それはきっと、

今にもあふれだしそうな、そんなバランス。


 

 




「何をしているんだい?」

「実験です」

「そう・・・・・・なんの実験?」

「・・・表面張力」

 

 

 

 

 

外は夏だというのに、

何もしなくても、うっすらと汗ばむような、

そんな暑い季節・・・・・・否、季節ではなく、世界なのに。

そこは、見る者に一切の温度を失っているかのような、寒々しい印象を与えた。

何も感じられない。

空気に宿る匂いすら、そこでは存在そのものが薄かった。

室内はひんやりとした冷気に包まれている。

人工の風が首筋を撫で、熱を奪う。

見渡す限りの、白い部屋。

生活に最低限必要なもの以外、何もない。

それはここに住む者の趣味だろうか?それとも、第3者が意図することがあってのこと?

おそらく後者。

ここに住まう者、少年は生まれた時からここにいる。

汚れなき、何も無い世界に。

 

「加持さん」

「ん?」

 

銀色の、月光を集めたような、光り輝く髪。

伏せがちのまぶたの奥の、紅玉。

なめらかな頬のラインは美しく、どこか病的なイメージがあった。

薄紅色の唇からは、かすかな吐息が。

よく出来た、アンティーク・ドールのような少年。

少年はただ、そこにいた。

伸びたしなやかな腕。

少女のように華奢な身体。

大きめの白いシャツがかえって、少年の細い体つきを強調するようで、

痛々しかった。

手首に真横に走った幾筋ものラインは、何度も重なり合い、

白い肌を、赤黒く変色させていた。

そこには確かに、確かに血流が存在するはずなのに。

少年は、確かに存在しているはずなのに。

少年から香るのは、鮮やかな死の匂い。

あるいは、絶望?

 

「今まで生きていく上で、何かを失ったことって、ありますか?」

 

淡々とした口調は、特有のもので。

虚ろな響きが、不自然に声のトーンを低くする。

そういう時、決まって少年が何かに悩んでいることを、

青年は自然と気付いていた。

ほんの一時の、少年との対面。

今日で、もう何度目になるだろうか。

はじめて出会った時から、青年は定期的に少年の元に顔を出す。

汚れなき、白き少年。

ここに訪れる自分が、逃げていること。

青年は、知っていた。

どこかかすむ思考回路。

警鐘が絶えず鳴り響く。

いつか、誰かに、殺される。

それがそう遠くないことを、青年はなんとなく知っていた。

もしかしたら、それが・・・・・・見知った親しい間柄の人かもしれない。

 

「失ったものねぇ・・・・・・多すぎて、わからないな」

「そう、ですか」

 

紅い瞳には、何の感情も浮かんではいない。

ただ黙々と、作業に没頭している。

解答など、望んでいなかったのかもしれない。

どうでもいいこと。

それがなんだか、青年は悲しかった。

水を満たしたビーカーに、割れたガラスのカケラを、一つずつ、一つずつ。

緩慢な動作で、それでも、少年はその行動をやめない。

 

「表面張力って、水と、空気。互いの抵抗で成り立っているんですよね?」

「ああ」

「何かに、似ていると思いません?」

 

 

 

 

 

ゆらゆら、ゆらゆら

かすかな飛沫をあげて

透明なガラスはかすみながら

水に溶けるように

「きえる」と錯覚する

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・」

「どうした?」

「いえ・・・ただ、不思議で」

 

 

 

 

 

 

ぎりぎりまではりつめて

こぼれない、みず

底ではガラスのかけら

かさなり

 

 

 

 

 

 

「やってみます?」

「・・・・・・・・・」

 

 

席をゆずり。

男が手にしたのは、一枚のコイン。

 

 

 

 

 

「なんです?それ」

「幸福のコイン、さ」

「へぇ・・・」

「裏か表か。命を張った行動では、ずいぶんとこいつの世話になったなぁ」

 

 

薄汚れた金色のコイン。

それを見る男の顔は、どこか寂しげ。

 

 

 

 

 

「神頼み・・・ってやつですか?」

「まさか。ただの精神安定剤だよ」

 

 

 

 

ふちをすべらせ、金色のコイン

みずにとける

ゆらゆら、ゆらゆら

あふれだしそうな、みず

ぎりぎり

 

 

 

 

「・・・液体の表面がちぢみ、なるべく小さな面積をとろうとする・・・・・・」

「表面張力・・・こうしてみると、まるで・・・・・・」

「?」

「いや・・・」

 

 

 

 

きんのひかり

そこでかがやき

めをうばう、らんはんしゃ

 

 

 

「こぼれませんね」

「だから表面張力なんだろう?互いの抵抗で成り立つ・・・」

 

 

 

 

 

こぼれないように

ぎりぎりまでもりあがった、みず

なみだをこらえているような

そんなヒトの動作にも似ている、ちから

 

 

 

 

 

「でも、儚いものですね。軽く力を加えるだけで、溢れてしまう」

 

白い指先がピィンとグラスをはじくと、その衝撃で水面が波立ち、

透明な液体が溢れだす。

手のひらを濡らすそれを、感情の伴わない瞳で少年は見る。

 

「はかない、ものですね」

 

変色した手首の傷に水を受け。

ぼんやりと、曇った瞳で少年は笑う。

儚いもの。

儚い物。

儚い者。

壊れてしまうことはカンタン。

笑う少年が壊れているのか。

それを見る青年が壊れているのか。

あるいは・・・世界そのものが壊れているのか。

もう、確かなものなんてどこにも無い。

不確かな現実。

かみ合うことなく。

いつ滅びるかもわからぬ。

そんな現状。

 

 

 

 

 

こぼれた

トウメイな、みず

てのひらをぬらし

つくえのうえをぬらし

あしもとにこぼれ

きんいろのひかり

乱反射

 

 

 

 

 

 

 

「これ、どうします?」

「・・・きみにあげるよ」

「いいんですか?」

「ああ・・・もう俺には」

 

 

 

 

 

 

「必要ないものだから」

 

 

 

 

 

きらきら

きらきら

きんいろのひかり

きんいろの・・・・・・・・・

 

 

 

 

「もう、行くよ」

「・・・はい」

 

一時の対面は終了し、青年は少年に背を向ける。

少年は青年を見ない。

だが、その背が消えてしまう瞬間。

 

「・・・加持さん」

「ん?」

 

壊れていた。

何もかもが。

まともなものは何一つ無く。

漠然とした予感は、どうしようもない不安を色濃く落として



 

 

 

 


「さよなら」

「・・・・・・さよなら」



 

 

 

 


引きとめて、笑った。

会える保証なんて、

もう、二度と。




 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・碇シンジ」

 

白熱灯に透かし見た。

強張った顔で映っている少年。

黒い髪。

不自然にだぶる、あの日消えてしまった背中。

 

「キミは・・・僕の望みを・・・・・・叶えてくれるかな?」

 

明日会える、写真の中の少年。

少年は笑う。

それはきっと、あふれだしそうなバランス。


 

 

 

 



水の満ちたビーカーに、手首をかざし。

ガラスの破片を滑らせた。

鮮血がじんわりと浮かび出し。

ぽたりと一滴落ちた。

にじみ、溶け。

後から後から落ちていく。

溢れ出してく液体に、少年は耐えきれず、顔を歪めて笑った。

 

「あはははははははは・・・あは、ははは・・・・・・・・・」



 


それはきっと、いまにもあふれだしそうな、

そんなバランス。








 

コメント

リク内容「思いっきりシリアスな、加持さんとカヲル君が主役の話」だったはずなのですが・・・

なんか、違います。

どういうこと??

っていうか・・・リクエストにそってませんね。

ごめんなさい(平謝り)

 

 

 

モドル