平成8年9月 私は小笠原を訪れました。



 私が小笠原に行ったのは、別段特別の理由があったわけではありません。 なんとなく行く事に

なったような気がします。

 小笠原丸は、東京港竹芝桟橋を、午前10時に出航しました。 私にとっては、遅い夏休みでした。

1時間ほどで、館山沖を通過し、外洋に出ました。 あとは、なーんにも見えません。 海ばかりです。

デッキにいるのも飽きて、2等船室に戻りました。 外海は海流も激しく、船は大きく揺れています。

来ました来ました。 お定まりの船酔いです。 頭は痛いし、気持ちは悪いし、胃は3回くらい裏返

ったみたいです。 まだ3時間も経っていません。 船旅はまだまだ20時間以上も続くのです。

 どんな体勢をとっても、船酔いってのは苦しいものでした。 周りの人たちの会話から、寝ている

のが一番と聞きましたが、仰向けになるのが少しましな程度で、横になるとすぐまた気持ち悪くな

ります。その状態で、なにも出来ず、なにもせず、なおかつ時間はちっとも過ぎていきません。

「ああ、またこの状態で、同じ思いをして帰るのか...」

すでに、帰りの苦しさが思い煩われます。

 島影が見えて、到着が近いとの船内放送を聞き、苦しいことより退屈の方がつらくなっていた私

は、なんとか起きあがって、デッキに出てみました。 翌日の午後2時半になっていました。

 船酔いは、一気に解消されました。

 純粋海水100%の潮風。 黒い島影と、エメラルドグリーンの海。 クリーム色の海岸。 こじん

まりとした可愛い町並み。 驚きでした。 こんなに美しい海、見たことありませんでした。 こんな

に爽やかな潮風、当たったことありませんでした。 荷物を取りに、船室に戻りたくない気持ちでし

た。

 私が泊まった「バナナ荘」という民宿は、ワシントンさんという、先住アメリカ系住民の家でした。

もちろん、日本語はネイチャーです。 でも、孫を叱る時は、これもネイチャーな英語でした。

ですからどんな料理が出てくるのかと思ったら、純和風家庭料理でした。 ごはんがとても美味し

く感じられました。 

 長い航海で疲れ果ててはいましたが、ぶらぶらと町に出てみました。 1時間も歩くと、もう全部

見てしまいました。 ちっぽけな商店街と、官庁街です。 そのまま、坂を登って「ウエザーステー

ション」へ行ってみました。 もうたくさんの人たちが、夕日を見ようと集まっています。 でも、もや

がかかっているので、海に沈む夕日は見られませんでした。

 戻って、同室の人と、自己紹介をしあいました。 先月、ネパールから帰って来て、島には就職

の面接に来たとの事でした。 そのバイタリティに、またまた感心してしまいました。 冷房のない

部屋でしたが、何も気にならず、ぐっすり寝る事が出来ました。

 翌朝が来ました。 自転車と潜水セットを借り、島の探索に

出かけました。 どこにも店がないと聞いていましたので、

小祝商店という店で、パンとドリンクを仕入れ、自転車にまた

がりました。

 いやあ、しんどいですよ。 バイク借りればよかったかも。

とにかく坂が急です。 そんな長い急な坂を登っていたら、

その知らせを聞いたのです。

 それは、台風が来ているので、出航時間が変更になって、その日の夕方に船が出る、という

ものでした。

 なんということでしょう。 3日いる予定だったんです。 その船で帰らないと、次に船が来るまで

10日も待たないといけないのです。 迷いました。 けれど、一般的な考えから、その船で帰ら

ざるを得ないという結論を出さざるをえませんでした。

 船は、夜9時ころの出航だったかと思います。 もうすっかり

日も落ち、あたりは暗くなっていました。

 でも、なんだか埠頭がとても混んでいるんです。

こんなに、乗る人、いるのかなあ、と思っていましたが、

荷物を船室に置いてから、何もする事がないので、デッキ

に出て見ました。

 どうした事でしょう。 ますます人が増えているんです。 父島にこんなに人がいたっけな、と思う

程なのです。 手に手に、ペンライト等を持ったり、垂れ幕を広げたり、そんな人たちで溢れかえっ

ています。 まるで祭りのようです。 民宿やユースホステルの人、土産物屋さん、レンタバイクシ

ョップの人、食堂の人.....。 島中の人たちが出てきたみたいなのです。 そして、笑顔で手

を振っているのです。 子供の声が、甲高く響きます。 船客と埠頭の人たちとの間に、大きな声で

のコミュニケーションがあります。

  船が、汽笛を鳴らして、岸壁を離れました。 ロープが巻かれ、

船首が港の外に向こうとしています。 すると、人々が岸壁めがけ

て駆け出して来ました。 ますます大きな声で叫んでいます。

もう、海に落ちんばかりです。 こんな世界が、ここにはあったので

す。 物語の中にしか無いと思っていた世界が、ここに。

 同宿の人がそばにいました。 その人も、私と同じく、目をまるく

しています。 そして言いました。

「今度は、あちら側で、船を見送ってみたいですね。」

それを聞いて、私は得心しました。 そうなのです。 あの人たちはこう言っているのです。

「どうしてかえっちゃうのー。」

「こっちにおいでよー。」

「ここに来たんでしょうー。」

私は心の中で叫びました。

「帰ってくるよーーーーーーーーー。」

「きっと、必ず、絶対に、帰ってくるよーーーーーーーーーーーー。」


 私の小笠原旅行は、往復60時間、島に30時間というものでした。

 すべては、あの時から始まったのです。


                         

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