「失敗」を素直に反省するのはむずかしい。
中間テストや期末テストの成績は返ってきたものからどんどん記入してもらうようにしている。
いい点数はすぐに書くのだが、そうでない場合はなかなかうまらない。
「数学、まだ返ってきてないの?」
「返ってきたけど・・・忘れた」
「忘れたじゃなくて忘れたいでしょ」
「てへへ」
というぐあい。
点数がよかったときは手放しに大喜びして「ようし、次もがんばろう」でよいのだが、むずかしいのは点数が下がっていたときの対処の仕方である。
点数が悪かったのは厳然たる事実であり、やるべきことをやらなかったらそれなりの点数が返ってくるというのは当然のことだ。
しかし当たり前のことを頭ごなしに言われると素直になれないのはこどもだけでなく大人にも言えることである。
「なぜこんな点数とったんだ」というお叱りの言葉がこどもにとって「がみがみ」に聞こえているとしたら、なかなかそこから「反省」というものは生まれない。
やさしく穏やかに「次はがんばろうね」で、次にがんばれればそれが一番よいのだが、「うん、がんばるよ」と言ってテストはそのまま机の奥へ、ということもある。
誰しもいやな結果からは目をそむけたくなるものだから。
ではどうすればよいのか。
なかなかむずかしいことだけれど、第三者的に「なぜこの点数だったのか」ということを厳しく分析してみる。
例えばテスト2週間前に以前に習った内容の復習問題をやったらまったく忘れている部分があったりする。それはつまりそこをそのままにしておけばテストでもまた同じまちがいをするということだ。
あるいは「ここが出る」と予想して直前にやった問題がほとんどそのままの形で出題されて(やったー、予想的中!)、それにもかかわらず「ここは特にまちがいやすいから気をつけろよ」といってあったところをやっぱり間違えている(がっくり)、というようなケースも多々あったりする。
点数はあくまでも結果であり、問題は「やるべきことをやらなかった」という部分である。
やるべきことが何で、それを自分が「やった」のか「やらなかった」のかをあくまでも「具体的」かつ「客観的」に考えてみると、
「それじゃあこの点数も当たり前だなあ」と本人自ら納得できることが多い。
それがこれからの勉強、そして次のテストに生かされればしめたものである。
(次のテストの後にも同じことをやっている場合もなきにしもあらずだが)
「成功から得られるのはその時の悦びだけだが、失敗からは多くのことを学べる」
HONDAがF1に参戦して試行錯誤している頃に本田宗一郎氏はそう言って落ち込む社員を叱咤激励したという。
失敗をたんなる失敗で終わらせてしまえばそれは後退でしかない。
厳しい結果にきちんと向かい合って見つめることができるかどうか。
それが前向きな「素直な反省へ」そして「成功へ」のステップになるかどうかの分かれ目なのである。
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