みんなでなかよくトリップしちゃう(なんか違う)、思い出深い『修学旅行』。 スノーダンプ本篇でのどかに始まり、『歴史派/自然派』の対立、『あいのり』版の発見など、多面展開したナガオカの修学旅行問題、このたびついに独立でございますー!
SHORT CUT! ・一号記事 ・Re:一号記事 ・鉄工団地(長岡市) ・五智国分寺(上越市) ・リージョンプラザ上越(上越市) ・歴史派/自然派 ・◯◯丸の場合 ・あいのり! ・向○高校の場合 ・向○高校の場合・その2 ・あいのり!・その2 ・あいのり!・その2へのツッコミ ・○手高校の場合 ・○手高校の場合・その2 ・『研修旅行』 ・○手高校の場合・その3 ・富○亀→○北の場合 ・富○亀→○北の場合・チャーザ村篇new! 一号記事 栖吉の火薬庫・長高×大手のアレじゃなく、このたびは小学生のソレ、遠足に毛が生えたようなノンキな……遠足にほんとーに毛が生えたらノンキでいられるかどうかはさておき……プチ旅行のことについて考察いたしましょー。
関東エリア出身者に聞くと、低学年で高尾山とか千葉マザー牧場、高学年で鎌倉とか日光とかが定番のようですが、ナガオカの定番はどうやら低学年弥彦、高学年会津であるらしい。なんだかジミジミなラインナップで、新潟県界隈の名所旧跡ナイっぷり露呈でございます。ちなみに投稿者さんの小学校では、 そして、関東のコたちは、さらに社会科見学と称して国会議事堂とか国立劇場とか行っているようなのですが、私の記憶にある唯一の社会科見学先は、『クリーニング工場』。……いえ、クリーニング工場がワルいというわけじゃないんですけど。 まだ当時の記憶も新鮮な、大学生のかたからのご報告。
1年:岩塚製菓&小国森林公園(越路方面)
だそーです。ちょっと時代を感じてどびっくり。原発って、私の小学生時代には無かったと思います。たぶん日本のどこにも(笑)。寺泊アメ横はあったかなあ。でも、小学生が行ってナニするんだろうって気が。リージョンプラザ上越は、上越国際スキー場のことでしょうか……と書いてハタと思ったんですが、ナガオカ小学生って、修学旅行だけじゃなく、毎冬スキー旅行にも行ってるんですよね。これまた学年ごとに行き先が違って、高学年ほど大規模なスキー場に行っていた覚えが。低学年はもちろんキング・オブ・山『悠久山』、次はナガオカの誇るビッグゲレンデ『市営』。雪の降らない地域にはないこの旅行で、修学旅行先のジミさを相殺しているのかも?
鉄工団地(長岡市)
私の小学校はクリーニング工場だったというジミ行事、社会科見学についても続報が。
続報。 「長岡造形大(おお一発変換出来たぞ!)の近く、蓮潟の隣に位置しております」 この2投稿は同じ場所を指すのでしょーか。川西にウトい主宰。でも、『鉄工町』って、あいかわらずマンマな地名でステキでございます。 謎だった『ゴチコクブンジ』は、『五智国分寺』と判明。『五智』は上越市の地名だそーです。『五』つながりなのか、情報をお寄せくださったほとんどのかたが「五年生で行きました」と談でございます。ただ、「火事で燃えたらしい」というご投稿もありまして、この韻を踏んだ美しい伝統が続いているのか心配なところ。『ゴチ』の字も覚えていない私が心配することじゃないんでしょーが(笑)。
続報。 『五智御殿』…。
さらに続報。 ……五智国分寺情報というよりは、五智御殿情報でしたね。まさかホーンテッド御殿だったとは。でも、老夫婦はナニを思ってラブホテルで…。 上と同じく5年生ネタですが、これはたぶん昭和末期〜平成のお子たちのメニューでしょう。主宰はカイモク知りませんでした。
「室内プールやらスケート場、そして上越科学館という博物館のある長岡的に言えば一種の悠久山的なところです。ただし田圃の中にあって交通の便は良くありません。上越在勤の教師に聞くところによるとプールの中がなぜかガラス張りという不思議な施設だそうです(プールの下から泳いでいるのがガラス越しに見えるらしい・・・) なんだかハレンチな感じのプールですね(笑)。そして最大の謎。『リージョン』てどういうイミ???
続報。
続報。
続報。 りーじょんツッコミ3連打。そっか、Yahooの地域情報のurlにある「regional」ですね。「れじょなる」だと思ってたです。「り」と「れ」のヨワさにかけては神の領域にある主宰…(泣)。 6年生の行き先の定番といえば、戌辰戦争の盟友・会津。しかし!
「みなさん6年生で会津方面に行かれたのですか? 宮○小、会津には行かなかったんですよ。2泊3日くらいで中条町の少年自然の家で「合宿」というのをやったんです。 ……いままでダマっていましたが、実は、主宰のいた小学校も長野〜群馬の高原でした。火山を見たり、『修学』というよりは、『自然観察』という感じ。たぶん、ナガオカの小学校には、歴史派/自然派の2大流派があるんじゃないでしょうか。投稿の傾向からいくと、歴史=会津が多数派かも。……ちっ。
続報。 5年で自然派、6年で歴史派の混合技法の登場! そして3年でウーパールーパー! ……カンケイないですが、ウーパールーパーって、変換前のひらがな状態「うーぱーるーぱー」の字面の脱力度がものすごい…。 また、会津以外の歴史派も。
「××丸では6年生の修学旅行は日光でした。東照宮しか覚えてません。 私の親戚が通っていた小学校も日光でした。会津とともに、歴史派の王道なんでしょーね。
「私は○○丸出身ですが、会津系からの脱却を図った第二世代です! 私どもはリゾラバ気分でしたので当然女子部屋への潜行を図る輩が現れ、なぜか私の『班』だけ見つかり、ただ女子の部屋に行ったというそれだけの罪で連帯責任という不当な金科玉条により一般客もいる売店前で鉄拳制裁(風間仁の鬼殺し並のダメージ)を喰らい正座で獄門首状態。
それでは、各学年ごとに参りましょう。お付き合いください(笑) 2年次は、鯨波海岸で汚れた海岸を見せ付けられ自然保護を痛感しつつ、服を着たままなのに、海岸散策中に「深い方に行くな!」とのメッセージが・・・。どういうことだろう? 小学二年生には理解不能でしたが思えば世にある不条理というものを、遠回しに教えてくれたのだとカミュの「異邦人」を読んだ高1の夏に気が付きました。
三年次は、なぜか寺泊。鯨波から一年経ってこのグレードアップ度か!と愕然としました。なぜか付近の神社で記念撮影。政教分離を考えさせられました。
4年次は、新潟市近辺。空港で記念撮影。これは滑走路3000メートル化を目論む行政府によるサブリミナル効果を狙ったプロパガンダか!
五年次は、なぜか六日町ミナミスキー場付近のキャンプ場。ユースホステルという素敵な宿舎。 以上でございます」
さすがフゾクのライバル○○丸、波乱万丈の旅日記でございます。佐渡は初登場ですね。蟹がノーカット(<なんか違う)で出るっていうのもすごいなあ。ちょっと慰安旅行みたいですが(笑)。 当日の服装は「洋服」でも良い という謎記述があったとか。わ、和服ですか普段は…?
「6年の年、会津若松への1泊2日だったのですが、わがI坂小学校よりさらに児童数が少ないM川小学校でも同じ方面に修学旅行だったようで、やはり人数が少ないと言うことで、突然合同の修学旅行となってしまいました。 新パターン、「あいのり」修学旅行。長岡軍敗走の道をラブワゴンは駆ける……って、楽しくないかも〜(泣)。 珍しく高校のコト。
私は向○高校出身ですが(2期生)、修学旅行は「富士登山」でした。 「登山」っすよ?「登山」! 一応、登山がイヤな人間は違うコースが選べたのですが なんか、有無を言わせない「登山にしろ」雰囲気が漂っていまして。 半数以上が登山コースでした。(私は頑なに違うコースにしましたが) 宿泊所はホテルや旅館なんぞではなく、大規模な安ペンションのような建物。 到着と同時に校歌を流してくれるというイキなサービス付きでした(泣) 部屋割りは10人くらい〜3人というバラエティに富んでいて、 3人部屋だった私の所は、正味3畳くらいだったんじゃないでしょうか。 まさに1人1畳。 ところが、登山の当日は雨。登山は中止。 代替コースの富士急ハイランドへ行きましたが、何せ雨ですから。 殆どのアトラクションが乗れずじまい。何しに行ったんでしょうか。 何故こんなヘタレなコースだったかと言うと、 当時の向○教師陣は○手や長○に異常なまでのライバル心を燃やしており、 どこかでこの2校との差別化を図ろうとしていたようです。 考え過ぎてエライ方向へシフトしちゃったんですねー。 今はどうなんでしょうか。気になるところです。 ちなみに、高3の夏休みには5泊6日の「学習合宿」なるものもありました。 湯沢かどっかのホテルにカンヅメで勉強するというものでした。 希望者のみのもので、私も参加したんですが、能率があがった記憶は皆無です。 何で参加したんでしょう。若気のいたりですかね、やっぱ。 いったい向○はナニがしたかったんでしょうね…。 ○手×長○の河岸戦争に第三の学校が『登山』で参戦!……って、コーナー違う(笑)。ともあれ、ナガオカ高校界の山岳部隊と命名して差し上げたい。 山岳部隊は不評のため解散したのか、新展開!
「私は向陵高校に行っていたんですが,沖縄に行きました。 泡盛とかを「売っていた」ようですが、それをどーしたとも言ってないので、誤解なきよーに。記憶があやふやなのは、楽しすぎて脳内物質が出過ぎたせいでしょー、きっと。
いつも楽しく拝見させていただいておりまする。 旅行をきっかけに女子どうしのおつきあいが始まるなんて、テレビでもまだやってない新機軸! 『あいのりりぃ』ですね……って、なんて間口の狭いダジャレ…。
修学旅行の話で、M市小とT町小は合同で修学旅行へ行ったけどY沢小は別だった、という話がありましたけど、私のころ(十数年前)は3校一緒に修学旅行へ行っていました(ちなみに私はY沢小出身)。 少子化の波とともに3Pもとい3校時代の到来ですね。学校そのものの統廃合も多いと聞くので、この傾向はどんどん加速されていくものと。4P5Pの報告がくる日も近い?
『爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくたちの旅』で向陵の修学旅行に「富士登山」があったらしいですが、大手の「東山大遠足」はどうなんでしょうか。
大学でこの話をしたところ、他の高校では「競歩大会」と言う名称で同じぐらいの距離を歩くらしいです。 「東山大遠足」なんて嘘です!!「東山大遠足大会」です!いえ、「東山大登山大会」です!!まさに「一日だけのぼくらの旅」です!!雨なら延期です。中止になった年はありません。富士急ハイランドに行けただけマシじゃないですか……。 読んだだけで横っ腹痛くなるような死の行軍でございます。何を目指しているのか、大手……って、タイトル以外学校名まるだしっすね。
「東山大遠足」またの名を「強行遠足」。 朝8時過ぎに沖田を出発し、栖吉方面から花立峠を越えて八方台を目指し、栃尾側に降りて何とかトンネルを抜けて浦瀬に出て帰ってくる全33キロのコース。しかも、クラス対抗なので、各クラスとも精鋭チーム、普通チーム、のめしこきチームに分かれますが、精鋭チームはおにぎりと100円玉を握りしめ、駆けにかけて昼過ぎには戻ってきてしまいます。まさに脅威の行事でした。 しかし、本当の恐ろしさは翌日にあります。何事も無かったように行われる体育の授業。ポジションから一歩も動けず、レシーブするたびに足に走る激痛と思わず漏れる「痛ってー」。 一般には軟弱高校と思われている大○にも、こんなハードな行事があるんです。 脳内麻薬が出過ぎて別の意味でもトリップしてしまいそうな。最近ナガオカは米百俵モノカルチャー化しつつあるっぽいから、こういうガマン行事は他校にも伝染していくかもよ〜……と、若人をびびらせてみたり(笑)。 ××では、4年生の6月に3泊4日の研修旅行があります。1〜3年生が中間テストをやっている時期に行くのです。行き先は自由!!各学科ごと、好きなところへ好きな方法で向かいます。私たちは北海道へ行って来ました。この年は北海道が多かった年で、ほかに台風の近づいた沖縄へ行った学科もあったようです。
見学箇所は、サラブレッドの牧場・苫小牧の鉄工所・橋梁の工事現場だったと思います。 二日目は札幌に泊まりました。札幌といえば×ー×園、クラス全員でジンギスカン食いに行きました。×ー×をガンガンと飲んで、肉をたらふく食ってもう満足、満足。ちなみに、他の学科でも×ー×園にいったところがあったそうですが、×ー×は飲めなかったそうです。なぜかって??よーく考えてみましょう、こいつらはいくつだ?私はこのとき××になったばかりでした。
×ー×園の後は各自自由行動、ラーメン食いに行った人、カラオケに行ったグループ、はたまたススキノに消えていった野郎ども・・・。それぞれ札幌の夜を楽しんだようです。ススキノ連中はどうやらボラれたらしいけどね・・・ 帰りのフェリーではまたまた××大会開催。この3日間で我々の先生は2回役満をあがりました。学生から×を巻き上げています。逆に添乗員さんは負けに負けてこの旅行の××がスッカラカンになったそうです。ご愁傷様・・・ 結局は騒ぎにいったのと代わりはないですね・・・。まあ、とても楽しい旅行だったのはいうまでもありません。他の年・学科の旅行はどんななんですかねー。 この記事は「ぼくたちの旅」のほうに乗せてもらえないでしょうか?よろしくお願いします。 ↑という投稿者さんのご希望だったので、『安吉』の××コーナーではなくこちらに載せてみました。いやー、どこの学校なのか、旅先ではナニをしていたのか、さっぱりわかりませんねー。 入学する前から「東山大遠足」のことは知っていたんですが…予想のはるか斜め上を行く辛さでした。
ちなみに三年間で100キロというより…正確には200キロな気がします。
そろそろ本題の「東山大遠足」について。
余談ですが私のクラスは次の日体育でした。 はしるーはしるー俺ーたーちー……というわけで、またも横っ腹痛くなるご投稿。大音量で校歌を流しながらやってくる街×車のよーな先生の車も怖いよう。どこに向かって走っているのか、○手。
私の時は、1年山本山、2年柏崎、3〜4は忘れましたが、5年妙高自然の家、6年は佐渡でした。
さて、修学旅行も近年は『観光派』と『登山派』に分かれているようです。
また、東北の『自然教室』も超ハードなものでした。 山へ山へと小中学生がなびいてる○曽亀→東○エリアでございます。○北の「拾った栗だけで」「拾ったきのこだけで」の食生活は、笑いを取ろうとしているわけではないにもかかわらず、ものすごいバラエティ臭がっ。年々緑の輝度が上がっていくジャージはダテじゃない!(笑)
富○亀→○北の場合・チャーザ村篇(2007.05.20掲載)
18年前に富○亀を卒業した私ですが、私の時の修学旅行(バス遠足?)は、1年・小千谷、2年・柏崎、3年・弥彦寺泊、4年・新潟、5年は上越で自然教室は6年生の時に旧巻町にある県の施設でやりました。
○北に行ってからは一年生の時に自然教室がありましたが行先はなぜかチャーザー村でお馴染みの小国森林公園・・・。 出た、修学旅行で東京見物! ○北中に行ってからのチャーザ村とのギャップがステキでございます。 にしても、このコーナーに登場した旅行先は、平成の大合併でかなりナガオカinしてしまったわけで、現在はかなり高学年になるまで自分の街から出ない引きこもり修学旅行になってしまっているわけですねえ。 |