文脈がなく読みづらいのですが(ウキに関係した用例が想像していたよりも多く)、ただゞ「うき」と「どろ」のつながりを知りたく、
思いつきの結論をさけるべくこのような形(メモ)になってしまったことをご容赦のほど。 結論が出るかどうかはわからないのですが。

  まず、その言葉の意味を知るには辞書を引くことから始まるのが必至だと思います。
  下に「ほどろ」を二つの辞書に引いた例を挙げたのですがあなたならどのように理解しますか。

  ほど
        (ホドは散りゆるむさま、ロは接尾語)
        @ 雪などが、はらはら散るさま。     万葉集 10「庭も━に雪そ降りたる」
        A 夜がほのかに明け始める頃。      万葉集 4「夜の━吾が出でて来れば」
        B ワラビの葉や茎がのびてほおけたもの。 散木奇歌集「いつか━とならむとすらむ」
                             方丈記「蕨わらびの━を敷きて夜の床とす」

       以上 パソコン付属の「広辞苑 第五版」

  ほどろ(名)     わらびの穂が伸びてほうけたもの。 「わらびの━を敷き」<方丈>
  ほどろ【斑】(名・副)まだら。はだら。「あわ雪ふれり庭も━に」<万・2323>
   ━ ほどろに【斑斑に】(副)「ほどろ」の意味を強めた語。「あは雪の━降りしけば」<万・1639>
  ほどろ【程ろ】(名)うち。あいだ。ほど。「夜の━出でつつ来らく」<万・755>《「ろ」は接尾語》

       以上 「旺文社 古語辞典」

  辞書の性質上からか、三つの意味があることがわかります。共通しているのは「蕨の穂や葉がほおけたもの」と
  「時間の推移をあらわしたこと」ですが、もうひとつの意味「はらはら散るさま」と「まだら。はだら。」はどうしたものでしょう。
  辞書の編者の万葉の歌の解釈の違い(歌の持つ性質上定説たりえない)から様々な意味が生まれてくるということなのでしょうか。

「ほどろ」にはほど遠い写真なのですが。(左)
敷きつめるに対して「まばら」な落ち葉。

沫雪のほどろほどろに零り敷けば平城の京し念ほゆるかも
沫雪保杼呂保杼呂爾零敷者平城京師所念可聞

「ほどろほどろ」が使われた歌の例なのですが、
「ことば雑記」のページに詳しく解説されてますので興味あるかたはどうぞ。

辞書にその言葉の意味が載る経緯(ないしは改訂の)?を垣間見ることができます。




 《「古事記」「古事記伝」を読む上での基礎知識。私自身へ課したもので、はしょっても結構です。「学研 国文法 田辺 正男 和田 利政 共著 より」簡略化してます。
 中国語は、一つの単語が一音節でできていて(単音節語。日本語は膠着語)、文中に用いられるとき語尾変化などせず、
 同じ形で用いられていた(孤立語)から、単語の一つ一つを識別することが容易であった。
 そのため日、山、鳥などの略画(象形)とそれを表すことばとが結びつきやすいばかりでなく、一・二・上・下などの
 象徴的符号とそのことばとも結びつきやすかった。(本、末など)その結果、同音異義のことばが多く漢字の八割を占める。

   形声(諧声)
 語の音を示す役目と、意味上の類別を示す役目とを分担させて、既成の二字を組み合わせたもの。
 例として、枝・岐・技・伎、は「支」がシ・キ・ギなどの音を表し、「木・山・手・人」が意味に関係してエダ・ヤマミチ・
 ワザ・ワザオギなどの語の文字となった。

 真名まなと仮名かな・和字
 (真名は「本来の文字・本当の文字」の意、仮名かなは「仮かりの文字」の意である。ひらがな・かたかなが出来てからは、それ
 らの「かな」に対して漢字そのもの「真名」というようになった。)

 国語を漢字で書き表そうとする場合、極端に異なった二つの方法がある。
 真名の例
 春山霧惑在鶯我益物念哉           (万葉集 10-1892)
 ハルヤマノ キリニ マドヘル ウグヒスモ ワレニ マサリテ モノ オモハメヤ
 漢字を表意文字という本来の性質のまま国語の表記に適用したもの、言いかえれば「訓」を利用したもので、この用法を真名
 (で書く)という。

 仮名の例
 夜 久 毛 多 都 伊 豆 毛 夜 幣 賀 岐 都 麻 碁 微 爾 夜 幣 賀 岐 都 久 留 曽 能 夜 幣 賀 岐 袁 (古事記 上)
 ヤクモ(八雲)タツ(立)イヅモ(出雲)ヤへガキ(八重垣)ツマ(妻)ゴ(籠)ミニ ヤヘガキ(八重垣)ツクル(造る)ソノ ヤヘガキ(八重垣)ヲ
 漢字を表音文字として利用したもの、すなわち「音」を利用したもので、この用法を広く仮名かなという。
 仮名を用いればあらゆる場合の固有の日本語をそのまま書くことができたわけだが、他面、たとえば「山・川」など訓の固定し
 やすい単語は、仮名で「夜麻・加波」と書くよりも、真名で「山・川」と書いたほうがはるかに簡単であったわけで、結局、そ
 れを読む当時の人に誤解の起こらない程度に、真名・仮名をまぜて書く方法が、自然多くとられることになったのである。

 もっとも、上の事情の奥底には、漢文こそ正式な文章、文字は意味を表すべきものというような規範意識が潜んでいただろうこ
 とは、容易に想像される。仮かりの文字=仮名かなという命名がすでにそれを物語っているし、また日本語特有の単語で、それを訓
 とすべき漢字の捜しにくい場合には、漢字(実は漢字らしいもの、というべきかもしれない。漢字には「音」があるはずなのに、
 それがないのがふつうだから)を新しく造ってまで、真名で表わそうとしたこともそのあらわれと見られる。この日本製の漢字を、
 和字または国字という。たとえば、峠とうげ・凩こがらし・凪なぎ・榊さかき・樫かし・鰯いわし・辻つじなど。 また、時雨しぐれ・雪崩なだれ・一寸
 ちょっと・目出度い・矢張やはり・滅多めったに・鹿爪らしいなどの宛字あてじが、ひらがな・かたかなの中にさかんにまぜ用いられるように
 なるのも、同じ漢字尊重の意識が生んだものと見てよいだろう。

 音韻の変遷 上代特殊かなづかい
 上代には、平安時代初期の基本的な音節のほかに、キヒミ ケヘメ コソトノモヨロ の十三の音節にそれぞれ二種の発音の別
 があったことが、「万葉集」その他の万葉がなの使い分けから推定されている。たとえば、「君きみ・衣きぬ・聞く・着る・秋・
 息・沖・時・雪」や四段活用の動詞の連用形語尾のなどの「キ」には「伎・岐・吉」など(これを甲類の仮名かなという)が
 用いられ、「木・霧・月・ももしきの(枕詞)しきしまの(枕詞)や上二段活用の動詞の未然・連用形語尾などの「キ」には
 「紀・奇・綺」など(これを乙類の仮名かなという)が用いられていて、両者が混用されることは原則としてない。
  このような書き分けは、発音の別に自然に従った結果と考えるのが順当で、それは母音の違いだったろうといわれている。
 なお、これはギビ ゲベ ゴゾドなどの濁音にもみられる。
 ○サ行のセは〔シェ〕だったようだが、ほかの音も〔シャ〕〔シュ〕〔ショ〕のように今日とは違っていたとする説もある。
 ○チツは〔ティ〕〔トゥ〕だった。
 ○ハ行は、〔ファ〕〔フィ〕・・のように摩擦音だった。語頭以外でも同じ。
   たとえば〔カファ〕(川) 〔カフィ〕(貝) 〔カフォ〕(顔)など。
 ○ア行の〔エ〕とヤ行の〔イェ〕とは違っていた。
 ○ワ行のヰエヲはくちびるにかかって〔ウィ〕〔ウェ〕〔ウォ〕のようであった。

  以上おおよその基礎知識は終わることにします。

 「後に他人アダシビトの偽り書る物にはあらず」に対する補注 編集校訂 大野 晋・大久保 正 「本居宣長全集」筑摩書房
 「古事記」とはどのような書物だったのか、このような側面から見るのも新鮮味もあるかと思い、また「古事記」をとりあげた理由も理解していだだけるのでは。

       『古事記が偽作ではないかと見る説は、書紀の一書として古事記が明示されていない。
       また、完成等について續日本紀に何の記述も無い。新撰姓氏録にも出てこない。とい
       うような點から、すでに賀茂真淵以来、中澤見明など疑う人があった。また筏勲氏は
       古事記の序が、序ではなく上表文の形式であること、また末尾の太安萬侶の署名が形
       式的に不完全であることをあげて、古事記は偽書であるとしている。太田晶二郎氏は、
       この序文は安萬呂の筆ではなく、代作であろうと述べている。しかし書紀の一書の中
       には、古事記と全く同じと思われる部分も無いではないし、續紀に何の記載も無いか
       らとて、偽書と見ることはできない。續紀には記事の脱落が少なくないからである。
       もし、一應序文と本文とを切り離して考えるならば、本文が奈良朝初期、あるいはそ
       れを溯る數十年くらいのところで著作されたものであろうということは疑うことがで
       きない。それは次の理由による。古事記の本文に用いられた萬葉假名を精査した結果、
       ここには、橋本進吉博士の、いわゆる上代特殊假名遣の區別が明確であって、例外が
       無いのみならず、書紀・萬葉集ではすでに甲乙二類の別を失ったモの假名について、
       毛・母の二つを明確に使い分けており、さらにホの假名についても、大體において本・
       富の二つを使い分けている。古事記のオ列の甲類乙類の區別は、まずコソトノヨロの
       音節において守られているこれは喉音・舌音を子音とするもので、唇音であるヲ(WO)
       では、區別が無く唇音のホ(FO)では、大體の區別があり、モ(mo)では明確な
       區別がある。しかし、書紀・萬葉では、ホの區別は勿論モの區別も失われている。し
       てみると、古事記のオ列音の甲乙二類の別は、まず、ヲで失われ、ついでホが乱れ、
       モは最後まで残っていたことになる。萬葉集巻五は山上憶良の歌が多いが、巻五では、
       モの區別が大體守られている。これは、山上憶良や大伴旅人が、老人であったため古
       い發音の體系を維持していたものだろうと考えられる。これらを考え合わせると古事
       記のホとモの假名の甲類乙類の假名の使い分けの状態は、書紀や萬葉集の時代より一
       時代前の區別を残したものであることが推定できる。しかも、モの假名の二類の別を
       例外無く保つというな業は他の假名の例から推して平安初期では不可能と考えられ
       る。この點から見て、今日傳わる古事記の本文は平安時代の著作ではなく、奈良朝初
       期あるいはそれ以前のものであると考えられる。もし、平安初期の著作ならば、高橋
       氏文の萬葉假名に見えるように、甲乙二類の使い分けは乱れてしまうのが通例であるし、
       天長・承和の頃の人が、萬葉假名を、あれほど整然と使うことはできないと見られる。
       それ故、古事記の本文は、偽作とはいえない。それに対して、序文の形式が当時の序
       文の形式と一致しないかどうかが問題となる。しかし、序文の内容は古事記の本文を
       実によく消化して作られているものであって、本文の著作でない人が、あのような四
       六體の文章を書けるかどうか。また、本文の表記の仕方について、萬葉假名だけで書
       けば長すぎるし、漢文體で書いては和語の状態を伝えることができないことについて、
       苦心の様子を実感をこめて書いている。
もし、天長・承和の頃の人が書けば、その頃
       は、すでに片假名も一般化していた頃であって、あのような苦心を実感できるか否か
       疑わしい。それらの點では、序文の内容は、やはり奈良朝の初期の日本語表記の実態
       の上に書かれたものと見るのが妥当である。ただ、上表文の形式であるとか、署名の
       形式が不完全であるとかいう點については、なお種々考察を加えるべきものと思われる。』


 天の下すに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか 「天下須爾於保比底布流雪乃・・」 万葉十七  泥 = デ 真名

 さて都知ツチ(天地の土)とは、もと泥土ヒヂの堅カタまりて、國土クニと成れるより云る名なる故に 「古事記伝」

 京の物知人モノシリビトの歌よりも、返りて古言の據ヨリドコロとすべき物ぞ云れき、都知ツチを東言アヅマコトバに都之ツシ とは云るなるべし 「古事記伝」

 は、もと、二つ揃っているものをいう語、マテは両手、マホは、二つ揃った帆をいう。二つ揃っていることを日本人は完全と見なし、
 安定したものと見たようで、最もよいこととしている。   「御中ミナカは真中マナカと云むが如し」に対する補注

 さて又思ふに、柱と云名義は、波斯ハシは間ハシなるべし、間を波斯ハシと云例多し、間人ハシビト、又万葉の歌に、 相競端爾アラソフハシニ
 と云るも、端は借字にて間アヒダにの意なり、又木にもあらず草にもあらぬ竹のよの波斯ハシに吾身はなりぬべらなりと云歌も、竹を
 木と草との間と云るなり、かくて柱は、屋ヤネと地との間に立る物なればなり、又橋も同意か、此岸と彼岸との間にわたせばなり、
 又今ヨノ言に、妻どひの最初ハジメに、言を通はしそむる媒を、波斯加氣ハシカケと云も、橋懸の意にて、右の柱の事にもおのづか
 ら通へり、又箸ハシと云名も、此物は必二相對ムカひより合て其用をなす物なれば、夫婦の意に似たり、又事の初を端ハシといふ
 も、此ココの御柱廻メグりの事に由あるなり、

 次國稚如脂而 【フ 漢音 ブ 呉音】【fu fou (一声)】
 國稚クニワカク、稚は和訶久ワカクと訓べし
 脂は宇伎阿夫良ウキアブラと訓べし、浮雲浮草ウキクモ ウキクサなど云類の稱にて、物の脂アブラの水に浮ウカべるを、古に如此稱カクイヒしなり

   〔柎〕 fu 一声 @花房 Aいかだ
   〔桴〕 A) fu 二声 @棟木の次の横木 A太鼓のばち
       B) fu 一声 小さい筏(いかだ)
   〔筏〕 fa 二声 いかだ、竹製のいかだ。木製のものを〔牌 pai 二声〕という。 〔筏子〕 faz 二声 いかだ

 地となるべき物は何物なりしぞ、答、潮ウシホに【泥の異体字 泥を冠 土を脚】ヒヂ の淆マジりて濁れるものなりき 「古事記伝」

 さて浮經野ウキフヌは、浮ウキは彼クナル 二浮脂ノ 一物の、空中オホソラウキたゞよへる意、又は後世の歌に、
 ヒヂ宇伎ウキといへば、其の意にてもあるべし  「古事記伝」 

 此コレに依らばなり、【□ノ(□は泥の異体字)字、泥也と注せり、(書紀の注)
 (上の宇は比地邇~のウなのですが、補注によればウヒヂニ、スヒヂニのは接頭辞であるのでとする説は容認できない。
  そのため次のような混乱した?文がでてくる【宇とは、宇伎ウキの伎を省ハブかりたるか、又宇を本にて宇伎ウキともいふか、】)

 如此歌、即爲宇伎由比四字以音。 「古事記」 ウキユヒ

 指二|擧大御以献。 オホミ ウキヲ ササゲテ タテマツリキ。  落於大御。(モモエツキ ノ ハ )オチテ オホミ ウキウカビキ。
 美豆多麻宇岐爾 宇岐志阿夫良 ミヅタマニ キシ脂   此者宇岐歌也 コハ宇岐歌(歌)ナリ。

   〔盞〕 zhan 三声 @小さい杯 A行灯(あんどん)の油皿 B灯の数を数える語
   〔酉戔〕 zhan 三声 @杯 A濁り酒のややすんだもの
   〔杯 盃〕bei 一声 @盃 A小型の茶碗 B盃やコップなどに盛ったものを数える量詞

 【畏志畏カシコシカシコキと活用ハタラきて、其は加伎久□ □は示偏におおざと カキクケと活く言なり、】

 君キミとのみ云る例、明段の大御言に、佐邪岐阿藝サザキアギ、また忍熊王の歌に伊奢阿藝イザアギ【共に吾君アギの意なり、】

  A)ji @技能A芸者B俳優 B)qi ゆるやかに歩むさま 「中国語辞典」鐘ヶ江 信光 大学書林

 qi にあたる項目で別の中国語辞書には(中国語辞書がいくつあっても仕方ないので立ち読みで)歌舞をする女性と載っています。

   ここまでに取り上げた用例を考えると、土の表面に浮かんでいる土と水が混じりあったものを泥ということになる。
  しかし、地表に浮きただよっているドロをとよんだのは後世人の陥りやすい観念からではないのか。
  盞を「かわらけ」からウキ(後世、杯流し、船を杯と数えるように)と訓んだのも、ドロを浮と訓んだのと同様の観念からでしょう。
  いずれにしてもドロを土とは異質の生命発現の要素としていたのは確かです。
   今でこそ生命の発現の要素である海をさほど重要視しなかったのは、糧とはなったものの生活たりえなかった。それだけの理由でしょう。
  「うき」と「どろ」のつながりの結論はほとんど出たように思えるのですが、
  私には、ウキがもっと具体的な意味を持っているように思えて、いま少し考えてみたいと思います。

 抑書紀の字と師説と、比地ヒヂの意異なり、、書紀には土ヒヂと作カカれたれば、土形築牆ヒヂカタツキヒジなどの比地ヒヂにて、土の総名スベナに取れるなり、
 師説にては、土ツチと水と和マジりたるにて、泥字の意にて、和名抄に、泥和名比知利古ヒヂリコ、一云古比千コヒヂと見え、【後歌に多く戀路コヒヂ
 いひかけたり、】俗言サトビゴト杼呂ドロと云物なり、

   宇麻志阿斯訶備比古【遅の俗字】~ ウマシアシカビヒコヂノ に対する補注 上記「本居宣長全集」
 12頁にわたる異例の補注 
 補注は、まず記紀が編集書写された前後に誤読・誤写・誤認・脱落・顛倒などがあったことに注意をうながし、用例をもって確認している。

 『寫本には誤寫・誤讀・顛倒が生じるものであり、それによって話の筋と全然關系の無い、あるいは話の筋を變えるようなことが起こりうることをまず知っておく必要がある。』

 『・・・「天糠戸」と「天抜戸」とをアマノヌカトと訓んでいる。アマノヌカトとは何か、意味不明である。しかし、~はしばしば、~の作用・動作・道具等をそのまま自己の
 名としているものであって、 その點から考えると、次のようなことがある。という字は、アラヌカの意で、アラとも訓む。従って「天糠戸」はアマノアラトと訓むのではないか。
 アラトとは粗砥であり、を作るものの名としてふさわしい。してみると「天抜戸」とは「天糠戸」をアマノヌカトと誤讀した結果の飜字である。』

 次に補注は古事記の~の出現順序に疑問をなげかけ『しかし、果して日本の世界生成~話は、はじめからその通りであったかどうか。』考察がはじまる。
 (ページの都合上大幅に省略しています。用例。中國の陽数の観念、三・五・七 等々。)

 @  アメノミナカヌシ           (中   央)  ミナカ(中央)にその中心がある。中央~という意味である。
                                     しかし、日本の~話では中央というような観念的存在が、大きな役割を果たすことはなかった。

 A  タカミムスヒ             (生 成 力) a AとBはムスヒに中心があり、ムスは生す意。苔ムスのムスであり、ヒは靈妙な力という意味であろう。
                                     タカとカムとは、ムスヒを、単独ならず、合計二~として扱うために附けた修飾語で、ムスヒを二度繰り
                                     返すことによって、@と共に三柱の~を成立させた。

 B  カムムスヒ              (生 成 力) a aの~々は、後から添加されたものであろうとすでにいわれている。私もその見解に賛意を表したい。

 C (ウキアブラノゴトクダタヨウ)     (混沌 浮動)  「浮き脂」は、混沌として形のさだかならぬものであり、「くらげなすただよへる」とは、漂揺浮動を
                                      表現する。これは、~としては取り扱われてはいないが、記紀の創世~話においては重要な役割を果た
                                      す観念であるから~の名に準じてここで取り上げておく。

 D  アシカビ ヒコジ           (生命の發現)  ウマシアシカビヒコヂのウマシは美称で、別とすればアシカビとヒコヂになる。アシカビは葦の芽である。

 E  アメノトコタチ            (土臺 出現)  トコは原文では「常」の字が当たっているが、~名の意味を考えるときには、そこに当てられている漢字の
                                     意味に引かれずに、その表現する音だけをそこから取り出し、その意味を別に考察することが必要である。
                                     「常」はトコの音を表現するが、トコが永久の観念を表現するのは、おそらく次のような段階を経てであった
                                     ろう。つまり、トコとは古くは「床」の意で土を盛り上げたをいう。(中略)磐石のごとき床岩(トコハ)
                                     は永久不変の状態を表すものと受け取られるようになり、トコハが永久の意を表すに至る。
                                     tokoiFa → tokoFa トコハ または tokiFa トキハ(常盤)

 F  クニノトコタチ            (土臺 出現)  トコタチであるから、土薹(大地)の出現である。

 G  トヨクモノ              (混沌 浮動)  トヨクモのトヨは美称で、中心はクモノにあり、これは雲野と解釈される。ノは広がっているさまをいう。

 H  ウヒヂニ  スヒヂニ         (ド   ロ)  ウヒヂニの中心はヒヂ(泥)にあり、もまた同じく、土・ドロ・顔料を意味する。ウヒヂニ、スヒヂニと
                                     対偶~として取り扱われているが、接頭辞ウとスとの意味は明確でない。ただ、ウとスとは、ウツ(棄)━
                                     スツ(棄)、ウウ(植)━ スウ(植・据)のように、同じ意味で交替する場合がある。そして、この場合、
                                     ウとスとの間に意味の相違は認められない。従って、ウヒヂニとスヒヂニとの間にも明確な、意味上の差は
                                     ないように思われる。してみると、ここのウヒヂニ、スヒヂニは形式的には男女の対偶としてあるが、実質
                                     的な男女の相違は、未だ語義からは得られないことが注意される。

 I  ツノクヒ  イククヒ         (生命の發現)  ツノクヒは、ツノとクヒを重ねている。ツノは生長・生命の象徴。クヒは地中などに打ち込む棒で、これも
                                     形から見て生長・生命の象徴としたものと思われる。イククヒのイクは、イクタマ(生玉)イクヒ(生日)
                                     などのイクで生命力のあることをいう。イククヒも具体的な、生命の発現を象徴するごであろう。なお、ここ
                                     でも、対偶~として扱われながら、ツノクヒとイククヒという言葉の間には、男女の実質的な相違を示すもの
                                     が無い。

 J  オホトノヂ オホトノベ        (男   女)  ヂは男性を表し、ベは女性を表す。ヂはヲヂ、チチなどのヂ、チと関連し、ベはメ(女)と通用する。これは
                                     すでに説かれている通りであると思う。オホトのオホは大の意であることこれも問題はない。(中略 瀬戸セ
                                     ト、門ト、喉ノミトのトが狭い水流、狭い通行点、通過点を語源的に表しいることを踏まえてトは男女を象徴す
                                     る器官をいう)してみるとオホトノヂ、オホトノベとは大きいトの男性、大きいトの女性ということであって、
                                     ここにはじめて、男女が対偶して登場して来たのである。

 K  オモダル  アヤカシコネ       (會   話)   オモダルのオモは面。タルは足ルで充足の意であること、従来説かれている通りである。しかし、この言葉
                                     の意味は、國の景色が整っているという意味ではなく、言葉通り、容貌が整っているという意味であろうと思
                                     う。これは次のアヤカシコネと共に考えるべき単語である。アヤカシコネのアヤは感動詞である。カシコとは、
                                     カシコシ、カシコムの語源であって、カシコシとは人間が~の威力に対して畏敬恐懼する意であり、また、女
                                     が男に対して、カシコマル気持ちを表明する語である。思うに、この一対の~は、男と女であるから、男~が、
                                     女~に対して、「あなたの容貌は整って美しい」と言ったのに対して女~が男~に「まあ何と恐れ多いこと」
                                     と返事をしたのではあるまいか。~話においては、言語もまた、そのまま~となるから、ここでは、この会話
                                     が~として扱われたものであろうと考える。単語の基本的意味から推して、このような場面と見る解釈が、そ
                                     の最も根源的な意味を捉えているもののように思う。ネは女性を示す接尾語である。

 L  イザナキ  イザナミ         (誘)       イザナキ、イザナミのキは男性、ミは女性を表現する語である。オキナ(翁)オミナ(嫗)におけるキとミ
                                     との対立のごときがその例である。イザのザは耶、奘という万葉仮名で書かれているから濁音であり、これを
                                     イサ(清音)と認めて解釈するのは正しくない。イザ(濁音)と認めて解釈するのが正しい。イザは、誘いの
                                     間投詞、ナは助詞(ノと同じ意味)と見るのが自然である。あるいは、イザナまでで、イザナフという動詞の
                                     語幹をとったのかもしれない。これは、後に展開する説話の内容によっても首肯せられる。

        古事記の世界生成~話はa、b、c、dの四部から構成され、bとcは混沌浮動、土薹出現、生命の発現
        と大体において一致していることが分かる。しかし、cにあるドロに対応するもの(要素)がbに欠けて
        いるのがわかる。それについて考えてみる。以下補注原文
         まず、古事記の編者は、bとcとを別の~話であると認めていたはずであり、それ故にこそ、~名の系
        譜をa、b、c、dの順序にまとめたものと思われる。しかし古事記が製作される前の、一層古い~話の
        姿を問題にするならば、私は、アシカビヒコヂのヒコヂがドロにあたるものであったろうと思う。ヒコヂ
        は、書紀にも彦舅という文字で書かれているように、男性の人間であり、記紀の編者たちは、ヒコヂをた
        しかにこの~話に男性の~として登場させている。しかし獨~隠身であると明記してある別天~の中に、
        男性の~が人間らしく一人登場するのは、おかしくはあるまいか。すでにみたように古事記のa、b、c
        dの説話の中で実際に男女が現れるのはオホトノヂ、オホトノベからであろうと私は推測している。だか
        ら、このヒコヂは何かの間違いか、あるいは意識的な變改ではなかろうかと考える。
         ことによると、ヒコヂ(比古遲)とあるのは「比古」と「古比」との文字の顛倒か記紀編修の時代以前
        に起こったことがあるのではないか。つまり「比古遲」は以前に「古比遲」だった時期があるのではない
        か。コヒヂとは、和妙類聚抄にもあり、平安朝の歌にも詠みこまれている。ドロを意味する古語である。
         もしヒコヂがコヒヂ(泥)であったなら、bもまたさきの四つの要素を含むことになり、bとcとは基
        本において全く一致した説話となる。しかし、今はその話は後にゆずる。

         以上補注原文(赤字は私がつけたもの)この後、補注はコヒジの可否を書紀に求め、
         日本書紀の~名の異伝から世界生成~話の異伝へと考察が進む。


        混沌浮動   土薹出現      泥     具体的生命の発現

  書紀本文  洲壌浮漂  クニノトコタチ  クニノサツチ   天地之中生一物    サツチは、土または泥を意味すると見て差し支えない。
        トヨクムヌ                   アシカビ

  第十一書  トヨクムノ クニノトコタチ  クニノサツチ   一物在於虚中、
                                状貌難言

  第二一書  浮膏 漂蕩 クニノトコタチ  クニノタツチ   アシカビ ヒコジ

  第三一書  天地混成  クニノトコタチ  な し      アシカビ ヒコジ

  第四一書  な し   クニノトコタチ  クニノサツチ   な し        この一書はその後半に、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒという
                                                 三~の高天原出生を記している。

  第五一書  海上浮雲  クニノトコタチ  泥中       アシカビ       生命の発現がアシカビによっている点でそれをツノクヒ、イククヒによるとす
                                                 る古事記と多少相違があるが、古事記 c と極めて近似する。

  第六一書  浮膏    アメノトコタチ  な し      アシカビ ヒコジ   クニノトコタチとアメノトコタチとを併有する点で多少の相違があるが、古事
              クニノトコタチ                      記 b とほとんど一致する

  古事記 b  浮脂    アメノトコタチ  な し      アシカビ ヒコジ

  古事記 c  トヨクモノ クニノトコタチ  ウヒヂニ     ツノクヒ
                       スヒヂニ     イククヒ

                                           これらの点を見ると古事記の a b c の説話を分解して、あるいは a b c の説
                                                 話の原資料をとって、書紀はそれを、第四書・第五・第六の一書に収めたので
                                                 はないかという疑いは、はなはだ濃厚であると思う。

                                                 つづく

                                      

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