ゲーム感覚


「ゲーム感覚で楽しく学べる」といった言葉が最近CMなどで出てくる。いわゆるFAXやパソコンなどを使ったシステムの宣伝によく使われる。機械を使うからゲーム感覚、ということでもないだろうが、そうした器具を使わなくても「ゲーム感覚」というのは教える上でかなり大きな意味を持っているように思われる。
「ゲーム」というとなんだか半分遊んでいるよう印象だが、実際遊びというのはまじめにやるものだし、授業中はおしゃべりしたりする子でもゲームをやっていたり好きな漫画やドラマを見ているときはみんな真剣である。
「FFZ」がもうすぐエンディング!というときにお母さんから「いつまでやってるの、早く宿題やりなさい」と言われれば、宿題をやらなければいけないのはわかっていながら「あとちょっとー」となるだろうし、「ひとつ屋根の下」の最終回を見ている時に「ねえねえきのうさあ・・・」と話しかけられれば「うるさいなあ、ちょっと黙っててよ」となるだろう。
 しなければならないから夢中でゲームをするわけでもないし、見なさいといわれてテレビに釘付けになっているのでもない。ただおもしろいからやめなさいと言われてもやるのである。ゲームと勉強を同じように論じるのはどうか、という声もあるが、さりとていやいや無理矢理勉強するよりもおもしろくて楽しい方がいいに決まっている。生徒にとっても教師にとっても。
 ゲームのおもしろさのひとつは、持っている知識やアイテムを使ったり組み合わせたりして次のステップに進むことだ。その中でキャラクターは敵と戦いながら経験値を上げ、力をつけていく。先へ進めない時はそのために必要な新しいアイテムをどうやったら見つけることができるのかを考える。そうして今までやられていた敵キャラを倒したり、解けなかった謎を解いたりして先のステージに進むとそこにはまた新たな問題が待ち受けているというわけだ。
 さて、これを算数に置き換えてみるとどういうことになるか。
 ひたすら計算問題をやるというのはいわばその辺の敵を倒して経験値や金貨を手に入れている状態であろう。力はつくし戦い方も覚えられる。それなりの爽快感も得られる。
 しかしだ。同じステージの中でひたすら敵を倒してばかりだといつかは飽きてしまうだろう。そうやって現れる敵と戦って経験値を上げているのは次に進むという目的がはっきりしているからなのだ。それがあるから次へ行くための工夫も考えたりするし必要なアイテムを自分で探したりもするのである。
 例えば分数の計算に当てはめて考えてみよう。(小学生のページ参照)
 小3から始まる分数のたしざんひきざんは小4で帯分数・仮分数を習い、小5で初めて分母の異なる分数同士をたしたりひいたりというパターンが出てくる。これをやるためには分母を同じ数にそろえる通分とできた答をすっきりさせる約分が必要で、通分・約分をするためには公倍数・公約数が必要である。だから小5の2学期の単元は倍数・約数⇒通分・約分⇒分数のたしざん・ひきざんと並んでいるのだが、同じひとつずつの単元をやるにしてもちょっとしたやり方のちがいで生徒の興味はかなり違ってくるようである。
  ひとつの方法としてちょっと無茶だが、いきなりまだ習っていない分母の違う分数の計算を出してみる。形自体は小4でならったものとたいして変わらない。出した問題が帯分数でなければかえって簡単そうなくらいである。だからすぐにできそうに見える。
 ところができない。なぜなぜなぜ?なぜなら分母が同じ数ではないからである。それならば分母が同じなら4年生までに習ったやり方でできるということになる。だったらどうすればそうできるのか・・・ということで倍数や約数の授業に入る、といった具合。
「ゲーム感覚」とは「知的好奇心を刺激する」ということ、さらには「なぜ?なぜ?なぜ?」という気持ちと言い換えることもできるだろうが、そのためにはかなりの下準備が必要だ。しかしそうした準備や予習や発問を考えるというのもけっこう楽しいものである。

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