何かを望むことそのものが、僕には罪だった。
生きる事も、死ぬ事も、今の僕には何の意味も持たない。
血の紅だけが、そこに僕がいるというたった一つの証。
心象風景
冷たい雪を、僕は見ていた。
ただ、ずっと見ていた。
暗闇は怖くない。
むしろ、あたたかく自分を包み込んでくれる。
誰も差し伸べてくれなかった手の代わりに。
しばらくそこで雪を見ていると、赤い少女に出会った。
「やあ」
声をかけると、不信感をあらわにした目でぼくを見た。
極力、僕を見ないようにして、通りすぎようとする。
通りすぎてしまう前に、呼び止めることにした。
彼女のまわりには、光がある。
僕が得ることのできなかった光が。
「君は、君の望むものがすぐ近くにあるのに、それに気がついていないね」
「何よ。アンタ」
不機嫌そうに、彼女は声をとがらせる。
その青い瞳で僕を睨みつけて。
僕は、軽く肩をすくめると、言葉を続けた。
「自分には何も無い。そう、思いこんでるんじゃないかい?」
「本当に欲しいものが手に入らなきゃ、何も無いのと同じよっ」
イライラした様子で、彼女は言葉を荒げた。
「それは違う」
「違わないわ。アタシは、たった一つでよかった。他には、何も要らない」
そのたった一つのものは、いつも君のそばにあるのに。
傷つきすぎた花は、それでも精一杯咲き誇ろうというのか。
「君は脆いね・・・傷つけられまいとして、他人を傷つける。苦しいよねぇ・・・
他人を見下すことでしか君は自分を保っていられないからね」
他人の存在を求めるくせに、拒絶を繰り返す。
自分を優位に保つために、他人を見下す。
君は他人に期待し過ぎだよ。
その期待が裏切られると、失望と共に切り捨てる。
君は誰かさんにそっくりだよ。それを言ったら否定するだろうけど。
「アタシはエリートなの。誰にも負けられないのよっ!!」
不器用だね・・・そういう風にしか生きていけなかったんだろうけど。
「君は、確かに『秀才』だったよ。でも、『天才』じゃなかった」
「・・・・・・何が言いたいのよ」
そう言うと、彼女は悔しそうに唇をかんだ。
「高すぎるプライドは、己を滅ぼすってことさ・・・気付いているのだろう?」
彼女の持つ灰色の球。
彼女は自分を見失ってしまった。
焦りと、動揺。
自分は絶対だと信じて疑わなかったから、彼女は壊れてしまった。
君が精一杯築き上げてきたプライドは、ほんの少しの衝撃で、崩れ落ちた。
気付いているのに、気付かないフリをする。
目をそらそうとする。
君も、ただ逃げているだけ。
僕と同じように。
「・・・・・・余計なお世話よ」
うつむいて、低い声。
怒ってしまったようだ。
彼女は僕を見ようとせず、足早に去ろうとした。
その背中が遠くなる前に、僕は、僕ができるだけの事をしてあげたいと思った。
ほんの少しのヒント。
彼女がそれに気付くかどうかはわからないけれど。
「君の望むものは、いつも君と共に・・・それを、忘れないで」
また、しばらく空を眺めていると、一人の少年に出会った。
悲しげな瞳をした彼に。
僕は笑い、話しかけた。
「やあ」
「君はここで、何をしているの?」
「雪を見てるのさ」
降りゆく雪。
視界に広がる白は、とても清らかで・・・・・・
「どうして?」
「雪を見ていたいからだよ」
そして、冷たい。
「ふーん・・・」
僕は彼との会話が終わると、また空を見上げた。
しばしの沈黙。
ふいに、彼が声を上げた。
「・・・血が出てるよ」
自分が傷ついているわけじゃないのに、つらそうな顔をしている。
今にも泣き出してしまいそうな、そんな瞳。
「構わないさ。自分でつけた傷だからね」
僕は無感動にそれを見やる。
血だけは紅い。
それをほんの少し救いに思う。
流れ続ける血は、僕が居るというたった一つの証だから。
「止まらないの?」
「止まらなくていいのさ」
そう、止まらなくていいんだよ。
ただの自傷行為。
だけど、何もやらないよりは、やったほうがココロが少しだけ軽くなるから。
逃げているだけ・・・そう、僕は逃げているだけなんだ。
「どうして自分を傷つけるの?」
「他人を傷つけたくないからさ」
それは純粋にそう思うから?
他人が傷つくことで、自分が傷つくことが嫌なだけなんじゃないだろうか?
他人と自分。
より心を占めているのは、いったいどちらのほうなのだろう。
「でも・・・僕は、君が傷ついて欲しくないよ」
泣きそうな顔。
ゴメンね。僕は君の望みを叶えてあげられない。
僕は首を振った。
「ダメなんだ・・・・・・・・・」
なぜか、涙がこぼれていた。
僕は、寂しいのかもしれない。
「どうして君は泣いているのさ」
「それは君もだろう?なぜ、泣いているんだい?」
彼は泣いていた。
その事を指摘すると、彼は驚いたように、ニ、三度目をしばたたかせた。
彼の頬を流れる雫が、とても綺麗だと、僕は思った。
「・・・涙?僕はどうして泣いてるの?」
彼は流れる涙に気付いていなかったらしく、呆然と声を上げた。
僕は彼に近づき、涙を指ではらった。
初めて、『他人』に触れた。
「君は繊細だね」
ガラスのように脆い心。
いつ壊れてしまうかもわからない、不安定なバランス。
「・・・・・・」
「好意に値するよ」
「コウイ?」
「好きってことさ」
好き?
不思議だ。初めて言う言葉なのに、彼に贈るには、あまりにもぴったりな言葉。
「どうして?・・・・・・どうして君は・・・・・・」
苦しそうに彼は眉根を寄せる。
ゴメンね?もう、僕は行かなくちゃいけない。
「・・・さて、僕はもう行かなくちゃ」
彼から離れた。
近づいたのはほんの一瞬で、また、離れてしまう。
「どこに行くの?」
「僕の生まれたところに、だよ」
もう一度だけ僕は雪を見つめ、目を閉じた。
――ゴメンね。
僕は彼を見た。
悲しそうに僕を見ている彼を。
「僕は死のうかと、思うんだ」
「どうして?」
「僕には、何も無いからねぇ・・・だから、死のうと思うんだ」
「でも、君は、僕に無いものをたくさん持っているじゃないか」
泣きそうに歪んだ顔。
僕は、もっと違う世界で、君に会いたかった。
「本当に欲しいものは、手に入らない。僕が本当に欲しかったものは君が持っている。
でも、君はそれに気がついていない。もったいないね」
赤い少女も、彼も、大切なものを見落としている。
そしてそれに気付かぬまま。
「僕には、何も無いよ」
「気付いていないだけさ。本当は大切なことなのに」
ゆっくりと、僕は歩き出した。
彼に背を向けて、ゆっくりと。
「それじゃ・・・君が好きだったよ・・・さよなら」
しばらく歩くと、ぼんやりと立っている少女が居た。
同じ深紅の瞳を持つ少女。
同じ感じがする少女。
僕は彼女と目が合うと、静かに微笑んだ。
「やあ。君は僕と同じだね」
「あなた、誰?」
「君と同じものさ・・・感じるだろう?」
僕と彼女は、よく似た存在。
「知らない・・・知らないけど、知っているような気がする・・・なぜ?」
「それは僕達が同じものだからさ」
僕達には、何も無い。
だから、帰るんだ。
僕達が生まれ出でた、無の世界へ。
「帰りたいの?」
「そうだね・・・僕には、何も無いからねぇ・・・・・・」
生きる事も、死ぬ事も、今の僕には何の意味も持たない。
左手首につけられた、幾重にも重なった傷。
僕の血は、雪を汚す。
「・・・血が出ているわ」
「構わないさ。自分でつけた傷だから」
「どうして自分を傷つけるの?」
僕はおかしくて、笑った。
「・・・何?」
怪訝な表情を浮かべ、彼女は僕を見る。
「いや・・・さっきも別の人に同じ事言われたから、つい・・・」
綺麗な、触れれば壊れてしまいそうな少年。
彼の涙はあたたかかった。
でも、僕はどうだろう?
「他人を傷つけたくないからさ」
「そう・・・・・・」
無表情に彼女は言う。
「君は、帰るのかい?」
「わからないわ。帰してくれないの。あの人が」
「そうか・・・君は、帰りたいのかい?」
「・・・・・・ええ」
何も無い世界。
無の世界。
帰りたいと、彼女は言う。
そうだね、僕も帰りたい。
「じゃあ、一緒に行こうか。僕と君の行きつくところは、同じようだからね」
僕の申し出に、彼女はうなずいた。
暗闇の中、僕と彼女は並んで歩く。
彼女がポツリとつぶやいた。
「ヒトは、どうして拒絶しあうのかしら」
独り言のようだったが、僕はあえて、僕の思う言葉を言った。
「悲しい生き物だからさ・・・」
「どうして泣いているのさ」
彼女は泣いていた。
声を出さず、静かに。
ただただ、悲しそうな瞳を、虚空に向けている。
「わからないわ・・・・・・ただ、彼がいないわ」
「そうだね・・・きっと、僕達は寂しいのさ」
そう、きっと僕達は寂しいんだ。
進む道を異にした僕達と、彼ら。
僕の中にあるからっぽな空間。
何かを望むことそのものが、僕には罪だった。
生きる事も、死ぬ事も、今の僕には何の意味も持たない。
血の紅だけが、そこに僕がいるというたった一つの証。
『でも・・・僕は、君が傷ついて欲しくないよ』
――僕は、君のことが好きだったよ。
END
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