
ALICEと共に、歩いた青春
ALICEと出会ったのは、中学3年の頃。
中学2年のとき、先輩に恋をして、失恋した。
失恋の悲しみを引きずっていた中学3年のある夏の午後、
ラジオから流れてきたALICEの「遠くで汽笛を聞きながら」が、
傷ついていた僕のこころを癒してくれた。
初めてのコンサートは、中学を卒業した翌日。
1979年3月11日横浜文化体育館での、
ALICEのハンド・イン・ハンドコンサート。
中学時代、妹のようにかわいがっていた後輩との最後の想い出作りだった。
「さらば青春の時」を聞いたとき、
楽しかった3年間の中学での生活が走馬燈のように甦った。
高校1年の誕生日、姉がくれたバースディプレゼントは、
ALICEのファンクラブ「アリスの飛行船」のメンバーズカードだった。
2度目のコンサートは、1979年9月15日。
ALICEの5枚目のLIVEアルバム、
「限りなき挑戦/アリスライブ」にも収録された、
横浜スタジアムでのコンサート。
アンコールの「美しき絆−ハンド・イン・ハンド」を、
いつまでも歌い続けていたことが、あの頃の僕達の誇りだった。
今でもあの時のことを思い出すと、胸の中から熱いものがこみ上げて来る。
高校1年の冬、初めて自分で買ったチケットを握りしめ、
雪の中、黙々と目指した神奈川県民ホール。
3階の最後尾の席で聴いた「チャンピオン」が、
自分の道を見失なっていたあの頃僕に、再び自分の道を歩けと励ましてくれた。
高校2年の秋、
隣の街で開催されたALICEのハンド・イン・ハンドコンサート。
会場の厚木市文化会館には、中学や高校の見知った顔が集まっていた。
帰り道、みんで歌った「狂った果実」がとても懐かしい。
高校3年の春、1981年5月21日、
ALICEが活動停止の記者会見をしたあの日。
最初はこころの中が、真っ白になって何も考えられなかった。
ALICEが、いなくなるなんて、考えたこともなかったし、
ALICEが、いない生活なんて、想像もできなかった。
でも飛行船の会報で、3人の想いを知ったとき、
僕はALICEがいなくなってしまうと言う現実を、受け入れられると思った。
高校3年の夏、1981年8月31日、夏休み最後の日。
今は無き、後楽園スタジアムでの、
ALICEのコンサートツアー’81−謀反−
LIVEアルバム、
「アリス3606日 −FINAL LIVE at 後楽園−」の、
オープニングの「LIBRA」を聴くたびに思い出す、あの日の喜びと悲しみ。
ALICEの音楽に熱く燃えるこころと、
ALICEがいなくなる日へのカウントダウンとなる何とも言えない寂しさが、
こころの中に渦巻いていた。
高校3年の秋、横浜スタジアムで燃え尽きたあの日。
1981年10月18日。
ALICEからの僕らへの最後のメッセージとなった「風は風」。
あの歌を聞く度に、ALICEと共に過ごした時が鮮やかに甦る。
1981年11月7日、3人だけの後楽園スタジアム。
あの時流した熱い涙を、けして忘れることはないだろう。
ALICEは言った、
『いつかは、みんなの前に帰って来たいと。
でも約束は出来ない、約束してしまったら、今の決意が嘘になるから。』と。
最後の「明日への賛歌」を歌いながら、
またいつの日にかALICEと出会える日が来ることを、
信じようとこころに誓った。
大学1年の七夕の夜、鎌倉は稲村ヶ崎で出会った運命の少女。
別れ際彼女にあげたウォークマンには、
ALICEの「夢去りし街角」が流れていた。
1年後大学2年の七夕の夜、鎌倉は稲村ヶ崎で少女と再会した。
1983年11月5日、神奈川県民ホールでのチンペイさんのコンサート。
それが、少女と行った最初で最後のコンサート。
「秋止符」のメロディーに会場が包まれたとき、
彼女の頬を伝った一筋の涙がふたりの悲しい運命を暗示していた。
2日後の11月7日。
出会った鎌倉は稲村ヶ崎の海岸で、ふたりは別れた。
彼女の結婚、それがふたりの別れの理由だった。
その年の12月8日、初めて行ったあこがれの武道館コンサート。
彼女とふたり行くはずだった、チンペイさんのコンサート。
ひとりで聞いた「秋止符」に、今までの人生で一番苦い涙を流した夜。
マスター2年学生生活最後の冬、12月7日。
小田急線のプラットホームで、溢れる涙をぬぐいもせずに、立ち尽くしていた、
6年ぶりのアリスの新曲「BURAI」を聞きながら。
社会人になって、期待と不安の中で、ALICEの歌が僕を支えてくれた。
何年かが過ぎ、社会人の生活にも慣れ、
ALICEを聞く機会も減っていった。
流れ過ぎていく時間の中で、色々な女性との出会いと別れがあった。
でも結局、鎌倉で出会った少女より素敵なひとには、出会えなかった。
そして、1997年春、JR川崎駅東海道本線のホームで、
電車の窓越しに鎌倉で出会った彼女を見つけたとき、こころが震えた。
一週間後、同じ時間、同じ場所で、彼女を探していた。
もう一度彼女に会える、そんな漠然とした想いを胸に。
想いは通じ、再び彼女と再会し、今度は言葉を交わすことが出来た。
彼女との別れ際、ALICEの「美しき絆−ハンド・イン・ハンド」の、
フレーズが、僕のこころに浮かんできた。
『人はいつの日も 幸せもとめて 空を見上げることを 知るように
きっといつの日にか 気づかぬうちに 心がひらいてゆく 信じたい』
1999.10.11 Mon.
P.S.
ALICEは、僕にとって、青春そのものでした。
そして、これからも、追い続けていきたい、憧れなのかもしれません。
今回、アリスの飛行船が、閉会するとのことで大変残念です。
でも現状でアリスの飛行船を維持されていくのは、
非常に難しい事とも思います。
以前から、ALICEのホームページを作りたいと考えていましたが、
なかなか作る時間がなくて先送りにしてきましたが、
今回の飛行船の閉会で、決心が尽きました。
ALICEのホームページを作ります。
開設は、1999年11月7日にしたいと思います。
最初から、素晴らしいものは、作れないかもしれませんが、
少しずつでも、修正しながらいいものにしていきたい思います。
ホームページのURLは下記の通り。
ホームページのタイトルは『真っ赤な飛行船』とします。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kobakatu
よかったら、みんな覗いて見てください。
それでは、また、いつか、どこかで、再会出来ることを願って。
Bon voyager.
1999.10.13 Wed.by K.K(bO02−28101)
※ 1999年にアリスのファンクラブ「アリスの飛行船」が閉会するにあたり
寄稿した文章です
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