金の湯

有馬には金の湯銀の湯ふたつの立ち寄り湯がある。ここ金の湯は以前有馬温泉会館という施設があったが、新たに金の湯として再登場。まだ真新しい金の湯は休日とあってかなりの混雑。入口まで人が溢れそうなくらいだ。ついあがったばかりの人に「混んでますか?」と聞いてみると、「やぁ、混んでるけど回転はするからね。女湯の方は入場ストップさ」 受付を見てみると女性の長い列ができている。ひとり風呂からあがるとひとり中に入れる。風呂からあがってきた人の脱衣場のロッカーの鍵を、順番待ちの先頭の人に渡すのだ。こうして常にロッカーは100%稼動。男湯の方はまだそこまでは混んではいない。申し訳ないが女性の列を追いこして中へ。さて浴室は‥‥。

うぉっ、いるいる! 人だらけ。しかし人をかき分けてでも入らなければならない湯がそこにある。突入。湯舟は赤かった。赤土を溶いたような濃厚な色。人をかき分けつかる。湯をすくいよく観察すれば、赤い細かな粒子がたくさん混じっている。香りはほとんどないが、しっかり感じられる湯の濃さだ。じっくり味わいたいが後はつかえてる。それにあまりの人の多さでどうも落ちつかない。早々に退散。

湯からあがる頃、男性も順番待ち状態になっていた。脱衣場のロッカーの鍵を次の人に渡し‥‥。ふぅさすが休日。

 

金の湯

湯上がりの散歩

風呂上がり、火照り冷ましにぶらぶら歩く。金の湯から軽いのぼりの小路はぶらぶらするのにちょうどいい。漬物屋、佃煮屋などのぞきながら、ちょいと味見のつまみ食い。その先の肉屋で揚げたてのコロッケをいただく。ハフハフかじりついていると天神泉源の道しるべ。ちょっとのぞいてこ。


超高濃度の源泉

神社の境内に湧く98℃の源泉、これが有馬を代表する天神泉源だ。成分総計62.1g/kgというおっそろしく高濃度のその湯は、空気に触れるとたちまち酸化して茶褐色にかわるため金泉と呼ばれる。有馬には数々の源泉が点在するが、高温の金泉が湧く範囲は限られている。その周りでは中低温の塩化物泉が湧き、場所によって低温の炭酸泉などが湧く。これらがどのようにできるのか未だに謎が多い。この付近には火山がなく何故98℃もの高温泉が湧くのか。何故海水よりもうんと濃い強食塩泉が湧くのか(海水は35g/kg)。何故泉質や泉温が異なる湯が湧くのか。などなど‥‥。(興味のある人は関東周辺立ち寄りみしゅらん温泉の科学のコーナーを見てください。) 私はこの不思議な温泉地有馬がいつも頭のどこかにあった。そんなこともあってふいに有馬までやってきたのだ。

神社の境内に‥‥

高温泉が湧く


秀吉のつかった湯

有馬温泉の資料館に行ってみることにした。実は金の湯で買った入浴券が資料館との共通入館券になっていたのである。金の湯入湯料650円、銀の湯入浴料550円、資料館入館料200円がセットになって1000円。金の湯と銀の湯、どうせ両方つかるつもりだったからこの方が安い。おまけという軽い気持ちで資料館へ行く。

資料館は極楽寺の境内にあった。その名も太閤の湯殿館。受付のおばさんが言っていたが、金の湯、銀の湯との共通券になっているので、よくお風呂と間違われるのだとか。ここは純粋に資料館である。何故太閤なのか? そもそも寺の境内に何故資料館があるのか? 実はここ有馬は豊臣秀吉との関わりが深い。幕府直轄地となった有馬を秀吉は何度も訪れている。有馬は秀吉にとっても特別な地であったようだ。時は流れ、有馬も様変わりした。しかし古文書によれば、この辺りには当時秀吉がつかったであろう湯舟や蒸し風呂が眠っているはずであった。それで震災復興工事の際、発掘調査をしてみたら古文書のとおり風呂跡が見つかったという。それでここ資料館を建てその遺跡を保存したのだとか。

中に入ると見学者はほんの数人のみ。初老の御夫婦の見学者に何やら解説している人がいる。太閤の湯殿館ではボランティアの解説員がいて話を聞くことができるのだ。初老の御夫婦の後ろで私もその解説に耳を傾ける。当時湯につかる風呂はあまり一般的でなく、蒸気を引き込んだ蒸し風呂が好まれていた。その跡がガラス張りの床下にあり、床の上には蒸し湯の再現模型が置かれていた。また蒸し風呂から出てきてつかったであろう浅い湯舟の跡もリアルに遺る。ここに秀吉はつかったのであろうか。

極楽寺

蒸し湯の再現模型

湯舟跡


銀の湯は?

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