小谷本の羊肉調理法は転載だった

 はい、まず資料を配ります。どんどん後ろの人に回していって下さい。いいですか、行き渡りましたか。余った分は、はい、こっちに持ってきて。きょうは前回に続いて北大予科の小谷武治教授が出版した「羊と山羊」を取り上げます。初版を出したの予科の先生になる9年前だし、それから2回手を入れているので、私は小谷さんは生物の先生だろうと思っていたら、実は羊とほとんど無縁、英語を教えていたのです。
 1枚目の資料その1は、その「羊と山羊」の2回の改訂ぶりを目次からとらえてみようとまとめた版ごとの目次の変化一覧表というべきものです。小谷さんはね、大正5年に出した3版は全部増補改訂3版、4版は全部改訂大増補4版と2回とも全部という形容詞を付けているんですが、大正8年の第4版では特に2つの新しい内容を加えたのです。北大にあるのは初版と第4版の再版である第5版だけなので、私は東大に行って農学生命科学図書館で第3版、福岡まで飛んで九大図書館で4版を見せてもらいましたね。はい。
 資料その1を見なさい。左側にあるのが、基本になった初版の項目です。これが3版で変わった場合は逆三角形みたいなナブラとBで新しい呼び方などを示しています。4版で変わったらナブラC付きね。パソコンのモニターだとナブラの記号の上と左の線が太くて、いいなと思ったんだが、印刷するとただの逆三角だなあ。
 項目の左側の数字の帯みたいなのが初版、3版、4版の各項目が始まるページ番号でね、版の順序を右行き→で示しました。それから右端にある星印と数字はページ数が変わった項目とその項目のページ数を示しています。3つの数字の左端が初版のその項目のページ数ね。白い星付きの数字が3版でのページ数、黒い星印が4版と5版のページ数。だから同じぺージ数の場合は空白、何も書いてない。それからね、この数字は目次のページ番号の引き算で出した数字なので、その前の項目のわずかな行数の増減で1ページぐらいのずれが生じるから、大きく変化した項目だけ注目しなさい。
 私もこんな表づくりは初めてでね。書誌学なんて学問でもやっているかどうか知りませんよ。ねぼけて計算のおかしいところがないとはいえませんかがね、とにかく現場主義、新渡戸さんも学問より実行といわれた。煩雑のようですが、やってみました。

資料その1

   ∇Bは3版から変わった項目
   ∇Cは4版から変わった項目
                    左端は初版のページ数
                    ☆3版のページ数
                    ★4版のページ数


               初版→3版→4版
羊と山羊 目次
前篇  緬羊
総説             1→1→1
第一章 緬羊の性状及び名称  5→5→5
1 緬羊の性状        5→5→5
2 緬羊の名称        6→6→6
第二章 緬羊の祖先及び沿革  9→9→9
1 緬羊の祖先        9→9→9
2 本邦牧羊の沿革      13→13→13
3 海外諸国牧羊の沿革    18→18→18
第三章 海外諸国牧羊業の現況 26→26→26
1 豪州の牧羊業       29→29→29
2 南米亜爾然丁国の牧羊業  41→41→41
3 露国の牧羊業       44→44→44
4 米国の牧羊        47→47→47
5 満州及び蒙古の牧羊業   52→52→52
  い 満州の牧羊業     53→53→53
  ろ 蒙古の牧羊業     58→58→58 6☆8★10
6 海外諸国羊毛の需要供給  64→66→68 4☆6★4
第四章 本邦毛織業の進歩と牧羊業の現況
               68→72→72 8☆12★12
第五章 羊の効用       76→84→84
1 羊毛           76→84→84 2☆4★3
  ∇C羊毛、羊皮革 と書き換え
2 羊肉           78→86→87 3☆3★6
  ∇C◎羊肉調理法 を追加       89
3 羊乳           81→89→93
4 羊屎尿          84→92→96 4☆5★5
  ∇B(附)羊血と箪毒を追加  
   ∇C(附)羊血と有毒菌 と書き換え
                     97→101 
第六章 農家の副業としての牧羊  88→97→101  4☆4★1
 緬羊蕃殖表           92→101→102 1☆1★0
 羊分配法            93→102→102 1☆1★0
 羊毛分配表           94→103→102 1☆1★0
 損益勘定表           95→104→102 1☆1★0
 緬羊一頭貸付に封する利益分配表 96→105→102 2☆2★12
  ∇C胆振国伊達村緬羊其飼育の成績              103
  ∇C(甲)副業的に飼育しつゝある農家の収支表         110
  ∇C(乙)副業的に飼育する農家の緬羊一頭に対する収支概算表 111
第七章 緬羊の種類        98→107→114
甲 平原種            98→107→114
1 メリノ種           98→107→114 9☆10★10
2 レスター種         107→117→124
3 コッヲルト種
  ∇Bコツヲルト種と書き換え
                 111→121→128
4 リンコン種
  ∇Bリンコーン種と書き換え
  ∇Cリンコン種と書き換え
                 113→123→130
5 ロムネーマーシ種
   ∇Bロムニーマーシ種と書き換え
  ∇Cロムニー、マーシュ種と書き換え
                115→125→132
乙 丘陵種           117→127→134
1 サウスダウン種       117→127→134
2 シュロップシャ種      119→129→136
3 ハンプシヤダウン種
  ∇Bハンプシャ、ダウン種と書き換え
                122→132→139
4 ドルセット種        123→133→140
5 オックスフォルドダウン種  125→135→142
6 サッフォーク種       126→136→143
丙 山岳種           128→138→145
1 チェヴイオッド種
  ∇Bチェヴィオット種と書き換え
                129→139→146
2 ハルドヰック種       131→141→148
3 黒面種           133→143→150
丁 雑種羊           136→146→153
1 コツヲルト、メリノ雑種   137→147→154
2 サウスダウン、メリノ雑種  137→147→154
3 レスター、メリノ雑種    138→148→155
4 コツヲルト、レスター雑種  138→148→155
4 コツヲルト、サウスダウン雑種 139→149→156
附 清國種           140→150→157
第八章 蕃殖          141→151→158
第一 同種蕃殖         142→152→159
  い 同族蕃殖        142→152→159
  ろ 親族蕃殖        142→152→159
  は 同系蕃殖        142→152→159
  に 同種他族蕃殖      143→153→160
第二 異種蕃殖         143→153→160
1 蕃殖に供す可き羊の年齢   152→162→169
2 配合頭数と交配法      153→163→170
3 懐胎期           153→163→170
4 懐胎期と産児の大小     154→164→171
5 産児牝牡の割合       154→164→171
6 分娩数           154→164→171
7 分娩期           156→166→173
第九章 夏季管理法       156→166→173
 護羊犬
  ∇C(附)牧羊犬 と書き換え
                185→195→202
第十章 牧羊及び仔羊管理法
  ∇B牝羊及び仔羊管理法 と書き換え
                192→202→209 14☆14★28
第十一章 冬季管理法      216→226→237 21☆21★22
第十二章 緬羊肥■<月篇に盈の字>法
                237→247→259
第十三章 羊毛の組織及び特性=洗毛及び剃剪毛
   ∇B羊毛の組織及び特性==洗毛及び剪毛 に書き換え
   ∇C羊毛の組織及び特性洗毛及び剪毛 に書き換え
               243→253→265
  羊毛の分類          250→260→272
 メリノ種及び其雑種毛    252→262→274 13☆14★14
第十四章 羊の疾病      265→276→288
甲 脳病及神経病       271→282→294
1 脳髄炎          272→283→295
2 卒中           273→284→296
3 癲癇           275→286→298
4 脳水腫          276→287→299
5 飛跳病一名暈倒病     277→288→300
6 麻痺           279→290→302
乙 呼吸器病         281→292→304
1 鼻孔加答児        281→292→304
2 喉頭炎          283→294→306
3 氣管支加答児       284→295→207
4 肺炎           285→296→308
5 肋膜炎          287→298→310
丙 消化器病         289→300→312
1 亜布答口腔疹       289→300→312
2 瘤胃拡張         292→303→315
3 第三胃拡張        294→305→317
4 膓の閉止         296→307→319
  い 毛球         296→307→319
  ろ 膓症         297→308→320
  は 膓の挾窄       297→308→320
  に 吐糞病及膓管畳重   298→309→321
5 仔羊の第四胃拡張     298→309→321
6 鼓脹病          299→310→322
7 下痢           300→311→323
8 小羊の下痢        302→313→325
9 赤痢           304→315→327
10 便痞          307→318→330
11 肝臓病         308→319→331
   ∇Cい 肝炎 ろ 黄疸 を追加     331
丁 泌尿器病         311→322→334
1 腎炎           312→323→335
2 結石           312→323→335
3 石麻一名尿石       313→324→336
戊 寄生虫病         315→326→338
1 廻旋病          316→327→339
2 寄生的下痢        320→331→343
3 寄生的胃加答児      323→334→346
4 寄生的氣管支炎      326→337→349
5 肝蛭病          328→339→351
6 寄生的皮膚病       335→346→358
  い 疥癬病        336→347→359
  ろ 篇蝨         345→356→368
  は 羊虱         347→358→370
  に 羊蝿         348→359→371
己 伝染病          349→360→372
1 炭疽熱          351→362→374
2 鵞口病
  ∇C鵞口瘡 と書き換え
               355→366→378
3 羊痘           358→369→381
4 恐水病(狂犬病)     359→370→382 
5 顎筋抅攣         362→373→385
6 罹斯病          364→375→387
庚 血液病          365→376→388
1 血色素尿症一名血尿症   365→376→388
2 貧血病          366→377→389
3 僂麻質斯         368→379→391
辛 腐蹄病          369→380→392
  ∇C附録                 401 10☆10★37
  ∇C◎種羊場官制             401
  ∇C◎種羊場の名称及び位置        402
  ∇C◎出張所廃廃止            402
  ∇C◎緬羊技術練習生採用規定       403
  ∇C◎種緬羊貸付規則           406
  ∇C◎種畜払下規則            412
  ∇C◎種羊事務区域            418
  ∇C◎種畜払下種類及価格         418
  ∇C◎緬羊飼育規則            419
  ∇C◎種羊価格概算表(メリノ種及其雑種) 423

後篇 山羊
第壱章 総論         379→390→425
1 山羊飼養を勧む      379→390→425
2 羊と緬羊との別      384→395→430
3 山羊の祖先及歴史     386→397→432 11☆12★12
第弐章 山羊の生産物
  ∇B山羊の効用 と書き換え
               397→409→444
1 山羊乳          397→409→444
2 山羊バタ         413→425→460
3 山羊乾酪
  ∇C乾酪にチース とルビつけ
               413→425→460
4 山羊の肉         415→427→462
5 山羊の毛皮        417→429→464
  い 山羊の毛       417→429→464
  ろ 山羊の皮       420→432→467
6 排泄物          423→435→470 2☆5★5
   ∇B役用としての山羊 を追加
                   437→472
第参章 種類         425→440→475
甲 乳用山羊の種類      425→440→475 2☆1★2
1 英蘭種          427→441→477 1☆2★0
   ∇Bから英国種 と書き換え
2 仏國種          428→443→477 0☆0★1
  い アルプ種       428→443→478 
  ろ ペレニー種      429→444→479
  ∇Bピレネー種 と書き換え
3 獨逸種           429→444→479
  い シュワルツ、ワルド種
  ∇Cシュワルツワ、ルド種 と書き換え
                429→444→479
   ろ 改良ランヂン、ザルチエール種 
  ∇Bランゲンザルツァ種、Cランゲン、ザルツァ種 と書き換え
                430→445→480
   は ハルツ種       430→446→481 0☆1★1
4 瑞西種           430→447→482 
  い トツゲンブルグ種    430→447→482
  ろ ザー子ン種
   ∇Bザーネン種 と書き換え
                431→448→483 3☆3★2
  ∇Bは シュワルツ、ハルス種 を追加
                    450→485
5 モルタ種         
  ∇Bモールタ種 と書き換え
                434→451→485 1☆4★4
6 ヌビア種
  ∇Bヌピア種Cヌヒア種 と書き換え
               435→453→490 2☆2★0
7 印度種          437→455→490
8 シリア種         437→455→490
9 支那種          438→456→491
10 日本種         438→456→491
11 満洲蒙古種       438→456→491
乙 毛用山羊の種類      439→457→492
1 アンゴラ種        439→457→492
2 カシミア種        447→465→500
第四章 蕃殖法        450→468→503
1 乳用山羊の撰択      457→475→510
  い 年齢の判定      459→477→512
  ろ 健康の徴候      461→479→514
  は 飼養着手者の勧告
  ∇B飼養着手者への勧告 と書き換え
               462→480→515
  に 山羊の価格      463→481→516 3☆4★3
第五章 飼養管理       466→485→519
1 仔畜飼養法        466→485→519 6☆5★6
2 山羊の放牧        472→490→525
3 山羊舎          480→498→533 6☆7★7
4 山羊の飼料        486→505→540 
  緑飼料          486→505→540
  乾飼料          491→510→545
  雑飼料          494→513→548
  水と塩          494→513→548
  日々の飼料        496→515→550
  冬季用飼料の貯藏     498→517→552
5 敷藁手入
  ∇B敷藁、手入 と書き換え
               499→518→553
6 搾乳法          502→521→556
第六章 山羊の疾病      506→525→560 1☆2★2
1 山羊特有の病       507→528→563 
2 下痢           510→531→566
3 赤痢           511→532→567
4 痞結           513→534→569
5 加答児又流行感冒     
  ∇B加答児にカタルとルビつけ
               513→534→569
6 腐脚病          513→534→569
7 乳房炎          514→535→570 1☆1★2
  ∇B8 腰抜病 を追加
                        571
8 中毒
  ∇B9 中毒 と書き換え         
                515→536→572 0☆0★1
9 山羊蝨
   ∇B10 山羊蝨 と書き換え
                515→536→573
羊と山羊目次 終

  

参考文献
出典は小谷武治「羊と山羊」初版目次1ページ、明治45年4月、丸山舎書籍部=原本、 同3版同、大正5年11月、同、同4版同、大正8年8月、同


 どうです、全体として山羊はあまりいじらず、羊の方を書き加えて5版までに58ページ増えています。一番増えたのは羊増産のための種羊場から払い下げ関係の規則の27ページ、次が伊達村、いまの伊達市での羊飼養実績10ページですね。
 この第5版が出たのは大正9年3月、1920年で、初版が明治45年4月、1912年でちょうど8年たっています。ページが増えたのに伴って本の値段も2円50銭が4円50銭と2円上がっています。ジンパ学として大師なのは値段ではなくて第4版87ページから始まる羊肉の部、その中でも89ページからの羊肉調理法が最も重要な記述です。それなのにですよ、肝心の調理法はわずか3ページしか増えていません。これは、前回にいいましたが、小谷さんとしては田中宏さんが書いた羊肉調理法の転載なので、気が引けて完全コピーをしなかったように思われます。宮崎昭さんが著書「食卓を変えた肉食」に書いたように羊鍋、すき焼鍋、附焼、バタ煎、味噌焼、照焼をはじめ、煮込み、おでん、吸物の作り方が紹介(1)されているのか、盛りだくさんというには疑わしいページ数でしょう。この点の考察は後回しにして、レシピーを見てからにしましょう。
  

参考文献
上記(1)の出典は宮崎昭著「食卓を変えた肉食」58ページ、昭和62年3月、日本経済評論社=原本

 では、資料の2枚目を見て下さい。前半が初版に載っている第5章「羊の効用」の中の「二 羊肉」の項目です。資料その1でわかるように、これの「一」は羊毛、肉に続く「三」は羊の乳、「四」は羊の屎尿という順で書かれています。統計のデータが嵩張って引用というには長すぎるように思われますが、せっかく残してくれた数字なので、そのまま資料に入れました。
 屠殺頭数からみると、明治30年末には年間1000頭前後を消費している。その主消費地は横濱を含む神奈川県と神戸のある兵庫県が抜群です。羊肉を好む外国人の居住者数と比例していると思われます。重量単位に斤が使われていますが、尺貫法の1斤は600グラムでした。いまはパンで斤を使うくらいで縁遠くなりましたがね。国内生産だけでは足りなくて、斤数でみれば1頭分が50斤として年間300頭から1300頭分ぐらいの羊肉を輸入していたことがわかります。まだジンギスカンを知らなかった時代、現場主義のジンパ学としてはまだそこまではいいきれませんので、知る人は希だった時代とでもしておきますか。もうそのころから羊肉は国内生産分に近い量を輸入に頼っていたことが、このデータから明確になるんですね。大正5年の雑誌「畜産」に、上海から羊肉を8年前から輸入している「長崎市支那人町に居住する支那人新其昌君」のインタビュー記事が載っています。羊肉は約30時間掛かけて毎日曜入荷する。船では氷塊で冷やすだけなので、夏は食肉検査の成績がよくない。市内のホテルが主で、たまに門司、熊本、福岡のホテルからも申込みがあるが「食用者は英人、米人が主である僅かばかり輸入しても敢て利益はないが私一人で他に輸入者がないから止むなく継続してをる訳合である」とぼやいています。計算では100ポンド当たり10円もうかるが、水分が蒸発して目方が軽くなり「幾何も利益を認めませぬ只他にないから習慣を保持する計りです云々」といいながらも、大正4年中に2.3トン輸入した(2)と答えています。まだまだ羊肉を食べる日本人は少なく、西洋料理発祥の地として横濱と並ぶ長崎にしても羊肉を買い集めることが難しかったことがうかがえますね。

資料その2

二 羊肉

 綿羊の産毛を主とすることは何人も熱知する所なれども、肉用として之れを飼育すると云ふに至りては或は之れを度外視するものあらん、往古にありては羊肉は神聖なるものとして仔羊を犠牲に供せる習風、洋の東西共に存ぜるを見る、されど羊肉は未だ邦人の口に慣れず或は全く其の味を知らざるものさへ多き今日に於て之れが需要如何を慮るものなきにあらざるべしと雖も肉類の需要は益増加し而かも牛数の増加甚だ遅々として屠殺数の増進に件はず却つて朝鮮等より輸入する其の数少からず爲めに肉價年一年騰貴して到底貧民の食膳に供する能はざる状態なり。是を以て牧羊を盛にして羊肉を産出するも亦決して其の販路に苦しむこと無かるべし。
 年々本邦にて屠殺する緬羊の頭数及價格左表の如し。

  緬羊屠殺累計比較
年次       頭数 
明治三十八年  一、三八〇
同三十九年   一、一二二
同四十年      八○八
同四十一年     八九三


  緬羊地方別屠殺頭敷、斤量、價格(四十一年)

        一頭ニ付斤量       百斤ニ付價格
地方    頭数   牝    牡    牝    牡

北海道    七  一八斤  三四斤  二〇円  二四円
東京    五九  四〇   四四   四三   四二
神奈川  五〇一  四九   四八   三五   三七
兵庫   三一五  五一   三八   五二   四三
長崎     二  二五   二五   二四   二〇
巖手     九  四〇   四五   三〇   三〇
 計   八九三  四九   四六   四三   三七

 此外羊肉として年々輸入する数量並に價格左表の如し。

  生鮮羊肉輸入額
年次         数量         價額
明治三十八年   一五、三一九斤    三、六三七円
同三十九年    六九、八〇七     二、九四三
同四十年     三二、八九六     六、八二四
同四十一年    七三、五三九    一三、七三一
同四十二年    一九、六二四     三、四七四

 羊肉には時として一種の臭氣ありと雖其の肉に慣るゝ時は却つて之れを嗜むに至るは猶ほ牛肉の味を知らざるものは其の臭氣を厭へども其の味を知るものは却つて其の臭を好むに至るがごとし。况や其の臭氣は羊肉固有の臭にあらざれば調理によつては全然之れを除去するを得るに於てをや。即ち羊肉を調理するに當りて羊毛を混ぜざる様に注意すべし、然らざれば所謂毛臭を帯び其の美味を損ず、又羊肉調理の際腹部の皮を剥ぎ直ちに臓腑を除くべし、若し速かに除去せざれば臓腑中より発する瓦斯其の肉中に浸み込み容易に其臭氣を脱し難し。
 而して羊肉は其味佳良なれども稍淡白にして赤肉液汁の量共に牛肉よりも少く、組織は牛肉よりも粗く脂肪亦稍多しと雖も彼の脂肪過多にして亦肉少き豚肉、若くは彼の不廉にして其質粗剛、味不良なる牛肉に比すれぱ實に勝れること数等なり、且つ其の肉質脆美にして消化し易く體質羸弱なる人に最も適し特に仔羊肉の如きは其柔軟にして其の香味佳絶なるを以て外國に於ては非常に珍重せらるのみならず洋行帰へりのハイカラ先生の如きは一度マトン(羊肉)或はラム(羔の肉)と聞けば垂涎三尺鼓舌して止まざるべし。
 今其滋養成分を牛肉と対照して之れを示さん(百分中)


          蛋白質    脂肪
牛肉  甚肥   一七、〇%  二六、五
    中肥   二一、〇   二五、五
    痩    二一、〇   二一、五

犢肉  肥    一九、〇    七、五
    痩    二〇、〇    一、〇

羊肉  肥    一五、〇   二六、〇
    痩    一七、〇    六、〇

  

参考文献
上記(2)の出典は中央畜産会編「畜産」第2巻4号74ページ、「地方通信」より、大正5年4月、中央畜産会=原本、資料その2は小谷武治著「羊と山羊」1版78ページ、明治45年4月、丸山舎書籍部=原本


 説明が2カ所あり、宮崎さんは両方とも「食卓を変えた食肉」に引用していることがわかりますね。前者は羊肉は日本人の口にはまだ慣れていないし、全く食べたことのないものが多いから、需要があるかどうかねえと心配されるかも知れないけれども、牛肉の品不足で値段がどんどん上がって、とても下々のものは食べられなくなっている。だから牧羊を盛んにして毛が取れなくなった羊をつぶして、その肉を売れば、こうした貧乏人が買って食べるから出荷先を心配しなくてもいいですよ―と、太鼓判を押したんですね。その裏付けとして小谷さんは地方別屠殺数などのデータを示したわけですが、北海道全体でたった7頭しかつぶしていない。それも全部食べたものかどうか。それから95年たったいま、輸入した羊肉のジンギスカンが北海道名物になっているなんて信じられませんね。
 羊肉の「滋養成分を牛肉と対照して之れを示さん」といい、牛、子牛、羊の太ったやつと痩せたやつをそれぞれ比較しているのは親切なデータですね。遠友夜学校をサポートし続けた小谷さんの人柄が感じられます。やっぱり痩せた子牛と羊は脂肪分がうんと低いのは常識通りとしても、甚だデブの牛と痩せた牛の肉の脂肪分があまり違わないのですね。そうすると何が違って太った牛と痩せた牛であるのか、肉の付き方か皮の厚みか、ちょっと不思議ですね。
 後者の説明では、牛肉だってくさいじゃない、でも味を知っているものはその臭いがたまらんというように、羊もくさいけど同じことなのである。文学部同窓会のホームページの談話室日誌の中に、世界一臭いといわれるスウェーデン産のニシン漬けの缶を外で開けて、同窓会室で賞味していたら、事務の人がガス漏れしていませんかと調べにきたという話が写真入りで載っています。それぐらいオー猛烈、だったんでしょうね。後で先頭になってきた人が身崎文学研究科長だったとわかり、参ったと書いてあります。とにかく爆発するぐらい発酵させたその缶詰の生産量の何割だかは、海外に住むスウェーデン人のために輸出されるという話が、あちらのホームページに書いてあるから感心します。
 要は漬け物やチーズと同じ、臭いも慣れですよ。いわんや、羊肉のにおいは調理によって消せるんですと小谷さんは書いていますが、そのすぐ後ですぐ皮をはいで内臓を取り去りなさいといっていますね。となれば、われわれが考える煮たり焼いたりという調理とはちょっとニュアンスが違いますね。いま的にはそれは解体処理であり、その際にあの脂っけたっぷりの毛が肉に混じらないようにすることと、内臓をすばやく除去するよう注意すれば悪臭はつかないということなんですね。
 そのように注意してですね、取り出した羊肉は、味はいいんだが、あっさりしている。赤身も肉汁も牛肉より少なく、脂身は牛肉より少し多いけれども、脂身ばっかりみたいな豚肉、高くて堅くてまずい牛肉に比べたら、遙かにいけます、うまーい。でぶ屋の某たちにいわせると「マイウー」。おっと、テレビの見過ぎ、余計なことでした。
 肉は消化がいいから、体の弱い人に適していますと。ここの「體質羸弱」という中に難しい字が入っていますね。最初の「體」は略すと「体」になります。国民体育大会、いまは口の中に玉を書く国が使われていますが、昭和22年から始まった国体も、始まったころは國體、國民體育大會と書いていました。實は私も出たんですよ、昭和26年の廣島国体にね。大きな声でいえないのは、母校から出場した2チームの付き人みたいにして広島へ行ったら、わが県選手団は人が少なくて景気が悪いから、お前らも入れと某監督にいわれて開会式で行進しただけだから。銀行の石の階段に原爆の閃光で焼き付いた人の影が、まだはっきり見えたころの話です。おっとっと。
 體質羸弱の「羸」は知りませんでしたね。下の方に羊が入っていますから、よく見て下さい。漢語辞典で調べましたらルイと読むのでした。字義は羊プラスぬるっと何も持たないナメクジで、やせた羊を表し、転じて痩せる、やせい弱る、疲れることを意味するとありました。羊の代わりに果が入ると、ラと読み、なぜか裸という意味になり、馬を入れると騾馬、馬とロバの1代雑種を意味するように変わります。さすがナメクジと感心します。
 では小谷本は初版と第5版とどう変わったのか。同じ「羊肉」の比較に取りかかりましょう。前者はまったく同文です。小谷さんは手を入れていません。しかし、後者の説明は変わっています。私が感心したのは、どなたかがこれを読んで気づいたんでしょう。書き込みがあったんです。それは書き出しの「羊肉には時として一種の臭氣ありと雖其の肉に慣るゝ時は却つて之れを嗜むに至るは猶ほ牛肉の味を知らざるものは其の臭氣を厭へども其の味を知るものは却つて其の臭を好むに至るがごとし」の「牛肉」の「牛」を斜線で消して「羊」と書き込み、またその羊を消した形跡があるんですね。
 私は文語文に精通しているわけではありませんが、初版を一読したとき、ここはわかりにくいなと思いました。確かに「羊」でも、通るような気がしますよね。実は第5版では、このくだりが「羊肉には時として一種の臭氣あり(特にメリノ種の肉は臭気稍強し)と雖其の肉に慣るゝ時は却つて之れを嗜むに至るは猶ほ牛肉の味を知らざるものは其の臭氣を厭へども其の味を知るものは却つて其の臭を好むに至るがごとし」と、メリノ種の注が加えられているのですから、少し真面目に解釈してみましょう。
 「羊肉は場合によっては臭気があります。(特にメリノ種の肉は少し臭いがきつい)とはいっても、羊肉を食べつければ、その臭いを好むようになるのです。ちょうど牛肉の味を知らないものは、牛肉の臭気を嫌うけれども、食べてうまいということを知っているものは、逆にその臭気を好きになるようなものです」となりますか。「其の臭気」「其の臭」となっているので、あえて「牛肉」に置き換えてみましたが、もしこれが「羊肉」なら、同じ考え方の繰り返しになりますね。最初読んだ瞬間、ここは繰り返し強調だと受け取った。そして羊の誤植だろうと注意書きのつもりで「羊」と書き込んでみた。でも、やはり自分が書いたわけではないから原文通りでよいと考え直し、その「羊」を消したというプロセスが考えられます。どうですか、こう推察してもおかしくないでしょう。
 それから後者の前半に「特にメリノ種の肉は臭気稍強し」を付け加えながらも、初版と同じ7行にするためと思われますが「况や其の臭氣は羊肉固有の臭にあらざれぱ調理によつては全然之れを除去するを得るに於てをや」が「况や其の臭氣は調理によつては概ね之れを除去するを得るに於てをや」と「羊肉固有の臭にあらざれば」を削っています。
 それから「年々本邦にて屠殺する緬羊の頭数及價格左表の如し」というところは同じですが、データでは大正元年から5年までの屠殺頭数累計しか載っていません。滋養成分のデータは全く同じです。痩せた子牛と羊は脂肪分がうんと少ない。脂肪が少ないから痩せていたわけですかね。どうです、ダイエットに詳しい人。
 ところで、その滋養成分の次に注目の「羊肉調理法」があるのです。それが2枚目の後半に載せている資料その3です。

資料その3

◎羊肉調理法

 獣医学博士田中宏氏は夙に心を豚肉調理に用ゐられ氏特得の田中式豚肉調理法を工風せられたるは周知のことなるが近時該法に基きて羊肉調理法をも発表せられたり。緬羊飼育奨励の際世人をして進て羊肉を味はしめんには吾人の口に適する調理法を考案するの適切なるを信す。仍て其中の数法を転載せん。
▼羊鍋 普通牛鍋と同様に肉も脂肪も一緒に薄く切り、醤油、味醂に葱を加へて煮れは誠に結構に食べられます、之に白瀧、三葉、焼豆腐、筍等を交合はせても結構です好みに依つて胡椒を振りかけます、又ソップや鰹節の煮出汁を加へるもよし。
▼すき焼鍋 肉は薄く切り、別にソップ又は鰹節の煮出汁に醤油、味醂を加へて美味しき煮汁を拵へ置き、鍋を火にかけ、ヘットかラードを少々入れて其熱した時、肉を少しづつ入れ両面をぢり/\<繰り返しの記号、ぢりぢり>と煎り右の汁を附けながら食べます、又肉を一緒に入れてぢり/\煎りたる後煮汁を鍋に入れて葱其他を加へて煮てもよろし。
▼味噌入鍋 鍋に味醂を沸立て(湯を加へてもよろし)普通に切つた肉を入れ又葱其他の野菜を加へ次に摺味噌と砂糖少々を入れて掻混ぜながら煮ます。
▼附焼 普通に切つた肉を醤油に浸し直ちに金網で焼き、熱き内に食べます、醤油の中に卸し生姜を絞り加ふれば一層風味好くなります。
▼バタ煎 肉を普通に切り塩と胡椒を振かけ、鍋にバタ少々を溶かし右の肉を入れて両面を煎り漸く火の通りたる頃取出して醤油を附けて食べます。
▼味噌焼 味噌を擂り砂糖、味醂を加へたものに、普通に切つた肉を二、三時間以上漬け置き金網で焼きます、味噌は微塵切の生姜を混ぜれば好風味を添へます、又丁寧に漬けるには肉と味噌の間に寒冷紗を置けば焼いた時見た目は綺麗であり升。
▼味附浸焼 醤油と味醂を沸立て、其の冷えたる時普通に切りたる肉を数時間漬け置き、金網にて焼き表面に煎つた罌粟を少々振り掛けます。
▼照焼 鰹節の煮出汁かソップ(又は湯)に醤油、味醂砂糖を加へて沸立て片栗粉を水で解いて注ぎ入れどろ/\の照汁を拵え置き、肉は普通に切り醤油に浸し金網で両面を焼き熱い内に右の照汁を両面に塗ります。
▼羊肉の味噌煮 同じ肉を味噌を擂り茄汁にて延ばし、鰹節と味醂を加へたものに入れ、牛蒡を乱切に切りさつと茹でたものと、蒟蒻を塩で揉み能き程の大さに捩つたものを加へ。文火にかけ、鍋底に焦着かぬやう掻混ぜながら煮詰めます。
▼羊肉の漬し吸物 同じ肉を鰹節の煮出汁に、酒、塩及醤油を程能く入れて沸立てたものに入れ、筍、松茸茗荷の類を一二品普通の吸物に用ゆるやうに切りたるを入れ、茹三葉を添へ、椀に盛り花柚子、へぎ柚子一片を加へます。
▼羊肉の味噌吸物 茹肉を厚目に切り、味噌を擂り、水で延ばし火にかけて沸立て、鰹節味醂を加へたものに入れ、文火にて煮ます、味の能く染みこみたる頃、豆腐をやつこに切つたものと、葱一旦ざつと茹で二寸位の長さに切つたものを加へます。
▼羊肉の餡掛 鰹節の煮出汁を沸立て、醤油、味醂(好みに依ては砂糖少々)を加へ片栗粉を水解して注ぎ入れ、どろ/\の餡を拵へ、茹肉は厚目に切り其の茹汁にて熱めて椀に盛り、其上に餡をかけ、卸し山葵か卸し生姜を少々添へ入れます。
▼羊肉の旨煮 茹肉を小さく厚く切り、筍、里芋、慈姑、牛蒡、蓮根、隠元などを普通の旨煮のやうに切り、一旦茹でたものや独活の適宜能き程に切りたるものと一緒に、鰹節の煮出汁、醤油、味醂、砂糖にて美味く煮附けます。
▼煮込おでん 茹肉を大きく切り、里芋、蒟蒻、生揚豆腐の大きく切つたものと一緒に茹汁鰹節、醤油、酒を加へて文火にかけ煮込ます。
▼解し白汁 茹肉の鍋に松茸を長さ一寸位に切り之を竪に一分程の厚さに切つたものを入れて、肉の軟かくなる迄煮続け、一方には他の鍋にバタを溶かし其の熱した時一旦鍋を火からおろしてメリケン粉を入れ能く混ぜ、再び火にかけ、絶えず掻混ぜながら少し色附く迄いため、次に熱く沸立てたる茹汁を少しづつ加へて練り合せ、又少々加へては練り、どろ/\となし、次に、沸かした牛乳を加へ、次に茹肉を指で能き程の大さに解して、松茸を一緒に入れ、次に青豆を入れ掻混ぜながら煮て終りに鶏卵一個の黄身丈をかき混ぜ、胡椒を少々振り入れます。
▼羊飯(又七味飯) 茹汁に鰹節の煮出汁を加へて分量を増し、醤油、酒にて美味く味を附け置き、肉は冷えてゐる内に細かく賽の目に切り、又は熱き内に細かく解し、別に薄き玉子焼を作り之を成るたけ細く絲に切り、葱を横に薄く刻み、紫蘇も細く刻み、澤庵漬大根及び味噌漬大根及び生の胡瓜を細かく賽の目に刻み、右の七品を、皿に綺麗に盛り合せ、飯椀に温き飯を盛り其の上に右の肉と藥昧を上に少々づつ積み、其上から右の汁をかけて食べます、飯のお代りをする時は其都度同様にするのであります。(畜産第五巻)

  

参考文献
上記資料その3「羊肉の調理法」の出典は小谷武治「羊と山羊」5版89ページ、大正9年3月、丸山舎書籍部=原本

 この中の「旨煮」と「煮込おでん」の「煮」という字は、原文では者の下が火という形になっております。でも、そういう字はパソコンで扱える漢字しては存在しませんので、普通の煮を使っています。それからソップはスープです。これを見ますと、醤油に浸し直ちに金綱で焼き、熱き内に食べるという4番目の「附焼」が最もジンギスカンに近いといえば近い食べ方ですが、鍋を使えとは書いてないし、そういう名前でもありません。田中さんは、まだ和風料理の枠内から飛び出しはいません。皆さんはどう思いますか。
 私は田中レシピーから、そう判定したのですが、田中さんの真意はそうではなかったらしいのです。大正3年の雑誌「料理の友」に、田中邸の晩餐会に招かれ、新案豚肉料理6品をごちそうなった料理の友記者の報告が載っています。その席で田中さんは「一体支那料理程旨いものはありません、然し日本人の口から一足飛びに支那料理を味はふと云ふ事はむずかしいでせう、私のは日本料理と支那料理の折衷即ち支那料理に移る階段の様なものです」と語ったとあります。出された料理には「蒲鉾、竹輪、刺身などと云ふ、とても豚肉とは思はれぬ程の淡泊な日本趣味のものもありました」(3)と記者は感心しています。そういう田中さんの狙いからすると、田中式羊肉料理も「支那料理への階段」であり、日本人向けに焼き直した支那料理が当然含まれているはずですね。
 私が和風しかないとみてしまったこと、つまり田中さんにすれば支那料理への橋渡し的方料理だったはずの料理を、もはや我々は日本趣味、和風と受け取っている。つまりですね、もう私を含む戦前の子供たちは田中さんが大正時代に示した過渡的というか折衷型支那料理を、すっかり和風と思いこんで食べてきたということなんですね。われわれの親の段階で、既に和風の定義のゆらぎがあり、それを私は日本料理として刷り込まれていたとみるべきなのでしょう。私なんか子供のころ、親が満洲人に豚肉となにがしの材料費と手間賃を渡して彼等の味付け、丸め方で作らせた餃子を「うまいジャオズだ」と食べていましたから、田中さんの折衷型料理の範囲はとっくに超えていたんですね。
 さて、田中さんは田中式豚肉調理法の本を少なくとも2冊書いています。国会図書館で検索してみますと大正5年に東京出版社から「田中式豚肉調理」、同8年に玄文社から「田中式豚肉調理法」を出し、後にどちらも子安農園出版部から版を重ねて出版したことがわかります。
 ともかく、これだけでは田中さんが日本料理型の羊肉料理しか考案しなかったのか「其中の数法を転載せん」ですから、小谷さんが中華料理風とかステーキのような洋式の食べ方は向かないと判断して転載しなかったのか、その辺がわかりませんよね。
 では、小谷さん自身は羊肉をどう評価していたのか。その手かがりが「農家の副業としての牧羊」という1章にあります。そのくだりを読んでみましょう。
 「前章既に論述せる如く邦人は元来潔癖ありて豚肉と云へば直に不潔を連想し現今尚ほ之を好むもの少きを常とし、養豚業の振はざるは主として茲に存すれども羊肉と云へば必ず一種の好奇心を起して未だ之を口にせざる者も進で之を試みんとする者多かるべし。若其の調理法を得て之を食するに至らば過去の謬見は一洗し去るを得べし著者も幾回か之を食せしことあり牛肉に比し稍及ばざるが如きも亦一種の佳味あり殊に其の柔なる点に至りては羊肉の特長たれば孝子慈孫が其父母祖父母の食膳に供するには真に適当なりと信じて疑はざる所なりとす」(4)
 わかりますか。小谷さんは、やはり羊肉より牛肉の方が少し上とみていますね。何十回も羊を食べてみたなんて鯖読みしなかったことをみても正直な方ですね。でも羊肉は牛肉にはやや及ばないにしても、とても柔らかくて食べやすいから、歯の弱っている高齢者向きと判定しています。親孝行するには羊を増やし、その柔らかい羊肉を食べさせるに限ると信じておりますよと小谷さんは親孝行も奨めるわけです。
 小谷さんに限らず明治の人々には羊肉の味の評価は難しかったかも知れません。「高等小学博物理化問答」という本の一部をスライドで見せましょう。

スライド(1)

食用に供すべき主要の動物を問ふ
食用に供すべき動物中獣類にては牛、羊、豚、兎、熊、猪等鳥類にては鶏、鴨、雁、鶩、鴿、駝鳥、雀等最も滋養に富む魚類にては鯉、鰈、鰻、鰯、鮭、鱒等枚挙に遑まあらず而して滋養の効は獣鳥に及ばず

牛は如何
獣肉中最も滋養に富みて味美なるものを牛肉とす牛の乳汁は頗る滋養の効あり又牛乳は乾酪と生酪を製すべし牛汁の外驢及山羊の乳も亦滋養の効あり<参照は略>

豚は如何
豚肉は脂肪を含むこと第一なり豚は不潔にして腐敗物を厭はずして之を食ひ且つ最も繁殖し易き獣なれば世界中何れの国にても此獣ありといふ<参照は略>

兎は如何
兎の肉は其味甚だ美なり人家に飼うものあり之を熟兎といふ兎は耳長く前肢は後肢の半に過ぎず故に坂路を昇ること速かにして降ること遅し又其眠れる睫は眼球を覆はず是れ眼球大にして睫小なるが故なり

熊は如何
熊は其肉と脂肪と共に食するを得べし其体肥大にして力極めて強し我国第一の猛獣にして北海道に産す其膽は熊膽と称し健胃の効あり<参照以下省略>

 なんたって、味美なるものを牛肉とす―ですからね。食用に供すべき動物として羊を挙げておきながら、羊と山羊を無視して、いきなり熊を入れています。熊に遭遇するより羊を見ることが少なかった当時の畜産事情の反映なのでしょう。この後に続くのは鶏など家禽の効用です。小学校の先生は、こうした問答集を頭に入れて質問に答えたらしいから、子供たちは羊肉の味は見当もつかなかったでしょう。
 ここでも「豚は不潔にして」といっていますね。いろいろな本を書いた井上正賀は「余は我邦人の豚肉を食せんことを奨励するものなり」と「帝国百科全書」に書いています。井上は豚は雑食するので安い飼料で育ち、よく肥るので「其肉美味にして消化し易き等豚を食するの風今より一層盛んになれば其利するところ決して少なからざる可しと思ふなり」と力説した。それでも足りないと思ったか「余は支那人の体格の我邦人に比して比較的偉大良好なるは種々の原因あるべけれども彼等が豚を食するの風誠に盛なることが其一因なりと思ふなり(5)」とまで言い切っているのですがね。
 しかし、清潔好きの人々は豚と聞いただけで、不潔な動物と反応してしまう。そのせいで豚肉好きが増えず、養豚業もさえなかった。北大図書館に「農業世界」という明治時代の農業雑誌があります。その雑誌は読者の質問に答えるページがありましてね、明治39年5月号に副業としての養豚についての答えているのですが、ちゃんとした売り込み先を確保してからにしなさいよと見通しが暗い。それに対して羊はデビューしたてであり同年7月号の羊の答えは、毛も肉も販路にゃ心配ないと非常に明るい。対照的な2つの答えを、またスライドでちらり見せましょう。はい、こうです。上が豚、下が羊です。

スライド(2)

○豚
養豚事業は今日農家の副業として千葉県などにて盛に行はる、之を専問になすには種豚の揃口と肉の販路に失敗せざる様すべし、養豚の秘訣は早熟種を選ぶと飼料に農場の廃物を利用することなり、東京府下北多摩郡などにては一時養豚流行したれども、此飼料に高きを要して今日は大に退歩したり、若し種豚を養成するにしても一時は其需用あるべけれども、既に各地に行渡れば其用途も絶ゆるとなれば、一方には肉の鹹蔵法をなす要あるべし、何となれば生肉として需用は大ならざればなり、併し自家用の為めに養豚するなれば、斯の患はなしと知るべし。

○羊
内地に於ける羊毛の需用に対する内地供給力は約其の二万分の一に過ぎぬ、故に今日の場合如何程多量の羊毛生産ありとも、販路に窮する様なことは断じてない、今日の所では東京千住の製絨所や品川の毛織物会社あたりでどん/\購入する、其価格はメリノー羊毛一英斤四十二銭五厘、サウスダン、羊毛同三十六銭位だ、併し農家に於ける三頭乃至十頭の飼育になる羊毛の如きは一々之を製絨所に売込むといふことは殆ど不能のことである、故に此点に付き一の仲介機関即ち問屋ともいふべきものゝ設立が必要であるといふ所から、目下二三の人が計画に着手して居る、来春の剪毛期よりは広く一般の要求に応じて羊毛羊児の売買交換の機関として敏活に活動するであらふと思ふ。
序でながら羊肉の販路に付いて一言する、目下日本に於ける羊肉の販売店は横浜市御代官坂下丹後屋羊肉店の一ケ所である、此店では下総御料牧場の肉羊を一手販売して居るが、尚足りないので上海から盛に支那羊を輸入してゐる、羊肉の前途も亦多望といふべし、此店では羊肉一斤五十銭であるさうだ。

 養豚は回答者名はなく、羊は下総御料牧場の萩原昌彦となっています。この横浜の丹後屋の羊肉の値段を意識したわけではないと思いますが、翌40年正月に内務省衛生局の萩原悠次カ技師が「我国に於ては羊肉の価甚だ不定不廉にして從來輸入せしものは多脂の上海羊にして原産地にては一斤の生体量凡十一銭にして半額の肉量を得るとせば一斤二十二銭となる割合なるも海上運賃保険料、關税、屠殺料、屠畜検査料等を払ひ尚ほ相当の利益を見積らざるベからざるが故に一斤の売価は終に四十五銭乃至六十銭となるに至れり(6)」と大阪毎日新聞に書いておる。
 また同じ明治40年正月に北海タイムスも「羊の料理」という記事を載せ、その中で羊肉は「豚抔と比べると値も数倍貴く、上海辺から輸入して来るのに船賃ばかりで一頭十円もかゝつて、昨今百匁五十何銭もする始末で(7)」とあり、1斤は160匁だから100匁50銭として1斤80銭につく。佐藤さんは「今や濠洲より凍肉続々輸入せられんとし販路の拡張と共に相當の時価に低落するも近き将来にあるが如し(8)」というんですが、このころは羊肉はとても高い肉とされていたのですね。
 それもあるから萩原さんは「農業世界」で羊飼育を勧めるのですが、羊の方は旭日昇天の勢いというか、明るいでしょう。これらは「羊と山羊」を出す5年前の情勢なんですから、小谷さんも原稿書きに力が入ったと思いますよ。
 それはさておき、私は田中さんが「田中式豚肉調理法」と同じように「田中式羊肉料理法」という本を書いたのではないかと、東大図書館なんかも検索しましたが、見つかりませんでした。この小谷さんの転載分の末尾の「畜産第五巻」を手かがりに、それを探して調べた結果などを次回にやります。
  

参考文献
上記(3)の出典は料理の友社編「料理の友」第3巻3号*ページ、「田中博士新案豚肉料理」、大正3年3月、料理の友社=原本、(4)は小谷武治「羊と山羊」5版90ページ、大正9年3月、丸山舎書籍部=原本、スライド(1)は理堂散士編「高等小学博物理化問答」24ページ、明治30年5月、榊原文盛堂=近デジ本、(5)は井上正賀著「食物論」(帝国百科全書第120編)189ページ、博文館=近デジ本、スライド(2)の豚は「農業世界」1巻2号230ページ、明治39年5月、博文館=原本、同(羊)は同1巻4号222ページ、同年7月、同、 (6)と(8)は明治40年1月4日付大阪毎日新聞朝刊2面「羊の話(三)」より=毎索、 (7)は同年1月5日付北海タイムス朝刊3面「羊の料理」より=マイクロフィルム


 まだ、時間があるようなので、ちょっとジンパ学におけるデータの調べ方について話しましょう。国会図書館の近代デジタルライブラリーが最近追加した明治本の中に、この小谷さんの「羊と山羊」の初版が入っているのを見つけました。さきほど話した「垂涎三尺鼓舌して止まざるべし。」のところは290コマのうちの57コマにあります。以前は画像を見るのに専用のビューワーが入り用だったが、いまはpdfで表示されるから、アクロバットで見るなりダウンロードして印刷して読めます。印刷するときは、そのまま印刷すると字が小さくて読みにくいから、アクロバット上で左か右に90度回転させて縦長の紙の方向に合わせ、スナップショットツールで切り出して印刷するよろしい。すると、全体に拡大されたプリントが得られます。
 私は参考文献にも書いている通り、近デジ本と勝手に称してですね、ここの本をよく探すのです。たとえば「動物」で検索すると1443冊あります。これを眺めいく「動物に対する愛情」なんて目次にあるから出てくる本もあるけど、掘り出し物もありましてね。佐藤愛羊著「牛乳に優さる乳の山羊」という本の補遺に、小谷さんの「山羊の乳汁」という論文が収められているのを見つけました。この本は「羊と山羊」の4年前に出た本です。近デジ本に「羊と山羊」があるのですから、わざわざ図書館へ行かずに調べられます。比較してみたら書き出しがよく似ていたのです。それを資料その3として載せてあるのが、両者の書き出しです。

資料その3

山羊の乳汁

牛乳の衛生上特効あることは今や都鄙の別なく普く世人の認知する所なりと雖も、山羊の乳汁に至ては之を説くもの甚だ多からず、従て其効能如何を知るもの寧ろ少きが如し、中には山羊の如き牛以外の家畜が産出する乳汁にありては果たして用ふるに足るや否やを疑ふものなきに非ず、何ぞ知らん健全なる山羊の鮮乳は其色味共に牛乳に酷似するを唯牛乳に比して更に濃厚にして稍甘味を帯ぶるを異なれりとするのみ、換言すれば山羊乳は牛乳に比して糖分及クリーム(脂肪)を含むこと多く水分少なきにあり。 是を以て山羊乳は自家用に供して牛乳に勝るは之を試用すれば直に認むるを得べし、今之を沸騰して珈琲に加ふる時は其味佳美にして濃厚クリーム(脂肪)の観を帯び、且つ一杯の珈琲に僅に数滴を用れば牛乳一匙を加ふるに等し、菓子を製するに當りても其色味著しく勝りて濃黄色を呈すべく為に混用すべき鶏卵の数を減少するを得て経済上利益あるべし、唯一の不便なる点は之が調理に當りて其凝固し易きにあり、新鮮ならざる時に特に然りとなす。<以下略>

山羊乳

 牛乳の衛生上特効あるは、今や都鄙の別なく普く世人の熟知する所なれども、山羊の乳汁に至ては之を説くもの多からず、従て其効能如何を知るもの寧ろ少きが如し然るに健全なる山羊の鮮乳は其色味共に牛乳に酷似し、唯異なるは牛乳に比して更に濃厚にして水分少なきにあり。
 是を以て山羊乳は自家用に供して牛乳に勝るは之を試用すれば直に認むるを得べし。今之を沸騰して珈琲に加ふる時は其味佳美にして濃厚乳脂の観を呈し且つ一杯の珈琲に僅に数滴を用れば牛乳一匕を加ふるに等し、菓子を製するに當りても其色味著しく勝りて為に、混用すべき鶏卵の数を減少し得るの利益あるべし。唯一の不便なる点は之が調理に當りて其凝固し易きにあり、新鮮ならざる時に特に然りとなす。<以下略>

 この下の山羊乳は、資料その1の後編山羊に397ページからと示した「山羊乳」の項の先頭部分なのです。前の講義で小谷さんが雑誌「新農報」への投稿を推敲して「羊と山羊」に取り入れた例を示して、ほかにもあるかも知れないといったけれど、この「山羊の乳汁」の存在を知っていて話したわけではないのです。暴風雪の日、暇つぶしに1443冊を片端から眺めていったら「動物肥料の性効比較」という見出しが目次にあったために「牛乳に優さる乳の山羊」が出てきて、小谷論文を見つけたのです。全くの偶然です。
 前にもいったかな、求めよ、されば、与えられん―なのです。この本に山羊肉の焼き肉などの作り方も書いてあったのですよ。「生肉一斤を四ツ取り位に切り之に食塩胡椒粉をふりかけて味を付け、フライパン(熱き鍋)に油をひき両面狐色になる位に焼き、好みの青味を添ゑて出すべし。(9)」というのだが、明治41年という年代と和風の焼き肉という意味では極めて珍しいので、ちょっと紹介しておきます。味噌漬けなどの料理は改めて話すことがあるでしょう。
 しかし、これは序の口。しつこく真実を求めていくジンパ学では、かなり馬鹿馬鹿しいくらい記録を探さにゃなりません。なぜかというと、ジンギスカンは食べるものである半面、羊肉が無くては成り立たない料理だからです。羊肉のもとは緬羊ですね。畜産史の本を見たら、緬羊と山羊ぐらいちゃんと書いてあると思うでしょうが、そうではないんですね。食用でみれば牛豚鶏が主流で羊は後発の傍系。まず食べ方は書いていません。僅かに残る緬羊関係者の自伝とか思い出などを読むと、羊肉の食べ方の記録としてはまったく物足りない。いずれ講義で話しますが「文芸春秋」のような雑誌の方が役に立ちましたね。
 たとえば、昭和42年に農林省畜産局編の「畜産発達史年表」が出ています。その本は「畜産発展の過程」と「社会の情勢」とにわけて、平安時代から南房総に嶺岡牧場があり、慶長19年に幕府が直轄牧場にしたところから書き始めています。「畜産発展の過程」で明治に入って初めて羊の字が出るのは明治2年の項であり「政府西洋牧草(アルファルファー、チモシー、カブ、燕麦等)、家畜の輸入試みる(種牛5(短角種、デボン種等)、緬羊8(スパニッシュメリノー細川少議官))」となっています。それから明治4年の「社会の情勢」側に「アメリカ博覧会帰途、細川少議官農具を携え帰朝」(10)という記載があります。この細川少議官の渡米と羊購入については、後の講義で本人の旅日記を元にして詳しく解明しますけれど、実はこの2つの事柄は明治4年に行われた一連のことなのです。明治2年のことじゃない。最も大規模で確実な資料を基にしたはずのお役所作製の年表からして、これぐらいの精度なんです。
 小谷さんが3版を出してから、3年足らずで4版を出した1つの理由は、この明治2年に細川少議官がアメリカから緬羊8頭を買ってきたという新説が定説というか公認された形になったからでしょうね。なぜなら、3版にはそのことが入っていないからだ。細川明治2年輸入説を取り入れ、田中式羊肉調理法や種羊払下関係の規則も加えて、小谷さんはそれこそ全面改訂、大増補したのです。
 真剣に調べるという点では、いいお手本があります。こういうこともあろうかと2枚目の末尾に付けておいた予備資料がそれです。豚にまつわるちょっと馬鹿馬鹿しいような京都新聞の記事を読んで下さい。なにしろ明治5年の新聞なので難しい字や言い回しがありますので、行間に広狭ができて恰好はよくないけれど、原文通りの振り仮名を振りました。東京の日新真事誌に掲載された記事が真実かいい加減な噂かと情報を追いかけた京人某、京都のある男の話です。

 予備資料

 ○東京真事誌ニ京都東山辺ニ年来貧乏ニ暮シケル者日業ノ活計モ立ズ依テ妊豕(ハラミブタ)ヲ買求メバ大利ヲ得ベキ由教ヘシ者アリ如何ニモシテ買求メ度思ヘトモ資本(モトデ)ナキニ迫リテ我娘ヲ七十金ニ売リ漸ク妊ミタル豕ヲ買得タリ其豕産前ニ臨ミ(フン)ヅマリシ将ニ(タヲレ)ントスル時コハ如何シテ救ント自身口ヲ以テ豕ノ陰門ヲ吸フニ是ガ為発糞シテ難ナク子ヲ産タリ是ニヨリ二百五十両ノ金ヲ得タリ其内七十両ヲ以テ娘ヲ(アガナ)ヒ戻シタレトモ糞気ノ臭ニ感ゼシヤ発病シテ死ニ至レリト誌セルヲ京人某大ニ之ヲ(ウレ)(イキトフ)リ其実否ヲ探ラント先東山辺残ル隈ナク尋子シニ右等ノ風説絶テ無シ之ユヘ尚遍ク市街(マチ)ニ徘徊シ東西ニ奔走シテ(ヤゝ)両説ヲ得タリ下京清水四町目西池末吉ノ話ニ両三年前摂州東成郡猪飼(イカイ)野村ノ貧民娘ヲ売テ豕ヲ買ヒシニ豕焮衡(キンコウ)性ノ流行病ヲヤミテ死シタル處(ツマ)夫ニ向ヒ女ヲ(ウリ)テ豕ヲ買イ遂ニ其益ナキヲ責メシカバ夫為ニ井ニ(ヲチ)ジテ死タル由同ク東音羽町ノ人某ノ話ニ大坂何町ニヤアリケン某氏連レ子ノアル妻ヲ娶リ其女ヲ売テ豕ヲ買求メ豕ノ(子ダン)騰貴(アガリ)ノ時ヲ待得テ之ヲ売リ先ニ売シ女ヲ(アガナ)ヒカヘシ其余金ニテ一豕ヲ買ヒシガ忽チ急症ヲ発シテ死シ又(モト)貧乏(ビンボウ)ニ帰リタルヲ慚ヂ(ツイ)ニ縊死シタル由此ノ両説大同小異ニシテ略相似タル噂サナレドモ未ダ明白ナル証拠ナケレバ(ワザ)ト摂州東成郡迄足ヲ(ハコ)ビ遍ク(サガ)(アル)ケル内一人ノ村叟(ヲヤジ)ノ話ニ夫レハ河内國河内郡水走村ノ貧民ナル由ヲ云フソコデ水走村ハ勿論其近郷ノ村々マデ不残尋ヌレドモ種々区々(イロ/\マチ/\)ノ風聞ノミニテ此ゾト云確乎(シカトシ)タル事迹ハ絶テ不聞夫ヨリ大坂ニ行キ昼夜(ヒルヨル)捜索スルウチ天満橋三町目ノ茶店ニ暫時腰懸ケ居タレバ隣家(トナリ)ノ髪結某ノ話ニ何ノ誰ト云慥ナルコトハ知ラ子ド東成郡辺ノ人養置タル豕糞(ヅマリ)シテ死ナントスルヲ(アハレ)ミ速ニ医家(イシヤ)ニ至リ救療センコトヲ依頼(タノム)シケレバ(クダ)ヲ以テ血液()ヲ吸出セハ忽チ(ナヲル)スルト教ヘシユヘ其差図ノ通リ為タレバ悪血逆出(ホドバシリイデ)豕ハ立ロニ活発(イキアガリ)シ人ハ却テ死シタルト云ヲ聞キテ再ビ東成郡ニ行キ近郷(スミ)マデ洩サズ尋廻リシニ同郡鴨埜村ノ人某従来(マヘカラヨリ)豕ヲ愛スル(クセ)アリ常ニ数百頭ノ豕ヲ畜養(ヤシナイ)シカ當春豕急症ヲ発シ悉ク(タヲレ)ルニヨリテ一時ニ家産ヲ破リ田圃(タハタケ)家財ハ勿論娘マデ(アハ)(ウル)ルニ至レリト云ヘル者アルニヨリテ愈虚実ヲ探リシニ某ノ妹五年前ニ大坂上町ノ袋物屋ニ奉公中サル悪漢(ハルヲトコ)ト密通シ其情日々深クナリ遂ニ悪漢ノ為ニ身ヲ娼家(ジヨロフヤ)ニ售ラレ須叟(シバラク)ニシテ癥毒(カサ)ヲウケ悩ミ居ル事ヲキゝ兄大ニ(ハジ)テ速ニ見受シテ帰リ養生イタサセケレドモ遂ニ絶命セシトソ
右妊豕糞ヅマリ云々事一説ヲ聞キ得レバ路ノ遠近ヲ不問縦横(タテヨコ)ニ奔走シ遍ク尋ヌレドモ到底(イタルトコロ)只風聞ノミニシテ真箇(マコト)ノ説ハナシ猶東山辺ニカゝル風説ダニモナキハ府下ノ御政教隘巷窮衢(セマキロジスミノマチ)マデイタラヌ方ナキユヘニコソアラメサレバ真事誌ハ東成ヲ東山ト聞ヒガメタルニヤアラン如是謬伝(アヤマリ)ヲ糺サズシテ真事誌中ニ編入セシハ実ニ片腹痛(カタハライタ)キコトニコソ
 或ル学者之ヲ聞テ我ハ剱ヲ売テ(コウシ)ヲ買ヲ聞ク未ダ娘ヲ売テ豕ヲ買フヲ聞ズト

 小谷先生もいったように豚肉ですら不潔を連想するのに、そのご本尊の、しかもよりによって、そのまた一番きれいでない個所に人工呼吸みたいに口を付けて、ぬるぬる臭いものを吸い出すなんてことをするような拝金思想は都人にはおまへん。いくら金のためでも信じられまへん―とね。当時、豚とか兎が投機の対象になっていた世相もあるとしても、豚にかこつけて京都全体を侮辱しており、とても許せん―と、怒り心頭に発したのでしょう。そうでなくても、当時の京都人たちは天子様を東京にさらわれたような気分でいたと思います。江戸のやつらに馬鹿にされてたまるか。大いに憤ったのですな。怒りをバネに調べまくった。そして調べても調べても東成郡はともかく、東山ではそれらしい話すら見つからない。よって東京の記者がよく調べもしないで書き飛ばしたものと判定しています。
 ジンパ学では、関係ありそうな専門書は当然調べますけれども、これまでほとんど無視されてきた新聞や雑誌の記事もサーチし、既存の一見正しそうな記録と照合していきます。明治あたりの新聞はいい加減な不義密通話をよく載せていることも事実ですが、いくつかの新聞を照合することによって、公式記録にはない実像が推察できることもあるはずです。ですから、この京人某、怒り狂う方の狂人のもじりではないかと思われるのですが、京人某が話を聞き歩いたように、私も新聞と雑誌をせっせと読みます。札幌だけでなく東京にも出かけ、聞くは一時の恥と「教えてメール」をあちこちへ送り、時間をかけて調べております。
 何でも調べるという点でも、新渡戸さんは、やっぱり大先輩です。「小説は固より各国の俗謡に至るまでも探究して居るのは何の為かと」新渡戸さんは乱読を認めたそうでありますが、新渡戸さんが札幌にきてから養父太田時敏氏に送った手紙が「新渡戸稲造研究」の貝出寿美子編「新渡戸(太田)稲造書簡」に載っています。明治12年11月9日付のそれには、東京で買ってもらいた本の1冊に「RANDALL’S SHEEP HUSBANSRY」を挙げている。これにはシープハズバンドレーと片仮名の振り仮名があり、明治12年10月に出た丸善の出版之目録にある(11)など書いてあります。文面からみると、同じような本を頼み、丸善になかったという返事を受け、注文し直したように思われます。
 緬羊の飼育法らしい「RANDALL’S SHEEP HUSBANDRY」は、そんなに読みたい本だったのか。北大図書館の札幌農学校文庫の洋書5000冊を調べてみたら、Randallという名前、Henry Stephen Randallの書いた「The practical sheperd」という本が2冊ある。片や文久3年の発行、もう一方は明治4年発行でした。農学校図書館でそれらを読み、もっと緬羊を知ろうとしたのですね。
 試しにカリフォルニア大学図書館を検索してみたら、Randallの緬羊の本が3冊ありました。いまいった本と「Sheep husbandry in the South」、それから新渡戸さんが読みたかった「Sheep husbandry」です。念のためミシガン州立大図書館の獣医学関係書目録を調べたら、どちらも書名は「Sheep husbandry」で、片方は「in the Southern statesの飼い方」と内容説明があり第5版でした。
 丸善が取り次ごうとしたのは、それより9年後に出た、といっても万延元年、1860年に出た「Sheep husbandry」の初版と思われますがね。新渡戸さんは17歳、3年生のときのことです。驚くべき読書欲、図書館の本を全部読んだという伝説は本当かも知れませんよ。でも「農業本論」増訂版は参考文献に欧文ばかり118冊も挙げているのに、これらはありません。読んだのは小谷さんで「羊と山羊」初版から3冊とも挙げています。
 文献調べのついでにね、新渡戸さんの「農業本論」初版と10年後に出た「農業本論」増訂版に於ける羊関係の違いをちょっと調べてみました。第9章「農業と地文」にある「農業と動物」はね、増訂版では「動物の使用」という見出しに替わりますが、それと「動物の変性」の2節で羊の字を含む部分を比べてみた結果が資料その4ね、見て下さい。
 上の何行かが初版、矢印の示す下の行が増訂版です。上が横線の場合は対応する文がないことを示します。2節合わせ増訂版は4行少ないから、新渡戸さんは羊関係は何も削らず、更にアンゴラ山羊と米国の羊毛生産量を加筆した。ただ初版では「牛馬なく羊豚なき文明社會」だったのが、増訂版では豚を鶏に替えています。家禽を忘れていたと入れたのかも知れません。東京で初めて羊肉を売った松井本店のことをいずれ取り上げますが、その店主松井平五郎さんの回顧談に日本人で羊肉を買いに来るのは新渡戸さんぐらいだったとありますが、新渡戸さんは終生、羊情報には注目していたと思いますよ。

資料その4

特に其最も吾人と密着の關係にて生活する者は駱駝の如き猫の如き馬牛羊犬豚の僅々六七種に過ざるべし(374ページ)
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更に最も密着の關係を存して生活するものを挙ぐれば、駱駝、猫、馬、牛、羊、犬、豚等僅々少数種に過ざるべし。『皇朝にて五畜といへるは、牛馬犬猿鶏にて、人の家に置きて、人の畜ひ用にあつれば、産死の穢も、人につぎてあり。されば、食ふは甚しき穢なり。外戎の六畜は、牛馬羊犬豚鶏なり、是を畜え置きて次第に殺して食料にあつるなり』(斉藤彦麿傍廂前篇)とて漢土及本邦にては古来僅に五六を数へたるのみ。(564ページ)


西藏の山羊を韃靼の「ヤツク」(駝牛の類)を佛國に移したるが如き、水牛を伊太利に移したるが如き、実際成効を収めたり、猶ほ一層著名なる實例は西班牙の「メリノ」の羊が現今世界に傳殖したるか如き、(375〜376ページ)
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西藏の山羊を韃靼の「ヤツク」(駝牛の類)を佛國に移植したるが如き、水牛を伊太利に移植したるが如き、皆実際に功を遂げたるものなり。猶ほ一層著名なる實例は、西班牙の「メリノ」羊種が遍く世界に蕃殖したるが如き、(566ページ)


我國にても重要なる家畜は古來固有の者、至つて僅少にして牛馬羊の三大家畜も恐らく輸入物なるべしと云ふ、(376ページ)
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我國にても、重要なる家畜に古來固有のもの殆どなく、牛馬羊の三大家畜も恐らく輸入物なるべし。(567ページ)


  ―――
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アンゴラ山の山羊の如き、土人の手によりて飼養されたりし時代に於ては其増殖未だ甚だ多からざりしと雖、其後合理的牧育法を用ふるに及んで、漸く増加の傾を呈せり、即ち南阿非利加に於ける「モヘル」の産額は、三十年以前にありては僅々百万斤に過ぎざりしも、今や其十二倍の増額を見るに至れり。(567ページ)


左れば英国実験哲学大家ハリソン氏の言に「家畜は人類社會の一部となりし」とは如何にも正鵠を獲たる名言と称すべし、牛馬なく羊豚なき文明社會なる者を余は殆と想像し能はざるなり。(377ページ)
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されば、英国実験哲学の大家Harrison(ハリソン)氏の言に『家畜は人類社會の一部となりたり』とある、頗る正鵠を得たる名言と称すべし。吾人は牛馬なく羊鶏なくして、尚ほ文明社會と呼び得るもの、殆ど之を想像する能はざるなり。(568ページ)


シモンヅ氏調査
 馬 驢馬騾馬 牛 羊 豚 山羊
<数表略>
是余野蛮国に使役する動物の数も亦幾何なるべきや未た詳らかならず、蓋し牛馬羊豚の数は寧ろ野獣の総数に超過する事なきか、(379ページ)
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 馬 驢及騾 牛 羊 豚 山羊
<数表略>
此余野蛮国に使役する動物の数は、亦幾何なるべきか、未だ詳ならざるも蓋し少数にあらざるべし。思ふに、牛馬羊豚の数は、或は野獣の総数よりも超過することなきか。(574ページ)


彼の犬を見るも以て車を牽かしむる者あり、育ふて以て羊を牧はしむる者あり、(380ページ)
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彼の犬を見るも、車を牽かしむべき者あり、夜を守らしむべき者あり、猟犬あり、護羊犬あり、(575ページ)


羊も亦肉を食ふか為に飼養せらるゝ者あり、乳を搾取する為に飼養せらるゝ者もあり。又毛を取りて毛布を製するに供用せらるゝ者もありて各国を通しなば数百の種類は存在すべし。(382ページ)
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羊も亦肉を食ふが為に飼養せらるゝ者あり、乳を搾取する為に飼養せらるゝ者あり、又毛を取りて毛布を製するに供用せらるゝ者ありて、各国を通じなば、数百の種類は存在すべし。(576ページ)


試に見よ、英吉利にて羊を市場に呈供するを、千八百三十七年の際には三年乃至四年を経過せずんば、其肉は食料に供し難かりしも、爾来二十年を経過して千八百五十七年の交には其飼養法著しく発達したるを以て、十二ケ月を経過するのみにて犢の三四年を経過したる羊と匹敵する程の者を呈供するを得たり、(383〜384ページ)
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試に見よ、英吉利にて一八三七年の頃には三年乃至四年を経過せずんば、羊の肉は食料に供し難かりしが、爾来二十年を経過して一八五七年の比には飼養法著しく発達したるを以て、十二ケ月の羊は嚮の三、四年生の羊と匹敵する肉を産出するを得たり。然らば即ち生長期は三乃至四分の一に短縮せられしにあらずや。
 倫敦のスミスフィールド市場に来集する肉類の重量は、
   牛 犢 羊 小羊
<数表略>(578〜579ページ)


今欧羅巴に於ける羊の体量の増加を平均して比較すれば左の如し、
   年号  ……………………………… 体量
  一八七一 ……………………………… 五一斤
  一八八四 ……………………………… 六一斤
  一八九一 ……………………………… 七一斤(384ページ)
是の重量の増加は単に羊にのみ限らるゝにあらずして、何れの動物にも適證し得べし、蓋し飼養法の発達に由るものなればなり。
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今欧羅巴に於ける羊の体量の増加を平均して比較すれば左の如し。
   年号                体量
  一八七一年 ……………………………… 五一斤
  一八八四年 ……………………………… 六一斤
  一八九一年 ……………………………… 七一斤
 此の如き重量の増加は、単に羊にのみ限らるゝにあらず、何れの動物にも適證し得べし、蓋し、これ飼養法の発達に由るものなればなり。仏国の実験に拠れば、牛、羊、豕、の体量増加左の如し。
   牛 犢 羊 豚
<数表略>(579〜580ページ)


  ―――
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又米国の毛羊が其毛量に大進歩を見るに至りたること、左表に拠りて明かなり。
<数表略>(580ページ)

 明治まで国内にほとんどいなかった緬羊、その焼き肉がどう展開して今日の形に変わり、北大ジンパに至ったのか。ジンギスカンと呼び始めたのは外地に雄飛した人だったのか、国内の羊肉関係者だったのか、探求の最前線にいるつもりの私もまだ完全にわかっていません。とにかく記録をたくさんかき集めたうえで、付き合わせて丁寧に調べるしかありません。残らず尋ねるという京人某の粋狂ともいえる心構え、これですね。私は図書館に通い、もう何十年も書庫から出たことのなさそうな雑誌までめくるんです。古い切手や名刺が挟まったままだったりします。元通り挟んでお返ししますがね。そうして丁寧に見ていくと、大家といわれた先生でも、結構見落としていることがわかる。これが恐いところで自戒してジンパ学と取り組んでいるんですよ。はい、では、きょうはここまでにします。
 (文献によるジンギスカン関係の史実考証という研究の性質上、著作権侵害にならないよう引用などの明示を心掛けて全ページを制作しておりますが、お気づきの点がありましたら jinpagaku@gmail.com 尽波満洲男へご一報下さるようお願いします)
  

参考文献
上記資料その3の「山羊の乳汁」の出典は佐藤良之助著「牛乳に優さる乳の山羊」49ページ、明治41年6月、十文字商会=近デジ本、「山羊乳」は小谷武治著「羊と山羊」397ページ、 明45年4月、丸山舎書籍部=同、(9)は佐藤良之助著「牛乳に優さる乳の山羊」36ページ、明治41年6月、十文字商会=同、(10)は農林省畜産局編「畜産発達史年表」、昭和42年2月、中央公論社=原本、予備資料の記事は北根豊監修「日本初期新聞全集」第42巻246ページ、明治5年9月発行「京都新聞」41号、平成5年7月、ぺりかん社=原本、 (11)は東京女子大学新渡戸稲造研究会編「新渡戸稲造研究」*ページ、貝出寿美子編「太田(新渡戸)稲造書簡」より、昭和44年*月、春秋社=原本、 資料その4は新渡戸稲造著「農業本論」372ページ、明治31年9月、裳華房=近デジ本、同増訂版562ページ、明治41年4月、六盟館、同