクロケットを睨めつけた。 さすがにクロケットも笑いを引っ込め、真顔になって答える。 「これも、仕事のうちだよ」 確かにクロケットの言うとおりだった。 いま、ここにいるクロケット自身、或いはクロケットの下で働く保安官助手たちがこの町に潜入し、ケインズを殺ろうとしても、以前に潜入した連中の二の轍を踏むのがオチだったろう。 だからライトニングを囮に使い、ケインズを黙らせている隙に町の大掃除を断行したクロケットの判断は正しい。 ライトニングも、もちろんそれは判っていた。そういう扱いを受けたとしても命で金を購う商売をしている以上仕方のないことだ。 「そうね、それがあなたの仕事だものね」 そう言ってライトニングはきびすを返そうとした。 その足下に、重い音が響いた。 「?」 「三万……あるぜ」 ライトニングの足下に投げられた袋から、金貨がこぼれ落ちていた。 「ケインズの分も、持ってきておいた」 「ずいぶん、信用してくれてるのね」 「君の、腕をな」 クロケットはそう言ったが、半分は照れ隠しのようだった。 それをライトニングはすぐに察した。 「でも、ケインズは木っ端微塵よ」 「証人がこれだけいるんだ、誰にも異論は挟ませない」 ほかの酒場や賭場、娼館から証拠物件や経営者を引っ立てている連中が力強くライトニングに向かって頷く。 そのあまりにも真っ直ぐで、あけすけな賞賛の笑顔にライトニングは気恥ずかしくなってしまった。 「ありがと」 ライトニングは短く礼を言い、かっさらうように袋を取り上げるとクロケットに背を向けた。 「クリス、次は何処だ?」 去り行く背に、クロケットは声をかけた。 「DIJのところ」 それだけを答えて、ライトニングは町の外へと足を向けた。 「ちゃんと手当はしろよ。せっかくの美人が台無しになっちまうぞ!」 クロケットの軽口に、こないだと同じように手を振り、ライトニングは誰のものとも知れぬギャロップを引いて、静まり返ったままの家並の中に消えていった。 「……クロケット、あれが?」 ライトニングを見送るクロケットの隣に、年若い保安官助手がいつのまにか立っていた。 紅い髪に漆黒の瞳を、充分に美少年と呼べるだけのシャープな顔立ちに誂え、まだ成長半ばの細い体と長い脚をデニムシャツとジーンズに包んでいる。 街を歩けば十人中八人の女を振り向かせることは出来るだろう。 ただ、彼がその黒瞳を瞑っていればの話だ。 彼がライトニングを見つめるその瞳には、明確に過ぎる殺意が宿っていた。 それに彼の銃だ。 彼の左腰には一般に普及している、コルツ社のピースキーパーが提げられている。信頼性抜群のベストセラーだ。 問題なのは右の腰から腿にかけて提げられた銃だ。 ウィンフィールドM73ライフル。 レバーアクションの機関部を持つ、ライフルの中のベストセラーだ。 強力な大口径弾を使用し、使いようによってはソリッドすら破壊する威力を秘めたライフル。 しかも彼が提げているのは、そのソードオフ・バレル仕様だ。 ベストセラーといっても、万人にと言う意味ではない。その道のプロたちに、という意味のベストセラー商品だ。 ソリッドを倒す威力、ということはその扱いに於いて相当の習熟を要するということになる。 さらにソードオフ・バレルともなれば、もとのバランスは崩れている。反動などはとんでもないことになるだろう。 それをこの少年は使いこなすというのだろうか? 彼の名前はソニィ・ホリディという。 まだ十七歳の若さながら、クロケットの右腕として保安官連中の間でも一目置かれた存在。 そして字名は〈ラピッド・ファイアー〉。 クロケットはソニィの問いに振り返ることなく答える。 「そう、あれがクリス〈ライトニング〉メイフィールドだ」 振り返ったら、ソニィの瞳を見てしまう。 そのときクロケットはソニィに対し、銃を抜かずにいられる自信がなかった。 「クリス〈ライトニング〉メイフィールド……」 一語一語、ソニィは噛みしめるように呟いた。 「ここで、お別れです。クロケット」 「どうしても、なのか?」 ソニィに訊ねたクロケットの声は小さく、他の連中に聞こえることはなかった。 だが、クロケットを知る者なら己の耳を疑ったに違いないような弱々しい声だった。 「たぶん……」 短く答えたソニィの声も、わずかながら震えていた。 しかし、そのままクリスの後を追うように、街の外へと歩き始める。 クロケットは、もう何も言わなかった。 ただ、その堅く引き結んだ唇から、奥歯を噛みしめる嫌な音だけがこぼれた。 |