赤羽ゴルフのはずれ。サッカー場の奥といったほうが判りやすいか。
鉄橋の下の向こうに善光寺が見える。
浮間橋からゴルフ場を横切りこの辺りを旧荒川は流れていた。
埋め立てられた荒川はゴルフ場の中に池としてレイアウトされている。
その墓は川沿いに少しもどったところにあった。
子供の墓は賽の河原と関係してか地蔵が彫られることが多い。
地蔵は簡素に彫られているが、笑みは優しさに溢れている。
地面を這うようにイヌダテが咲いている。
享保(1716〜1735)その下、欠けてはいるが「四」だろうか。その下は干支で「己亥」とある。
享保元年の干支は「丙甲」。四つ進んで(→丙、丁、戊、己。→申、酉、戌、亥)享保四年で一致している。
享保は暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の時代。
ここから上流川口に吉祥院がある。幾度と水害に遭い現在の場所に移ったという。
流された墓がこの地にたどり着いたのかもしれない。
川口の土手下には荒川方水路開削工事の時、散在していた墓が見つけられ一ヶ所に集められている。
開削工事の労働力として多くの中国人、朝鮮人の方々が駆り出されたのは事実だ。
しかし残念ながら、事勿れ主義なのか一切触れてないのも事実だ。
近くにはホームレスの人が生活を営んでいる。収集建造したのは彼らだろうか。
誰もが心の安らぎを求めるものだ。「癒し」とは違う。無償のものなのだ。