自然の安らぎと食が楽しめる県,山形!
◆近世国名・藩名:羽前(うぜん)
人口 ,172,613人(男562,484人,女610,129人) 世帯数 392,855世帯 [2010年6月1日現在]
山形県は,東北地方の日本海側に位置し,東京から概ね北に300km,山形新幹線で約3時間の距離にある。三方を山に囲まれた自然豊かな地域。県域面積は全国第9位の93万hである。
羽前国(うぜんのくに)は,現在の山形県のうち,飽海郡と酒田市北部(最上川以北)を除いた大部分にあたる。
山形県の「山形」は,平安初期の資料「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に今の山形市の南側を「山方 (やまがた)郷」と言ったことに由来すると言われる。なぜここを山方と言ったかは不明であるが,山形市の南方には,山岳信仰で知られた蔵王,瀧山(りゅうざん)の山々がある。
そののちこの山方という地名は,いったん資料から消えたが,南北朝時代に斯波兼頼が政治の拠点をこの地に置き政治が安定してくると,土地売買の文書などに山形という地名が改めて登場するようになった。
山形地方の繁栄は,最上川舟運と北前船による交易によるところが多であった。米沢から酒田まで,県内を流れる最上川は,古くから舟運に用いられ,流域で生産された織物,紅花(べにばな),漆などの特産品が,北前船によって京都まで運ばれた。
そして,京都から山形には,様々な品や京文化が持ち込まれた。「西回り航路は寛文12(1672)年に河村瑞賢(ずいけん)が始めたのであり,酒田港へ年間3000隻が入るなど, 中継地の酒田は「西の堺,東の酒田」とうたわれた。粋な湊町独の文化を育み,いまも残る料亭文化を生んだ。
当時,商業,回船業,倉庫業などで財をなし,全国にその名をとどろかせた,「本間様にはおよびもないが,せめてなりたや殿様に」とうたわれた酒田の大富豪・本間(ほんま)家の別荘や本邸,倉庫などが,往時の栄華を今日に伝えている。
全国第9位の93万haの県土面積は,その地勢や江戸時代の幕藩体制のなごりから,方言や食べ物など,文化も少しずつ異なり,南から,置賜(おきたま),村山(むらやま),最上(もがみ),庄内(しょうない)の4つの地域に大きく区分されている。
なお,日本で唯一,県内の各市町村に温泉がある「温泉王国」でもある。
県民性
山形県は,四方を山に囲まれ,積雪量も多い。この「雪と峠」の地勢が,生きとし生けるものすべてを慈しみ,万物の霊を弔うという精神を表した,草木塔に象徴される。それは,草や樹木といった万物の生命に対する畏敬の気持ち,祈りの気持ちを具現化したものである。
こうした歴史・風土が実直,勤勉で我慢強い,思いやりがあり,情がこまやという気質を育んできだ。その反面,閉鎖的,消極的という,マイナスイメージもつきまとう。
山形県は,庄内と最上地域の2つに区分される。いまでも,全国農業協同組合連合会の支部なども全国でただ一つ,山形と庄内の二つの組織に分かれている。庄内の人々は最上の下風に立つことを嫌うという。
山形の山間部は内向性が強く,庄内は社交的だ。こうした気質は,上杉藩の教育につながるものがありそうである。帝人は,米沢市に誕生した。上杉鷹山の藩政改革で知られるこの町が育んだ事業風土とは無縁ではなかろう。
江戸時代の米沢藩主上杉鷹山は,宮崎の高鍋藩から養子として上杉家に入った人物。上杉藩の経済復興に尽力した彼が家訓にしたのが,倹約ともうひとつ「正直」だったという。これは宮崎の伝統はうまく受け継がれているといえそうだ。
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庄内美人,古くは羽前美人といわれる。山形美人が生まれたのは,奈良時代,最上川沿岸で国家的な開墾事業が進められ,武装農民が近畿地方から送り込まれたことに源を発するという。
昭和の論客・大宅壮一氏は,山形県人の気質を「野暮で誠実」と評した。また「おしん」で知られるように,山形県人は辛抱強くて働き者のイメージがある。秋田県では,「嫁をもらうなら山形から」という。事実,共働き世帯の比率は高い。
−−「鶴の恩返し」と「おしん」のモデルは山形女性
●伝統の教え
地域区分
明治4年(1871年)の廃藩置県により7県(山形,米沢,上山,天童,新庄,大泉,松嶺)に置き換えられますが,その後の統廃合により,明治9年(1876年)8月21日,現在の山形県が誕生した。
明治11年には11郡336町1,223村であった。その後,各市町村相互間の廃置分合などがあり,昭和25年10月現在で5市30町188村となり,「昭和の大合併」を経て昭和43年6月1日には,13市
27町4村となった。
2005(平成17)年,余目町と立川町が7月に合併して庄内町となり,10月には鶴岡市・藤島町・羽黒町・櫛引町・朝日村・温海町の1市4町1村が「新」鶴岡市に,11月には酒田市・八幡町・松山町・平田町の1市3町が「新」酒田市となり,現在は35市町村(13市19町3村)となっった。
全国第9位の93万haの県土面積は,その地勢や江戸時代の幕藩体制のなごりから,方言や食べ物など,文化も少しずつ異なり,南から,置賜(おきたま),村山(むらやま),最上(もがみ),庄内(しょうない)の4つの地域に大きく区分されている。
●置賜(おきたま):白鷹町,南陽市,上山市,長井市,川西町,高畠町,小国町,飯豊町,米沢市
盆地の入口に米沢市があり,江戸時代に名君として知られた上杉治憲をはじめ,城主上杉氏にまつわる史跡が多い。
●村山(むらやま):山形市 , 上山市, 天童市, 村山市, 東根市, 寒河江市, 尾花沢市, 山辺町,| 大石田町, 中山町,| 河北町,
西川町, 朝日町, 大江町
盆地の南部に県都山形市がある。最上氏がきずいた山形城の跡は霞城公園(かじょうこうえん)となり,桜の名所でもある。
●最上(もがみ):新庄市, 金山町, 最上町, 舟形町, 戸沢村, 真室川町 ,大蔵村, 鮭川村
最上地方の新庄盆地の中心は新庄市である。
●庄内(しょうない): 酒田市, 鶴岡市, 遊佐町, 庄内町, 三川町
酒田市は,かつて「西の堺,東の酒田」と謳われた有数の港町。市の中心部は,碁盤の目のように区画され ,日本一の大地主といわれた本間家旧本邸などかつての豪商の生活ぶりを今に伝える建物や寺院など見どころいっぱい。城下町の鶴岡市には,歴史的建造物をあつめた致道博物館や藩校,致道館などがたつ。平野の北方には鳥海山がそびえ,南東には信仰の山である出羽三山の羽黒山,月山,湯殿山がたたずむ。
source: やまがたinfo http://www.yamagata-info.com/yamagata/okitama.htm
《山形の特産品》
●県庁所在地:山形市(http://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/)
平成23年3月1日現在 人口 253,923人 世帯数 96,770世帯
南北朝時代から今に残る城下町。
2000年以降,中心市街地から山形ビブレ,山形松坂屋など4つの大型店が撤退した山形市。大型店が,北と南の郊外に続々と進出したショッピングセンターの影響が大きかった。
昨年6月以降は“嶋地区”と呼ばれる区画整理エリアに,衣料のしまむら,食品スーパーのヨークベニマル,ホームセンターのダイユーエイトなどが核店舗としてオープン。さらに,イオン山形北SCの近くで営業していたユニクロや青山商事も,このエリアに移ってしまった。
山形市は,SCや専門店ビルの集積で拡大する“仙台商圏”の脅威にもさらされている。なにしろ,両市はクルマ,電車とも約1時間で結ばれる通勤・通学の圏内。高速バスは,土日ですら66往復も運行される。
◆県庁所在地のある市で最も栄えていない駅ベスト4
山形駅前,前橋駅前,山口駅前,水戸駅前は,「県庁所在地のある市で最も栄えていない駅ベスト4」とも揶揄される位,商店街(商業集積)が寂れている。
●縁とゆかり−日向・高鍋(宮崎県)−上杉鷹山
出羽国米沢藩の第9代藩主,上杉鷹山(ようざん)は,江戸時代を代表する名君として知られる。日向国高鍋藩主の二男に生まれた 鷹山は,17歳の時,上杉家の養子となる。当時の米沢薄は,幕府に領地返納を願い出る寸前の惨状であった。農村の疲弊をよそに,藩祖謙信以来の家柄を誇り,格式にこだ わる家臣の多くは,鷹山の進めようとする改革にことごとく反発する。鷹山は,倹約令を発令するにあたって,自ら一汁一菜に甘んじて範を示した。
●山形県の大学 |
・山形大学: (山形市)何よりも学生を大切にする大学を目指して |
山形大生の不祥事に歯止めかからず−今年4人目の逮捕者 ⇒⇒関連HP⇒⇒学長告示(山形大学の学生諸君へ) 去る平成24年10月8日、本学学生が住居侵入の疑いで警察
に逮捕されるという事件がありました。この事件により、今年に 入り逮捕された学生の数が3名となりました。大変異常な事態で あり、深刻な状況です。
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地域特性
●地勢・気候
山形県は,蔵王,月山,鳥海,吾妻,飯豊,朝日と日本百名山に数えられる山々に囲まれ,南から連なる米沢,山形,新庄の各盆地と庄内平野を「母なる川」,最上川が流れる,自然に恵まれた地域である。
夏は暑く,冬は豪雪地帯の山形県はその地域的特性から4つの地域に分けられ,各地域ごとに異なる方言や文化が存在している。
・ブナ天然林の広さ 15万ha(全国の16.3%:平成12年)
●酒田市,鶴岡市−商業の衰退
日本海に面した山形県酒田市。かつて,商業の街として栄えた面影は,JR酒田駅前には微塵もない。人気のない商店街と,巨大な更地が広がるだけだ。1997年に撤退したSC,ジャスコ酒田駅前店の跡地である。11年の歳月を経て,土地を取得した酒田市がようやく道路の拡幅工事を始め,地元は商業施設の建設を提案するが,具体化はこれからである。
隣の鶴岡市も同様で,JR鶴岡駅前の更地は,05年3月に撤退したジャスコ鶴岡店の跡地だ。中心市街地が空洞化するなかで,その高齢化率(65歳以上)は人口の減少とともに33%に拡大した。 イオン鶴岡店の閉鎖後は,地元に“撤退の連鎖”という爪跡が刻まれた。
旧ジャスコの目の前にあった専門店ビルの「マリカ東館」(30店舗)は,売り上げを2〜3割落とし,一部の店舗はイオン三川SCに移転。昨年の7月,廃業に追い込まれた。
地方の衰退と,大都市商圏の拡大。地方の市場が狭まるなかで,過当競争と消費不況の嵐が吹く。今後,地方では郊外SCの撤退が本格化していく。
山形の特産品
●風味濃厚「枝豆の王様」 だだちゃ豆酒田市,鶴岡市−商業の衰退
江戸時代から山形県鶴岡市の農家が大切に守り生産されてきた枝豆の「在来種」で,鶴岡市で栽培されている。小ぶりで,サヤに細い茶色の毛が生えているため見た目は必ずしも良くないが,独特の甘みと濃厚な風味を持ち,トウモロコシのような香りがあって人気が高く,「枝豆の王様」と称されている。
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「お父さん」の意味。昔,枝豆が大好物だった庄内藩の殿様が,毎日枝豆を持ち寄らせては「今別まどこのだだちゃの枝豆か?」と聞いていたことから,だだちゃ豆と呼ばれるようになった。
収穫時期は,8月から9月上旬までと短い。他の地方で生産すると味が落ちることから,JA鶴岡がだだちゃ豆の商標を取得し,他地方で栽培・出荷した豆をだだちゃ豆と称して販売しないように規制している。生で販売されるはか,菓子などの加工品も多数商品化されている。
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