何も無かったの。
何一つ無かったの。
私には・・・・・・何も、無かったの・・・・・・
だって私は・・・
三人目だから・・・・・・



 

 

 

「よかった・・・綾波が無事で」
あなた誰?
「あの・・・父さんは来てないんだ・・・・・・」
碇司令の息子?
「ありがとう・・・助けてくれて・・・」
「なにが・・・?」
「なにがって・・・零号機を捨ててまで助けてくれたんじゃないか。綾波が」
「そう・・・あなたを助けたの」
「うん・・・覚えてないの?」
「いえ、知らないの。多分、私は三人目だと思うから」



 

 

 

 

 

ストロベリーキャンドル



 

 

 

 

 

その日、実験を終えた私は、NERVの廊下を歩いていた。
何を考えるでもなく、
ただ、黙々と。
『私』が三人目になって、何日たっただろうか。
二人目が最後に残した『感情』は、時折いたずらに私を蝕む。
(・・・ツニ・・・・・トヒトツニ・・・・・・クント・・・)
二人目が最後に何を考えていたか、私にはわからない。
だが、時々、二人目の悲痛な声が頭に響く。
(・・・・・・カリクント・・・・・ツニ・・・・・・・・・)
二人目の私。
あなたは、何を望んでいたの?
イカリクン。
碇 シンジ。
碇司令の息子、サードチルドレン。
初号機専属パイロット。
・・・・・・彼は、あなたにとって、どんな存在だったの?
(イカリクント・・・・・・リクント・・・ヒトツニ・・・・)
「・・・やめて」
強すぎる二人目の感情。
それは、『私』という殻を破り、外に出ようとする。
「・・・・・・私は、あなたじゃないの」
壊すことができなかった眼鏡。
『これは涙・・・』
初めて知った涙。
『初めて見たはずなのに・・・初めてじゃないような気がする・・・』
なぜ、こんなにも悲しいの?
『私・・・泣いてるの?』
泣いているのは・・・・・・私?
『なぜ・・・泣いてるの?』
碇 シンジ。
「・・・知らない・・・知らない・・・・・・知らない」
イカリクント、ヒトツニナリタイ――
「私は、あなたじゃないの」
ヒトツニナリタイ――
「やめて・・・やめて、やめてっ!!」
壊れていく。
『私』が。
碇君と、一つになりたい。
私が知らない言葉。
だけど、それは甘い響きで、私の心を蝕んでいく。
何も無かったの。
私には何も無かったの。
何一つ無かったの。
寂しいの。
――ソレガワタシノココロ。
イカリクント、ヒトツニナリタイワタシノココロ。
寂しいの。
一人は寂しいの。
何かが、私の中で壊れていく。
碇君と一つに。
それはとても甘やかな――夢であるとわかる夢。
でも、私はあなたじゃない。
「あの・・・綾波・・・・・・」
声を掛けられて、私はそこに立ち止まっていたことに気付く。
聞き覚えのある声。
なぜだろう。
心の奥底で、ざわりと、何かが波打つ。
振り返り、私は彼を見る。
碇 シンジ。
彼の前では、なぜか落ち着かない私がいる。
「・・・なに」
「・・・あの、綾波っ、これっ・・・・・・」
彼は少しうつむいて、後ろ手に持っていたものを前に突き出すように出した。
赤い花。
「・・・・・・・なに?」
私は困っていたのかもしれない。
彼の意図するところがわからなくて。
彼は私の言葉に顔を上げた。
目が合うと、また私の心の奥底で、ざわりと何かが波打った。
それは決して嫌な気分じゃなくて・・・だけど、泣きたくなるような不確かな感覚。
彼の顔が、ほんの少し赤く色づいた。
なぜいきなり赤くなってしまったのだろう。
風邪でもひいているのだろうか。
彼は熱があるのかもしれない。
「あの、その・・・これ、綾波にっ・・・・・・!!」
早口でそう言うと、彼は持っていた赤い花束を私の手に押し付けて、走っていった。
いきなりのことに私は呆然とした。
そして、なぜだろう。
頬が熱くなるのを感じた。
よくわからないけど、嫌な気分じゃない。
ほかほかと、なんだかあたたかい気分。
私も、熱があるのかもしれない。



 

 

 

 

 

 

 

 

心拍数の増加。
不自然な高揚感。
熱を持ったように熱い頬。
私は、病気かもしれない。
これらの症状について、赤木博士に聞きに行こう。
訪ねた研究室に、赤木博士はいなかった。
そこにいたのは、黒髪の、ショートカットの女性。
「・・・・・・レイちゃん」
声を掛けられて思い出した。
確か、伊吹マヤニ尉。
「・・・赤木博士は不在ですか?」
「ええ、先輩は急用が入ったとかで・・・・・・」
「そうですか・・・」
その時私は、残念そうな顔をしていたらしい。
「どうしたの、悩み?私でよかったら、相談に乗るわ」
伊吹ニ尉の申し出に、ほんの少し私は迷った。
だけど、早く誰かに自分の症状を伝えなければと思い、コクリと私はうなずいた。
座って、とうながされて椅子に座り、どこから話せばいいのか迷った。
とりあえず、さっきのことから話そうと思い、私は伊吹ニ尉に花束を見せた。
「わぁ、綺麗ねぇ・・・・・・・」
「・・・・・・碇君にもらいました」
「シンジ君に?」
コクリと、私はうなずく。
まだ頬が熱い。
「・・・最近、なんだか落ち着かないんです。碇君のことを考えると、苦しくて、
泣き出してしまいそうになるんです。」
ちらりと伊吹ニ尉を見ると、続けて、とうなずいた。
「わからないんです・・・彼がそばにいるだけで動悸がして、呼吸が不安定になって、
頬が熱くなるんです。それに、なんだか胸が痛みます。・・・・・・伊吹ニ尉、
私はどこか悪いのでしょうか?」
そこまで言うと、伊吹ニ尉はふう、と息をつき、頬を緩めた。
「あのね、レイちゃん。それは多分、『恋』だと思うの」
「コイ?」
「そう。好きな人のことを考えるだけでどきどきしたり、泣きたくなったり、
苦しくなったりすることを恋というの」
好きな、人?
「・・・・・・・それが、碇君なんですか?」
「多分、レイちゃんにとってはそうなんだと思うわ」
にっこりと、伊吹ニ尉が笑った。
好き。
私が、碇君を?
また頬が熱くなった。
多分赤くなっているのだろう。
なんだか、泣きたくなってしまった。
伊吹ニ尉はにこにこと、あたたかい微笑みで言葉を続けた。
「レイちゃん、こういうこと、初めて?」
ほんの少し困ったけど、私はコクリとうなずいた。
「そう・・・それじゃ、これがレイちゃんの『初恋』ね」
「・・・初恋?」
「そう、初恋。レイちゃんが初めて好きになった人。それがシンジ君ね」
「・・・そう、かもしれません」
うつむいて、スカートを握る。
視界の端に映る赤い花。
なんだか、恥ずかしい。
「ねぇ、レイちゃん。たぶん、シンジ君もレイちゃんと同じ気持ちだと思うわ」
「なぜ、ですか?」
「だって、その花・・・『ストロベリーキャンドル』っていう名前なんだけど、
花言葉がね・・・・・・」
花言葉。
碇君は、私に何を伝えたかったのだろう。
「『私をおもいだして』なの」
ワタシヲオモイダシテ――
『ねぇ、綾波。僕を――僕を思い出して』
一瞬、私は頭の中が真っ白になった。
大切な何か、それがこの一瞬で全てわかったような気がした。
ふいに、頬を伝うあたたかい何か。
私は、泣いていた。
「シンジ君も、きっとレイちゃんのことが好きなのね」
伊吹ニ尉はポケットからハンカチを出すと、私に渡した。
私は、黙って涙をふいた。
それは、花のような匂いがした。
「・・・でも、私は碇君のことを知りません。彼が会いたいのは、二人目の私。
私は、三人目だから。」
ぽろぽろと、涙が次から次から溢れ出す。
どうして私は、こんなにも悲しいのだろう。
伊吹ニ尉は、困ったように顔を曇らせた。
「『綾波レイ』は、他にも水槽にいっぱいいます。私には、何もありません」
「ねぇ、レイちゃん。シンジ君はレイちゃんが三人目だってこと、知っているの?」
会いに来てくれた碇君。
確かあの時、
『多分、私は三人目だと思うから』
コクリと私はうなずいた。
「そう・・・知ってるのね」
「覚えてないの?・・・そう、彼は私に言いました」
「そう・・・・・・」
「私は、彼の願いをかなえてあげることはできません。二人目の記憶は、
二人目が死んだ時に消えて無くなったから・・・」
そう、私の中に残っているのは、最後のひとかけらの想いだけ。
碇君と一つになりたい。
多分、二人目が初めて覚えた『感情』。
「・・・私は碇君が好き。でも、碇君が好きなのは二人目の私。『私』じゃないの」
涙が止まらない。
「でも、好きなんです。碇君が、好き、なんです・・・・・・」
こんなにも胸が痛いのは、なぜ?
「・・・それでもいいと思うわ」
伊吹ニ尉の言葉に、私は驚いて顔を上げた。
伊吹ニ尉は泣いていた。
声を上げず、ただ静かに。
その姿が、とても綺麗だと、私は思った。
「確かに、シンジ君は『二人目』の『綾波レイ』が好きだったのかもしれない。でも、
でもね、ここにいるのは、『三人目』のレイ、あなたなのよ?」
伝い落ちる涙をぬぐおうともせず、伊吹ニ尉は続ける。
「あなたは、シンジ君のことを知らない。『三人目』だから。でも、シンジ君を好き。
この気持ちは、本当なんでしょう?」
コクリと私はうなずいた。
「なら、それでもいいじゃないの。覚えてなくても、思い出すことができなくても、
シンジ君が好き。・・・それで、いいじゃない。」
「でも、碇君は『二人目』のことが・・・・・・」
私がそう言うと、伊吹ニ尉は悲しそうに首を振った。
「『二人目』の綾波レイはもういないわ。ここにいるのは『三人目』の綾波レイ、
あなただけよ。」
「・・・・・・・・・」
「シンジ君があなたの中に『二人目』を探すのは、自分を忘れられてしまったから。
・・・寂しいのよ、シンジ君も。あなたがシンジ君のことを知らないから」
「・・・・・・」
「シンジ君のことが、好き?」
「・・・はい」
「彼の好きな人が、あなたじゃなくても?」
「・・・・・・はい」
「なら、それでいいじゃない。本当に大事なのは、二人の気持ち。それだけよ。
シンジ君が『二人目』のことが好きでも、あなたは彼のことが好き・・・・・・・・・
だったら、こちらに振り向かせるのよ」
「・・・振り向かせる?」
「そう、『二人目』じゃないあなたを、好きになってもらうの」
「・・・・・・私を?」
「『綾波レイ』をね」
「でも、私はいっぱいいます」
「それは違うわ。レイちゃん、あなたの名前は?」
私はちょっと困った。なぜ伊吹ニ尉は、そんなことを聞くのだろう。
「・・・綾波レイ、です」
「そう、綾波レイ。ここにいるのは、他の誰でもない、たった一人の綾波レイよ」
私は目を見開いた。
また、涙が頬を伝う。
「いいんですか?私・・・碇君のことを好きでいても・・・・・・」
「いけないことなんてないわ。だって、レイちゃんは自由なんだもの」
自由。
私は、碇君を好きでいてもいいのだろうか。
碇君のことが好きな私がいても、いいのかもしれない。
そう考えると、不思議に落ち着いた。
「落ち着いたみたいね。・・・今のレイちゃん、すごくいい顔してるわ」
そう言って、伊吹ニ尉が涙の跡が残る顔でにっこり笑った。



 

 

 

 

 

その日、私は眼鏡を壊した。
あの時割れなかった眼鏡は、きしんだ音を立ててこなごなになった。
そして、私の心の奥底で、やっぱり何かが壊れて消えた。
一粒、涙が頬を伝った。
視界の端に映る、赤い花。
明日、この花を入れる花瓶を買いに行こう。
そして、碇君に会いに行こう。
この花のお礼を言うために。


 

 

 

 


ワタシヲオモイダシテ――
ごめんなさい、碇君。
私は『三人目』だから、あなたを思い出すことはできない。
でも、これからあなたの事をもっと知るから、
もっと知りたいから・・・・・・



会いに行っても、いいですか?





 






 



 

 

 

 

END


あとがき
momさんの『歯痛の部屋』5000HIT記念に贈った作品
本当にこんなものを贈ってしまってよかったのだろうか・・・(汗)
ちょっと乙女ちっくに花言葉がテーマです
初めての小説だから、変なところもあるかも・・・・・・
まぁ、琥珀の小説第一号ってことで、笑って許して♪

感想や誤字、脱字の指摘は、メールか、掲示板でお知らせください♪

メール

 

モドル