爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくらの聖地


池津屋ほか 〜ツッパリ(絶滅)の聖地

レッドデータ生物『ツッパリ』の聖地。『ツッパリ』は、長ラン・ボンタンという表皮を独自進化させ、1980年代に大繁栄した。彼らに上記の表皮を供給していたのが、大手通り中央に鎮座する聖地『池津屋』である。

■ベン・クーガー(2000.6掲載)
 いわゆる、『ボンタン』といわれる変形学生服は、『池津屋』で買うのが本道中の本道です。
 ブランドはもちろん、ベン・クーガーです。私は乃木服でしたが。
 こっちも強そうなネーミングだと思うんですけどね。
 まちがっても、マックスラガーなどで購入してはいけないと言うのがN中流でした。

また、手にする小物類の供給源は…

■ぺップ(2000.6掲載)
 『ペパーミント』でしょう。
 イトーヨーカドーの裏付近にありました。
 やおら、彼らは『ぺップ』と略していましたが。
 置いてある商品は、コーラの小さなサイズの空き瓶とか、何を入れるんだ?と言いたくなるほど小さなかばん。
 勿論素材はチープ感に溢れ、色落ちしそうな布製です。

そして、それらを購入する資金の供給源は…

■バイパスの横のゲームセンター(2000.9.10掲載)
 バイパスの関原のあたりにゲームセンターがあって、ここは不良少年の聖地でした。
 バイパス脇ということで、当時流行りの暴走族系の不良が溜まっていた場所です。天誅会とか白髪連合という長岡系暴走族と柏崎に支部があったブラックエンペラーの縄張りの境目になっていたように思えます。
 何もしらないでここでゲームなどしているとカツアゲ必至という、またまた禁断の地です。私が何故こんなことに詳しいかと言いますと、N中出身なのです。

■またひとつ聖地消滅です(2004.07.10掲載)
ツッパリの聖地、そしてまた婦人服を求めるお母さんの聖地、と相容れない2つの顔を微妙なバランスで両立させ営業を続けてきた池津屋ですが、2004年冬、閉店しました。
2004年春からは予備校として使われるようです。
ツッパリの集った地が受験生の集う地になるとは不思議なものです。

それにしても大手通は、学習塾ストリートと呼びたくなるくらい空き店舗に塾や予備校が続々と進出しています。
昭和の子供たちにはお買い物の場として記憶されている大手通。
将来、平成の子供たちが大手通を振り返るとき、そこはおそらくお勉強の場として記憶されているのでしょう。

■今度こそ(2004.07.10主宰、カテキン談話)
大手通りがガンギからアーケードに構造改革したあたりから池津屋はあやしい動きを見せていましたが、今度こそですか〜。池津屋というと主宰が思い出すのはお茶の香り。子供の頃はあれが池津屋の服のニオイなんだなと思っておりました。今なら抗酸化作用のある服として健康オタクに売れたかも。あの香りの発生源だったお茶屋さんは今はどうなっているのだろう?
そして、池津屋といえば思い出すもうひとつのものが……。

■おしゃれの森・ロジェ(2004.07.10掲載)
NG!は、長岡市民のファッションに関してあまり触れてきたことが無いように思います(ジーンズショップオオハシと、不良少年の聖地・池津屋はあったけど)。和楽器一筋三島屋楽器店の並びの地下『ノアの方舟』や、DCブランド華やかなりし時代の『ファサード』、アイビー小僧が背伸びして行く『Bench』だとか、いろいろありましたけれど、長岡ファッションアンテナショップの雄といえば、長岡厚生会館隣(っていうか、子どもの頃僕は厚生会館の敷地内で経営していると勘違いしていたけれど)におはしました、『おしゃれの森・ロジェ』ではないでしょうか?

価格帯は東京でいうところの鈴丹クラスだったんじゃないかなあ?男の僕には詳しいことはあまり説明できないのですが、'70年代におけるお姉さん−若お母さん年代の女性は長岡でお買い物といえば必ずロジェはチェックされたのではないでしょうか?

で、ずいぶん前から厚生会館の並びに『おしゃれの森・ロジェ』は無くなっているのですが、昨年川向こうジャスコの専門店街に偶然『ロジェ』を発見!『おしゃれの森』なる枕詞は消失したものの、このロゴは間違いなく厚生会館となりの『ロジェ』そのものでした。姉や母にこの興奮を一生懸命説明したところ、「それがどうしたの?」というつれない反応で、地元住民には何の感慨も呼び起こしていないのが悲しいんですけれどもね。

■母娘店(2004.07.10主宰、テレコ談話)
というわけで、『おしゃれの森・ロジェ』。主宰はロジェは池津屋の姉妹店……というか対象年令で言えば娘店……と思い込んでいたのですが、もしかして、ぜんぜん違う店だったのでしょうか? というのも、ロジェで買い物したときに、池津屋の袋で包まれたことがあったような逆もあったような……でも、もっのすごーい昔の記憶なので自信なっしんぐ〜。
あと、同じ厚生会館並びで、名前がサッパリ思い出せないお姉さん向けブティックもありましたね。なぜか2Fの片隅が画材屋さんになっているというフシギな作りで。

■ベンクーガーはシャバイ(笑)です(2009.08.16掲載)
我々の年代の頃の不良と言われる人達の聖地は夜の厚生会館前がメインで大手通全般だったと思います。
長岡は中越地区では都会(笑)でしたので他所の地域からも人が沢山集まってくるわけで、不良とて例外ではありません。
その他所の地域からくる不良達を地元の不良が撲滅するという迷惑かけているんだかいないんだかわからない展開だったように思います。

ツッパリはベンクーガーとありましたが、ベンクーガーはシャバイ(笑)です。
ジョニーケイ、ブラックカイザーなどが本道でした。
ペパーミントも流行りましたがクリームソーダなどが通には好まれたように思います。
同じ商品をわざわざ東京の原宿まで行って買うのが超通です(笑)

暴走族はすでに末期で、年代は違いますが
・FUCK ON
・爆龍士
という珍走団がありました。
同じ爆龍士ですが、川西地区は川西連合という名前でした。
川西連合って・・・安易過ぎますね(笑)

■川西連合!(2009.08.16主宰、東ッ子談話)
うわー、聞き覚えありますよ川西連合! かつて東ッ子にとって新開地・川西は文字通りワイルド・ウエスト、いまでこそマンマすぎるネーミングですが、昭和期にはそれでじゅうぶん威圧感があった気が〜。
そして、ベンクーガーはシャバいんですか、そーですか(笑)。いまだ「ずらかれ」とか「マブい」とか言ってる2時間ドラマの不良さんなら使ってくれそうだなあ、「シャバい」。

new!
■不良の分布図(2009.08.30掲載)
川西連合、聞いたことありますか(笑
当時、爆龍士は一斉検挙に合い、当然、川西連合も同時に検挙され、新潟日報に掲載されていました。
そのせいではないでしょうか。
かなりの人数が長岡警察のお世話になっていたと思います。
参考ですが、爆龍士の方々は白い特攻服で刺繍が入っていましたが、川西連合だけは全員迷彩の上下でした。
もちろん調達は「オーハシ」のはずです(笑)。

昔の長岡は都会の(笑)川東主体でしたが、今は川西が栄えていますよね。。
不良の分布図も、南中・北中・東中などの川東主体から、近年では、栄えてきた川西の話もよく聞くようになってきたように思います。
人口増加とともに増える不良の法則というやつでしょうか(笑)

■天地人(2009.08.30主宰、カブキモノ談話)
特攻服は路上の鎧、戦国武将たちが兜に凝ったのと同じ魂が根底にあるのかも!
この業界(?)でも流れは東から西なのは、「人」口増加と広い道路の「地」の利の「地・人」のせいですね。ただ、「天」はあんまり加勢してないようで、一斉検挙になったりするよーですが(^^;


青少年文化センター 〜科学少年の聖地

プールとプラネタリウムと科学実験という、小学生の夏休みを一手に引き受けようとする前向きな聖地。ほとんどのナガオカ児童の『プラネタリウム』『温水プール』の初体験は、ここであろう。世の聖地につきものの『お香』の代わりに、『塩素』の匂いが漂うケミカルな聖地である。

■30年前のTV電話(2000.6掲載)
 昭和44年頃出きたと思われる『文化センター』、長岡の小学生なら一度は行っているであろう『文化センター』。
 龍文堂より子供の聖地のように思いますが。
 いまだに置いてある30年前のTV電話とか、子供の頃遊んだものがいっぱい置いてあります。
 まるでタイムスリップしたように感じました。
 プラネタリウムの椅子だって昔のマンマです。

■無料のゲーセン感覚(2000.6掲載)
 科学を体感するホールは無料のゲーセン感覚で『リンゴ拾いゲーム』や『球の落下運動』に興じる児童多し。

■うわっまだテレビ電話がある(2002.9.28掲載)
今年、お盆に子連れで帰郷したのですが、どこも行くところがないので、文化センターに連れてって来ました。
うわっまだテレビ電話がある。
ボタンを押すと電球がついて、飛行機が回り出すのもあの時のまま。
太陽や惑星の大きさを表したもの、あの時のままありました。
ボタンを押すと飛行機が傾き、また他のボタンを電車が走り出す。あの時のままです。
ハンドルを回すと、自動車が左右に動き道の上を走っていると点数が増える奴。一応動くが中はぼろぼろに壊れている。大和や観光会館では10円したのが、ここではただで出来たのです。
無くなったものと言えば、パンチ力がはかれるボクシング機。これも観光会館では10円取られたのがただで出来ます。当時、すぐに壊れて、なぜかバレーボールに変えられて、全然、パンチ力が計れくなったのがありましたが、さすがにあの機械は撤去されていました。
増えたのもありました。何と初代ファミコン。十字キーがつぶれて動かないのほとんどですが・・・

 

プラネタリュームも見たかったけど見れませんでした。
プールをチョット覗いたら、おばさんが一人泳いでいました。青少年文化センターの筈なのに。

「また行きたい」とか言うので、次の日も行きましたが、夏休みだというの他のお客さんは、私たち以外に一組だけでした。少子化の影響か、テレビゲームの影響か、余りに訪れる人の少なさが一番気になりました。
この子と丁度同じ年の時、青少年文化センターが出来て、感動したのでしたが、今は・・・

■バック・トゥ・ザ・フューチャー(2002.9.28主宰、入場料もタダだっけ?談話)
たはは、「未来に戻れ!」状態ですねー、文化センター。これはこれで「昭和の人々が想像した未来」の資料として貴重かも。それにしても「また行きたい」というお子さん、若いのにお目が高い!

■ロシアがソビエト連邦のままでした(2002.11.17掲載)
私が子供の頃、文化センターはいつも大賑わいで、小学生の憩いの場として隆盛を極めていました。
プールやプラネタリウム、ホールなどの施設の他に、2Fの各小ホールでは毎週日曜日に陶芸・模型飛行機・鉄道模型・無線などの、当時の少年少女の為のカルチャー教室が行われていました。私は模型飛行機教室に入っており、毎週楽しく通ったものです。
そして、今でも、内容は変わりましたが、子供のためのカルチャー教室は続いています。
つい先日まで娘がパソコン教室に通っていました。送り向えする際に1Fのホールに立ち寄って娘と一緒に昔を懐かしみながら遊びました。
世界地図はロシアがソビエト連邦のままでした。

でも、寂びれてしまってもガンバレ青少年文化センター!!

■たしかに昔は(2002.11.17主宰、「科学と学習」は今もあるのだろうか談話)
たしかに昔は「学研の科学と学習」リアル版って感じの場所で、大人気でございました。昔の子供心にはアピールしたんだけどなあ。話題の「理科ばなれ」ってヤツですか?

■何と一部リニューアル(2004.07.24掲載)
昨年(2002)の夏から一年ぶり。
私が小学生の頃、この子の年齢の時に新装オープンした青少年文化センターです。
あれからせいぜいファミコンが入ったくらいの変わりばえのしない文化センターです。
ところが、何と一部リニューアルしています。

昨年、ファミコン(もちろん初期バージョン)しかなかったものが、今年はなんと、最新鋭のゲームキューブもあるではないですか(公設の文化センターにしては、少し安易なリニューアルでないでしょか)

後、地図にソビエト連邦があるとのことなので、調べてきました。
昔ながらのボタンを押すと地図の国が光るやつ。確かにソビエトがあります。しかし、赤色ソビエトが日焼けでほとんど見えないでした。しかし、ボタンの方は「ロシア」になっています。
カタカナ表記のシールが貼ってありました→
パソコンで作れるので今は、あんまし見ないですね。

国名が変わった国が、新しいシールになっています。どうせなら、「チェコスロバキア」も直したらって、ボタンは分割できないですね。後、なぜか北朝鮮が新しいシールに、「キタチョウセン」を「チョウセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」に直してあります。どうせなら、お隣の「カンコク」も直した方が・・・

■す、(2004.07.24主宰、謝りながら爆笑談話)
す、すみません、これ、昨年(2003)夏のご投稿でございます。まあ、1年2年のタイムラグはものともしない文化センターの時空超越パワーということでへへへ〜……と、不謹慎にも語尾が笑ってしまっているのは、投稿者さんご指摘の「カタカナ表記のシール」のせいでございます。これ、プラスチックのチョイ硬いテープにガチガチと文字を打ち込んでいくヤツですよね。たしか拳銃のように持つ器具で、ダイヤル式の文字盤で。パソコンはもとよりテプラの登場で、昭和の末期にはすでに見ないものになっておりましたが……さすが文化センター、10年20年更新を忘れても、ものともしないかも!(<反省の色のない…)

■なぜ自分が長岡に生を受けなかったのかと(2006.09.17掲載)
もと科学少年として、行っておかねばならぬと常々思っていた青少年文化会館に行って来ました。しかも、妻が昔小学校(川○小)に通った通学路を歩いてみたいといいだしたついでにいったので、パル○の裏あたりの妻の実家から、くそあっちぇーなかひたすら歩きました。
着いてみると、そこは昭和の科学少年にとってはまさに聖地そのもの。なぜ自分が長岡に生を受けなかったのかと悔やむ代物でした。
ひとしきり見学した後、プラネタリウムに行くことにしました。客は予想通り我々家族三人だけでした。係のおじさんも、「いや〜、きてくれてよかったですて〜。誰も来ねかったら、隣のプールの工事の手伝いしねばなんなかったすけ。」(すんません。曖昧な長岡弁で。でも、こんな感じでした。)と感謝してくださったので、非常に気持ちよくプラネタリウムを見学できました。(あまりの気持ちよさに、寝てしまったのはお約束ですね。)ちなみに、隣のプールは中越地震の影響で、改修工事中でした。

そういえば、最近冥王星が太陽系の惑星から外されるというニュースで盛り上がっていますが、青少年文化会館の惑星のディスプレイはどうなるんでしょうか?
あそこのディスプレイは、どれを見ても昭和40年代から変化していないようなので、訂正する予算はあるんだか、どうなんだか非常に気になります。どなたか確認してはくださいませんでしょうか?

■あえてほったらかしに(2006.09.17主宰、冥王星が惜しまれるのは名前のカッコよさのせいだと思う談話)
他県ご出身のかたにこれほど言っていただければ、青文(こんな略称でいいのだろうか…)も文化施設冥利に尽きますですよ。冥利といえば冥王星なわけですが(えっ)、たしか、展示コーナーのかなり大きなスペースを使って太陽系の立体展示があったはず。冥王星をハリガネからヒョイっとはずせばコトは済むのでしょーけど、青文は愛すべき昭和科学の殿堂として、あえてほったらかしにしといてほしいなあ。

new!
■今年度中に…(2010.09.12掲載)
先日新聞を見ていたら青少年文化センターのプールが今年度中に閉鎖されるとの事だそうです。

■跡地は!?(2010.09.12主宰、実はあんまり泳げないのです談話)
なんとあの温水プールが! まさか今夏の猛暑で酷使されすぎて……って、いまさら猛暑のひとつやふたつが襲ってきても影響がわかりづらいほど年季の入ったプールなわけですが(^^;。跡地はどうなるのかなあ。まさか科学コーナー拡大!?


覚張書店 〜越後名物の聖地

コミック教マニア派の聖地。長岡の老舗書店でもあり、大手通り中央に鎮座して すずらん通りの長岡書房・目黒書店を睥睨していた。聖地は2Fにあり、そこに 続く階段からすでにポスターやイラストなどが貼りこまれ、聖なる雰囲気をアピ ールしている。

【巡礼者からのメッセージ】

■とてもマニアックな品揃えに(2000.7.23掲載)
 イラストコンテストはやるし、壁の余ったスペースを無料で貸し出し、  個展などをやってたりしています。(でもその個展がアニメやら漫画やらだったり…)
 2階にはアニメ・漫画などのキャラクターグッズも置いてあります。
 最近は、とてもマニアックな品揃えに一歩一歩近づいています。
 なので、オタク少女(及びオタクも)が集まる聖地になっています。

■閉店(2002.7.21掲載)
覚張書店ですが閉店したそうですね。
教科書販売は続けていくとのことでしたが大手通沿いの店舗は閉鎖ということで、、、。
こちらにもありましたがあのお店はどんどん客層を絞ってきたというか、 階段にアニメのポスターや2階に同人誌を置いていたりしたので、 あまり行った事はないのですが元大手高校生としては教科書販売でお世話になったので。
跡地に何が出来るかが気になります。

あと本屋関連で気になることが一つ、 大手通りには覚張書店、近くの元ボンオーハシの隣の本屋(名前失念)、スズラン通りの書林長岡とありますがなぜエロ漫画を店の前に棚を作っておいているのか、ということです。
エロ関係を全部置くならまだしも漫画だけ店の前、他は店の中のそれ用のコーナーと いうのが昔から気になってました。

■閉店!(2002.7.21主宰、タメイキ談話)
やはり閉店ですか、覚張大手通り店。主宰のコドモ時代は、本と言ったら覚張さんでしたけどねえ……なんだか感慨深い。これからは教科書販売一本に絞るんでしょーか。
うってかわってエロ漫画の件は、同じ棚にある一般雑誌と重ね買いしやすくするためではないかと(笑)。

■聖地がまた一つ・・(2002.7.27掲載)
マルコシ・覚張書店が大手通りの店を閉めました。
イチムラ跡に入ったパチンコ店も今や漫喫に。

■パチンコ屋さえも!(2002.7.27主宰、追い打ち談話)
マルコシも同時閉店でしたか。その隣のパチンコ屋さえも。何かの呪いでもかけられてるんでしょーか、大手通……。

■再利用モノ第3弾(2003.5.10掲載)
大手通の覚張書店跡は「まちなか考房(仮称)」というものになるそうです。
内容は、戦災資料を展示する平和資料館的なものだそうです。

リードブロー、ながおか市民センターに続いて大手通空き店舗の再利用モノ第3弾ですね。。

■平×みたい…(2003.5.10主宰、律動談話)
はー、戦災資料館ですか、覚張跡。メインストリートが公共施設ばっかって、×壌みたい…。

■聖地覚張の陰で(2005.01.15掲載)
> 近くの元ボンオーハシの隣の本屋(名前失念)
文進堂書店のことですよね。
うなぎの寝床のような店内に、文進堂は路面店頭にこそ他店に倣ってエロ漫画雑誌を置いていましたが、ここの本領は店内中腹の狭くなってるとこの、もっと コアなエロです。
「性生活報告」だの「S&Mスナイパー」から「薔薇族」に到るまで、ステキなコアっぷり。そういえば「薔薇族」って今年廃刊になったんですよねえ。
でも今日は文進堂の「性の多様性」をほめたたえるのではなくって、旧メジャーナガオカ本屋が消え行く中、もしかしたら文進堂がいま、天下を取っているんじゃないかという気がするのです。
その証拠として、セゾ…ではなくてcocoloの本屋さん、「文進堂」になっていませんか?(昔は「鈴木書店」でしたっけ?)要確認なのですが、新潟駅ビル(昔「名店デパート」って言ってた万代口地下)の本屋さんの名前も確か「文進堂書店」になっていたような気がします。
もし文進堂一人勝ちだったとしたら、けっこう番狂わせですね。成功の秘訣はやはりセクシュアルマイノリティにやさしい企業態度でしょうか(そんな訳無いか)。

■縦にも奥にも(2005.01.15主宰、未来はためらいがちに談話)
細長いビルの本屋さんですよね。主宰もご本名「文進堂」を知らず、ビルそのものに「十字路」と大書きしてあったため、「十字路本屋」と呼んでおりました。たしかに、マンガのコーナーが一番奥にあって、そこに行くためにはどーしても濃いコーナーの前を通らねばならなかったという記憶が。なんか黒っぽいんですよね、そのテのコーナーは(笑)。
それにしてもこのご投稿、昨年末にいただいたメールなんですが、

>暮れも押し迫ってまいりましたね。僕も明日長岡入りします。
>しかし往路は(・○・)ではなく、「雪の奥只見見たさ」に只見経由、
>いま会津若松のホテルで貧乏臭く「麒麟淡麗」飲んでいるのですが
>復路は(・○・) します。

会津で雪見酒しながらエロ本コーナー思い出さなくても(^^;)。
ちなみに(・○・) とは、旧タイプの新幹線(中越地震で脱線したものの死傷者を出さなかった型)を愛でるアスキーアートでございます。…と、未来の読者さんのために説明しといたり。


厚生会館 〜不死身の聖地

催し物の聖地。昭和ナガオカ随一のイベントホール。昭和末期から老朽化による取り壊しが議論されつつもなかなか実行されず、平成の世になっても利用され続けている。長岡駅でさえ倒壊デマにさらされた中越地震においても、当初は避難所として活躍するというお達者ぶりを見せつけた。

【巡礼者からのメッセージ】

■秘密♪(2000.7.23掲載)
オタク少女たちの聖地といえば!まだあります。
厚生会館とハイブ長岡です。
なぜかといえば、そこでイベントが行われるから。
(どんなイベントかは秘密♪)
2つあわせると、年に十数回は行われていると思います。

■凄かったです(2001.9.24掲載)
厚生会館やハイブ長岡で行われているイベントはコミックマーケットと呼ばれる同人誌即売会です
(私は数回行ったことが有りますが、凄かったです)

■ユザワヤもハンズもないナガオカで(2001.9.24主宰、ちょっと覗いてみたい談話)
おそらくかなりの読者は気付いておられたであろう秘密♪のイベント。
コスプレイヤーとかも出現するのでしょーか。
ユザワヤもハンズもないナガオカで、どーやってコスプるのか…。

■ついに(2007.05.13掲載)
長岡駅前の厚生会館ですが、ついに「新・長岡市役所」に建て替えられるようです。
そのための調査費がついたようで、今度こそ建て替え、でしょうか。

■新築するなら(2007.05.13主宰、S小屋風・Kトブキ風どちらでも談話)
し、市役所!? 現庁舎が震災でかなりダメージっていう話を聞いたことあるので、もしかしてついに新築&移転ってことでしょーか。どーせ新築するならナガオカのトラディショナル建築で建ててほしいなあ。ちょうど見本が移転先のハス向かいに〜(怪笑)。


観光会館 〜父兄同伴の聖地
室内遊戯教の聖地。『安吉』の「ナガオカ三大会館」でも取り上げた、昭和ナガオカの一大歓楽ビル(『歓楽街』と書きたいが、一軒しかないので…)。
子供から大人への通過儀礼、「生まれて初めて親じゃなく友達と映画に行く」という儀式が行われていた伝説の地である。

【巡礼者からのメッセージ】

■今にして思えばあまり不良ではないのであるが(2000.7.30掲載)

 長岡の民生委員はすごい!デパートのオモチャ売場などにいるとすぐに 寄ってくる。「お父さん、お母さんは?」ってぐわいに!
そんな彼らの格好の張り込み場所は、「観光会館」である。小学校でも、 長期休暇の前は「父兄同伴(古い言い方)でないと決して行ってはいけ ない」と言われていた。そんなことでひるんでいる我々ではなかった。
屋上は、ゴルフ練習場になる前は、小さな遊園地で、そこには、ピンボ ールやレーシングカーなどがあった。温泉センターが出来る前、2シー ズンだけスケート場があったことがある。夏は、そこが臨時の映画館と なる。初期の東映マンガ祭りの「ワンワン忠臣蔵」をやっていた。三階 の廊下に看板を設置して、入り込めないようになっており、そこのチョ ウツガイがよくはずれていて、忍び込むことが出来た。
今にして思えば、あまり不良ではないのであるが、結構悪いことをして いたという記憶はある。
東京の転校生の話や、新潟の話、栃尾の話を聞いても、長岡の「不良」 の基準は、「厳し」すぎたように思う。中途半端に狭く、中途半端に大 きな町だったのである。

■柴田観光(2000.7.30掲載…というか、主宰、ホホえましい談話)

 レーシングカーに温泉センターにスケート…。黄金期ってカンジですねえ。私がナガオカにいた頃は、ひたすらに映画館でした。映画の時間を聞こうと思って『観光会館』に電話すると、「『柴田観光』です」という応答が返ってくるので、「わっ! 間違えた!?」とびびったものでございます。柴田観光=観光会館だってのに。

■不思議な現象が(2002.9.21掲載)

私幼少の頃は観光会館のまん前に住んでおり、よく観光会館で遊んでおりました。
まだ幼稚園の頃でしたので、エスカレーターで遊んでいると
「ここで遊んじゃだめらよ。おウチかりえなさい。」とよくしかられたものです。

それから20数年が経ち、観光会館が終ってしまいビルの取り壊しの時のことです。

夕方、大半の作業員は仕事を終えて道路にでて煙草を吸ったりしていました。
現場にはまだ数名のこっていて作業をしていたそうです。
その時、
「ドッガ〜ン!!」
という轟音ともに建物が崩れ工事フェンスがボゴンと飛び出し、外に立っていた電信柱をグニャっと根本から曲げてしまいました。
実際は電信柱は10度ほど傾いたくらいなのですが、生で目撃したうちのカミさんは電柱がたおれるかと 思ったそうです。
外でタバコを吸っていた作業員は全員「おやじーーっ!!!」と叫びながらフェンスの向こうの現場にかけていったそうです。

幸い死者はなく2名ほどけが人が出ただけですんだ様ですが、ここはその事故の前から、作業小屋の壁にかけていたヘルメットが勝手におちるなど、不思議な現象があり、お払いをしてもらった後だったそうです。

曲がった電信柱は事故から12,3年たった今でもそのまま傾いています。
主宰様、長岡にお帰りになってイトーヨーカドーでもお買い物にいらっしゃったついでにちょこっと足をのばしてご覧になってください。
傾いた際にコンクリートが剥がれて中の鉄筋がみえるのですが、最近それが錆びてきたので東北電力に「危ないから新しい電柱にかえて下さい。」といったら「わかりました。じっきかえます。」と言っていました。

もう一つ観光会館ネタなのですが、繁栄期に毎日エンドレスでかかっていた、「観光会館のうた(音頭?)」をご存知の方いらっしゃらないでしょうか。
私はサビの部分の

 ♪かんこおかいかんジャジャンとね
 ジャジャン〜っと、まったおいで〜

という部分しか思い出せないのです。(橋幸夫?)

■映画の神様(2002.9.21主宰、どこからツッこんでよいやらの談話)

観光会館取り壊し現場でまさかこんな怪現象が起こっていたとは。でも、モノがモノだけに、何が祟っているのかひじょーに謎。映画の神様ですか? ……クロサワ? ともあれ電柱の下敷きになりかけた「おやじ」さんが御無事でなによりです。

new!
■裏日本随一の!!(2009.9.05掲載)

妙高高原近辺を車で走っていたらこんな看板が目に入ってしまい、いったん通り過ぎましたが後悔すると思い、戻って写真撮ってきました。
写真ではよく見えませんがはがれかかった文字で上部に
 「裏日本随一の総合レジャーセンター!!」
下部に
 「温泉と映画とホテル」
などと書かれていました。
場所は妙高高原の旧国道18号沿いで、長野から上越方向へ向かう車から見えるように掲げられていました。
 当時の観光会館はこんなところに看板を出して長野から客を導こうとしていたのか・・?
 この看板に導かれてやってきた長野人がいたのだろうか・・?
 今となっては確かめる術もありません。

■日本の裏側で随一を叫ぶ(2009.9.05主宰、号泣するところなのか爆笑するところなのか迷い中談話)

これは確かに二度見せずにはいられなーい! よくぞ戻って撮影してくださいました! ってゆーか、ショックで事故らなくて何より!
観光会館が妙高でこっそり「裏日本随一!!」を叫んでいたなんて、しかも本体がなくなったいまでもカンバンだけ残っているなんて、涙と呼吸困難を禁じえずですわ。でも、ドライブ中にチラ見の長野の人たちは、この小屋が「長岡観光会館」なのだとカン違いしていないかちょっと心配な(^^;


ジーンズ店「オーハシ」 〜ホンチャンの聖地

袋町のガードそばにあるジーニスト達の聖地。ぶらさがったジーパン及び畳んで 積まれたジーパンによるバリケードで外部からの視線を遮っており、『龍文堂』 『ギフトハウス』に通じる正しい聖地のたたずまいを見せている。

■ホンチャン入ったよ(2000.6掲載)
 長岡の青少年男子の聖地といえば、ジーンズ店「オーハシ」ではない  でしょうか。
 あたかもコギャルが「EGOIST」のビニールバッグを提げて歩く  様に、したり顔で「オーハシ」のビニール袋を体操服袋にしてたもの  です。何故か、店主が口癖のように
 「ホンチャン(本場?)入ったよ」
 といってたのが思い出されます。

■閉店したといううわさ(2000.10.15掲載)
 ジーンズ店オオハシは閉店したといううわさですが、本当でしょうか?

■かつてのあの場所には(2000.10.15主宰、そうなんですの談話)
 たしかに、かつてのあの場所にはもうないようです。
 閉店なのか、移転なのかはカイモク不明……。

■チャレ ンジショップに(2001.11.16掲載)
ジーンズショップのオーハシの店長(?)さんは,今年の6月くらいまで チャレンジショップにお店出してたような気がします。
その後はわからないんですけど。

■チャレンジショップに!(2001.11.16主宰、どうなる大手通談話)
おお、噂のチャレンジショップに!
……と、びっくりしておきながら、実は主宰は一度も行ったことがない チャレンジショップ。
大手通のどこにあるのかもよくわからないのでございます。
ナガオカ帰っても、セゾン〜ヨーカドー界隈で用を済ませてしまうので……
って、こーゆーヤツが大手通をダメにするんだとはわかっているんですが……。


銀座マーケット 〜oxidized silverな聖地

全国に420あるという『銀座』。 それが、かつてのナガオカにもあったらしい。東京都中央区のそれ以外は いずれもなぜかウラブレ感ただよう『銀座』だが、ナガオカのそれは…。

【巡礼者からのメッセージ】

■闇市のようなイメージが(2001.9.24掲載)
長岡に銀座があったことは、ご存じでしょうか?
場所は、中心地も中心地、大手通です。
場所は今の大手ショッピングセンターです(この名称でいいですよね)。
今は、2階は予備校かも知れませんが、出来た頃は、ゲームセンターや、 スマートボール、はたまた、最新鋭の映像付きのゴルフ機もありました。 過剰な設備投資がたかったのか、すぐになくなりました。
そのショッピングセンターが出来る前は、そこが商店街のようになって いたのです。道は、3本ほど通っていて、大手通りからは、 洋服系や下駄屋があり、真ん中ほどにオモチャ屋があったので、 子供同士でも良く行きました。そのあとは、八百屋があったように 思います。でると、ス−パー・ツチダがあるという感じでした。
私のイメージは、昼間でもとにかく暗いのです。
闇市のようなイメージがあります。
私たち子供連中は、その商店街?を「マーケット」と呼んでおりました。
それはどうも「略称」だったようで、お袋たちはあれを「銀座マーケット」 と呼んでおりました。

■Shop in 大手(2001.9.24主宰、イブシ銀談話)
たしか今は「Shop in 大手」とかになってますよね。
最初は「銀座」だったとは。
限りなく闇色に近い銀(笑)。
new!
■今でも銀座(2003.5.10掲載)
「Shop in 大手」の外壁には、今でも「長岡銀座商店街振興組合」と銀座の名残りが見て取れます。

そしてまた店じまい情報になってしまいますが、「Shop in 大手」内で大きな面積を占めていたきもの屋さんが店じまいしました。
大手通で32年間、営業していたそうです。

Shop in 大手は存在は地味ですが、店内の照明は意外に明るいです。
入り口付近にはベンチが並び、バス待ちのおばさん方の休息場となっているようでし た。

■奥ゆかしい…(2003.5.10主宰、感心談話)
この建物表示にこの記載っていうことは、「Shop in 大手」は通称で、正式名称が「長岡銀座商店街」ってことなんですねえ。ほんとーの銀座なのに銀座を名乗らないとは、なんて奥ゆかしい…。