爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくたちの旅

みんなでなかよくトリップしちゃう(なんか違う)、思い出深い『修学旅行』。
スノーダンプ本篇でのどかに始まり、『歴史派/自然派』の対立、『あいのり』版の発見など、多面展開したナガオカの修学旅行問題、このたびついに独立でございますー!


SHORT CUT!
一号記事
Re:一号記事
鉄工団地(長岡市)
五智国分寺(上越市)
リージョンプラザ上越(上越市)
歴史派/自然派
◯◯丸の場合
あいのり!
向○高校の場合
向○高校の場合・その2
あいのり!・その2
あいのり!・その2へのツッコミ
○手高校の場合
○手高校の場合・その2
『研修旅行』
○手高校の場合・その3
富○亀→○北の場合
富○亀→○北の場合・チャーザ村篇new!

一号記事

 栖吉の火薬庫・長高×大手のアレじゃなく、このたびは小学生のソレ、遠足に毛が生えたようなノンキな……遠足にほんとーに毛が生えたらノンキでいられるかどうかはさておき……プチ旅行のことについて考察いたしましょー。

 関東エリア出身者に聞くと、低学年で高尾山とか千葉マザー牧場、高学年で鎌倉とか日光とかが定番のようですが、ナガオカの定番はどうやら低学年弥彦、高学年会津であるらしい。なんだかジミジミなラインナップで、新潟県界隈の名所旧跡ナイっぷり露呈でございます。ちなみに投稿者さんの小学校では、
「1年 小千谷 2年 柏崎 3年 弥彦 4年 新潟 5年 上越 6年 会津」
というメニューだったとのこと。私の場合はかな〜りウロおぼえで、『弥彦』は確実、『上越』も高田城跡とか行ったような気がするんだけど、というところでしょうか。あと、『ゴチコクブンジ』というコトバを覚えているのですが、情けないことにどこだかサッパリわからないのでした。『コクブンジ』は『国分寺』なんでしょうけど、『ゴチ』っちゅーのは何のことなのか。6年で行く泊りがけのヤツは、長野〜群馬あたりだったような気がします。火山を見た覚えがあって、たぶん浅間山だったと思うんだけど、これまた断言できず。唯一鮮明な記憶は、水着でお風呂に入ったことでございます(笑)。先生からの指導で、水着、必須だったのでした。なんかそーゆー時代だったんですね。

 そして、関東のコたちは、さらに社会科見学と称して国会議事堂とか国立劇場とか行っているようなのですが、私の記憶にある唯一の社会科見学先は、『クリーニング工場』。……いえ、クリーニング工場がワルいというわけじゃないんですけど。


Re:一号記事

 まだ当時の記憶も新鮮な、大学生のかたからのご報告。

1年:岩塚製菓&小国森林公園(越路方面)
2年:刈羽原発&荒浜・米山(柏崎方面)
3年:大河津分水&寺泊アメ横(寺泊方面)
4年:新潟県庁・新潟空港(新潟方面)
5年:春日山城・リージョンプラザ上越(上越方面)
6年:若松城・猪苗代湖・野口英世記念館(会津方面)

 だそーです。ちょっと時代を感じてどびっくり。原発って、私の小学生時代には無かったと思います。たぶん日本のどこにも(笑)。寺泊アメ横はあったかなあ。でも、小学生が行ってナニするんだろうって気が。リージョンプラザ上越は、上越国際スキー場のことでしょうか……と書いてハタと思ったんですが、ナガオカ小学生って、修学旅行だけじゃなく、毎冬スキー旅行にも行ってるんですよね。これまた学年ごとに行き先が違って、高学年ほど大規模なスキー場に行っていた覚えが。低学年はもちろんキング・オブ・山『悠久山』、次はナガオカの誇るビッグゲレンデ『市営』。雪の降らない地域にはないこの旅行で、修学旅行先のジミさを相殺しているのかも?


鉄工団地(長岡市)

 私の小学校はクリーニング工場だったというジミ行事、社会科見学についても続報が。
北越製紙や長岡卸売市場(旧)、鉄工団地に行った覚えがあります
とのことですが、鉄工団地ってドコなんでしょ。『マッドマックス』のティナ・ターナーみたいな団地妻がいたらどうしよう。

続報。
「鉄工団地とは川西地区造形大学の近く、鉄工町1丁目〜2丁目地内にある鉄工所団地の事を指すと思われます。いかがでしょうか?」

「長岡造形大(おお一発変換出来たぞ!)の近く、蓮潟の隣に位置しております」

この2投稿は同じ場所を指すのでしょーか。川西にウトい主宰。でも、『鉄工町』って、あいかわらずマンマな地名でステキでございます。


五智国分寺(上越市)

謎だった『ゴチコクブンジ』は、『五智国分寺』と判明。『五智』は上越市の地名だそーです。『五』つながりなのか、情報をお寄せくださったほとんどのかたが「五年生で行きました」と談でございます。ただ、「火事で燃えたらしい」というご投稿もありまして、この韻を踏んだ美しい伝統が続いているのか心配なところ。『ゴチ』の字も覚えていない私が心配することじゃないんでしょーが(笑)。

続報。
「本堂が昭和63年に火事で焼失しましたが、平成9年に再建されました。(火事の事を記した看板がありました)。
 私の親類が近くに住んでいたのですが本堂よりも立派な三重ノ塔に気が取られ本堂はあまり気にはなりませんでしたが・・・・ちなみにその近くには「五智御殿」という立派な名前のラブホテルがありましてそちらの方が気になります」

『五智御殿』…。

さらに続報。
「修学旅行3」に五智御殿の話がありましたが、あそこは昔老夫婦が心中したらしいという、イワク付きのホテルです。しかも向かい側には斎場があり、まさに「人生唐草模様」というエリアかもしれません。あの辺りには夏場「出る」というウワサもありますよ。

……五智国分寺情報というよりは、五智御殿情報でしたね。まさかホーンテッド御殿だったとは。でも、老夫婦はナニを思ってラブホテルで…。


リージョンプラザ上越(上越市)

上と同じく5年生ネタですが、これはたぶん昭和末期〜平成のお子たちのメニューでしょう。主宰はカイモク知りませんでした。

「室内プールやらスケート場、そして上越科学館という博物館のある長岡的に言えば一種の悠久山的なところです。ただし田圃の中にあって交通の便は良くありません。上越在勤の教師に聞くところによるとプールの中がなぜかガラス張りという不思議な施設だそうです(プールの下から泳いでいるのがガラス越しに見えるらしい・・・)
 ちなみに上越市には市立水族館があるんですがそこには行かないのでしょうか?」

なんだかハレンチな感じのプールですね(笑)。そして最大の謎。『リージョン』てどういうイミ???

続報。
リージョンはregionだったかも。「地方、地域」っていう意味だったと思います。

続報。
りーじょんというのは「地域」という意味です♪

続報。
リージョンですが、英語の 「region」のことでしょう。意味としては「地域」「地方」です。リージョンプラザ上越は「上越地域広場」っていう感じでしょうか。
あ、ちなみに「田舎」という意味ではなく、広いところに対して「部分」という意味で使われます。
そのため、土地のことを示すだけでなく、「領域」という日本語のように各方面に使われます。
「彼の腕前はすでに神の領域だ」とかの英語表現としても使えます。

りーじょんツッコミ3連打。そっか、Yahooの地域情報のurlにある「regional」ですね。「れじょなる」だと思ってたです。「り」と「れ」のヨワさにかけては神の領域にある主宰…(泣)。


歴史派/自然派

6年生の行き先の定番といえば、戌辰戦争の盟友・会津。しかし!

「みなさん6年生で会津方面に行かれたのですか? 宮○小、会津には行かなかったんですよ。2泊3日くらいで中条町の少年自然の家で「合宿」というのをやったんです。
オリエンテーリング、キャンプファイヤー、地引き網等々、とにかく自然とたわむれるのがメインの旅行。とても修学旅行と呼べるしろものではなかったですね・・・。
その反動なのかどうかはわかりませんが、わたくし去年はるばる会津へ旅行しました。
プライベートで(^_^;。
ほかの小学校ってみんな会津方面だったんでしょうか?
なんか今になって悔しいです(笑)」

……いままでダマっていましたが、実は、主宰のいた小学校も長野〜群馬の高原でした。火山を見たり、『修学』というよりは、『自然観察』という感じ。たぶん、ナガオカの小学校には、歴史派/自然派の2大流派があるんじゃないでしょうか。投稿の傾向からいくと、歴史=会津が多数派かも。……ちっ。

続報。
「確か、6年のときに会津に行きました。
あと4年で新潟市(県庁、空港)に行って、5年(多分)でどこか(県内に間違いはないはず)にキャンプに行った記憶があります。
1,2年については覚えてません。3年は多分、分水と柏崎に行って、水族館でウーパールーパーを見た記憶があります。中学校は、1年で巻町の青少年センターみたいなとこで研修、2年が能登に同じく研修に行き、3年が、京都に修学旅行でした」

5年で自然派、6年で歴史派の混合技法の登場! そして3年でウーパールーパー! ……カンケイないですが、ウーパールーパーって、変換前のひらがな状態「うーぱーるーぱー」の字面の脱力度がものすごい…。

また、会津以外の歴史派も。

「××丸では6年生の修学旅行は日光でした。東照宮しか覚えてません。
会津が主流だったとは驚きです。戊辰戦争のこととか考えると、そっちの方が納得いきますね」

私の親戚が通っていた小学校も日光でした。会津とともに、歴史派の王道なんでしょーね。


◯◯丸の場合

「私は○○丸出身ですが、会津系からの脱却を図った第二世代です!
6年次は、歴史・自然派からリゾート系へ!
行き先は佐渡でございました。
宿泊先もホテルで料理もそこそこでしたが、蟹一匹丸ごとでてきているのに、ハンバーグも陳列されている様相に、嗚呼、蟹で佐渡をアピールしつつハンバーグというキャッチ−なアイテムで子供心をくすぐる事も忘れていないのだなぁと寒心いたしました。いや感心ですな。

私どもはリゾラバ気分でしたので当然女子部屋への潜行を図る輩が現れ、なぜか私の『班』だけ見つかり、ただ女子の部屋に行ったというそれだけの罪で連帯責任という不当な金科玉条により一般客もいる売店前で鉄拳制裁(風間仁の鬼殺し並のダメージ)を喰らい正座で獄門首状態。

それでは、各学年ごとに参りましょう。お付き合いください(笑)
一年次は、山本山高原及び水力発電所で、この電気が山手線を動かしているんだぞ!ととかく劣等感を抱きがちな田舎の子に自尊心を植付け、いっぽうで来るべき原子力発電への理解を深める布石としての原体験を刷り込まれた修学旅行でした。

2年次は、鯨波海岸で汚れた海岸を見せ付けられ自然保護を痛感しつつ、服を着たままなのに、海岸散策中に「深い方に行くな!」とのメッセージが・・・。どういうことだろう? 小学二年生には理解不能でしたが思えば世にある不条理というものを、遠回しに教えてくれたのだとカミュの「異邦人」を読んだ高1の夏に気が付きました。

三年次は、なぜか寺泊。鯨波から一年経ってこのグレードアップ度か!と愕然としました。なぜか付近の神社で記念撮影。政教分離を考えさせられました。
そして、なぜかかまぼこ工場を見学。寺泊=魚。という発想を根底から覆すほどの衝撃! 加工貿易という日本経済を体感。

4年次は、新潟市近辺。空港で記念撮影。これは滑走路3000メートル化を目論む行政府によるサブリミナル効果を狙ったプロパガンダか!
当時臨時教員に竹刀等で殴られまくってた私には辛いものでした(笑)
でもなぜか学級委員。県議会では赤い絨毯に付いて疑問を抱きましたが、説明してくださる方に尋ねるのも詮無き事とTPOを学びました。

五年次は、なぜか六日町ミナミスキー場付近のキャンプ場。ユースホステルという素敵な宿舎。
アルバムではなぜか女子の入浴シーンもあり!男子ではお約束の『ポロリ』もね(笑)
当時、なぜにオトコばかりポロリがアリで女子には無いのだ!と性差に目覚める。
飯盒炊爨でカレーを作ったのですが、一通り行き渡って鍋を見ると大量にあまっている様子。御代わりに立ち上がった私は「残しちゃイカンだろ」と気を利かせ大盛りに盛り付け踊るように戻ろうとしたら「お前盛りすぎだぞ!」と教員よりお叱り。赤っ恥をかく。ところが予想通り、カレーは大量に余り、先ほど私を怒鳴りつけた輩が「オイどうだ!食うだろ?」と猫なで声。んなこたぁないYO!当然拒否。しかし、食べられたのも事実。武士は食わねど高楊枝などと変な格言が頭をよぎる。オレってひねくれてんなぁと再認識。
登山があったのですが、ゴミ袋を持って参加した奴が全員の前で誉められているのを見て「偽善者め!」という感情を初体験する。

以上でございます」

さすがフゾクのライバル○○丸、波乱万丈の旅日記でございます。佐渡は初登場ですね。蟹がノーカット(<なんか違う)で出るっていうのもすごいなあ。ちょっと慰安旅行みたいですが(笑)。
また、旅につきものの「しおり」には、

 当日の服装は「洋服」でも良い

という謎記述があったとか。わ、和服ですか普段は…?


あいのり!

「6年の年、会津若松への1泊2日だったのですが、わがI坂小学校よりさらに児童数が少ないM川小学校でも同じ方面に修学旅行だったようで、やはり人数が少ないと言うことで、突然合同の修学旅行となってしまいました。
 それまで縁もゆかりもなかった学校の児童と一緒に修学旅行に行かなくてはならなくなり、しかも2校あわせるとちょっときつめなバスに揺られて会津若松に行って来ました。
 その後、M川小学校のみんなとは、M内中学校で再会となりましたが、さすがに覚えていなかったですねえ」

新パターン、「あいのり」修学旅行。長岡軍敗走の道をラブワゴンは駆ける……って、楽しくないかも〜(泣)。


向○高校の場合

珍しく高校のコト。


私は向○高校出身ですが(2期生)、修学旅行は「富士登山」でした。
「登山」っすよ?「登山」!

一応、登山がイヤな人間は違うコースが選べたのですが
なんか、有無を言わせない「登山にしろ」雰囲気が漂っていまして。
半数以上が登山コースでした。(私は頑なに違うコースにしましたが)
宿泊所はホテルや旅館なんぞではなく、大規模な安ペンションのような建物。
到着と同時に校歌を流してくれるというイキなサービス付きでした(泣)
部屋割りは10人くらい〜3人というバラエティに富んでいて、
3人部屋だった私の所は、正味3畳くらいだったんじゃないでしょうか。
まさに1人1畳。

ところが、登山の当日は雨。登山は中止。
代替コースの富士急ハイランドへ行きましたが、何せ雨ですから。
殆どのアトラクションが乗れずじまい。何しに行ったんでしょうか。
何故こんなヘタレなコースだったかと言うと、
当時の向○教師陣は○手や長○に異常なまでのライバル心を燃やしており、
どこかでこの2校との差別化を図ろうとしていたようです。
考え過ぎてエライ方向へシフトしちゃったんですねー。
今はどうなんでしょうか。気になるところです。

ちなみに、高3の夏休みには5泊6日の「学習合宿」なるものもありました。
湯沢かどっかのホテルにカンヅメで勉強するというものでした。
希望者のみのもので、私も参加したんですが、能率があがった記憶は皆無です。
何で参加したんでしょう。若気のいたりですかね、やっぱ。
いったい向○はナニがしたかったんでしょうね…。

○手×長○の河岸戦争に第三の学校が『登山』で参戦!……って、コーナー違う(笑)。ともあれ、ナガオカ高校界の山岳部隊と命名して差し上げたい。


向○高校の場合・その2

山岳部隊は不評のため解散したのか、新展開!

「私は向陵高校に行っていたんですが,沖縄に行きました。
事前にアンケート用紙の様な物が生徒に配られ,行き先を決めることができたような気が・・・。
確か,沖縄の他にも北海道だとか九州,京都,韓国なんかがありました。
沖縄に行ったは良かったんですけど,行って二日間は沖縄でも記録的な豪雨だったようで,ずぶ濡れになりながら史跡巡りをしました。あと,泊まったホテルの土産物コーナーに泡盛とかパイナップル酒が売っており,部屋の近くのエレベーターホールにもビールが売っている始末で,あちらこちらで宴会が開かれていたようです。そのおかげで,あとの記憶があやふやなんですが・・・。」

泡盛とかを「売っていた」ようですが、それをどーしたとも言ってないので、誤解なきよーに。記憶があやふやなのは、楽しすぎて脳内物質が出過ぎたせいでしょー、きっと。


あいのり!・その2

いつも楽しく拝見させていただいておりまする。
1つ、ああああああああって思う所があったため、投稿を決意した次第です。
6年生の修学旅行に、I坂小学校とM川小学校が一緒に行っていたといった投稿がございましたが、私の出身小学校長岡最南端M市小学校と、T町小学校も2校合同で会津若松方面に行っていました。
なんせ、私のいた頃は(あ、、、20年も前だ)、2校合わせても人数は40人強。
もちろんバスは、あいのり状態です。
女子同士は結構仲良くなり、文通(時代だ)がスタートした人もいました。
その頃、なぜ同じK中学校に進むY沢小学校だけ一緒じゃないんだろうと、疑問に思っていましたが、Y沢小学校は1学年40人くらいいたので、バスの都合かなといった説もありました。
実際のところの理由は不明です。
今ではもっと児童数の減っているそれぞれの小学校ですので、ここ最近の事情とはちょっと違うかもしれませんが。

旅行をきっかけに女子どうしのおつきあいが始まるなんて、テレビでもまだやってない新機軸! 『あいのりりぃ』ですね……って、なんて間口の狭いダジャレ…。


あいのり!・その2へのツッコミ

修学旅行の話で、M市小とT町小は合同で修学旅行へ行ったけどY沢小は別だった、という話がありましたけど、私のころ(十数年前)は3校一緒に修学旅行へ行っていました(ちなみに私はY沢小出身)。
その当時はY沢小も1クラスが20人から30人程度でしたが、人数が減ったから合同になったのかどうかは、定かではありません。
バスは3校で2台でしたが、2台に各校それぞれちゃんぽんで乗っていたように思います。

少子化の波とともに3Pもとい3校時代の到来ですね。学校そのものの統廃合も多いと聞くので、この傾向はどんどん加速されていくものと。4P5Pの報告がくる日も近い?


○手高校の場合

『爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくたちの旅』で向陵の修学旅行に「富士登山」があったらしいですが、大手の「東山大遠足」はどうなんでしょうか。
行事に半強制参加させられ、3年間で100km歩くクラス対抗遠足(一部マラソン)。休むと、体育を6時限欠席扱いにされる恐怖の遠足です。
しかも、昔長高にあった行事らしく、真似して始めた(またかよ)らしいです。
が、長高は進学校として大手が真似し始めてからすぐに止めたらしいのですが、何故か大手は継続。現在に至ります。

大学でこの話をしたところ、他の高校では「競歩大会」と言う名称で同じぐらいの距離を歩くらしいです。
が、前日は午前放課、翌日は第2土曜だから必ず休み、という何とも良い待遇。
大手にはそんなものこれっぽっちもありません。
前日も普通授業です。翌日も普通授業です。しかも、運悪く体育があった年は最悪です。体育も普通通りです。確実にへばります。
更に点数制なために、表彰式があり、一位から最下位まで全て紙で張り出されます。

「東山大遠足」なんて嘘です!!「東山大遠足大会」です!いえ、「東山大登山大会」です!!まさに「一日だけのぼくらの旅」です!!雨なら延期です。中止になった年はありません。富士急ハイランドに行けただけマシじゃないですか……。

読んだだけで横っ腹痛くなるような死の行軍でございます。何を目指しているのか、大手……って、タイトル以外学校名まるだしっすね。


○手高校の場合・その2

「東山大遠足」またの名を「強行遠足」。
この名前を聞いてビビらない○手OBは居ないと思います。

朝8時過ぎに沖田を出発し、栖吉方面から花立峠を越えて八方台を目指し、栃尾側に降りて何とかトンネルを抜けて浦瀬に出て帰ってくる全33キロのコース。しかも、クラス対抗なので、各クラスとも精鋭チーム、普通チーム、のめしこきチームに分かれますが、精鋭チームはおにぎりと100円玉を握りしめ、駆けにかけて昼過ぎには戻ってきてしまいます。まさに脅威の行事でした。

しかし、本当の恐ろしさは翌日にあります。何事も無かったように行われる体育の授業。ポジションから一歩も動けず、レシーブするたびに足に走る激痛と思わず漏れる「痛ってー」。

一般には軟弱高校と思われている大○にも、こんなハードな行事があるんです。

脳内麻薬が出過ぎて別の意味でもトリップしてしまいそうな。最近ナガオカは米百俵モノカルチャー化しつつあるっぽいから、こういうガマン行事は他校にも伝染していくかもよ〜……と、若人をびびらせてみたり(笑)。


『研修旅行』

××では、4年生の6月に3泊4日の研修旅行があります。1〜3年生が中間テストをやっている時期に行くのです。行き先は自由!!各学科ごと、好きなところへ好きな方法で向かいます。私たちは北海道へ行って来ました。この年は北海道が多かった年で、ほかに台風の近づいた沖縄へ行った学科もあったようです。

見学箇所は、サラブレッドの牧場・苫小牧の鉄工所・橋梁の工事現場だったと思います。
一日目は登別温泉で宴会でした。その後、私のいたグループは先生を巻き込んで××大会、他のグループは×を買ってきて騒いでいました。もちろん、先生は黙認です。ていうか、一緒に×飲んでいたと思います。

二日目は札幌に泊まりました。札幌といえば×ー×園、クラス全員でジンギスカン食いに行きました。×ー×をガンガンと飲んで、肉をたらふく食ってもう満足、満足。ちなみに、他の学科でも×ー×園にいったところがあったそうですが、×ー×は飲めなかったそうです。なぜかって??よーく考えてみましょう、こいつらはいくつだ?私はこのとき××になったばかりでした。

×ー×園の後は各自自由行動、ラーメン食いに行った人、カラオケに行ったグループ、はたまたススキノに消えていった野郎ども・・・。それぞれ札幌の夜を楽しんだようです。ススキノ連中はどうやらボラれたらしいけどね・・・
三日目は自由行動、ホテルを出発して集合場所は小樽のフェリー乗り場でした。私は札幌と小樽をぐるぐると回っていました。

帰りのフェリーではまたまた××大会開催。この3日間で我々の先生は2回役満をあがりました。学生から×を巻き上げています。逆に添乗員さんは負けに負けてこの旅行の××がスッカラカンになったそうです。ご愁傷様・・・

結局は騒ぎにいったのと代わりはないですね・・・。まあ、とても楽しい旅行だったのはいうまでもありません。他の年・学科の旅行はどんななんですかねー。

この記事は「ぼくたちの旅」のほうに乗せてもらえないでしょうか?よろしくお願いします。

↑という投稿者さんのご希望だったので、『安吉』の××コーナーではなくこちらに載せてみました。いやー、どこの学校なのか、旅先ではナニをしていたのか、さっぱりわかりませんねー。


○手高校の場合・その3(2005.4.10掲載)

入学する前から「東山大遠足」のことは知っていたんですが…予想のはるか斜め上を行く辛さでした。

ちなみに三年間で100キロというより…正確には200キロな気がします。
何故かっていうと体力作りのために小分けにはなりますが33キロ走らされます。
私の時はカードを渡されて「自分のペースで30分間走り続けろ」って感じでした。炎天下で延々学校の周りを走り続ける辛さは言うまでも無いでしょう。
ちなみに一周は900メートル、半周(校内を通って戻る)は半分(450メートルとは言わない)校庭は300メートルだったと思います。
そしてこれは女子がやっていたような…男子はサッカーをやっていたようです。ズルイ…。
加えて某庭球部では一年はコートの数の関係上部活の時も走っていたそうな。うわぁぁ…

そろそろ本題の「東山大遠足」について。
7.13水害の所為(お陰?)でコースが大幅に変更!33キロからいっきに16キロになりました。
ちょっと嬉しかったですがやっぱキツかったです…。いっそ中止になってくれればよかったのに!
昼食は食べる場所が決まっていて時間内にその区間を抜けなければならないことになってました。
そこでは先生の乗ってきたクルマから大音量で校歌が…。

余談ですが私のクラスは次の日体育でした。
体育の授業として33キロ事前に走らせるのですが、もちろん走りきれてない人もいるのでこの日はまた走ってました。

はしるーはしるー俺ーたーちー……というわけで、またも横っ腹痛くなるご投稿。大音量で校歌を流しながらやってくる街×車のよーな先生の車も怖いよう。どこに向かって走っているのか、○手。


富○亀→○北の場合(2005.6.25掲載)

私の時は、1年山本山、2年柏崎、3〜4は忘れましたが、5年妙高自然の家、6年は佐渡でした。
6年は佐渡というのは当時画期的な目的地で『船に乗る』ことの喜びと『所詮県内』という憤りとで葛藤した記憶があります。さらに中・高を通して知ったのですが、なんと6年は佐渡というのは一時期長岡のほとんど全ての小学校が一斉に実施していたらしいのです。なんでだろ。
1年の修学旅行のバスガイドさんが『上から読んでも山本山〜下から読んでも山本山』というお決まりの台詞を言っていたのを思い出します。

さて、修学旅行も近年は『観光派』と『登山派』に分かれているようです。
現在富曽亀小では5・6年と山登りをするようで・・・。これはどうも中学にあがってからの山登りを意識しての計画らしいのですが・・・。どうなんでしょうね。 東北中も1年の自然教室は山登りですから、『3年連続山登り』になります。

また、東北の『自然教室』も超ハードなものでした。
まず、妙高に5泊6日という中学界の常識を破るロングラン合宿であり、『自然に触れ合う』を目標に『自分たちが拾った栗だけで作る栗ご飯』(取れなかったら栗なしご飯)『拾ったきのこで作るきのこ汁』、『自力でたどり着くオリエンテーション』という超ハードラインナップでした。
極めつけは最終日の登山ですが、2学期の体育の時間を返上しての『基礎トレーニング』(人を負ぶって1階から3階まで階段を上がる)や完全体力編成(脱落は許されない)の『登山班』などなど・・・。
ただでさえ緑色のジャージなので『野生児』のレッテルを貼られがちな東北生ですが、こういう行事が東北中が『東北サファリパーク』と呼ばれるゆえんだったのでしょうか。
今はずいぶんと楽になったということですが、今考えても『あれはないよな・・・』と懐かしい反面、やり遂げた東北生を誇りに思います。

山へ山へと小中学生がなびいてる○曽亀→東○エリアでございます。○北の「拾った栗だけで」「拾ったきのこだけで」の食生活は、笑いを取ろうとしているわけではないにもかかわらず、ものすごいバラエティ臭がっ。年々緑の輝度が上がっていくジャージはダテじゃない!(笑)


富○亀→○北の場合・チャーザ村篇(2007.05.20掲載)

18年前に富○亀を卒業した私ですが、私の時の修学旅行(バス遠足?)は、1年・小千谷、2年・柏崎、3年・弥彦寺泊、4年・新潟、5年は上越で自然教室は6年生の時に旧巻町にある県の施設でやりました。
6年は自然教室の他に修学旅行もあり、行先はな・なんと東京!!。 見学先の中には完成したばかりの東京ドームでの日ハム戦の観戦もありました。東京方面に修学旅行に行ったのは私達の時が最後だったようです・・・。

○北に行ってからは一年生の時に自然教室がありましたが行先はなぜかチャーザー村でお馴染みの小国森林公園・・・。
当初は他の場所に行く予定だったんですが何かのイベントと重なった為このようになったとか・・・。

出た、修学旅行で東京見物! ○北中に行ってからのチャーザ村とのギャップがステキでございます。 にしても、このコーナーに登場した旅行先は、平成の大合併でかなりナガオカinしてしまったわけで、現在はかなり高学年になるまで自分の街から出ない引きこもり修学旅行になってしまっているわけですねえ。



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