爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくらの聖地


長崎屋 〜7階建ての聖地

昭和ナガオカにおける消費者の聖地。おそらく当時ナガオカ一の高層ビル。 衣食住用品から、ボウリング場、ゲーセン、屋上ビアガーデンなど、老若男女 消費者すべてのニーズに応えていた。
現在は本社が倒産、長岡店も取り壊された。跡地には何も建たず、駐車場と なっている…。

【巡礼者からのメッセージ】

■今は流行っていないと思いますが(2001.04.01掲載)
今は流行っていないと思いますがその昔お子さま達に流行ったものが「切手集め」。
そんな切手好きなお子さまの聖地は、今は無き長崎屋にあった切手屋さんです。
そのころ切手少年少女必携であった切手カタログの広告に、長崎屋のお店『キング スタンプ』、そして城内町あたり(たしか踏切の近くの十字路付近?)に もう一つ『中越スタンプ』だか『北越スタンプ』?が必ず載っておりました。
ちなみに、最近、近所の図書館にあった最新版切手カタログの広告コーナーを見た 限りでは両店とも載っておりませんでした。
 今も長岡に切手屋さんってあるんでしょうか?
 東京でもとんと見かけなくなった切手屋さん。
 北日本の中心地?新潟のデパートには今でもありそうですが・・・・・

■巨大ソフトクリーム(2001.04.01掲載)
たしか最上階のゲームコーナーのとなりの「たんぽぽ」(?)っていう喫茶店 みたいなとこで売っていた。 100円か150円くらいで滅茶苦茶きょだ〜いなトグロを巻いており、食べ終わって 手に疲労感を覚えるようなスゴイやつだった思い出が・・・ 週3位はかよっていました。

■ナガオカの昭和の子は(2001.04.01主宰、号泣の談話)
ナガオカの昭和の子は長崎屋とともに育ったんですううう〜。 切手屋さんは、文房具売り場のところにあったんですよね。 たしか、外国の使用済み切手がお買い得パックみたいな感じで売っていて、 「キレイだな〜」と思いながら見ていました。 ソフトクリーム屋さんは、途中階にもあったんじゃなかったかなあ。あれはピー コック? あと、階段の踊り場に、オレンジ(色)ジュースの自販機がありました。 きっと果汁0%、チープな紙コップ、後頭部がイタくなる冷たさ、砂糖の味じゃない ヘンな甘さ! 添加物なんか気にしないのが昭和のコドモなのでした〜。

■巨大ソフトの定番といえば(2001.04.14掲載)
たしかに「たんぽぽ」でも売っていたのですが、巨大ソフトの定番と いえば、長崎屋7Fの「ピーコック」であろうと思われます。 作る人は何人かが入れ替わっているのですが、一番印象深いのは、 書き眉をした瓜実顔のおばさんでした。
おばさんは
「はい、まっすぐに持ってね〜」
といいながら渡すのですが、妙にやわらかいくせに大きいそのソフト クリームは気をつけないとすぐに「ベシャ」と落ちてしまい、小さい お子さんが落として泣いていると「はい、こんどはきをつけてね」と もう一つつくってくれたものでした。 ちなみに昭和62年〜平成元年当時、値段は100円でした。
#たしかたんぽぽのはもうすこし値が張ったハズ…。

大きかったのはソフトクリームだけではありません。 かの店にはジャンボやきそばというのがあり、それは要するにやきそば の大盛なのですが、たしかやきそばが200円のところを150円増し するだけあって、トテツもない大盛になっていました。皿に山盛り、 しかもこぼれんばかりの盛り方でした。

私はかの店には学生時代に足しげく通っており、すっかりおばさんと 顔見知りになり、顔を出すと、「いつもの奴ね?」と向うから聞いて くるという関係を築くまでにいたりました。
ちなみに「いつもの奴」は「パンチやきそばのイカで紅生姜抜き」です。 それを作るときの、おばさんの手並みはすばらしく、また味もジャンク フードとしてはなかなかのものだったと記憶しています。 他のピーコックの味とは一線を画していました。材料は同じでしょうから、 やはり腕前というか、手並みのよさが味に反映されていたんでしょう。

長崎屋があのようなことになってしまって、あのパンチやきそばがもう 食べれなくなったなと残念に思っていたのですが、どうやら、別の ピーコックで見かけたといううわさも聞きます。 しかし、市内のピーコックで再会したことはまだありません。 また食べたいなあ…。

■玉源(2001.04.14掲載)
切手屋さんの話がありましたが、となりの文房具屋さんが ローカルCMアーカイブにもあった「玉源」だったことは、 ご存知でしたか? わたしはよくここで、「ピッチン」という本や雑誌の表面に貼る 透明なビニールシートを買っていました。 ラッピング紙には、ちゃんと「玉源」の文字がありましたよ。

あと、その反対側に「両替屋」というレコード店がありましたね。 私は他のツモリや島津よりもココだけでした。今はもうありませんが、 たしか他に店舗がニューロンデパート(なつかしかぁ)、大手通(今は ガトウ専科)、坂之上(カラヤンのあたり)と、四店舗ありました。

最後に、6Fだったか7Fだったか忘れましたが、ゲーセンのとなりに ピーコックがあったのですが、実は地下にもピーコックがありました。 あの「パンチ焼き」今でも忘れられません。

■いまでも謎(2001.04.14 主宰、そういえば?の談話)
そうそう、文房具屋さんは、たしかに『玉源』でした。 大手通りの大型店の文具テナントって、ほとんど『玉源』だったんじゃない でしょうか。長崎屋の『玉源』は、たしか入って左側がふぁんし〜商品、 右に行くにつれて製図系の硬派文具という構成だった覚えが。

そして、つくづく巨大ソフトが好きだったようですね、長崎屋。 地下・5階・7階と、巨大ソフト責め。たしかに「まっすぐ持ってねー」が 決めゼリフだったような。でも、コドモのひよわなナメ力では、ナメ終わる 前にかなりの確率で悲劇が起こってしまうのでした。
地下のピーコックでは、私、よく『生ジュース』なるものを好んで飲んで おりました。あの幼児体験のせいか、いまでもデパ地下に行くと果物屋さんの 生ジュースコーナーにフラフラ〜っと。

そういえば、コドモの頃にものすごく謎だったのが、長崎屋の地下食品 コーナーのスーパー袋。長崎屋のサンバードのマークもなく、文字ロゴで 『松電ストア』。 「ここは長崎屋じゃなかったんだ…」とガクゼンとした覚えがございます。 『玉源』には何とも思わなかったのになあ。 『松電ストア』がいったいドコのどーゆー会社だったのか、いまでも謎の 主宰なのでありました。

■坊主のマネキンと釜みたいな???(2001.04.14 『安吉』から転載)
昔長岡駅にトーア仏壇かどこかの巨大な募金箱(坊主のマネキンと 釜みたいな??)があったような気がするんですけど

■長岡駅前のお釜の話が出ていましたが(2001.04.14掲載)
 長岡駅前のお釜の話が出ていましたが、
 「さて問題です、このお釜はいったい何に使うのでしょうか?」
 こんなクイズがあちこちのクイズ番組で取り上げられて、すっかり 有名になった「トーアのお釜」を、トーアが宣伝のために長崎屋の 1階外にあったトーア仏壇のお店の前に展示しました。  そしたら、ちょうど歳末助け合いの時期だったこともあって、その お釜にお金を入れる人が後を絶たず、けっこうな金額のお金が集まっ てしまいました。  そのため、翌年から募金のためにこのお釜を置かれるようになり、 やがて長崎屋前のトーアのお店が無くなったので、長岡駅前に移って 今に至っています。

 ちなみに、このお釜、何に使うか知ってますか?
 答えは…気が向いたら投稿します。
 もちろん、大切なトーア仏壇のお仕事のために使う、とっても 「ありがたい」お釜です。

 ヒントは「作って売るだけが仕事ではない」

■???(2001.04.14 主宰、さっぱりわかんないの談話)
 謎のお釜は長崎屋のトーア仏壇でしたか。  そういえば、入り口に造花屋さんみたいなのがありましたねえ。  お盆シーズンに走馬灯が置いてあったりした光景が、私の脳裏に 走馬灯のように……って、臨死体験かよ!!(C)さまぁ〜ず三村。
 でも、仏壇屋のディスプレイのお釜に、人々がついついご奉仕してしまう なんて、聖地パワーを感じますわ。自然発生の社会鍋、というか社会釜。  それにしても、そのお釜のホントの利用法は、なんだったんでしょ。  「作って売るだけが仕事ではない」???

  ■長崎屋ピーコックのおばちゃんに…(2001.04.30)
長崎屋ピーコックのおばちゃんに会いたいといっていたあなた。 実はおばちゃんはまだピーコックで現役でした。

私も高校生時代には放課後になると長崎屋の7階へDASHして こぞってジャンボ焼きそばやソフトクリームを食っていました。 しかもこの2つで500円以内で収まるところが貧乏学生にとって かなりうれしかったことを覚えております。

さて本題ですが、おばちゃんはジャスコのピーコックにいました。 しかも当時のままの姿で。 私も結婚し、ジャスコで子供らとご飯でも食べようかとグルグルして いたところ、『あれっそこのお兄ちゃん』と声をかけられ、振り向くと あのおばちゃんが当時の姿のままでレジ前にいたのです。

子供の手を握りながらおばちゃんと立ち話をすること10分。 その日は日曜日の昼にもかかわらず、ほかの場所はお客さんの行列が あるのに、ピーコックだけは閑古鳥が鳴いていました。 しかもおばちゃんも『長崎屋のころがいかったなー』と。

それ以来私はジャスコに行くとピーコックに寄っては学生時代に戻っています。

長崎屋のピーコック常連は多いはず。 ぜひおばちゃんに会って昔の自分に戻ってください。 そして長岡の元祖ファーストフードピーコックを盛り上げましょう。

■長崎屋が輝いていたころは(2001.04.30主宰、懐古の談話)
おお、噂のオバさん、ご健在でしたか!
『長崎屋のころがいかったなー』は、ある意味、昭和育ちのナガオカ人 全員の思いではないかと。 ほんと、長崎屋が輝いていたころは、ナガオカも、まあ「輝いていた」 とまでは言いませんが、活気がありましたわ〜。

■仏様のお風呂(2001.07.01掲載)
「トーアのお釜の正しい使い道」は、「仏様のお風呂」です。 トーアでは、仏壇仏具の販売の他に修理も行っていて、 お寺などから預かった仏様を洗う際に、 あのお釜に薬品を入れて火にかけて煮る、ということをします。 そういうありがたいお釜だから毎年たくさんの「浄財」を集めるんですね。

■カマゆで(2001.07.01主宰、どびっくりの談話)
はー、なるほど。仏像メンテナンス(趣がナイ…)用でしたか! それにしても、ホトケ様がカマゆでにされてキレイになっていた とは…。

■松電ストア(2001.07.01掲載)
長崎屋の地下食品売り場「松電ストア」ですが、隣県長野の 松本市に本社を置く「松本電鉄」が親会社の電鉄系スーパーです。 また、長崎屋の最上階にあったボウリング場も同じ松電グループの 「松電ボウル」でした。
(現在、松電グループはアルピコグループに、松電ストアはアップル ランドに、松電ボウルはアルピコボウルに改称)

松電ボウル(アルピコボウル)は長岡市内にもう1軒あり、そちらのほうは 今でも営業中ではなかったかと。

ちなみに、故・田中角栄氏はマミーストアを開業するにあたり、 同じ電鉄系スーパーとして一足先に展開していた松電ストアを 見学させるため、社員を長野へ向かわせたそうです。
なお、知る人は少ないかもしれませんが、長崎屋は信濃川の西側の 喜多町にもありました。 さらに、マミーストア希望ヶ丘店の2階フロアにもごくわずかな期間、 長崎屋が衣料品だけを出店していたことを知る人はもっと少ない ことでしょう。

■松電ストア(2001.07.01掲載)
長崎屋の地下食品売場「松電ストア」ですが,長野県の松本電鉄系列 のスーパーらしいです.今では「アップルランド」と名を変え, 長野県内に店舗を展開しています.ちなみに,松本電鉄系列には ボウリング場もあり,旧名「松電ボウル」現在「アルピコボウル」です.

■マツデンって(2001.07.01主宰、感心の談話)
マツデンって、「松本電鉄」の略でしたかー!
なんと長野から進出していたとは。 東京の西武とか小田急とかもそうですが、流通大手のほとんどは 電車屋さん系ですね。そう思うと原信って異色〜。

■屋上ビアガーデン(2001.09.01掲載)
長崎屋には屋上ビアガーデンがありましたよね。 夏になると屋上ビアガーデンの提灯がとてもキレイに 思えたものです。コドモ心にいつかは行ってみたいな と思ってましたが、結局長崎屋そのものが無くなって しまい果たせぬ夢となってしまいました。

そこでなんですが、あの長崎屋ビアガーデンにはどんな メニューがあったのでしょうか? 何か他では見られない 特殊なものや、インパクトのあるメニューがあったのでしょうか?

■実は(2001.09.01主宰、でもキライじゃないの談話)
実は、わたくし行ったことがございます。
なぜか家族全員で(笑)。
なんだか暗くて生ぬるかった(空気も食べ物も^-^;)という記憶が…。 あんまりイイ印象じゃなかったわりには、今もキライじゃない ビアガーデン。やっぱり人間、期間限定にヨワいのね〜。

■新潟県内のみならず(2002.7.12掲載)
http://www.peacock-japan.co.jp/ ピーコックのサイトを見てみました。

店舗一覧を見ると、今はずいぶん店舗数を増やし、 新潟県内のみならず、都内にも出店していると知り、ビックリ。

サイト内の沿革1行目には 「昭和46年 新潟県長岡市長崎屋にて、焼そばとたこ焼の1号店を出店」との記述が。 ちょっと嬉しい。 まるで、出世した幼なじみが自分のことを覚えてくれていたかのようで。

■愛のある(2002.7.12主宰、微笑談話)
なんて愛のあるご投稿。それにしても都内でもあの焼そばと蛸や木を食べれるとは ……って、『木』は食いたくないよ、『ことえり』君……。

■あまりの懐かしさに(2005.6.25)new!
夜眠れずにいたので、久々にNG!を見せていただいていたらあまりの懐かしさについ、これは私も何か書かねば... と。 長崎屋のねたに関しまして...

[その1. 7Fピーコック]

実は、私はピーコック1号店(長岡長崎屋店)にてアルバイトをしておりました。 もちろん、\100の特大ソフトクリームもまいてました。 \280(ジャンボ\380)の焼きそばはおばちゃんしか焼けませんでしたが、\280お好み焼き(広島風とでも言えばいいのでしょうか? どっちかといえば大阪風であるパンチ焼きと比較しての話ですが...) は私も焼いてました。メニューは今でも覚えてます。約15年前は以下の通りでした。

# - ソフトドリンク(コーラ, メロン, コーヒー)\100
# (セットのときは\50だった気がします, そしてコーヒーはセットできなかったはず)
# - ソフトクリーム(バニラ, チョコ or ミックス)\100
# - フロート(コーヒー, メロン or コーラ) \??? (価格忘れました)
# - アイスクリーム(10種類以上あったはずですが記憶なし)\100
# - サンデー(チョコ, メロン, 抹茶)\150 (価格自信なし)
# - 焼きそば\280
# - 目玉焼きそば\330
# - ハンバーグ焼きそば\330
# - ジャンボ焼きそば\380
# - お好み焼き(いか or 肉)\280
# - お好み焼き(ミックス)\330
# - パンチ焼き\280
# - たこ焼き\280 (私がバイトしていたときはたこ焼きは直径25-30mm程度でしたが私の2代あとのバイトの女の子が焦げ付かせてからは、特大たこ焼きに切り替わったのでした)
# - パンチ焼きそば\450(価格自信なし)
# - たこ焼きそば\450(価格自信なし)
# - お好み焼きそば\450(価格自信なし, ミックスは+\50)
と、ほかにもまだ、あったような気もしますが記憶が定かではないです...
あのきっついおばちゃんには散々しごかれましたが、いろいろお土産持たせてくれたり相談に乗ってもらったりと、お世話になりました。いまはいずこ...


ボン・オーハシ 〜外はパリっと中はふかふかな聖地

ヤマザキパンなど、ビニールパックされて店頭に並ぶ工場大量生産パンが 主流であった頃から、市民に焼き立てパンを提供してきた聖地。 当時、市民への『フランスパン』供給を一手に引き受けていた。

【巡礼者からのメッセージ】

■パンを買うといったら(2001.04.14掲載)
以前、「池津屋」ネタがありましたが、それに続く大手通りの聖地 「ボン・オーハシ」を忘れてませんか?
パンを買うといったらボン・オーハシっていうくらい長岡市民の パン食文化を支えてきた名店ですよね? ちょっと今じゃ考えられない長さ(40〜50cm)の食パン、 グラニュー糖たっぷりのドーナツなど、数々のまさに名品(迷品?)と いえるパン達が居並ぶ聖地でした・・・

そんな「ボン・オーハシ」が大手通りから消えてしまったのは なんとも寂しい限りです。 今でもかの聖地ではかつての名品達が売られているのだろうか?

■業務用マーガリン爆裂の(2001.04.14主宰、褒めてるのよ〜の談話)
えっ、大手通り店って、消えちゃったんですか!
あの十字路のとこの、パンの家とかのディスプレイをしてた店ですよね。 こりゃびっくり。正月帰省のときは気付きませんでした。 だいたい、セゾン〜ヨーカドー界隈しか行かないからなあ……って、そー ゆー態度が大手通りをダメにするっちゅーに。
でも、ボンといえば、私にとっては文化会館裏の店が聖地でした。 あの2階のカフェ(なんか違いますが)、よく行きました。注文するのは もちろんグラタンセット。グラタンに飲み物とサラダとバケット……もとい、 フランスパンがついて、400円くらいだったのでした。 業務用マーガリン爆裂のグラタンでしたが、なぜか非常においしいという。

■青春の一時を過ごした店が(2001.04.30掲載)
『千橋庵』という、かき氷なんか出してくれた大手通りミスドや キット靴店並びにあったあそこと、今の商工会議所の隣の ボンオーハシの喫茶コーナーがだいぶ昔に静かに合体。 かき氷やあんみつなんかこんな趣ナイ店内で食えるかぁ!! と憤りを感じておりました。
たまに憑かれたかのように店内に足を踏み入れてたのですが 一度食べた焼きうどんのあまりにもの味、出てきたオレンジジュースが 粉ジュース味だわで、ワタシも口の肥えたオトナになったものよのうなーんて ずっと足が遠のいておりましたが・・・。 先日前を通りかかったところ・・・。
ナイ!2階喫茶コーナーはナイのです!! ブーブー言って手も青春の一時を過ごした店がなくなるのは寂しい・・・。

■「餡カーソン」と「栗ントン」!(2001.04.30掲載)
ボン・オーハシですが、大手通から移転してからあまり行ってないので 詳細はわからないのですが、たしかあのバカ長いパンとかは今でもありますよ。 あと大手通店での思いだすのは・・・ 今から8年前、期間限定のアンパンおよび栗アンパン。
その名も「餡カーソン」と「栗ントン」!
あと皇太子御成婚のの時には「雅」の字が入った人は割り引きとかもありましたねぇ
はたして移転後はどうしてるんでしょうね?
ちなみに大手通から移転した先は・・・せぞん・どぅでございます。

■どひゃー(2001.04.30主宰、大ショックの談話)
どひゃー、あの文化会館裏の2階、なくなっちゃったんですかー!! ってことは、あのグラタンセットを食べられる店はもうないってこと!?
「栗ントン」はぜんぜん名残惜しくないけど、業務用マーガリン爆裂なのに おいしい伝説のグラタン(<褒めてるのよ)がもう二度と食べられないなんて 大ショックですううう。

■「カボニカ」って何?(2001.05.06掲載)
大手通り十字路の「ボン・オーハシ」にも実は2階に喫茶コーナーが あったのを知ってますか。 モーニングが200円くらいで、トースト・サラダ・コーヒー・ポタージュと 豪華でした。
ちなみに長岡市の喫茶店はモーニングをみな13:00位までやっており、 土曜など学校帰りに、スズラン通りの紅茶が売りの○○や、大和脇2Fの×× などで良く食べました。(ウー!不覚にも通いつめたこの2店の名前を忘れました)
話がそれましたが、十字路のボン・オーハシで小学生当時、サンデーの器に 水とドライアイスが入っており、その上にお皿がのってアイスが盛り付けられている 「カボニカ」なるものを食べたことを鮮明に覚えています。 メロンアイスなら「メロンカボニカ」、バナナアイスなら「バナナカボニカ」と いう具合です。
ところで「カボニカ」は後にも先にも聞いたことがありません。 「カボニカ」って何?

■「カボニカ」???(2001.05.06主宰、???の談話)
「カボニカ」???
水とドライアイスとアイス???
食べられるのアイスだけっちゅーことじゃないですか! ボンさんったら…。

■ロケで(2001.05.06掲載)
たしか2階の喫茶店はやめたけど『ストロベリーオンザショートケーキ』の ロケで使ったらしい。

■「カボニカ」。(2001.05.06主宰、ひっぱりすぎの談話)
おお、市民をいろんな意味で楽しませてくれた『S.O.S』。 ドラマに出してほしかったなあ、「カボニカ」。 言えば言うほどキミョーな語感「カボニカ」。

■カボニカ?(2001.07.01掲載)
カボニカネタを投稿した者です。 「そうだ!」と思ってカボニカを検索してみました。 当然0件という検索サイトばかりの中、フレッシュアイでありました!

それがちょっとわけわかんないHPなんですけど、カボニカとは 要するに病気の名前?らしい?のです。
「おいおい、なんでアイスクリームに病気の名前をつけるんだよー!」
でもそのHPのカボニカという欄に「冷え性で汗っかき」という文字をみつけ、 「ふーむ、ドライアイスの湯気(煙)たちこめるアイスクリームの姿は ちょっと通ずるところがあるかも・・・」と納得した私なのでした。 更に「ドイツ」という文字も見つけ、うっかり八兵衛なわたしは 「やっぱり!」と小躍りしてしまいました。
カボニカのルーツはドイツなんだ。
ボン・オーハシのボンはドイツのボンでしょ?
ボン・オーハシってドイツと関係してるんだよね。
そしてこれがまた、実は小学生の頃からの永年の疑問だったのよねぇ。 フランスパンやフランス菓子を売ってる店がなぜボンなのか・・・ 初期の黄色い包装紙にはセーヌ川が描かれていたと言うのに!と・・・ そしたらうちのだんなが、
「ボン・ジュールのボンでしょ!フランス語でしょ!」
と一言。
「あっ、そっか・・・」
ちなみに彼はわざわざボン・オーハシのHPを検索し、
わざわざ調べてくれました。

ボンとは素晴らしいと言う意味。オーハシは長生橋のことだそうです。
長岡のシンボル=長生橋。
そうか、そうだったのか。 あのころ長岡大橋ももちろん大手大橋もなかったもんね。 長生橋をわたると今もあるもんね。ボン・オーハシの工場。 そうか、ドイツのボンだと思っていたのはとんだ勘違いだったんだ。ハハハ・・・

じゃあさ、カボニカはどこから来ているのよ。
ますますなぞは深まるのでした。

(ついでネタ)
昔、台町の十字路(今、たこやき屋さんのトコ)にリスボンっていう ケーキ屋さんがありました。(今は住吉で健在です。) これがボン・オーハシで働いていた職人さんが独立した店ということで、 ボンをとってリスボンという名前にしたといううわさでした。
「フランス菓子なのに、本家はドイツで分家はポルトガルかい?」
と思ってました。
でもさ、あのころボン・オーハシのシュークリームってすごいごちそう だったよねぇ。リスボンのも当然というか、同じ味でした。 皮がパリッ!クリームはカスタードと生クリームの合体スタイル。 やっぱこれが基本でしょ。

■病気…(2001.07.01主宰、いやーんの談話)
病気の名前のメニューなんてイヤすぎるかも…。 私もGoogleで検索してみましたが、やっぱり「小太りで冷え性の人が よくかかる病気」が一件釣れただけでした。 その病気そのものも謎すぎる…。

■た(2006.09.17掲載)
た、たいへんなことになりました。
ついに、ボン・オーハシ倒産です。
http://www.teny.co.jp/news/2006/09/11-0.html
お店はなくならないようですが…

■つ(2006.09.17主宰、アントワネット談話)
つ、ついに来ましたか、この時が。リンク先にある「スポンサー」がどこなのかよくわかりませんが、無事再生をお祈り申し上げますわ。ボンもローランもなくなってしまったら、ナガオカ市民はパンもなければケーキも食べられなくてよ〜(泣)。

■おもひで(2006.11.04掲載)NEW!
ボン・オーハシは新町店をよく利用していました。新町1丁目のバス停の前にありました。キャベツのコールスローのサンドがすごくおいしかった。他のパンやさんにはなかなかありません。

■Re:おもひで(2006.11.04主宰、こればっかですみません談話)NEW!
主宰はやっぱりグラタン・セットでございますう。あとは、メニューじゃありませんが大手通り十字路店のショーウインドゥのパン・アート。アレを作っていた職人さんは今はどうしておられるのか。。。