硝煙淑女 第二章
「Soon Crazy」
written by 杜泉一矢


 ウェストガンズ中西部。
 荒野のど真ん中のオアシスにハイドレイクと呼ばれる街がある。
 総人口は五千人を数え、ウェストガンズ各地への交通の要衝となっている。
 交易商が集結するここは、規模こそモンゴックより小さいが、扱われる商品の扱い高や品物の確かさは比べるべくもない。
 商人と富が集まる街、となればそれを護衛するガンマンの数も幾何数級に増える。
 それ故にハイドレイクの歓楽街は極めて充実していた。
 酒場と娼館。
 たった二つのこの商売が、ピンからキリまで約百の軒を連ねている。
 その中の酒場の一つ《スターブルー》は値段の割に良い料理と良い酒を用意するので下っ端のガンマンたちの人気を集めていた。
 夕刻。交易商たちが長旅を終えて一段落がつく頃、スターブルーでは戦場のような忙しさが始まっていた。
 二十組あるテーブルはすでに腹を空かせたガンマンに埋め尽くされ、飛び交う料理や酒の注文にウェイターとウェイトレスがテーブルの間を高麗鼠のように駆けずり回っていた。


 そんな頃、一人の少年がスターブルーに現れた。
 一瞬だけ店内が静まり返るが、すぐまたもとの喧噪に包まれる。
 その少年はとてもこんな店に足を踏み入れるとは思えない出で立ちだったのだ。
 土埃一つない清潔な真っ白いYシャツにサスペンダーで留めたヘリンボーンのトラウザース。足下の黒いブーツはぴかぴかに磨きたてられている。そして綺麗に整髪された紅毛が少年をちょいと小生意気な感じに仕立て上げている。
 顔は小作りで割と整っているが、太めの眉毛と丸っこい黒瞳が意志の強さを物語る。  しかし、その目元は一抹の緊張感をはらんでいるかのようにも見えた。
 一見すると世間知らずの坊ちゃんが、道に迷ったあげく、ロクでもない店に足を踏み入れてしまったようにも見えた。
 しかし、少年の右腰には腿にかけて異様な物体がぶら提げられていた。
 ウィンフィールドM73のショートバレル。
 ソリッドすら打ち倒す威力を持つライフルの逸品である。その強大なパワーゆえ、使い手を選ぶという代物をこの少年はソードオフしていた。
 銃身を切り詰めることによって使い勝手は向上するだろうが、M73本来のバランスは当然ながら崩れてしまう。
 そんなモノを腰にぶち込むような少年だ。大馬鹿かただ者ではないかのどちらかだけだ。
 店の客たちは、興味を失ったように見せかけていたが、その実抜け目無く少年の一挙手一投足に注目していた。
 紫煙たなびき罵声が飛び交う店内を少年は一瞥すると、真っ直ぐにカウンターへと向かった。
 胸のポケットに何かが入っているのだろうか?
 少年が一歩踏み出すごとに固くて小さな金属音が響いた。
 酒だけを注文するにはまだ早い時間のためか、カウンターに他の客の姿はなかった。

「いらっしゃいませ」

 こざっぱりとしたYシャツにボウタイ、黒のトラウザース、後退しかかった白髪を丁寧になでつけた初老のバーテンダーは少年に一揖して見せた。
 カウンターの向こうは別の世界だと言ったのは誰だったか? 
 それを体現しているようなバーテンダーだった。

「何に、なさいますか?」

「ミルクを……もらえますか?」

 少年がそう言った途端、酒場の中に哄笑がまき起こった。

「ミルクだとよ、ミールク」

「にいちゃん、そんなもんは家帰ってママにもらいな」

 何人かのガンマンが下卑た声で少年を嘲笑った。
 言葉にこそしなかったが、多かれ少なかれ他の客たちも口元に嫌らしい嘲りを浮かべていた。

「かしこまりました」

 他の客の罵声など意に介さず、バーテンダーは注文通りに少年の前にコップを置き、なみなみとミルクを注いだ。
 少年はにこりと微笑み「ありがとう」と礼を言ってから口元に運んだ。
 よほど喉が乾いていたのだろう、ミルクは見る間に少年の口の中に消えた。
 しかし、まだ乾きが癒されないのか口の端から垂れたミルクを手の甲で拭い、少年は申し訳なさそうな顔で左手の人差し指を立てて見せた。
 バーテンダーは判っているとでも言いたげに細い口髭を少し動かし、空になったコップにミルクを追加した。

「ぅおーい、いい加減にしようや」

 コップが再び満たされたとき、少年の背に野太い濁声がぶつかってきた。

「ここは酒を飲みにくる場所なんだぜぇ。えぇ、にいちゃん」

 少年が肩越しに振り返ると、店の奥に陣取っていた五人組のガンマンの一人が酒に浸りきった頼りない足どりで向かってくるところだった。
 雲をつくような体格の持ち主で、上腕の太さは少年の腰回りくらいは楽にある。それを支える胸板は分厚く、これみよがしに革のベストだけをつけていた。
 いちおう腰に銃をぶら提げているが、それはおまけのようにしか見えなかった。
 銃より腕力がモノを言うタイプの男で、銃弾の二発や三発じゃそうそうくたばりそうにない。
 それでもその大男は連中の中では下っ端らしく、テーブルについたままの男たちはニヤニヤとその様子を眺めていた。

「デーブ、お子様なんだから手加減してやれよ」

「気ィつけろよ。あんまりいじめっと小便ちびっちゃうぜ」

 酒場の中に再び、嘲笑が弾けた。
 しかしテーブルの中央に座る、髪と髭を伸ばし放題にした一味の頭目とおぼしき男だけは、爬虫類のような鋭い視線で少年の顔を抉っていた。
 少年はその視線を真っ向から受けとめながらも、臆した気配は微塵も見せなかった。
 そのとき、カッカッという音が小さく二度響き、少年の注意を引いた。
 バーテンダーが爪でカウンターを軽く叩いていた。
 それが意味することは少年にもすぐに判った。
 相手にするな。
 バーテンダーの忠告を聞き入れ、大男を無視することに少年は決めて、コップに手をかけようとした。
 その途端、コップが爆散し白い飛沫を辺りに撒き散らした。
 被害はそれだけにとどまらず、バーテンダーのすぐ背後にある酒棚の何本かも着弾の衝撃で割れてしまっていた。
 あとほんの少し角度が悪かったら、バーテンダーが酒瓶と同じ運命を辿ることになった。
 少年はミルクで汚れた手を暫く見つめていたが、おもむろにその手をハンカチで拭くと、昂然と顔を上げてデーブと呼ばれた大男の前に立ちはだかった。

「危ないじゃないですか。僕は構いませんが、この人に当たったらどうなさるおつもりなんですか?」

 ごく丁寧な口調で少年は言った。
 だが、それが酔っぱらっているガンマンに対して逆効果だと判っているのだろうか?
 それとも?
 案の定、少年の言葉はデーブを逆上させただけだった。

「一丁前の口きいてんじゃねえよ、にいちゃん」

 右手に銃をぶら提げたまま、デーブは無精髭の密生したむさ苦しい顔を少年に近づけた。

「俺たちが気持ちよく飲んでりゃ、場違いな奴が入ってきやがって。酒が飲めなきゃ、酒場なんかに入って来るんじゃねえよ」

 酒臭い息をわざと吹きかけ、デーブはまだ熱い銃身で少年の頬をぴたぴたと叩いた。

「僕はここで人を待っているんです。その人に逢えるまで出ていくわけには行かないんですよ」

 そう言いながら、少年は軽く左手で銃身を払いのける。
 その行為にデーブのこめかみがぴくりと動いた。

「この俺が、出てけっていってもか?」

 デーブは無理矢理笑顔を取り繕い、少年に訊いた。
 だが、払いのけられた銃口は小刻みに震え始めていた。
 勿論それは少年の視界にも収まっていたはずだが、少年は口元にシニカルな笑みを浮かべて頷いてみせ、決定的な一言を投げつけた。

「お酒に酔うことは悪いことじゃありません。でもそれで気が大きくなって誰彼構わず喧嘩をふっかけるのはよくないと思いますよ」

「こ……この餓鬼ィッ!」

 元からあるとは思えなかったデーブの理性だが、少年の言葉できれいさっぱり無くなってしまったようだ。
 右手を高く振りかぶって、大きなモーションでデーブは銃を構えようとした。
 しかし、その手がまだ上を向いている最中に顎の下に金属の冷たさが触れるのを感じてデーブの動きが凍り付いた。
 顎をつついているのは例のウィンフィールドM73改だった。
 ジャカッ!
 レバーアクション特有の発条音が静まり返った酒場に大きく響いて初弾が薬室に送り込まれた。

「お……おめえ?」

 顎の下で悪魔に喉を鳴らされ、デーブはかすれかかった声で呻いた。

「誰でもいいじゃないですか。僕は人を待っているだけなんですから」

 撃つ気があるとは到底思えない少年の言葉だが、指は引き金にしっかりと添えられたままだった。
 そんな二人にバーテンダーの声が割って入る。

「それくらいで……〈ラピッド・ファイアー〉」

 水を打ったように静まり返っていた酒場の中がにわかにざわめく。
 ソニィ〈ラピッド・ファイアー〉ホリディ。
 広域保安官バーニィ・クロケットの右腕。ライフルを使わせたら右に出る者はいないと言われるウェストガンズ最年少の保安官助手。
 ソニィは小さく肩を竦め、デーブの銃を取り上げるとM73をホルスターに戻した。

「今の騒ぎはなかったことにしておきます。ただし、ここからは出ていって下さい。あなた達もね」

 そう言って銃を仲間のテーブルに放り捨て、ソニィは胸ポケットから銀に輝く星を取り出し、しっかりと左の胸に留めた。
 それを認め、男たちは渋々と店から出ていこうとした。が、その背にソニィが追い打ちをかけた。

「酒代を忘れてませんか?」

 最後に店から出ていこうとしたのはソニィを睨めつけていた、あのガンマンだった。
 男は憤懣やるかたないといった足どりでカウンターの端に歩くと、その上に何枚かの硬貨を叩きつけた。

「足りませんよ。全然」

 叩きつけられた硬貨を見ることもなくソニィが続ける。

「壊れた棚と割れてしまった酒瓶、それと迷惑料」

 男はぎりぎりと奥歯を鳴らし、ポケットから金貨と紙幣を掴み出せるだけ掴み出すとソニィに向けて投げつけた。
 軽く上体を動かしただけで、ソニィはこともなげにそれをかわした。

「そうですね、これだけあれば充分ですね」

 いつの間に拾ったのか、ソニィの右手の指の間に金貨が挟まり、それと一緒に口元から白い歯が不敵に光った。

「ラピッド・ファイアー……月夜の晩ばかりだと思うんじゃねえぞ」

 耳に触る甲高い声でそれだけを言い捨てると、男はスイングドアを乱暴に蹴り開けて表へと出ていった。

「憶えておきます……」

 それを見送ったソニィは足下に散らばった金を拾うとバーテンダーに渡した。

「みなさんに一杯ずつ。それとミルクをもう一杯お願いします」

 固唾をのんでいた客たちが掌を返したように、ソニィの言葉に沸きかえった。
 バーテンダーは再びソニィに一揖し、新しいコップにミルクを注いだ。
 ソニィはそれを再び一息に飲み干し、胸ポケットから細身のシガーを抜き出してマッチで火をつけた。
 ソニィがそれをくゆらせている間にバーテンダーはウェイターとウェイトレスに的確に指示を出し、客たちに酒を振る舞わせた。
 バーテンダーが仕事を終えるのを待ち、ソニィは今度こそ酒を注文した。
 コップを小さなグラスに替え、バーテンダーはカウンターの下からとっておきの酒を取り出した。
 ボトルに貼られたラベルには薔薇と拳銃のイラストがあしらわれていた。銘柄はガンズ・アンド・ローゼズ。ウェストガンズのウィスキーの逸品だ。
 そのラベルを見たソニィは慌てて手を振った。

「そんな高い酒を飲めるほど、お金は持ってませんよ」

 バーテンダーは細い目をさらに細めてソニィに微笑みかけ、グラスに注いだ。

「この一杯は、私のおごりですよ」

「それなら……いただきます」

 ソニィはほっとしたように肩の力を抜き、グラスをつまむとちびりと口をつけた。

「ところでラピッド・ファイアー、ここで待ち合わせとはクロケット保安官とですか?」

「保安局の仕事とは関係ないんです。ちょっと個人的なことで……」

 言葉を濁したソニィを見て、バーテンダーは訊くべきではないことを訊いてしまったことを悟った。

「すみません、ラピッド・ファイアー。余計なことをきいてしまったようで」

 自分の孫ほど年であろうソニィにバーテンダーは素直に頭を下げた。

「いえ、構いません。それより僕のことはソニィと呼んで下さい。どうも通り名で呼ばれるのは……ちょっと」

 照れくさそうに微笑んで、ソニィはちびりと酒をすすり、それきりちっとも減らないグラスに目を落として黙り込んだ。
 その様子を見てバーテンダーは、そっとその場から離れた。
 いったい何を考えているのか、その静かな横顔から窺い知ることは出来なかった。
 ただ、グラスの中の酒の水面を見つめる瞳に、ときどき尖った色の光が宿っては消え去った。
 その光はサンドモルグの町でクリスを見つめていたときに浮かんでいた色と同じだった……


 どのくらいのあいだそうしていただろう。
 不意に肩を叩かれて、ソニィは我に返った。
 振り向くと満面に笑みをたたえた老人の顔があった。

「……DIJ」

 デービッド〈インテリジェンス〉ジャクソン。通称DIJ。
 年の頃は六十前後。豊かな白髪を短く刈り込み、上品なピンストライプの入ったスーツを着こなした姿は老ギャンブラーを連想させる。
 しかしその指はカードを繰るためにあるのではない。銃を相手にするためにあるのだ。
 ウェストガンズ史を彩るガンマンの大半の銃を手掛け、最高のガンスミスの名を欲しいままにした男。それがこの老人だった。
 DIJは指を高く鳴らして先刻のバーテンダーを呼びつけた。

「いらっしゃいませ、デービッドさん」

 新しいグラスをカウンターに置きながらバーテンダーはDIJを迎えた。

「いつものやつで、よろしいですか?」

「そうだな……いや、今日は遠方からわざわざ儂に逢いに来た客人もいることだから高い方をやるかの」

 DIJの注文にバーテンダーは苦笑を漏らし、カウンターの下からGARを取り出しボトルごと二人の前に置いた。

「では、ごゆっくり」

 と、一揖しバーテンダーは二人に背を向けた。
 バーテンダーの残した苦笑に、DIJは不思議そうな顔をしてソニィに訊ねた。

「なにか……あったのか?」

 ソニィも微かな苦笑を口の端に浮かべ、先刻の出来事をDIJに話した。
 暫くDIJはソニィの話に聞き入っていたが、先刻の男たちのくだりになると真顔になった。

「……昼間、儂の店に来た連中じゃ」

「DIJのところに?」

 グラスに酒を満たしながら、ゆっくりとDIJは頷いて内ポケットから新聞をひきずりだした。

「?」

 ソニィはカウンターに置かれたそれを開き、少し驚いたように片眉を吊り上げた。

 サンドモルグ壊滅!
 広域保安官クロケットの正義の鉄槌下る!

 新聞の一面トップは先日ソニィたちがやってのけた仕事について大々的に報じられていた。
 ソニィは見出しをちらりと一瞥しただけで記事を読むこともなしに新聞をカウンターの上に戻した。

「これが、なにか?」

「連中、サンドモルグに潜り込む予定だったらしいぞ」

 DIJの言葉にソニィの脳裏で何枚もの手配書がめくられていった。が、該当する顔は記憶の中にはなかった。

「たいした連中じゃないでしょう。手配書にはなかった顔ですから」

「そうかも知れん……だが、注意するに越したことはない。あの頭目の男、妙にしつこかったからのう」

「じゃあ、DIJをDIJと知って?」

「そのようじゃな」

 GARを一息にあおり、DIJは頷いた。
 ウェストガンズ最高のガンスミス。
 間違いなく、それはDIJだ。しかし、それを吹聴して回っているわけではない。
 銃砲店を経営してはいるが、店の名前は《デービッド銃砲店》というありきたりのつけかたでしかない。
 だからDIJの名は知っているが、誰がDIJなのか知らないガンマンのほうが多い。
 ソニィ自身もクロケットの紹介がなかったら、DIJを知らぬままであった。
 それゆえ、DIJを知るあの男はそれなりの事情通ということになる。

「まあ、気をつけることじゃな。それより、その記事じゃがケインズを殺ったのは……クリスか?」

 クリス。
 その名を聞いた途端、ソニィの瞳に先刻と同じ色の光が宿った。

「ええ、そうです」

 だが、DIJに返した言葉に一切の色はなかった。
 それでも脳裏には生々しくあのときの記憶が呼び起こされる。

 クリスとケインズが対峙する通りの向かいの店の二階からソニィは二人を見ていた。
 傷だらけになりながらもガンナーにただ一人立ち向かう男。
 たとえ魔法銃を手にしているとはいえ、並の自信で出来ることじゃない。
 そしてその魔法銃は青白い光球を吐き出し、ガンナーを喰い散らかして鉄の残骸に変えた……
 その光景を見ていたソニィの胸に去来したものは恐怖と羨望だった。そのときソニィはまだ、男がクリスだということは知らなかった。
 そして魔法が解け、クリスはケインズを消し炭にした。
 銀の髪に琥珀色の瞳の美女。
 ソニィの追い求めていた女がようやく目の前に現れた。

 ――でも、撃てなかった。

 その理由がソニィには判らなかった。
 あの場でクリスを撃ち殺すのはどうしても躊躇われた。
 決して魔法銃の放つ恐怖に負けたわけではない、ましてやクリスの腕に気圧されたわけでもない。

 ――あのときは、クロケットもいたから。

 それを撃てなかった理由として、ソニィは自分の心に折り合いをつけていた。
 だが、何処までが建て前なのかは誰にも推察できない。

「新聞の記事が真実とは珍しいこともあるものだ」

 更なる一杯を注ぎながらDIJは言った。

「……そうですね」

 相槌をうちながら、ソニィも自分のグラスを口元に運ぶ。しかし、その手がふと止まった。
 ソニィの背中に疾走るものがあった。
 悪寒ではない。もっと熱い、怒りに近い別のものだ。
 そして二人の背後、喧噪が支配していたはずの酒場に潮が満ちるように静寂が広がってゆく。

 スイングドアを押し開いていたのは女だった。
 娼婦にしてはあまりにも品があった。たとえ娼婦にしても、こんな下っ端ガンマン相手の店に足を運ぶような女には見えなかった。
 似合わないと言えば、右手に持った重そうな紙包みが妙に不似合いだが、そんなことを忘れさせるに充分な容姿を女は誇っていた。
 チャイナドレスに似た、タイトな白銀の光沢を放つドレスが優美なラインを描く胸を強調する。
 それには大胆なスリットが入り、ガーターベルトで留められたストッキングに包まれた長い脚が露わになっている。
 磨きをかけられた銀の髪は絹の輝きを放ち、うっすらと化粧を施した目元では琥珀色の瞳が獲物を狙う猫のように酒場の男たちを値踏みしていた。
 信じ難いことだが、その女はクリスだった。
 その立ち居振る舞いに、ガンマンの仕草は微塵も感じられなかった。
 深窓の令嬢といっても十二分に通用するだろう。
 その瞳がカウンターの老人の背に止まり、クリスはそちらへと一歩を踏み出そうとした。
 静まり返った酒場の中、クリスの蒼いヒールが床の上に固い音を立てる。

 自分に向かってこようとする足音に、DIJは振り向き、なぜその女が自分のほうに向かってくるのかが判らなかった。
 訳が判らず混乱しているDIJに、クリスは柔らかな微笑を送った。
 その微笑みがDIJの脳裏で二年前に見せられた微笑みと重なり、DIJの手からグラスが滑り落ちた。
 その音はソニィの耳にも届いていた。
 それでもソニィは振り返らなかった。振り向かずとも誰がそこにいるのかは判っていた。
 三週間も追い続けた相手だ。気配だけで区別はつけられる。
 震えそうになる手をグラスを握りしめることで無理矢理押さえつけ、ソニィはそれを一気にあおりグラスを床に放り出した。

「クリス・メイフィールドオォッ!」

 グラスの割れる音ともに叫びながら、ついにソニィは身を翻した。
 M73がソニィの手の中で回転しながら収まり、轟音が吼えた。
 しかし、すでにクリスの姿はそこにはなく、開かれていたスイングドアの一部を削りとばしたにとどまった。
 クリスの持っていた紙包みがぽつねんとそこには残されただけ。
 小さく舌打ちを漏らしながらソニィはドアに向かって駆け出した。

「ソニイッ!」

 DIJが叫んだが、ソニィは聞く耳持たなかった。

「逃がすものかよっ!」

 言いながら、再びソニィの手の中でM73が回転し、次弾が薬室に送り込まれた。
 ソニィはスイングドアを蹴り飛ばしながらM73を腰だめに構えた。
 その目の前で、クリスは砂塵を上げながら振り向いたところだった。
 ソニィの頬に凄みのある微笑が浮かんだ。
 クリスもまた、微笑を浮かべる。
 ただ、それはソニィの笑みとは違い、何処か哀しげな感じのする微笑だった。
 撃ち合いの最中だ。相手の技量に悦びや恐怖を覚えこそすれ、哀れむようなことはソニィには一度としてない経験だった。

 ――僕じゃ、相手にならないってことか?

 自分で出した結論に怒りを覚えながら、ソニィは腰だめに構えていたM73の銃口をクリスに向け始めた。
 丸腰とおぼしきクリスに銃口を向けるのには抵抗があったが、こうやって対峙した以上何らかの対抗手段をクリスが持っているのは間違いない。
 ソニィの体を冴えざえとした緊張感が走り抜ける。
 腰だめに構えた銃で標的に弾丸を喰らわせるのは至難の技だ。目視で銃口と標的を合わせられるわけではないのだから。
 だが、ソニィはその絶妙の技を体得していた。だからこそライフル使いとしての字名を若くして獲得してもいるのだが。

 ――負けるものか!

 そう思った瞬間、目の前のクリスのドレスの裾がふわりと浮き上がり、ガーターベルトで留められた黒いストッキングがソニィの瞳を射た。
 ストッキングのすぐ上に、もう一つ独立したベルトがあり、そこに小さなポケットピストルが挟み込まれていた。
 デインジャー・マーク1。
 上下二つのバレルを持ち、装弾数も二発だけというささやかな護身用のピストルだ。しかし、使う弾はピースキーパーと同じコンマ四五という強力さを誇っている。
 それだけにバランスは最悪で、五メートルも離れたら決して弾は当たらないなどと言う悪評を立てられている。
 いま、彼我の距離は三メートルといったところだ。

「……ふざけるなあっ!」

 ギリッ! と音を立ててM73のトリガーが絞り込まれようとした。
 しかし、その瞬間は永遠にやってこなかった。
 コンマ四五の轟音が二度響き、ソニィはかつて経験したことのない衝撃を左胸に喰らって酒場の中へと弾き飛ばされていた。

 ――ふざけてたのは、僕なのか?

 それがソニィの最後の思考で、それきり少年の意識は闇の中に沈んだ。


 スターブルーの中は騒然としていた。
 DIJだけが床に横たわったソニィの傍らに片膝をついていた。

「……殺っちまったぜ、おい」

「保安官殺しだぜ……どうすんだ」

 保安官殺しは大罪だ。
 全ての保安局員が敵となり、それこそ後ろから警告なしに撃ち殺されても文句もいえない。殺した相手が広域保安官ならなおさらだ。

「殺してなんか……ないわよ」

 M73を片手に下げ、クリスが疲れたように前髪を掻き上げながら店の中へと戻り、落ちたままだった紙包みを拾い上げた。

「確かに、気絶しているだけじゃ」

 ソニィの脈を取っていたDIJが安堵の溜息をもらしながら言った。
 DIJの言葉に、張りつめていた雰囲気が若干だが和らいだ。

「どういうことじゃ、クリス?」 

 歪んだソニィのバッヂを外しながら、DIJはクリスに訊ねた。
 外されたバッヂから、二つの弾丸がこぼれ落ち、床に固く小さな音を立てた。

「判らないわ、あたしには……どうしてこの子があたしを追いかけてるのか。そして……」

 クリスは台詞を切ると、M73をDIJに見せた。

「ビリィのものだったM73改を、この子が持っているのかもね」

 M73の銃床にはBとHが意匠化された銘が切られていた。

「ビリィ……まさか、ビリィ・ホリディなのか?」

 ビリィの名はDIJにとっても忘れられない名だった。
 クリスの養父、すなわちダグ〈ファイアーボール〉メイフィールドと闘い、生き残った男。
 クリスは黙って頷くと、ソニィの傍らにかがみ込んで額に散った紅い前髪を優しげに梳いた。

「とりあえず……儂の店に来い」

 言いながらDIJはソニィを肩に担いだ。

「ええ」

 ソニィの体に手を添えながら、クリスは力無く頷いた。



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up date 2001/8/17
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