羊肉食べれば農家が助かり羊毛増える

 糧友會が初めて開いた昭和2年11月の羊肉料理講習会のことは、前々回の講義で話しました。「鍋ではなくて金網を使って焼くのに、どうして鍋羊肉なのか」というまことに率直な質問があり、焼いて見せた満田さんではなくて、丸本彰造委員が「北京ではジンギスカンともいう料理で、私が現地で調べてきた。これでいいのだ」と押し切ったのでしたね。
 糧友会は、さらに第2回、3回と続けて糧友会が羊講習会を開いたのです。それはいいんだが、去年までの講義に、恥ずかしながら昭和3年と4年と混同したところがあったんですなあ。現代史の先生方に笑われないよう教案をかなり修正しました。きょう配る資料も手直ししたものです。はい、1部取って後ろへ廻す。
 初めての羊肉料理講習会について「本会は『羊肉嗜好の開拓は羊毛増産の基礎』であり『国産羊肉の食用は富国保健の源泉』であると云ふ見地から羊肉食の宣伝を開始し去る十一月廿四日に第一回羊肉料理講習会を糧秣本廠に於て、大々的に開催したことは一月号所載の通りである(1)」と、翌3年の「糧友」2月号で報じていますが、出席したのは農林省畜産局や陸軍経理学校、糧秣本廠員といった、いわば身内150人でした。
 ところが、12月24日の第2回の講習会は、がらりと対象者を変えて、東京湯島にあった渡辺裁縫女学校で開きました。「小数の人に徹底的の実習をして貰ふことを主意として、設備の完全な此の学校の割烹室を借りた(2)」と糧友会は説明しています。受講生は50人ほどで「來会者の多くは、女学校の教諭、小学校の家事科教員の人達であつた。農林省から山田技手が見えた。(3)」というのですが、これで山田喜平さんは2回、糧友会の羊肉料理を勉強したことになる。ことに2回目は話を聞くだけでじゃなくて実習したんですから自信をもって「緬羊と其飼ひ方」に羊肉料理を書いたと思いますね。
 私は糧友会がどうやって2回目の受講者を集めたのか朝日、読売、報知、国民、都、中外、やまと、時事と8つの新聞を調べたらですよ、国民新聞が「◇羊肉料理講習会 深川区越中島町陸軍糧秣本廠内糧友会では二十六日正午より午後三時まで本郷区湯島六丁目渡邊裁縫女学校で羊肉料理の講習会を開きます講師は一戸伊勢子氏会費無料(4)」と書いていただけでした。もし私の見落としがなく、国民1紙だけの記事で50人が集まったとなれば、国民新聞の家庭欄は女の先生たちに相当注目されていたということでしょうね。
 一戸講師は「一般料理の基礎的知識から説き初めて、羊肉の臭味を取る為めには高熱で短時間に処理することが大切であろこと又総て肉を焼く場合には之れに用ゆる火加減の大切なこと、焼網は豫め十分に熱してからその上に肉をかけることなど、更に青菜を茄でた際これを色よく保つ為には、急速に冷水でさますことが必要である等、その他榮養學上より、経済の上から極めて有益にして、実際的なる注意を与え(5)」てね、それから実習に移った。
 献立は、羊肉味噌焼、むしやき羊肉、羊肉龍眼揚、羊肉みどり和へ、包羊肉(ぽおやんろう)―で、鍋羊肉はやっていません。「やがて出来上つた料理を試食して一同は、羊肉料理のおいしいことを今更に驚き合ひ、羊肉礼讃の声が室に満ちた。一方講習会場内に出張した松井羊肉店の、羊肉も亦盛んに売れて居た。本会からパンフレツト『羊肉宣伝の趣旨、羊肉料理法』と雑誌『糧友』を一同に無料で配布」(6)したと「糧友」は報じています。
 第3回は翌年2月21日に糧秣本廠で開かれ、主たる受講者は陸軍の炊事専門の兵士66人でした。当然その模様は「糧友」に載せていてね。資料その1を見なさい。これだと全国から集めた炊事掛がいたから開いたように読めますが、実態は炊事掛に対する45日間の第2回軍隊調理講習の中の30日目の講習でね。そちらの記事によれば、2月21日の学科は調理概論、大根早漬けと豆もやし芥子和えの実習、それから羊肉調理に関する学科と調理実習(7)となっています。それで兵隊ばかりじゃ第3回羊肉料理講習会と銘打ちにくいので、人数はわかりませんが、女性も加え、兵隊たちは羊肉シチュー、ご婦人は羊肉の肉饅頭などを作ったんですね。とにかく羊肉料理講習会としては3回目と、数え方の苦しい大本営発表でした。
 軍隊調理講習の開始に当たり佐藤金治糧秣本廠長は訓示してこういった。軍隊での炊事は非常に重要だ。糧秣本廠は大正9年から各師団に出張して炊事の巡回指導をしてきたが、去年は初めて炊事掛20名を糧秣本廠に召集して講習を行った。この成果が認められたことと「新編制に依る炊事専務卒制度の採用に鑑み、いっそう組織的に教育を施す必要が生じたる為に」2回目の召集教育をする(8)ことになったといっています。
 また丸本彰造主計正は講習概要を説明して、諸外国には軍隊筋教育制度があり、我が海軍も以前から行っている。我が陸軍も炊事教育の必要が明らかになり、本年から炊事専務卒の採用されるに至った結果、この炊事教育制度は確定的のものになってきた。ここでしっかり勉強して、教育指導者の立場になって炊事専務卒を遺憾なく指導してほしい(9)と要望しています。農林省の技手山田喜平さんが今度は講師として呼ばれ、日本で緬羊は育てにくいというのは誤解で、うまくいけば5年間で250円の収入になる。「ただ肉を有利に処分して行くことが現在甚だ必要でこれが為には日本人一般の羊肉に対する嗜好の開拓に俟たねばならぬ。」(10)と話したと記事にあります。山田さんは糧友会の羊肉料理が日本人の嗜好を変えるほど役立つと、まだ思っていなかったんじゃないかなあ。

 資料その1

第三回羊肉料理講習會
            糧友會

 既に本誌に掲載せし趣にもとづき第三回羊肉料理議習會を二月廿一日、陸軍糧秣本廠に於て開催した。
 時恰も全国陸軍歩兵聯隊より各一名宛約七十名の炊事係り召集中であつたので、炊事係りを中心として各方面より家庭婦人を混じて當日午後一時に開會した。まづ三笘本會委員開會の辞を述べ、次で丸本委員立つて『羊肉知識』なる題のもとに、羊の歴史的回顧、羊 肉榮養価値、羊肉嗜好価値、経済価値羊毛肉と軍隊等、約壱時間に渉つて述ぶる処があつた、――次回に要旨掲載の豫定――講演中全国召集炊事係に向つて「羊肉を使ふた事があるか」との問に対して、使つたことのあるは北海道月寒の聯隊、朝鮮の羅南及海寧の聯隊、満洲公主嶺の独立守備隊であることが分つた。そして『兵の嗜好は如何』といふに対しては何れも良好といふ答であつた。次で農林省より來られた山田氏は當局者としての苦心と利益を述べらる、その要旨は、

  緬羊飼育の利益に就て
           山田喜平氏
<略>

 講演終つて炊事係其他は團体炊事用羊肉料理として「アイリツシエ、スチユー」を浅野囑托指導のもとに實習し、家庭料理の方は、新に出來た本廠の調理室で、満田囑托指導で
 羊肉木の芽和 芙蓉羊肉
 包羊肉    沙羊肉
を各人に實習をして、終了したのは午後五時四十分であつた。

 余談ですが、私はあるところでね、旭川にいた旧陸軍第7師団所属の厨夫、厨房の厨に夫と書く職人が昭和3年5月に師団の経理部長あてとして書いた脱退給付金請求書という文書を見たことがあります。普通の食堂なら板前といえると思いますが、兵営での飯炊き専門はそういう職名だったのですね。それは正式書類ではなく下書きだったかも知れませんが、脱退理由は月給85円で働いてきたけど、炊事専務卒制度の実施で解雇されたからとありました。陸軍共済組合から脱退するときもらえる積立金のようなものらしいのですがね。
 陸軍では、この昭和3年に厨夫という軍属は使わず、下級兵士を炊事専務卒として訓練して食事をこしらえるという制度ができたので、糧秣本廠に下士官を集めて炊事専務卒の先生、師匠になれるよう仕込むのは当然ですね。だがね、その講習を受けた下士官が所属部隊に戻って、調理場に兵隊を集めて、飯炊き始めーなんて号令を掛けるだけでは、いい炊事専務卒にはならない。
 軍隊特有の献立、炊事法をしっかり覚えさせるためには、やはり教科書がいりますね。国会図書館の近代デジタルライブラリーにある「炊事専務卒教育参考書  調理之部」という本の奥付をみると昭和3年5月です。今後も毎年調理講習が行われることを見込み、糧友会が3月7日まで続けられたこの第2回講習で使ったテキストをもとに作ったことが考えられます。大勢の兵隊に食べさせるほど、まとまった量の羊肉が手に入ないとみてか、羊肉料理は入ってませんがね。
  

参考文献
上記(1)と2)と(3)と(5)の出典はいずれも糧友會編「糧友」第3巻2号83ページ、昭和3年2月、糧友會=原本、(6)は同89ページ、同、 (4)は昭和2年12月23日付国民新聞朝刊6面=マイクロフィルム、 (7)は糧友會編「糧友」第3巻4号90ページ、昭和3年4月、糧友會=原本、 (8)は同80ページ、同、 (9)は同83ページ、同、 (10)と資料その1は同116ページ、同、   


 第4回の講習会は女子学生を対象として翌3月18日に東京の牛込高等小学校で開いています。「糧友」は「今回も少数な方々に徹底的に羊肉料理を實習して頂く趣旨から、本校々長の好意により、設備の完全せる當校割烹室を使用する事となつたのである、(11)」と書いてますが、築3年のこの小学校の割烹室は地下1階でね。ガス、電熱、水道付きの調理台が6つあり「中央ニ三個ノ折タタミ自在ノ試食台ヲ置キ、布張鉄骨ノ折畳ミ椅子ヲ備ヘ試食ノ時ニ用フ(12)」という具合で、視察した西久保弘道という東京市長が贅沢すぎると怒った(13)くらい立派だったから、北海道弁でいえばあずましく料理を作れたでしょう。
 新聞を6紙見ましたが、参加者募集の記事が見つからなかった。主な女学校に開催お知らせの掲示を頼んだのかも知れません。「年末試験の前後であり、且つ日曜日とて、來会如何を案じられたが、熱心なる講習員が豫想外に早くから來会せられて、開会午後一時には四十余名に達するの盛況であつた。」とあるから、30人ぐらい集まれば上乗と思っていたんじゃないかな。
 実習に先立ち、羊肉についての一戸伊勢子講師の講義があった。羊肉は早く煮える。豚肉の半分の時間で煮える。肉は強い温度で煮ると表面の蛋白質が急速に凝固するから臭氣が出ない。羊肉の揚げ物に植物性の油を使用するのは、羊肉の脂肪はさめると固まるから、さめて固まらぬ植物性の油を使用する
(14)などと説明しております。
 作ったのは羊肉のウド煮、羊肉酢のもの、羊肉雪中揚げ、羊肉五目めしの4品。「各人各人先生の指導をうけつゝ一々見事に拵へ上げて、始めて羊肉を扱つたお嬢様方が『随分お美味しいわ』と思はず羊肉礼讃の声をそここゝに挙げられた。例によつて松井羊肉店は出張廉売を爲し、本会よりはパンフレツト及び糧友を配付した、最後に三苫委員の閉会の挨拶があつて、会員一同新しい知識を得た喜びの面を、初春の斜陽に輝されて散会したのは午後五時であつた。(15)」と「糧友」は伝えています。
 糧友会は一般家庭婦人向け、女學校小學校の家事科の先生向け、團体炊事主管者といえば格好いいが、炊事担当士官向け、女学生向けと4回、羊肉料理の講習会を開き、昭和3年度の締めくくりとして、3月31日に有楽町2丁目にあった報知新聞社の講堂で羊肉食を奨励する講演と映画会を催したのです。
 この催しの開催を知らせる手段の1つとして糧友会はラジオを使いました。丸本彰造委員が午前10時45分から「羊肉の話」と題して15分話したのです。資料その2は講演の抜粋で、羊肉を試食してみたければ、きょう午後、報知講堂に行くようにと勧めた。それから、緬羊をうんと増やし、肉屋で羊肉が買えるようにするには「羊肉はありませんか」という主婦の一声が大事だと説いたのです。うまい言い方ですよね。

 資料その2

ラジオ放送「羊肉の話」から

  羊肉の料理

<羊肉の味、料理などを話す時間がない> それでありますから、若しもそれ等の事について御質問がありまするならば、陸軍糧秣廠にお尋ねになりますればそこで研究して居りますから、そこへお尋ね下さい、実際緬羊といふものがどういふ経濟価値があるか、また必要であるか、そういふ事を知りたいお方は、若くは羊肉を試食してみたいといふやうなお方がありましたならば農林省が後援をいたしまして、今日報知講堂で講演、試食會がありまするから午後一時からそちらにお出になればよく分る事と思ひます。

  羊の使命

 兎に角、古い/\われ/\人類の創世記から人間の生活上に偉大な貢献をしてくれましたところの羊は、平和の時にもまた戦争の場合にも肉と毛とを供給してくれまして一層重要なる役目を爲して居るのであります。でこれが為に農林省當局では種々施設をされ奨励に励めて居られるが、国民としても進んでこの緬羊の知識の普及、殊に羊肉食の嗜好開拓といふ事によりまして羊の経済価値を増進し、依て以て当局の百萬頭計画の実現を期する事が、これが国家経濟上及び国防上国民が自覚的にやらねばならぬ事と思ふのであります。

  主婦の一声

 それから、この事柄は家庭の皆様方の一聲によつて、實は達せられる事と思ふのであります、政府の百萬頭計画は家庭の皆様方の一声によつて達せられるのであります、一声とは何ぞや、それは「羊肉はありませんか」と肉屋に問ふて下さる事であります、多分この皆様方のお問に対して九十九パーセントまで肉屋は「羊肉はありません」と答ふるでございませう。しかしながら、この問を根気よく繰返へされる事によりまして、國民一般が羊肉に対する要求の聲が大になります、従つて、この羊の肉の価値が高められ、そうしてこの羊は段々殖えて來るのであります、これによつて百萬頭計画は可能であります。
 それから、あのやさしい羊を屠つて食べてしまふといふのは誠に惨酷のやうであります、誠に無慈悲のようであります、しかしながら、食べる事によつて彼等の種属は繁殖するのであります。彼等の使命は、肉を捧げ、毛を奉る事によつて完全に達せられるのであります。

  大乗の慈悲

 彼等の使命を我々は完全に達せしめる事が慈悲、心底から彼を愛する所以ではありませんでせうか、從つて羊を食べるといふ事を勧めまた皆様方はこれを食べるといふ事は決してこれは無慈悲な事でもなければ、惨酷な事でもないと私は思ふのであります、真に羊を愛するならば、彼等の肉をまづ食べよと私はここで結論をして講演を終る次第であります。

 丸本委員の放送だけで映画講演会に人が集まるとは思えません。当然糧友会は新聞各社に予告したはずです。報知新聞社の「五階の二百余坪の大広間には一切柱を立てず、優に千人を収容する講堂として、講演会や活動写真音楽会に使用するのみならず、一般にも開放して貸すことにしました。(16)」という講堂でやるのですから、少なくとも報知は書いているかと調べたら、ラジオ欄には陸軍二等主計正丸本彰造が「羊肉の話」をすると短い紹介はありますが、映画講演会の予告記事は見あたらない。報知主催でもないから知らんよと冷たかったんですね。
 ラジオを聞いて駆けつけた人もいたかも知れませんが、農林省、陸軍省など関係筋には通知して動員を図ったようで「午後一時頃には聴衆詰めかけ、一時半三苫委員開会を宣し、活動写真映写を以て本講演会は始められた」。約350人だった(17)そうですが「糧友」は満員のように見える講堂の写真も載せています。「東宮殿下月寒種羊場行啓」と「デンマーク農村の組合の活動」の2本を見せた後、農林省の石崎芳吉畜産課長が「本邦に於ける緬羊飼育の奨励に就て」、東京実業組合聯合会の阿部吾市副会長が「我国畜産食糧問題の所感」と題して講演しました。
 この阿部さんは茨城採炭社長など石炭掘りが本業だが、十勝で1500ヘクタールの土地を持っていた。6年前アメリカ各地で緬羊を飼っているのを見てきた。帰国して農林省が100萬頭計画を進めていると知ったので「緬羊飼育を決意して、四年前数十頭を農林省から世話して貰ひ、現在六百頭目下盛に蕃殖してゐるから今年は千頭にし、来年は二千頭にしたい……処が現在六百頭の緬羊飼育で直に日本一の牧羊家となつた(18)」と語っています。阿部牧場は熊にやられたりしてますが、後日道内の増殖状況の方で取り上げます。
 2人の講演の後、再び「羊の讃美」など映画を見せ「三苫委員羊肉の説明を為し、入場者一同へ『羊肉サンドウイツチ』『羊の焼肉』等を配つて食を乞ふて好評を博し、四時過に散会した。」そうですが、主催者側のお偉方は、やはり丸の内にあった支那料理店、東洋軒に移動して羊肉料理試食会を開いたのです。「料理は満田委員指導のもとに、同軒司厨士の腕によりをかけたゞけあつて出来栄えよく(19)」満足した。菜単に振り仮名がないので中国語での読み方がわかりませんが、字から判断すると醤油味のラム肉入りの混ぜご飯などを賞味した。年度末ですから、予算の余りを消化、いや賞味したんだと思いますね。ふっふっふ。
  

参考文献
上記(11)の出典は糧友會編「糧友」3巻5号105ページ、昭和3年5月、糧友會=原本、 (12)は牛込高等小学校編「落成記念」7ページ、大正15年11月、東京市牛込高等小学校新築設備後援会=館内限定近デジ本、 (13)は工事画報社編「工事画報」3巻1号51ページ、「工事タイムス」より、昭和2年1月、工事画報社= http://library.jsce.or.jp/Image_DB/
mag/gaho/kenchikukouji/ 03-01/03-01-0435.pdf、 (14)は糧友會編「糧友」3巻5号105ページ、昭和3年5月、糧友會=原本、 (15)は同106ページ、同、 (17)と(18)と(19)は同106ページ、同、 資料その2は糧友會編「糧友」3巻12号109ページ、昭和3年12月、糧友會=原本、 (16)は報知新聞社編「報知新聞小史 附・記念事業新築概要」28ページ、大正11年11月、報知新聞社=近デジ本、>   


 羊肉食宣伝の決意表明をした翌々年、昭和4年の春、糧友會は東京の上野公園で食糧展覧会という、食糧をテーマにした博覧会を開き、7万3000人余りに見せる(20)ことに成功したのですが、そのプロジェクト実現を目指して昭和3年は組織づくりをはじめいろいろ活動してます。そうした足取りをたどることはジンギスカンと一見関係ないように思えるでしょうが、そうじゃないんですね。羊肉食を宣傳することは「羊肉の話」でわかるように、羊毛増産と食糧増産という一石二鳥の解決につながり、日本という国にとっても非常に重要なことであったのです。
 ですから、我が国の人口と食糧問題の将来像を示す食糧展覧会として羊肉食普及を忘れるわけがない。39日間の会期中に、なんとジンギスカン料理など34回も羊肉料理の実演(21)をやり、参観者に試食させたのですから、ジンパ学としては、できる限り詳しく調べる必要があるのです。食糧をテーマにした博覧会という試みそのものが初めてでしたし、量は定かではないのですが、陸軍提供と思われる羊肉を観客に味見させたのも初めてでしたからね。
 昭和3年11月、昭和天皇の即位の礼など御大典が京都で盛大に行われました。国民はそれをお祝いして各地でいろいろな催しがありました。道南の江差から追分踊りの一行が京都まで出かけて「鴎のー鳴く声にー」と、アツシ姿で櫂を持つ江差追分踊りを披露したのも、その1つでした。はっはっは。
 糧友会もその御大典をお祝いして昭和3年中に上野公園で開こうとしたのですね。「糧友」の昭和3年1月号に「糧友会主催食糧展覧会に就て」という、いわば開催宣言が載っています。何気ない題名ですが、なぜか4ページのここだけ、普通のページ番号とは別にローマ数字のTからWのページ番号を振っている。非常に重要、特別扱いの記事だということですね。それで私は開催宣言とみたわけです。
 この前半はね、糧友会は発足して3年目で会員は5000人近くなった。これは世界各国が食糧政策と取り組み、日本でも政府が人口食糧問題調査会を設けて、人口問題と食糧問題の調査審議を始めたという国内情勢を反映している。しかし、そんな悠長なことはしておられんのだ。ぱっとわかる資料で国民に現状を示し、食糧問題解決のために今後進むべき方向を「実物で提示展覧」する時期にきた(22)―といっている。資料その3は、展覧会の目的と内容を説明し、昭和3年に開く意義を述べた後半です。

 資料その3

 糧友会主催食糧展覧会に就て
                   糧友会

 種々の意味に於て最も意義深く、且つ永く記念すべき此の昭和三年を期して、糧友会主催の下に我国創始の試たる食糧展覧会を開催せんとす。これ、我国現勢に鑑み、本会の当然為さねばならぬ使命の一つである。
   ×
 <略>
   ×
 故に本會は、茲に食糧展覧會を開催して、これ等世の要求する処の物を一堂に集め、食糧の現勢ど将來を世人に知らしめ、一は以て局に当るものをして其の足らざる処を補ふの参考たらしめ一は以て発明考案に志す者に其の進むべき針路を示し、或は隠れたる尊き研究を世に発表し、我國人口食糧問題の正当なる理解を求むると共に、国産食糧資源の開発とその料理の振興、製造加工調理技術の改良発達、及発明考案の奨励其他食糧改善事項の普及に向つて、一歩一歩社會民衆が意識的に到達せんことを目的として、我國食糧問題の現状の展覧、将來我国に於て振興すべき食糧の方途指示、右に關係せる我国の農産・水産・畜産食糧及び加工製造の展覧、國産食糧を以てする料理の展覧、右調理の實演及び試食の公開、調理競技、食糧及調理に関する講演會講習會及印刷物配布並出品の審査、食糧貢献者の撰奨等を行はんとする次第である。
×
 我国に於て此の如き展覧會の開催は、本會の試を以て創始とするものであつて、嘗て芸術趣味を中心とする高級料理の展覧會が二三の有志によって開かれたることあるも、食糧問題を大観して国家的緊急問題の解決に資せんとするが如きものは未だ見ざる処である。従つてこれが完全に其の目的を達成することはなかなか容易でない。しかるに本會が敢て茲に本年を期して、これを開催せんとする所以は、實に本年は戊辰の今昔を想起すべき最も意義ある年にして、総ての方面に於て溌溂たる元氣を以て新らたなる発展を遂げねばならぬのであつて、殊に食糧問題は総ての社會問題、経済問題の基礎たるに鑑み、一日も早くこの問題に対する実質的観点に世人の視顧を導かんとするに在る。今や糧友會はこれが實現に向つて著々準備を進めつつあり。大方諸賢、希くば本企図を諒とせられ、その成功の爲に翼賛せられんことを。

 食糧展覧会の総合報告書というべき「現代食糧大観」に「我が糧友会は、昨昭和三年十一月、御大典奉祝の誠意の下に、本邦創始の食糧展覧会を開催して<略>準備を進めたのであつたが、会場の関係上延期し、同年七月中旬開催の糧友会評議員会の決議を経て、昭和四年春陽の候を期し、上野公園文部省東京博物館別館に於て開催に決した。(23)」 と書いています。
 これだと11月に開こうとしたが、会場がふさがっていたようにとれる。それで調べてみたら、昭和3年の上野別館における展覧会はね、4月1日から5月24日までが文部省と全国実業教育会主催の産業教育展覧会、10月12日から10月28日までが日本書道作品会主催の日本書道作品展展覧会、11月2日から11月30日までは国民新聞社主催の全国小学生成績品展覧会があった(24)とわかりました。早割じゃないけど、早くから手を打っていた場慣れした団体と、初めて展覧会を開く糧友会との経験の差ですね。
 6、7、8、9月が空いていたけれど、梅雨があるし、8月は暑い。御大典のある11月は、国民新聞社にしっかり押さえられて駄目、12月はなにかと気ぜわしい。どうせなら上野公園の花見を兼ねた人々の観覧も見込める春にやろうと3月から4月にかけて開くことに決め、まず「糧友」8月号に広告みたいな形のお知らせを掲載した。それが資料その4で、これはその後、何回も使われます。それから各方面に開催趣意書に会則、出品規程などを添えた手紙を出して出品を呼びかけた。アジア歴史資料センターを検索すると、外務省通商局長宛に送った文書一式が出てきますよ。

 資料その4

昭和3年8月号 広告

  食糧展覧會開催決定
              糧友會
一、時日 昭和四年 自三月二十三日
          至四月二十一日
一、場 所 東京上野公園 東京博物館別館

   ◎趣  旨
本邦に於ける人口食糧問題は、今や將に綜合的研究を一眸の裡に収め以て、将来進むべき方途を實物に或は實演に提示展覧を要する時代に到達した。
本展覧會開催の趣旨亦實にこゝに存する次第である。
   ◎方  法
本展覧會の内容は、人体榮養及び人口食糧問題に関する資料、食糧品、調理、器具、燃料、及び食糧に関する図書等を陳列し、其他食糧品製造の實演、料理の講習、食糧に関する講演、映画等を行ふものとす。

 この東京博物館上野別館という建物の写真が中外商業新報にあったので、資料その5にしました。この展覧会の総合報告である「現代食糧大観」には、ちゃんとした写真が載ってますがね、中外がひときわ熱心に展覧会を取材した証拠の1つとして、この写真を見てもらいましょう。
 なぜ上野別館と呼ばれたかというと、当時の博物館本館はお茶の水にあったからです。この建物は元々は東京帝室博物館の一部でね、いまの科学博物館の位置に空から見ると飛行機の形をしたしっかりした建物を建てて本館を移転させる計画が進んでいたので、それが完成したら、つないで使えるようにということで、文部省が宮内省から払い下げを受けて、いまの東京国立博物館のあるあたりから、昭和2年にいまの国立科学博物館の後ろに移したのです。木造平屋建て、広さは約2800平方メートル(25)ありました。窓付きの筒みたいな2つの部屋は看守室で、その間に出入り口があるんですね。中はとても天井が高かったそうです。

 資料その5

   

 看守つまり門番が2人、出入りする人々が何かこっそり展示品を持ち出さないか両側から監視する厳重な警戒態勢だったんですな。看守室なんてホントかねと思う人がいるかも知れないので、その証拠を見せましょう。資料その6の平面図にちゃんと書いてある。ちょっとぼやけているけど、読めるでしょ。このツイン看守室がいい目印になって建物の位置、方向もわかるのですよ。会期中は片方を入場券売り場、もう片方を講演する講師の応接室にしました。(26) (26糧友会編「現代食糧大観」15ページ、昭和4年12月、糧友会=近デジ本、)

 資料その6

 はい、資料その7を見なさい。昭和6年当時の東京博物館、いまの国立科学博物館から上野駅にかけての一帯の略図です。語呂合わせじゃないが、上の方が上野停車場、横線は鉄道。その下の黒い四角が別館ね。ツイン看守室の出っ張りが線路側の道路に向いているのがわかりますね。
 だから資料その5の写真は、別館前の道路から撮った構図ということになります。左端の細い縦棒が資料その4の平面図の食堂などの別棟、その左の白い図形がそのころの帝国学士院。別館の左下の飛行機型がそのころ建設中の博物館本館、地図によると、いまは右翼の後ろに建物が増築されているが、基本形は同じです。

 資料その7

    

 もう1つ、別館の建物が食糧展覧会の見取り図を資料その8にしました。資料その5を逆さにしたこになりますからツイン看守室が下側になっています。この入り口から入ると、突き当たりが「人生と食物」という展示のコマで、資料その8に書いてある朝倉文夫作の裸体像3体飾ってあったのですね。
 別館の左隣は特別館のゾーンで、北海道館、台湾館の左、朝鮮館の下に展覧会事業場と2行書きが読めますね。糧友会はここを糧友軒とも呼び、会期中いろいろな料理を実演した場所。家庭貯蔵壜という糧友会が開発したガラス壜を使う壜詰め法が一番多かったが、丸本さんも羊肉を焼きながらジンギスカン料理の講釈をしたはずです。

 資料その8


  

参考文献
上記(20)の出典は糧友会編「現代食糧大観」52ページ、昭和4年12月、糧友会=近デジ本、 (21)は同707ページ、同、 (22)と資料その3は糧友会編「糧友」3巻2号Tページ、昭和3年2月、糧友会=原本、 (23)は糧友会編「現代食糧大観」5ページ、昭和4年12月、糧友会=近デジ本、 (24)は国立科学博物館編「国立科学博物館百年史」248ページ、昭和52年11月、国立科学博物館=原本、 (25)は東京博物館一覧 昭和二年度同三年度」69ページ、昭和5年3月、東京博物館=近デジ本、 資料その5は昭和4年4月23日付中外商業新報朝刊8面=マイクロフィルム、 資料その6は東京博物館編「東京博物館一覧 昭和二年度・昭和三年度」ページ番号なし、昭和5年3月、東京博物館=近デジ本、 (26)は糧友会編「現代食糧大観」15ページ、昭和4年12月、糧友会=近デジ本、資料その7は工業雑誌社編「工業雑誌」842号ページ番号なし、秋保安治「東京博物館の新装」附属図より、昭和6年2月、工業雑誌社=館内限定近デジ本、 資料その8は糧友会編「現代食糧大観」730ページ、「食糧展ニュース」第1号外より、昭和4年12月、糧友会=近デジ本


 札幌にいると、食糧展覧会の資料としては糧友会の機関誌「糧友」と「現代食糧大観」、新聞では朝日、いまは毎日になった東京日日、読売ぐらいしかありません。この3紙があんまり書いていないので、私は国会図書館に出かけて、そのころ東京で読めた新聞のうち報知新聞、時事新報、いま日経となっている中外商業新報、都新聞、やまと新聞、万朝報のマイクロフィルムを読ませてもらいました。時事新報のフィルムは北大にもありますが、紙が悪かったのか真っ黒なので、デジタル型のリーダーの明るさをうんと上げないと、とても読めない。北大図書館ではン台しかない、そのデジタル型リーダーが国会図書館の新聞資料室にはたくさんありますから、あずましく読めるんですよ。
 これら9紙の記事を私の感覚で採点すると、中外商業新報が一番よかった。質、量ともに優と評価しましたね。まず早かった。ほかの新聞は開会式の数日前なのに、中外は1月15日にね、3月23日から食糧展覧会が開かれるという記事を載せてます。中外も、他紙と同じように開会3日前に載せてますが「既報の通り」と、既に何度か展覧会のことは書いたことを強調した。そうなると私はだよ、既報、最初はどういう記事だったのか探さにゃならん。せいぜい10日ぐらいかと読んでいったが、さっぱり出てこないんだ。見落としたかと、2度ずつ読みながらフィルムを巻いていったら1月だったのには参りました。はっはっは。
 資料その7の(1)が1月の記事、(2)が「既報の通り」と入っている開会予告の記事です。2度目を意識してでしょうが、5W1HのWhere、上野公園という場所が入っていません。いくら珍しい展覧会だといったって、2月も前の記事を覚えている読者は、まずいないよねえ。

 資料その7

(1)
 たべる事なら何でも…
  食糧展覧会
   陸軍糧友会の主催で
    三四月の候に上野で開会

食糧問題がいよ/\やかましくなつて來る、この機会に糧友会(陸軍糧秣本廠内)では食糧展覧会といふ珍らしい催しをすることゝなつた、期日は來る三月廿三日から四月廿一日までの卅日間、場所は上野公園両大師前の東京博物館で同会では三井理事長が主となつてこの変つた
  催し  の準備をすゝめてゐる、出品物はいふまでもなく、食糧に関係したあらゆるものでまづ
 ◇人生と食物の部門には……人口、食糧、栄養などの基礎的な統計から農産、畜産、水産などの状況、食品の加工、貯蔵、配給、調理といつた方面のもの
 ◇応用調理では……陸海軍、工場、航空、潜水艇用などの弁当から駅弁まで出品する、炊事場の模型も団体炊事場から農村のお台所、特殊コンロまで、それから非常時食料として戦時食糧や器具もお目にかける
 ◇……この外いやしくも食糧に関係した衛生、図書など一切の出品があり、参考品として外国のもの、試験研究品も多数出品される
 催しものゝ部門ではお料理
 競技  会とか食道旅行とかいふ珍無類の企てがあり、こゝの特別出品には人造人間、お国名物長命塔、千年後における人間などの興味深いものがあげられてゐるお料理競技ではいろ/\な料理の早業をお目にかける、別に食糧歴史館も出来るし
 農産、畜産、水産、加工などの各産物は全国各地から出品され満蒙、北海道、樺太などの特設館もそれ/\゛関係者が力瘤を入れてつくる筈で
 陽春  の上野はこの変つた展覧会に賑されることであらう(1月15日)

(2)
 準備すゝむ
  食糧展覧会
   廿三日に開会

わが国でははじめての試みである珍しい食糧展覧会が、既報の通りいよ/\來る廿三日から開かれることになつた、主催者の糧友会(陸軍糧秣廠内)は中村会長以下総がかりの態でその準備をいそいだので、会場の容易も大部分出来上り残るところはたゞ各方面からの出品物を陳列するばかりで大変な意気込みである、会期中には毎日のやうに栄養デーとか、農産食糧デー、缶詰デーなどを催しその道の大家が総動員で講演や映画や料理の実演をする筈で、この催しは各方面から非常な歓迎をうけてゐる開会式は廿三日午前九時から行ひ午後から一般に公開する(3月20日)

 それから記事量ですが、中外商業新報は展覧会にちなむ連載「食料展を通して見たわが食糧問題」を7回載せています。やまと新聞もB・K生という人物による「国防と食糧」を5回載せていますが、中外は、講演でいうつかみがうまい。食料展覧会を主催する糧友会の説明から始めている。私は糧友会の行事などは何度も話しているけど、組織については中外連載の1回目ほど丁寧に説明していないと思うので、この際、皆さんにそれを読んでもらえば、食糧展覧会の概要もわかると思うので、連載1回目を資料その8にしました。記事の中の両大師とは科学博物館の東隣にある寛永寺の開山堂のこと、渋沢栄一子の子は子爵、益田孝男、団琢磨男の男は男爵の略です。

 資料その8

食糧展を通して見たわが食糧問題  【一】
  ◇
食糧展覧会は糧友会の主催によつて上野公園両大師前文部省東京博物館において目下開会中である、会期は一ケ月で來る廿一日閉会される予定であるが、この種展覧会は本邦最初の企てゞ、その目的が食糧の生産、配給、貯蔵、消費および加工調理などの実際的研究を展覧せしめ、広く家庭生活の向上進歩に益すると共に、かねて本邦の平時と一朝有事の場合における食糧問題解決の一端に資したいといふにあるのであるから、この展覧会が識者の熱心なる注意をひいてをるのも故なしとしない
  ◇
食糧展覧会主催者の糧友会といふのは、何であるかを一寸説明しておきたい、糧友会といふのは事務所を深川区越中島陸軍糧秣本廠内におき、食糧と調理とに関する調査研究を目的とするものであり、この目的をとげるために随時講演会、講習会、試食会等を開き、雑誌「糧友」を月刊で発行してをる、糧友会には渋沢栄一子と益田孝男とが顧問をしてをり、評議員としては団琢磨男をはじめ佐々木勇之助、木村久寿弥太、大橋新太郎、門野重九郎、串田萬蔵、藤原銀次郎、磯村豊太郎諸氏等の有力な民間実業家の顔ぶれが官吏学者の間に立ちまじつて見える、中にも益田孝男のごときは糧友会の熱心な後援者で、食料展覧会にも「もろこし庵」といふ特設館を自ら設け諸種の出品をして食糧展覧会のために尽してをる位である、糧友会の理事長は陸軍省経理局長の中村精一氏で、その中村理事長がすなはち食糧展覧会の会長である
   ◇
陸軍省の経理局長が展覧会の会長であり、かつ陸軍の糧秣廠内に事務所を設けてをる糧友会の主催といふのであるから、一寸聞くには何だか陸軍省の宣伝の一端であるかに考へられるが、事実はさうでなく、人類の生存上一日も欠くことの出来ない食糧問題の研究解決のために、食糧の生産、配給、消費などに関係ある農林省その他の諸官庁、東京帝国大学はじめその他の諸学校、理化学研究所、産業組合等の調査し研究したものが展示されてをり、局部の問題を離れて真面目に食糧といふことについての全般的解決を期しての企てゞあることは、一見したものゝ容易に感得するところである、そして貴重の調査や研究の結果の提示に当つては、従来の展覧会に往々有りがちであつた出品の不統一を避け、たとひ一局一所の出品であるからといつてこれを一ケ所にとりまとめて展示することなく、生産方面ならば生産、配給方面ならば配給、消費方面ならば消費といふ風に分類し、各部門々々に厳選して分配統一を図つた苦心は多とすべきで、観者のためには非常の便宜であるといはねばならぬ
  ◇
第一号館への入館と同時に目につくものは、男女三体の裸体像である、日本人としての理想的健康体を示したものであるが、かゝる健康体を得るにはどうすればよいかといふ解決が次に与へられてをる(4月2日)

 中外商業新報がなぜ昭和4年1月に食糧展開催の記事が書けたのかというと、答えは簡単、記者が「糧友」を読んで開催を知ったからでしょう。前の年の8月号から後ろ、遅くても昭和4年の1月号掲載の糧友会理事長、三井清一郎の「多望なる昭和四年を迎ふ」を読んだに違いないのです。三井は「この陽春上野竹の台に開催する食糧展覧会を手始めとして、食糧の生産、配給、消費等の方面は勿論、食糧研究団体の連盟又は融合、食糧文献の蒐集公開、食糧智識の合理化、及び、食糧趣昧の清浄化等の如き高遠なる運動にも手を染めむとする、(27)」と書いているし、141ページには資料その4のお知らせがあります。このころの雑誌は皆月初めに発売されていたし、郵送で定期購読していた料理店のようなところで記者がこれを読み、取材して書いた。それで記事が松の内をすぎたのではないかと考えます。
 「糧友」2月号は「愈々会期迫った食糧展覧会 準備着々進陟中」という見出しで、樺太館、北海道館、台湾館、朝鮮館、満蒙館の設置決定などを伝えています。また、1等主計の川島四郎さんが士路生のペンネームで自宅に出刃を持った強盗が入った漫画を描き、こんな漫文を添えています。漫文をスライドで見せましょう。

 説教強盗に依頼す   川島士路生

 明けて三年越し、帝都の内外を活躍雄飛(?)して居る説教強盗君が、御親切にも僕んとこへも押入って下さいました。
 で、かねて用意の泥棒投給用の財布を投げ出すと、先生スツカリ悦に入つて例の調子でお説教をやり、そして何時もの『犬をお飼ひなさい、犬をお飼ひなさい』と奨めて呉れる。ので、思い付いて
 『ネ、説教強盗君、ものは相談だがね、君の(犬をお飼ひなさい)を止めて(羊をお飼ひなさい)に改めて呉れないか、肉は食糧、毛は衣料、此大事な羊を日本人は飼はないんだ。要旨は此ポスタアに書いてある。何ならパンフレツトも與る。羊肉宣伝に一肌脱いでくれ』
 『??!』
 別の財布から拾円出して
 『サア、遠慮はいらねい、当分の宣伝費だ、とつときねい』

 「與る」には「やる」と読むようルビ付きで、部屋の壁にぶら下がる軍服の隣に「目下の必須事(ヒツジ)は羊」とシャレ交じりのキャッチフレーズが読めるポスターがぶら下がっており、それを指さしながら10円札を差し出している構図です。説教強盗一人だけでもいい、とにかく家庭で羊を飼うよう説教してもらいたいぐらい羊毛が欲しかったという切実な国内事情をよく示していると思います。
 川島さんは「糧友」誌上では小説やルポどころか、漫画まで描いています。このとき川島さんは派遣学生として東大農学部で勉強中(28)なんですが、黙っておられず食糧展覧会の宣伝を手伝ったようで、昭和4年の「糧友」2月号に載ったポスター当選者の1等と3等に選ばれています。私としては漫画をぜひ見せたいんですけどね、著作権の原作的保護期間は著作者の死後50年であり、川島さんの場合、まだ保護期間が6年残ってますので、無条件でそこまではできないのです。
  

参考文献
上記の資料その7(1)は昭和4年1月15日付中外商業新報夕刊2面=マイクロフィルム、同(2)は同年3月20日付同朝刊7面、同、 資料その8は同年4月2日付同朝刊7面、同、 (27)は糧友会編「糧友」4巻1号2ページ、昭和4年1月、糧友会=原本、 スライドは同61ページ、同、 (28)は秦郁彦編「日本陸海軍総合事典」2版50ぺージ、平成12年8月、東京大学 出版会=原本


 糧友会は観客動員のために大規模な宣伝活動をやりました。3月中旬から上野公園から20キロの範囲内にある駅、学校、風呂屋、理髪店、ホテル、公設市場、大きな食品店などにポスター3000枚を張り出しました。東京市内を走る電車を使って車内の釣り広告と裏に広告を載せた電車乗換券130万枚を使わせます。それからサンドイッチマンを120人を上野公園から神田の萬世橋までの間を歩かせ、空からは飛行機によるビラまきをして、2回でチラシ20万枚をばらまいたのです。会場と銀座松屋デパートでアドバルーンを上げ、毎日の各種催しのチラシや旗を作り、銀座松屋と上野松坂屋、会場や公設市場のパン店などに置いて会期中に50万枚も配り、上野動物園と協定を結んで動物園案内図の裏に食糧展覧会の案内図と割引券を印刷したものを5万枚もばらまき、全国の各種学校に観覧を呼びかける勧誘状を送り、東京市内の専門学校、女学校には勧誘員を派遣したと報告しているのです。当時としては、考えられるあらゆる手を打ったんですね。(29)
 3月号では「食展みちしるべ 食糧展覧会はこうして観て下さい」というガイド記事を掲載しています。「即ち我国で今一番大切な人口食糧問題を、なる程重要な問題だと実物で判る様に展示する事と、また一つには食糧の生産、配給、貯蔵、消費の実態を観て、真に経済と栄養を兼ね具ふ合理的食事とは何であるか言う事を、広く社会及家庭生活に取り入れて頂くといふ趣旨を徹底させる事に力を注ぎました。それが為に、成るべく平易に、科学的且つ現実的な展示に努め、観客が容易に理解する様興味と刺激と教訓とを之に加味する如く考案しました」(30)と、狙いを書いています。
 案内記事には、永井潜医学博士の指導で作ったという食道旅行館の入り口、あんぐりと開けた男の口から観客が入ろうとする完成想像図が付いています。観客が食物になり、口から入って下の方から体外に出でるところまでをトンネル形の経路を通ってみていくうちに理解させようという趣向の建物でした。これですと、口の部分には歯磨き粉など、胃には胃腸薬といったスポンサーを頼めるわけで、糧友會の軍人さんたちも考えたものです。
 そして4月号は「食糧展覧会号」と銘打って、130ぺージのほとんどを食糧展覧会の記事で埋め、さらに会期中に発行した「食糧展ニュース」の1号と2号を特別付録として挿入しています。3月23日に開かれた開会式には華族、軍関係者、食糧関係者、糧友會役員ら349人が参列しました。その後、場内を一巡して展示物をみてもらっています。「第一室の食物と人生、人口食糧問題、栄養、農産、畜産、水産、工業的生産、加工食品、貯蔵、配給、調理、食物衛生、炊事器具の各部、第二陳列場、五特設館、国防館、食道旅行館、売店等すべて本会の主旨目的によつて体系陳列されたるだけに、来賓一同の声は、この挙の我国人に食糧問題の劃時代的催したるを證するに余りあつた」(31)と、自画自賛しております。この観覧後、会場の隣の学士院で会食したのですが、その際のメニューと図解が載っています。わざわざ「我が国の食糧資源を総動員してつくったもの」と強調し、開き貝焼には「原始人の食物と其調理法」、糧友団子には「悠紀斎田の献穀余米が入って居ります」と説明が付いています。その中に「羊肉串もの」(32)とありますから、ここでも羊肉の串焼きが出ていたことがわかります。これは羊肉料理の実演回数には数えていませんが、開会式から羊肉食普及を実行したわけです。
  

参考文献
上記(29)の出典は糧友會編「現代食糧大観」42ページ、昭和4年12月、糧友會=原本、 (30)は糧友會編「糧友」4巻3号126ページ、昭和4年3月、糧友會=原本、 (31)と(32)は同4巻4号6ページ、同、

 では、この食糧展覧会の幕開けから閉会まで間のことを当時の朝日新聞と東京日日新聞と読売新聞はどう伝えたかを調べてみました。それが資料その9です。3月15日に糧友會が開いた蒙古牛の試食会の記事があります。これは「糧友」4月号に記事「研究食品試食批判会―蒙古肥育牛肉」を載せていますから、やはり食糧展覧会の一環だったとみて差し支えないと思います。
 東京日日は会場の写真を載せていますが、大阪毎日新聞が作った農業組織といってよい富民協会の看板が大きくて、記事に合わせたのか、記事が写真に合わせたのか、なんだか富民協会の展覧會みたいですね。

資料その9

朝日新聞

(1)閑院宮を総裁に
    上野に開く食糧展覧会

来る二十三日から四月二十一日まで上野博物館内で開かれる糧友會主催の食糧展覧会ではかねて総裁として閑院元帥宮殿下を奉戴すべく願ひ出てゐたが殿下にも我国の食糧問題には予て深き御思召あらせられ十四日御許しの御さつあり晴れの開会式にも台臨あらせられる事になつた(3月15日)


(2)蒙古牛の試食会

陸軍省内の糧友會主催大連大房身の「蒙古牛肥盈研究会」の蒙古牛試食会は十五日午後五時から赤坂三会堂で開かれ井出、香山各陸軍主計、総監、帝大の田中獣医学博士その他陸海軍人、農務商工省関係者等五十余名が出席、目下の食糧問題の見地から興味ある各方面の意見続出八時過散会した(3月16日)


(3)よだれが出る
   上野の食糧展
    閑院総裁宮殿下台臨の下に
     けふ華かな開館式

陸軍省糧秣廠の糧友會主催の食糧展覧会は二十三日午後一時から春暖かな上野両大師前に開会された。この日午前十時総裁閑院宮殿下には式場に成らせられ
令旨を賜つた後第一、第二会場、特設館等くまなく台覧あらせられ
正午精養軒にて奈良、武藤、井上、鈴木各大将、平塚府知事、木下関東長官その他数十名に午餐を賜はり御帰館遊ばされた
会場は二陳列場、五特設館その他各方面からの出品があつていづれも見たゞけでお腹がふくれやう珍味佳肴に満ち各部特徴を競うてゐるが
東京市が第一会場に陳列した野菜の実物はつくしんぼまでそろへた見事さ
第二会場も実物さながらな副食物の模型を並べ、魚市場が各種鮮魚を並べれば生活改善同盟では美味さうな料理の実物をそろへ、満鉄、台湾、三井物産等優秀な参考品陳列に大がかりである
また国防館には世界各国の食糧参考品や
戦地に追送する糧食等のほか「おや おや こんな草が食べられる」と雑草の標本の名称と食べ方をつけた興あるものがあり人目を引いてゐる
一般に静かに一つ一つ見れば婦女子にも解り易いのが特徴とあり「新若返り法は華あわびの一片の常用に」など流行語になりさうな宣伝もいつぱいにある(3月24日、改行が不定なのは、その切れ目の先頭の字を大きくして小見出しにしているため)


(4)社会事業団
    へ配給
     食糧展出品
     の食糧品を

上野に開催中の食糧展覧会では九日「調理デー」に出品する
 ▲醤油(山サ、ヒゲ田、亀甲萬、片倉、日本醸造)▲す(日本醸造、榎本忠太郎)▲みそ(日光味噌、八木合名、仙台味噌)▲こん布(安藤商店)▲はい芽米(前だ道方商店)

の配給方を本社へ託されたので本社は東京府社会事業協会と計り左記の社会事業団体へ分配する事となつた
 救世軍日本本営、報恩會、相愛會、聖労院、西窓學園、東京養老院、日幕里愛隣園、同情園、愛の家、愛泉寮、日本福音ルーテル教会母子ホーム、力行社、敬隣会、二葉保育園、仁風会館、尾久隣保園、和田堀母子ホーム(4月9日)

東京日日新聞

5(4)蒙古牛に…
    舌鼓み
     糧友會でき
     のふ試食会

糧友會では蒙古牛の牛肉試食会を十五日午後五時半から赤坂三会堂で催したが参会者は井出主計総監、小山海軍少将、警視庁池上獣医課長、岸田畜産会主事等その道の権威者廿数氏、内地牛に劣らぬ蒙古牛のすき焼に舌つづみを打つた、この肉は大連湾会大房身蒙古牛肥■<月扁に盈>研究所岡田猛男氏の蒙古の野牛を短期飼育法(三、四ケ月)によつて食用的に飼育した牛で近く市内で売り出される筈である(3月16日)


6(5)食べ物の
    展覧会
     けふから上
     野に開く

陸軍省糧秣廠糧友會主催の食糧展覧会は廿三日から上野公園東京帝国博物館に開館人口食糧問題の解決と食糧品の生産、消費、配給等の状況を知らせ農林、内務、鉄道、大蔵、海軍各省、富民協会をはじめ各団体、陸軍糧秣廠、東京女子大学校などの出品東京神田市場の現品あり研究から食物、衛生、炊事、調理の実際を興味深く示してゐる特設館では紫外線応用の製パン実演や試食をさせ国防館にはナポレオン戦争における大陸封鎖の事例加藤清正の蔚山籠城、日露戦役の旅順陥落、食糧の飛行機落下など過去の戦争の食糧関係の事例を示してゐる、人体を型どつて各部の機能を知らせた食道旅行も面白い、講演館では会期中毎日食糧の現状、産児制限などにつき新渡戸、永井博士等学者の講演がある(3月23日)


7(6)「先づ健康!」への基調
    食糧展の内容御案内

健康と食糧関係を中心とする食料展覧会が既報の如く陸軍省糧秣廠及び糧友會主催で廿三日閑院宮殿下の台臨を仰ぎ上野博物館別館で開かれた、出品一万一千余点、何れも得難い資料が二千坪の場内に処せまきまでに列べてある「瑞穂の国」のパノラマを中心に左右に展げた資料の中には見るからに涎の垂れさうな即席のお料理から戦地で囓る木屑のパン、おが屑パン等好い対象を見せ、第一会場の中央を飾る富民協会出品の穀類多収穫の奨励と種苗改良等統計的に見せた処は瑞穂の国を誇る者の見逃せないものゝ一つ、他に三井、三菱の代表物産を始めとして各官省思ひ/\の出品が人の心をひいてゐる(写真は富民協会の出品)(3月24日)


(8)國産冷凍魚肉
    初めて市場へ
     宮城県の水産試験場で
      苦心、製造に成功

コレラ騒ぎの最中でも安心して魚の刺身を食べさせようといふ内地製のいはゆる衛生魚肉、フイツシユ・フレーの製造法が今度初めて成功した
   ×   ×
昨年来農林省水産局が水産講習所に委託しその指導で宮城県気仙沼水産試験場で試作中だつたものである、愈々市場試売に着手することになり初の御目見得に廿九日から上野の食糧展覧会に出品し近く白木屋でも試売をすることになつた「農林省水産局並に水産講習所指導宮城県水産試験場製作」と銘うつた本邦最初の冷凍魚肉で都市衛生の立場から警視庁井口防疫課長等は大いに声援してゐるが驚くべし市場では三文の値打ちも認められない
   ×   ×
といふのは純肉部だけで作り硫酸紙に包装したものたからお台所婦人の習慣上魚の気分がしないといふだけの理由で折角苦心の研究はまづ台所の衛生と経済思想からかゝらねばならぬといふ難関にぶつかり女子大の桜楓会にまづ宣伝を依頼することになつた
   ×   ×
農林省技師で水産講習所の木村金太郎教授の話
 これは漁業経営上一革命をもた らす成功といつてよい、講習所 では年月日入りの検査スタンプを押してコレラ騒ぎの最中でも 東京で安心して刺身を食べさせでみせる意気だが悲しいかなお 台所の人達はプンと臭つて蠅でも飛んで來なければ魚の気分が せぬといふのではこの苦心のフレー、商品としては価値がない何とか奥様連の目をさましたい(3月30日)

(9)けふ食糧展の
     お米デー
      市内の米は大体「良」
       興味ある審査の発表

上野公園で開催中の食糧展覧会では卅日「おの米デー」を開催、市内各区から買ひ集めた白米二百点について審査した品質価格その他についてそれ/\゛発表した、審査の結果は午後一時から糧秣本廠の佐々木中尉が
 発表  し、現品はそれ/\゛展覧に供した、審査の結果に二等白米八十点中品質良好のもの廿五点、相当のもの卅一点、劣等廿四点、三等白米八十点中良好なもの廿八点、相当なもの四十二点、劣等のもの十点、味の方で見ると二等白米八十点中佳良なもの五十一、中等のもの廿八、不味七点、三等白米八十点中
 佳良  なもの五十、中等卅不味なしで比較的市内各小売商の白米は優良なことが立証された、面白いことには二等白米八十点の価格については平均価格十五キロにつき三円七十五銭、三等白米平均は同三円六十銭で、市設及び府設市場の白米値段と全然同一価格であることだ
 二等  白米の最高価格は麹町の十五キロ四円、最低は日本橋の三円五十銭、同三等米最高は芝の三円八十銭、最低は麻布三円四十銭で公設市場の白米は品質価格とも市民が信頼してもよいといふことが分つた(3月31日)



        

 このように朝日、東京日日の両新聞には記事が載っていましたが、読売新聞はまったく見当たないのです。その代わりかも知れませんがね、3月25日からの畜産週間に合わせて畜産関係者6人がラジオ放送で語る内容を詳しくラジオ版に載せています。いまの新聞のラジオテレビの番組欄はテレビを主にしており、ラジオは隅の方に押し込められていますが、当時はラジオ、それも皆さんの受信料で生きる日本放送協会さんしかありませんでした。読売は先駆けて1ページのラジオ版を作り、札幌など地方局が独自に流す番組も含めて詳しい予告記事を載せて、いわゆる目玉ページにしていました。当時は音楽著作権がいまほどうるさくなかったので、放送される歌の歌詞とか謡曲の詞を全部載せたり、落語や講談、浪花節などの台本丸写しみたいな紹介をしていたのです。ですから、好きな人は読みながら口まねができたでしょう。その読売新聞の畜産週間の出演者リストが資料その10なんですが、26日の料理の時間に一戸伊勢子さんが放送する「羊肉の葱間揚」が載っていましたので、こういう放送でも一戸さんが羊肉食普及に協力していたということで、それも一緒にしました。一戸さんは畜産週間に合わせて、羊肉料理を選んだのかどうかわかりませんが、面白い偶然ですね。

資料その10

読売新聞

3月25日 第1日 「畜産製品の栄養的価値」帝大教授農学博士 鈴木梅太郎
3月26日 第2日 「本邦食糧問題より観たる畜産食料品」農林省畜産課長 石崎芳吉
3月27日 第3日 「牛乳及乳製品に就て」帝大教授農学博士 岩住良治
3月28日 第4日 「肉と卵の話」農林省畜産試験場長 木村和誠
3月29日 第5日 「羊毛と毛織物の話」日本羊毛工業会理事長 金原與吉
3月30日 第6日 「本邦畜産の現況」農林省畜産局長 戸田保忠


台所虎の巻 東京の部 羊肉の葱間揚 一戸伊勢子発表
◇……材料(五人前)羊肉七十匁(約二百六十六瓦)葱五本(三百瓦)胡麻油適宜、片栗粉十匁(約四十瓦)塩半匁(一瓦半)醤油三滴、玉葱半分(四十瓦)
◇……羊肉をこそげ取り之に玉葱をすりて其の汁をかけておき五分後に塩及び醤油にて味をつけて置き葱は一寸三四分の長さに切り縦に庖丁を入れ底を少し残して置く
◇……以上の準備が出来ましたらば、葱に片栗粉をふりかけ、この中に羊肉をつめ入れて、詰め口に又片栗粉をつけて置き、フライパンに胡麻油を入れよくたぎらせましてから、この中に入れて揚げる

 放送する内容紹介に、読者の目を引こうとして変わった見出しを付けているので、私も何のことかと読み直した記事がありました。4日目の木村さん放送に付けた「十三日目に肉を食う邦人」という見出しなんです。一体何のことかと思うでしょう。12日までは何を食べるというのかと首をひねりながら読んでみると、日本人は牛肉、豚肉、鶏肉を主として食べており、1人当たりで見ると1年で580匁を食べるに過ぎない。「仮に一回二十匁の肉を食膳に上すとしても十三日毎に漸く一回の肉の料理に遭うという程度であります」という木村さんの原稿から取った見出しだということがわかりました。20匁とは、たったの75グラムなんですよ。同様に卵は約10日毎に1個を食べる計算(33)というのですから、焼き肉大好きの皆さんにしたら、食べた気がしないかも知れません。でも、そのころの日本では魚主体で、何の肉にしても肉はその程度しか食べられなかった人々が多かったのですね。
 開会式の記事の後、会期中にも何か記事が載っていなかと探したら、4月9日の朝日新聞で「社会事業団へ配給 食糧展出品の食料品を」と、4月27日の読売新聞に「保健目的の青果デー 上野の食糧展で明日開催」という記事2本を見つけました。それらが資料その11です。東京日日は4月2日の市販パン審査デーに協力、3000袋のパンを福祉施設に寄付するという予告と寄付したという2本を載せていました。

資料その11

朝日新聞 上野に開催中の食糧展覧会では9日の『調理デー』に出品する▲醤油(山サ、ヒゲ田、亀甲万、片倉、日本醸造)▲す(日本醸造、榎本忠太郎)▲みそ(日光味噌、八木合名、仙台味噌)▲こん布(安藤商店)▲はい芽米(前田道方商店)の配給方を本社へ託されたので本社は東京府社会事業協会と計り左記の社会事業団体へ分配する事になつた
救世軍日本本営、報恩會、相愛會、聖労院、西窓學園、東京養老院、日幕里愛隣園、同情園、愛の家、愛泉寮、日本福音ルーテル教会母子ホーム、力行社、敬隣会、二葉保育園、仁風会館、尾久隣保園、和田堀母子ホーム (4月9日)


読売新聞 (1)目下上野公園で開催中の糧友會主催食糧展覧会は人気沸騰のため本月末日まで会期を延長したが明二十八日は本社後援の下に保健目的の青果デーを催し全市はもちろん近郊の各果物蔬菜店で一斉に新鮮品の特別廉売を行ひ尚ほ当日の展覧会入場者先着三千人に限り東京府市青果市場聨合会その他の寄贈にかゝる果物蔬菜をお土産に贈與する外会場内で人体と果物の関係について興味ある講演をなし各種の映画を見せると(4月27日)

(2)けふ食糧展の
    青果デー
      青果店では
      特別廉売

上野の食糧展覧会の保健衛生宣伝「青果デー」はいよ/\廿八日催される、この日全市近郊の各果物蔬菜店では一斉に新鮮品の特別廉売をし会場では先着入場者三千人にかぎり東京府市青果市場聯合会その他寄贈の果物や蔬菜をお土産に漏れなく贈呈する外
人体と果物の関係に就て有益な講演や各種の映画を見せるから入場者は成るべく早く出かけたがよいと(4月28日)


東京日日新聞 (1)上野の食料品展覧会は二日がパンデー、市内各パン商店で大廉売、パンに関する講演会等も開催、当日は本社及展覧会係員の手で東京パン同業組合、パン友会、大日本製粉、日清製粉寄贈の三千袋のパンを東京各所の恵まれない人達に分配(4月1日)

(2)三千袋の
    恵みのパン
     市内のパン店
     と本社が配布

既報二日の上野食料展パンデーの催しに際し市内各パン店では大売出しを行つたが本社及び食料店主催の下に左記各所の恵まれない人達のために三千袋のパンを配布し時ならぬ恵みに各方面友非常な喜びを以て迎へられた 真龍園、同情園、智育会託児所、同善小学校、慈光学園、仁風会館、桜風会託児所、江東学園、マハヤナ学園、小石川学園、四恩瓜生会、二葉保育園、同分院、東日診療班(4月3日)

  

参考文献
上記資料その9(1)は昭和4年3月15日付朝日新聞朝刊11面=マイクロフィルム、 同(2)は同年3月16日付同朝刊13面、同、 同(3)は同年3月24日付同朝刊11面、同、 同(4)は同年4月9日付同朝刊11面、同、 同(5)は同年3月11日付東京日日新聞朝刊11面、同、 同(6)は同年3月23日付同夕刊5面、同、 同(7)は同年3月24日付同朝刊11面、同、 同(8)は同年3月30日付同朝刊9面、同、 同(9)は同年3月31日付同夕刊2面、同、 資料その10はいずれも同年3月下旬発行の読売新聞ラジオ版より、同、 (33)は同年3月28日付読売新聞5面=マイクロフィルム 資料その11の朝日新聞は昭和4年4月9日付朝刊11面=マイクロフィルム、 読売新聞(1)は同年4月27日付朝刊7面、同、同(2)は4月28日付朝刊11面、同、東京日日新聞(1)は同年4月2日付夕刊2面、同、同(2)は同4月3日付朝刊7面、同


 「現代食糧大観」に「尚記事として東京市内の大小新聞は何れも数回に亘り無料にて毎日の催し物其他種々の報道をせられた」(34)とあります。その大新聞には入らないかも知れないが、私が優を付けた中外商業新報の報道ぶりを見ましょうか。資料その12は開会式以降の記事です。圧巻は4月10日の見開き2ページの「家庭クラブ」です。
 資料はトップ記事の「お台所からのぞいて見ませう」だけにしましたが、このほか男爵益田孝の益田農場が建てた「もろこし庵」と提唱する玉蜀黍の食べ方、陸軍中将石川潔太案の馬鈴薯貯蔵法、家庭壜詰の話、農林省なよる国民1人当たりの主要食品28種の消費量、蛋白質45グラムを含むと展示された食材の写真、「台所は能率的・衛生的であれ」という糧秣本廠の呼びかけなどが詰め込まれています。この日の「家庭クラブ」の記事だけで、朝日、東京日日、読売3社の会期中の全記事量を上回ると思います。
 さらに4月23日朝刊には、展覧会の会期延長を説明する記事体広告があります。資料その12(5)はその第8面の上の方の写真とトップ記事「食糧展覧會は成功裡に會期延長」です。糧友会が会期を9日延ばしたのは「まだ見ぬ人の見たいといふ熱心な希望に添ふて、」のことだ。後半は糧友会が、とは書いてませんが、意義ある展覧会の観覧期間を延ばしたのは立派と褒めてますね。いうなれば自画自賛的延長通知だ。
 トップ記事の下に朦朧ですが「会期延長」の1段広告があるでしょう。それを拡大して下に入れましたが、糧友会はこれを中外だけでなく、東京で発行していた7つの新聞にも出したのです。朝日、読売、時事は4月20日朝刊、国民、報知は4月21日朝刊に載っているが、皆広告欄の中で、特別扱いしていない。ところが、中外は、はいはいと広告を受け付けただけでなかった。広告部にこれで一稼ぎできると読んだ腕利きがいたと思われます。
 糧友会に延期の意義と今後のことを書いてくださいと頼み(5)と(6)の記事をもらった。閑院宮総裁殿下など偉い人4人と資料その5にした上野別館の写真を置いて上3段を固め、その下はイースト菌と胚芽米などの解説と食品関係会社の広告で埋めたことが紙面の写真でわかるでしょう。だから3日遅れの掲載になったけれども、糧友会としては、自分のいいたいことも載っているのだから、広告料は値切らなかったでしょう。さすが商業を題字に頂く新聞社だけのことはあると思いませんか。だから(7)の閉会式の記事はそのお礼みたいなもんだというのは読み過ぎか。はっはっは。

資料その12

  (1)開かれた食糧展
    けふから上野の一人気

食糧問題に対する一般社会と家庭生活の向上発展に資するため、陸軍糧秣本廠内糧友会が主催となり上野両大師前広場に開催される食糧展覧会は、本邦最初の試みとして各方面から期待をかけられてゐたが、いよ/\廿三日午前十時学士院を会場としてその開会式を挙 行し、同午後一時から一般のために公開したこの日総裁閑院宮殿下には午前九時五十分君ケ代の奏楽裡に台臨あらせられ、会長中村精一氏に対し優渥なる令旨を賜はつたが、式の終るや御小憩の間もなく直に会場内を御巡覧あらせられ出陳された各種の実際的研究資料 を熱心に御覧の上一々御案内の中村会長に御下問あらせられた、かくて正午学士院内の食堂を開き來会者五百余名は任意に場内を巡覧したが中でも食道旅行、瑞穂の国等は興味ある特設物として人気を集めてゐた(3月24日)


(2)パンはなか/\
    出來がよろしい
     けふ食糧展の審査デー

上野で開催中の食糧天来会は連日いろ/\の催しをしてゐるが、けふは「パン審査デー」を開催
 市内 各方面から買いあつめた百七十四点について繁富主計正を委員長とする専門家廿五名の委員が審査し、午後一時会場でその結果を発表した、まづ審査したパンは食パン八十点、菓子パン九十四点で、この成績は一昨年陸軍糧秣廠で行つたはじめてのパン審査の時より非常に
 進歩 したことが認められ形もよくなり、粉の選び方も大体申し分がなく、市内のパンはまづ優良であることが証明された、しかし、重量と価格とはまち/\で可なりのひらきがあつた、重量に過不足のあつたのは形がまだ統一されないためであるが、値段は一斤について十二銭(小売値)のところもあれば廿銭のところもあるといふ
 有様 で、その割合に品質は似たりよつたりのものであつた卸値はほとんど大きな差きなくよく平均が保たれてゐた――パン検査が終つてから、会場内で鈴木梅太郎博士や、パン友会の志村吉三郎氏などの講演があり、市内のパン屋さん総動員で入場者にパン一包みづゝをおくるなど賑つてゐた(4月3日)


(3)食料展<横見だし>     お台所から
     のぞいて見ませう
      榮養、調理の問題まで
       展示された参考資料

糧友会の主催によつて目下上野公園両大師前東京博物館別館で開催中の食料展覧会に就ては已に本紙によつてくわしく紹介されてゐるが、この種の展覧会はわが国初めての試みであり、人口食糧問題の現状及び将来の帰趨を展示し、栄養問題、食糧の生産、配給、貯蔵、消費の調査実際的研究を展覧して広く社会及び家庭生活の進歩向上をはかり、食糧問題解決の一端に資せやうとの目的であつて、出品は人口、食糧問題、栄養、農産畜産、水産、加工及び興行的生産貯蔵、配給、消費、調理、食物衛生の各部に分けて陳列され出品者は内務、農林、陸海、大蔵、商工、鉄道の各省、東京府市警視庁、理化学研究所、糧秣本廠、各大学、各衛生研究所その他あらゆる方面を網羅してゐる、会期は來る廿一日までの予定であるが、この初めての試みが時代の要求に適合したものか、開会以来毎日非常な勢ひを見せ、手帳を取出して統計などを一々書き写してゐるやうな熱心な人々を多く見うけるのは心強い、内容については本紙に詳述されてけゐるが、こゝでは家庭の主婦として研究すべきもの二三をひろひ上げて見やう

合理化された
 新しい日本料理
  日本、西洋、支那料理の得失
   陸軍糧秣本廠の提唱

近来西洋料理及び支那料理がおそろしい勢ひで家庭へ侵入して來た片田舎のちつぽけな町へ行つても一軒や二軒の洋食屋又は支那料理屋があるといふ位、どんな家庭でも簡単な洋食位はつくるといつた風で、流行とはいへ今後ます/\盛んにならうといふ傾向である、しかし、日本料理、西洋料理、支那料理は材料が異なり調理法が異なるやうにそれ/\゛得失あるもので、日本でも食糧問題と共に栄養問題がちか頃非常に重大視されるやうになつて、家庭の主婦を刺戟するやうにまでなつたが、食物の材料の選択、調理法の改善は国民の保健上から最も重大な問題でなければならぬ、陸軍糧秣本廠ではこの問題を解決するため「消費」の部に日本料理、西洋料理、支那料理の長所欠点を一目りよう然とわかるやうに配列しそれ/\゛その長所をとつた合理的新日本料理を提唱してゐる、こゝに示されてゐる日本、西洋、支那料理の得失は

 日本料理
  ――目の料理

 趣味たつぷり、味も淡泊、真
 味を味はふにある、また生料
 理があり外観を整へるため手
 数がかゝり、かつ非衛生に陥
 りやすい

色とり/\゛の日本料理の模型が十七種おいしさうに並べられてあるのは見るからに食慾をそゝる、一体料理屋の日本料理はおいしには違ひないが、あまり加工し過ぎる傾きがある、例へば魚類などはいゝところをほんの少しばかり用ひ、野菜などの皮はすつかり取り 去つてしまふ、なるほど見る眼は美しいが、ぜいたくで不経済きわまるものである、たゞ外観を美しくするだけであつて、非科学的であるのが日本料理の大きな欠点である、野菜類の皮にはヴイタミンやカルシウムが多量にふくまれ栄養分に富むものが少くないのであ るが、それを切りすてゝしまふのは惜いことである、そこへ行くと支那料理は日本で廃物にされてゐるものが何から何まで利用されてゐる、支那料理が栄養科学上最も進歩してゐるといはれるのはこの点で、鳥でも魚類でも野菜でも喰べられるものは喰べ、ダシを取るものは取つて残すところなく利用されてゐる、日本料理は外観を美しくするために調理に手数がかかるばかりでなく衛生上から見て遺憾な点が少くないのである

支那料理
  ――舌の料理

 材料も珍品、味付も精巧、材
 料にも無駄がなく、団らん的
 かつ衛生的だが準備に時間が
 かゝのが欠点

支那料理は日本料理と違つて生で喰べるものはほとんどない。煮たり揚げたりしたものそれも一度や二度でなく何度も何度も火にかけたものや長時間かゝつて調理したものが多い、支那人の生活は一般的に不衛生なもので衛生設備が非常に不完全であるが、伝染病は不思議にもあまりひろがらない、これは調理法によるためだといはれてゐる位で、この点支那料理は非常に衛生的である、そして材料は種々雑多なものを用ひ、かつ前に述べたやうに少しも材料に無駄を出さないのは大いに学ぶべき点である、一体支那人は食物を貯蔵す ることが昔から非常に発達してゐる料理には乾物が利用されてゐることが多い、それは国が広大で輸送関係から來たことであらうが、魚類に限らず野菜も貯蔵されたものをかなり使つてゐる、で、日本へ來て生のものをたやすく得られるにかゝはらず乾物を使用するの もこのお国流の習慣から來てゐることであるが栄養上からいへば乾燥したものよりなるべく生の方がよいのであるから、支那料理もこの点は考へなければならない、かつ日本料理の如く個人的でなく、家庭的、団らん的であることは誇りとすべきことである

 西洋料理
  ――鼻の料理

 科学的で香も高く、衛生的
 であるが、食後あつさりした
 ものがほしくなる

西洋料理は日本人の食物としてはあまりに肉類即ち蛋白質が多過ぎる、従つて従来澱粉質を多く喰べつけて來た日本人の消化器に対しては西洋料理を毎日喰べるのは不適当であるとされてゐる、しかしさすがに料理文明の先進国たけにすべて科学的であり衛生的であるたゞ肉類が多いので西洋料理を喰べたあとでは何かさつぱりしたものがほしくなるのは、日本食になれたものにとつては当然の要求である、提唱されてゐる合理的新日本料理は日本料理の如く目の料理だけであつてはならないし、西洋支那料理の如く単に舌や鼻の料理だけではならないのであつて、目と舌と鼻の三つを合理的に合せて栄養に富み、美味であり、衛生的であり、また調理の簡単なものでなければならないのである(4月10日)


(4)食糧展覧會の
    日のべ

目下上野公園大師前の東京博物館で開かれている食糧展覧会はこの廿一日の日曜日で会期を終る予定であつたが入場者が多いので月末の卅日まで日のべすることになつた、そして廿一日は「子供デー」として入場者に対して一々菓子をお土産に配るはずであり、廿三日は「食糧増産デー」としてこの日には「もろこし庵の出陳について」といふ題で益田孝男の講演があり、廿八日は「果物デー」で入場者のこらずに果物をお土産に配る外に籤ひきで野菜をわかつといふ趣向、卅日は大詰めでいよ/\閉会式といふ順である(4月20日)


(5)食糧知識の総動員
    本邦創始の食糧展覧会<右上のカットの見出し>

     


   

食糧展覧會は成功
裡に會期延長

三月二十三日上野東京博物館において、開会
の式を挙げた糧友會主催の食糧展覧會は、こ
の月二十一日をもって會期を絡るはずであつ
たが、事情によつて月末の三十日まで會期を
延長した、事情といふのは外でもない、開會
早々はいまだ世間の注目をひくこと少く、入
場者も左ほどでなかつたものが、追々入場者
が増えて來て、日々数千人の観覧者を算ふる
ほどの盛況を見るにいたり、国民の食糧教育
に奉仕するといふ目的の一部は達成せられた
が、まだ見ぬ人の見たいといふ熱心な希望に
添ふて、會期を約十日間延長するにいたつた
のである、いふまでもなく食糧は、人類の生
存と活動の源泉であつて、国民の生活を安定
せしめ、一国の産業を発達せしむるには、食
糧の充實と質的良否とがかゝつて関係を有す
るのであり、したがつて国民はひとり食糧の
生産のみでなく、貯蔵分配に当つて平生の研
究努力を怠るべきでないと同時に、その調理
調合に当つても合理的な研究を進め、もつて
健康を増進せしめ、人間文化の発達に資する
ことに心がけねばならぬ、食糧展覧會の施設
は、わが国において創始の事業であるにかゝ
はらず、世間多大の注意をひき、食糧知識の
啓発に資した点の少くないことは、今後日本
の食糧問題解決の一端にふれたものとして、
まことに意義ある企てゞあるといはねばなら
ぬ、しかしてこの意義ある企てを延長して、
出來得るだけ広く多くの人々をして、展覧會
を観覧せしめることに努めたことに対しては
多とすべきであるといはねばならぬ

(6)食糧展の催   ▲廿五日陸
 軍デー▲廿六日北海デー▲廿七日
 特殊食品調理デー▲廿八日青果デ
 ー▲廿九日飲食料デー▲卅日糧友
 デー閉会式(4月25日)

(7)食糧展終はる
    きのふ上野帝国
    学士院で閉会式

かねて上野竹の台両大師前にて開催中であつた糧友会主催の食糧展覧会は盛会裡に四旬の会期を終了し、卅日午後三時半より上野帝国学士院に於いて閉会式を挙げた、式は中村糧友会々長の辞に始まり次いで文部省東京博物館長、東京商工会議所会頭始め関係諸団体の祝辞あり、佐藤主計監の挨拶を以つて式を閉ぢた、式後別室にて宴会があつた(5月1日)

  

参考文献
上記(34)の出典は糧友會編「現代食糧大観」42ページ、昭和4年12月、糧友會=原本、 資料その12(1)は昭和4年3月24日付中外商業新報夕刊2面=マイクロフィルム、同(2)は同年4月3日付同夕刊2面、同、 同(3)は同年4月10日付同朝刊5面、同、 同(4)は同年4月20日付同朝刊7面、同、 同(5)と(6)は同年4月25日付同朝刊8面、同、 同(7)は同年5月1日同付朝刊7面、同


 中外商業新報に続くのは、本数の報知新聞か「国防と食糧」を連載したやまと新聞ですが、私は量で中外に張り合ったやまとを取りましたね。資料その13はやまと新聞の記事。連載記事を執筆したB・K生は展覧会で見た携帯口糧、いま風にいえば携帯食の発達に興味を持ち、戦国時代から現代までを紹介しています。それで現在と将来にわたる連載の4回目を(3)にしました。
 「国防と食糧」風にいえば粉末味噌は固形化した味噌なのでしょうが、インスタント味噌汁のカップは出回っても、家庭では昔通りの味噌汁ですよね。錠剤や粉末食品はあくまで間に合わせであり、女性を台所に束縛する時間を少しは短縮したかも知れませんが、公衆食堂は健在。B・K生の予想しように食品の固形化は、我々の食習慣を大きく変えるには至っていないことは明らかです。
 その点、昭和4年では思いつかなかった冷凍化の普及が大きな影響をもたらした。そのなかった冷凍の羊肉ロールを食べるジンギスカン料理が現れ、日本人を羊肉好きにしたことからも証明できます。我田引水ですな、はっはっは。

資料その13

(1)趣向も面白き
    食糧展覧會
     陸軍糧友會が頭を捻つて
      廿三日から博物館で

人口食糧問題が注視されて來たこの頃陸軍糧友会主催の食糧展覧会が來る二十三日から上野竹の台博物館に開催される
 流石  食料品の最高消費者である陸軍だけにその研究、進歩は他を驚かすものがある、しかも従來の商売人が経営する博覧會、展覧會と異つて、展覧の順序其他は実に組織化されて一巡すれば食糧品のあらゆる部門が明かにされる先づ生産車人口の増加等人口問題の最重要命題を示す統計から始まつて百年後に於ける米の生産と人口の増加、栄養問題等実物
  模型  についての説明がら進んで更に農産物、水産物、畜産等農林省其他各大学の出品が多数あり、加工食品部には所謂人造肉イーストの製造法、栄養価、魚粉末、麺麭、無アルコール酒等新食料品が展示されてゐる、尚食料の貯蔵、配給、消費、調理、衛生等各方面に亘つてあらゆる問題を一堂に集め其他欧州戦役当時欧州各国が使用した新食料品、軍隊食 糧の
 変遷  糒から、堅パンそして最も新しい米と梅干とを眞新器に圧縮固形させたもの等国防と食糧についての出品があり又朝鮮、台湾、樺太、北海道満洲等各特別館も設けられ、腔、胃、腸、大腸、肛門と消化器、の中を人々が抜けて見物する面白い建物で、理屈ぬきで知らず知らずに衛生方面の事が教へられる(3月20日)


(2)盛り沢山な―
    山海の珍味
     いよ/\きのふ蓋の開いた
      素敵な食糧展覧會

陸軍糧秣廠糧友会主催の食糧品展覧会は廿三日午後一時から上野竹の台博物館別館に開会された、是より曩、総裁閑院宮殿下には午前十時
  会場に   御成り遊ばされ令旨を賜はつた後会場一巡台覧御帰還遊ばされたが会場は食糧問題のあらゆる命題をとらへて体系的に展覧されたもので、一巡すれば実に食糧のあらゆるものが明かになる、出品はいづれも珍味佳肴若しくは奇らしい新食料品等で水産の部には日々築地河岸から運ばれるあらゆる種類の魚が新鮮な色沢に生々/\と列べられ、東京市場係出品の
  野菜類   はつくしんぼ(・・・・・)まで揃つた美事な春の香味に味覚をそそる、又朝鮮、台湾、北海道、樺太、満洲の特殊館に国防館はそれぞれの土地特産に面白い陳列を見せ戦地の食糧、軍隊食糧等の変遷其他を興味強く見せる最後の食道旅行と称する別館は口、胃、腸 肛門と人々がその中を順次に抜けて腹の中を見物しながら食料品の智識を得るといふ子供にも分る興味深い館に人目をひいてゐる(3月24日)


(3)国防と食糧 (四)
        B・K生
    五
『携帯口糧』の固形化は種々の便
宜から見て将来ます/\改良進歩
を促されるものと思ふが、この他
尚ほ、病者用又は病気予防用とし
て種々の錠剤が案出されてゐる。
国防館には左の六種の錠剤が展列
されてゐるが、これは既に充分実
用に適する程度に完成された物で
ある。
一、スープ錠(原料昆布、用途野
 戦患者用)熱湯を注いで、四五
 錠にて一合のスープを得。
二、重湯錠(原料白米又は玄米、
用途野戦患者用)熱湯を注いで五
 六錠にて一合の重湯を得。
三、ホーレン草錠(原料ホーレン
 草、用途壊血病予防)錠剤廿五
 個でホーレン草一〇〇匁に当る
四、ポテトラスク(原料馬鈴薯、
 用途野戦患者)
五、保健錠 重酒石酸ナトリウム
 を生成分とする清涼剤、平戦時
 行軍演習に日射病予防用。
六、慰労錠(コカコラ錠)南米産
 コラ豆の生成分より造れる錠剤
 疲労恢復に効あり特に飛行士用
 以上の錠剤はいづれも直径二、
 三分厚さ一分位の円状で形態、
 取扱ひに甚だ便利である。
    六
 食料の斯かる固形化が一般文化
生活に及ぼす影響を考へて見ると
我々の空想は、はてしもなく拡が
つて行く。人間は将来、極めて少
量のエキスを摂るだけで、胃腸の
必要が殆ど無くなつて、タコかキ
ノコのやうに頭と手足だけの動物
になるだらうと云ふ想像の下に、
奇怪な『未来の人間』を描いた画
を何にかの本で見たが、それほど
の空想は別としても、例へば前記
味噌、醤油の固形化などが現在の
我々の生活に及ぼす直接の影響を
考へて見ても、その影響の大なる
べきに驚く。斯かる固形化が一般
に普及したときには、我々の家の
台所は革命的の変化を受けるだら
う。アパート生活者も最早や『公
衆食堂』の必要を感じなくなるに
相違ない。女性が台所の束縛から
解放され、より文化的な仕事にそ
の時間を割き得る程度も鮮少では
あるまい。単に一国の経済といふ
見地からいつても、多大の節約が
生じて來る。例へば現在味噌や醤
油の樽に用ゐられる木材が節約さ
れる。この節約だけでも大したも
のである。恐らく我が山林国の日
本として、外国から木材を輸入す
る必要などはなくなるであらう。
(3月31日)


(4)  ◇…B・K生は本紙
     上『国防と食糧』の中
     に欧州大戦中家畜の
     飼料が人間の食糧と
     して取りあげられた
     ことを書いてゐるが、
飼料が食糧に出世するのは何も
戦時に限つてはゐない。諸君の
記憶に新たであらう如く、先頃
は穀物の不正輸入なる問題が頻
りに報道された。つまり日本有
数の大貿易業者たる○○や○○
などが、家畜飼料なる名目の下
に海外から大量の穀物を輸入し
これを人間の食糧として市場に
販売し、巨大な脱税を行つてゐ
る、といふのである。人間用の
穀物には高い輸入税が課せられ
るが、家畜用の穀物には輸入税
が課せられない所から、忽ち馬
の目を抜く商人に覘はれたわけ
だ。ところで、其穀物の大部分
は、菓子の材料にされたのだと
いふ。さう聞いて見ると昨日食
つた菓子が何うやら馬小舎臭か
つたやうな氣もする。
◇…<略>
(4月5日)

 3位の国民新聞は親切な紙面作りをしています。夕刊に各種の行事や縁日などの場所、時刻を知らせる「明日の東京」欄があります。3月23日分に「◇食糧品展覧会(本日より四月廿一日まで)上野公園東京博物館(35)」と載せ、24日から毎日「◇食糧品展覧会(四月二十一日まで)上野公園東京博物館」と載せています。
 主催者側から食糧品展覧会ではなく食糧展覧会に訂正してくれと申し入れもしなかったようで、ずーっとそのまま。主催者もさることながら国民新聞の記者もアバウトだったようで、資料その14(1)と(2)のように正しく書いた記事もあれば(3)(4)のように間違えてます。「明日の東京」もお仕舞いごろには食糧展覧會と正しくなるけれど、4月20日に「食糧展覧會(二十一日まで)上野東京博物館(36)」と載せたきりで終わり、4月末まで延長したのに何もないということは、予定通り終わったとみていたのですね。
 (3)は婦人デーの開催広告ですが、国民新聞社の社告みたいでしょう。4月6日付朝刊6面、7日付夕刊5面、10日付朝刊5面と同じ広告を3回載せ当日は、さらに当日朝刊は前文抜き、食糧展覧会場から後ろだけに圧縮した広告を載せる力のいれようですが、こんな講演だったという記事は見当たりません。
 国民新聞は延長会期に入ってからの青果デーも(6)のように書いてありますが「明日の東京」にはないので、埋め草で入れたのかも知れません。果物を提供するのが東京府市果物市場及び小売商人、読売は東京府市青果市場聨合会とありますが、これは東京府市場協会が正しい。この協会は財団法人で大正7年設立でね、府内で33カ所の青果市場を経営しており、4月1日から3日間、設立12年記念一斉大売り出し(37)をやるよという前宣伝だったと思われます。

資料その14

  (1)上野博物館に(14)
    食糧展

目下上野公園の東京博物館別館に開かれてゐる食糧展覧会では來る廿七日(水曜)の午後一時から缶詰試味研究の会が開かれます、研究品は鮭、鰹、鯖、鰮、其他鹹水魚製品約二百点です。尚当日は「食料問題と缶詰との関係」及び「缶詰の常識」について中村嘉寿氏と木村金太郎氏等の家庭婦人の為めに有効な講演があります(3月26日)


(2)けふお米デー
    食糧展の催し

目下上野公園博物館で開催中の食糧展覧会では三十日(土曜日)「お米デー」を開く事に決定し市内外から二百種に余る米を予告をせずに買ひ集め市商工課白米同業組合市場協会糧秣本廠其他米に関しての権威者が集まつて綿密な審査をする(3月30日)

(3)離乳の好機
    食物は何うする
     食糧品展で中鉢博士発表

離乳にいゝ時機の折柄、目下上野に開かれてゐる食糧品展覧会では離乳期に與へる食物が慶応大学の中鉢博士の研究で次の様に発表されてゐます。  七月−八月目<略>(4月1日)


(4)食糧品展覧会<横見出し>
    自分が食物になつて
     「食道」の旅へ
       アラ!不思議機械の力で、
       己の壽命が判る

上野に開かれてゐる『食糧品展覧会』を見た人は其研究が如何に実際化されてゐるかといふ事に驚くでせう
しかもそれがどの部位でも興味多くみられるのです。この展覧会では栄養問題は勿論、人口問題に立脚した生産と消費の問題をつぶさに知る事が出来ますが
 電光作用で人体の榮養系統を知る事が出來たり、自分の余命を 器械の力で知る事が出来たりします
又不良食物の鑑定等も紫外線を以て驚く程ハツキリ区別する事を眼のあたり見ます
 人口食糧問題、栄養問題、食糧生産(農、畜、水)加工品、食物貯蔵、配給問題、消費問題、炊事調理、食物衛生、能率的器具
等の各部門を一わたり観了つたら自分が食物となつて模造の消化器内をとほつて行くといふ大変趣の変つた食道旅行があります。こゝを通ると消化器に関した有益な知識をおどけた興味のうちに知らされます。そして毎日栄養の実演等もありますので家庭婦人には殊に大切なものでせう(4月11日)


(5)食糧
   展の 婦人デー
        国民婦人會』のために
         來十二日特に開催

食物衛生のことは吾々の日常生活中最も注意を要するものゝ
一つであります、よつて国民婦人會では目下上野公園東京博
物館に於て開催中の陸軍省糧友会主催『食糧展覧会』が來十二
日『食物衛生デー』の企てあるを機とし、主催糧友会と協議の
上特に同日を『婦人デー』に当て一般食糧実演の外、午前午後
に亘り左記諸氏の趣味実益に富む講演をして戴くことゝしま
した、尚ほ同日は国民婦人會の證明ある婦人は入場無料であ
りますから、左記小規御一覧の上続々御申込御來場あらんこ
とを切望致します

一、食糧展會場(上野公園東京博物館、省電上野駅
  公園口下車)
一、時日 四月十二日午前九時より午後四時まで
  ――實演と講演――
一、食糧實演             満田百二氏
一、食物の中毒に就て 警視庁衛生部長 戸塚九一郎氏
一、野菜食に就て      医学博士 近藤外巻氏
一、食物と衛生            吉岡弥生氏
一、人口と食糧問題 陸軍省衣服課長  丸本彰造氏

 無料入場券    當日無料入場御希望の方(婦人に限
る)は京橋区加賀町国民新聞社内国民婦人会宛に往復ハガ
キをお出し下さい、本社はそれに国民婦人会印をおしてお
返ししますからそれを持つたお出で下されば入場出来ます

             国民新聞社内
   昭和四年四月     主催 国民婦人会(4月5日)


(6)食糧展の  上野に開催中の
   青果デー  食糧展では來る
         廿八日東京府市
  果物市場及び小売商人の応援の
  下に青果デーを催し、当日三千
  人の先着入場者に果物を提供す
  ると(4月26日)

  

参考文献
上記資料その13(1)の出典は昭和4年3月20日付やまと新聞朝刊3面=マイクロフィルム、 同(2)は同年3月24日付同朝刊3面、同、 同(3)は同年3月31日付同朝刊1面、同、 同(4)は同年4月5日付同朝刊1面コラム「雑音」より、同、 (35)は昭和4年3月23日付国民新聞夕刊3面「明日の東京」、同、 (36)は同年4月20日付同夕刊3面「明日の東京」、同、 (37)は昭和4年3月31日付報知新聞夕刊2面、同 資料その14(1)は同年3月26日付同朝刊5面、同、 同(2)は同年3月30日付同朝刊8面、同、 同(3)は同年4月1日付同朝刊5面、同、 同(4)は同年4月11日付同夕刊3面、同、 同(5)は同年4月5日付同朝刊8面、同、 同(6)は同年4月26日付朝刊8面、同、


 いまはスポーツ紙になっしまったが、かつてはれっきとした大衆紙だった報知新聞を見たところ、国民新聞に負けない記事量でした。開場前日の23日付夕刊の「明日」という行事予告欄に「▲陸軍糧食展 四月廿一日まで(上野東京博物館)(38)」と載せ、当日朝刊には資料その15のような親切な記事を載せていました。また4月14日に上野公園で食糧展のサンドイッチマンが歩いていた(39)と書いているので「大観」報告の120人はともかく、サンドイッチマンによる宣伝をした裏付けになりますね。

資料その15

  (1)けふから開催の
    食糧展覧会
     主婦の爲に非常に有益な催し

  糧友会主催  の食糧展覧会が二十三日から四月二十一日まで上野公園東京博物館で開かれます。この展覧会は我国で今一番大切な人口食糧問題を、なる程重要な問題であると一目でわかるやうに、また一つには食糧の生産、配給、貯蔵、消費の実際を観て、真 に経済と栄養を兼ねた合理的食事とはどのやうなものであるかといふ事を広く社会と
  家庭生活に  とり入れてもらひたいといふ趣旨を徹底させる事に力をそゝいでをります。それがため、これまでの博覧会のやうな散漫を避けて科学的に現実的に展示してありますが、さうかといつて一般の方々にむづかしいといふ感じを與へぬやうに非常に平易に小学生でもわかるやうに考案され陳列されて居ります。会場は第一号、第二号、第三号と三館に分かれて居りますが
  第一号会場
 には人口食糧問題、栄養問題、
 食糧生産、農産、畜産、水産、加
 工食品食物貯蔵、配給問題、消
 費問題、炊事調理、食物衛生、能
 率的器具等に関するものが各部
 に分れて展示されて居ります。
  第二号会場
 第一部は特殊品の陳列場で食糧
 に関する図書、雑誌の全国的蒐
 集、諸国名物の実物、東京市の
 胃袋の大模型などです。第二部
 は売店と食堂と色々な実演場に
 あてられて居ります。
  第三号会場
 は特設館と国防館と展覧会事業
 部とそして食道旅行とから成つ
 て居ります。
なほ第一号会場内では毎日食糧問題について有名な先生型の講演と、いろ/\な映画があります。(入場料は大人廿銭、子供十銭ですが、小学生の団体に限り先生が引率して來た場合は無料です)。(3月23日)


(2)羊肉を食べよ
    栄養成分を多分にもつ
    味も消化もよくて安い

陸軍糧秣本廠糧友会では食糧問題
の解決国産資源かん養の目的から
  ◇昨今盛んに
羊肉食の宣伝を行つてゐますが、
同会の調査によると羊肉は非常な
栄養成分を有してゐるもので、こ
れを牛豚等に比較すると左のよう
に中間的の成分を含んでゐるとい
はれてゐます

品種 水分    蛋白質  脂肪   鉱物質  一匁に対する
                         総カロリー
羊  五一・二七 一七・〇五 二九・四七 〇・九七 一二・九〇〇
牛  七〇・九六 一九・八六  七・七〇 一・〇七  五・八〇二
豚  四七・四〇 一四・五四 三七・三四 〇・七二 一五・四〇九

更に羊肉の長所については同会の
  ◇丸本二等主計正
は羊肉は他の肉に比較して非常に
衛生的でたとへば結かくの如き、
牛は二三パーセント豚一〇パーセ
ントあるに対し、羊は極く少くわ
づか〇・一五パーセントといふ僅
少なものです、しかも味は軽く刺
激なくそして
  ◇消化がよいと
いふ点などは患者の食用として好
適のものといへます、また値段も
安く百目七十銭内外ですから容易
にこれを食膳にのぼすことが出来
ますから一般の方には今後は大い
に羊肉を食べていたゞきたい』と
(4月2日)


(2)あす食医薬デー
    上野の食糧展に協賛して
     本社が各方面へ薬を分與

目下上野で開催中の食糧展覧会は、われ/\の日常生活に欠くべからざる食糧についての興味ある展観でありますが、十三日(土)は食医薬デーなので、報知診療所を設けて早くからこの方面に微力を致してゐる本社は、この食医薬デーに協賛し、当日は左記食医薬を各方面に分与することに致します。なほこの日の展覧会への入場者に対しても、それ/\゛他の医薬を差上げる外、講演会場では慶松博士の『駆虫について』永井博士の『消化器の衛生』等の講演及び映画『蛔虫国日本』その他があります。
 寄贈薬 脚気薬『オルトベリン』あせも薬『ポアール』及び『カブドール』『ラチタトール』『レーベンザルツ』『イースト錠』
               報知新聞社(4月12日)


(3)花眞盛りの日曜に
    浮れ出た二百萬人
     さては潮干に摘草に
      この春初めての人の渦
<略>
    ◇
上野――花は五分通り散つたが、西郷さん下の石段が見えなくなる程の人出、男よりも女、女よりも子供といつた上野独特の家族連れの落着いた賑はひだ、お蔭で松坂屋では新築開業以来の大繁昌、広小路の交さ点では自動車が百台もたまつて動きが取れぬ程の騒ぎ、仰向いて花を眺められない程のこの群衆の間を撒水馬車が鈍い音の古風な鐘を鳴らしてトボ/\走る、食糧品展のサンドウイツチマンが縫つて行く、映画『ヴエルダン』のビラが飛ぶ、人にも鳥にも一片、二片花が散りかゝる<略>(4月15日)


(4)あすの日曜日は
    食糧展子供デー
     子供さんにはお菓子を贈り
      本社提供の『舌切雀』も映写

上野公園竹の臺で開催されてゐる
糧友会主催食糧展覧会では二十一
日の日曜日に『子供デー』を催しま
す、いろ/\な食べ物の知識がし
らず/\のうちに子供にもはつき
り分るやう面白く説明されてある
上当日は入場のお子様方にはおい
しいお菓子を分与して別室では明
治製菓工場長の『お菓子の製法』豊
―――――――――――――――
お母さま方へ
     陸軍省衣糧課長
      丸本彰造氏から
目下上野で開催中の食糧展覧会
を見て、家庭の主婦、家庭の母、
あるひは団体の母たる炊事係な
どが、展示された栄養食物の正
しい摂り方、その他食糧知識に
ついての図表などを写したりし
てゐる熱心さには涙ぐまれまし
た。ところが入場者の一割五分
が婦人である事は残念で更に多
くの婦人がこの機会を利用せら
れん事を望むものであります。
―――――――――――――――
島師範附属小学校主事二階源市氏の
の『子供のすきなお菓子』佐藤慶太
郎氏の『咀嚼の実行』本社の中田千
畝氏の『桃太郎の話』や『今様桃
太郎の話』など為になる話や面白い
お話があり、それから本社提供の
活動写真『報知』の『舌切雀』も映写
しますので、坊ちやん嬢ちやん達
がお父様やお母様たちと一緒にほ
んとに楽しく一日を送ることが出
来るでせう。(4月20日)


(5)食糧展の催し

目下上野公園で開催中の食糧展覧
会は次の通り特別の催しをするさ
うです。
 二十六日(金)北海道デー
 二十七日(土)特殊食品調理デー
 二十八日(日)青果デー
 二十九日(月)飲食料デー
 三十日(火)戦友デー 閉会式
(4月26日)

  

参考文献
上記(38)の出典は同年3月23日付報知新聞夕刊2面=マイクロフィルム、 (39)は同年4月15日付同朝刊11面、同、 資料その15(1)は同年3月23日付同朝刊5面、同、 同(2)は同年4月12日付朝刊5面、同、 同(3)は同年4月15日付朝刊11面、同、 同(4)は同年4月20日付朝刊5面、同、 同(5)は同年4月26日付朝刊9面、同、


 時事新報も見ました。フィルムのコントラストが悪く真っ黒でね、アナログ型フィルムリーダーではとても読めない。国会図書館にたくさんあるデジタル型のフィルムリーダーでうんと明るさを上げて読みました。それでわかったのだが、資料その16にまとめた通り、時事新報社として後援した缶詰デーのことしか書いていませんでした。なにしろ慶応幼稚園の記事が載る新聞です。缶詰協会に三田の有力OBがいたのかもね。缶詰協会は会誌「缶詰時報」4月号に缶詰デーでアンケートに答えた1624人に缶詰を贈った(40)という記事を載せてるが、時事新報の方がはるかに親切で、どっちが主催者かわからないのは笑えます。
 

資料その16

  講演と映画<横見出し>
 本社   食糧展の
 後援    罐詰デー
   十八日(木)午前九時より
    上野公園  食糧展覧会場

一、缶詰の貿易状況 缶詰協会理事 星野佐紀氏
一、缶詰の話    農林省技師  江副元三氏
一、映画(水中の悲劇、魚の精、鰯漁業、改訂の奇
     観其他)
●缶詰贈呈――入場者のうち伝票の各項に記入した方
     に無料で缶詰贈呈(4月16日)


 けふ缶詰デー
 催しいろ/\

上野公園竹の台に開催中の食糧展
覧会では今十八日午前九時から本
社後援の『缶詰デー』を催すが、今
日の入場者全部に伝票を渡し缶詰
への希望需要などの記入を求め缶
詰一個をたゞで贈呈する外糧友会
事業場では缶詰の実地料理を見せ
農林省技師、缶詰協会理事等の講
演と缶詰事業の映画を上映する(4月18日)


需要も評判も
 蟹罐詰が第一の好成績
  本社後援罐詰デーの結果から

 都会生活の繁忙に連れて、生活
洋式を出来るだけ簡単に、と云ふ
傾向が激しくなつて来ます、そし
て食事の場合にも、料理の手間を
省かして云ふので、缶詰の需要が
段々増加して参りました

 罐詰使用量

先日我社後援の食糧品展覧会に缶
詰デーを催した際、入場者各自に
向つて数種の質問を出し、之に対
する答へを募りましたが、集まつ
た答への各項について記すと、先
づ『一ケ年の使用数量』について
は最高が三十個以上で千人の内一
九一人、此れが五十個以上で千人
の内一七八人、廿個以上が一六五
人、百個以上が五七人、百五十個
以上が一四人、二百個以上が一九
人、五百個以上が六人と云ふ風な
答へが出て居ります、之を見ると
大部分の家庭は一年に五十個位は
使つてゐると云へませう

 罐詰の種類

 次ぎに『どんな種類の缶詰を使
用されるか』の問に対する答へを
纏めて見ると、第一が蟹で千人中
三六六人、次ぎは牛肉で千人中二
二八人、鮭が二二一人、果物類が
一七六人、パイナツプルが一五七
人、肉類が一三八人、魚類が一二
四人、福神漬が一二三人、海苔一
〇七人、野菜、貝類は各六八人こ
の外コンビーフ、筍、グリンピ
ース、ミルク、鰹等四十種類を
あげて居ます

 好評の罐詰

 第三の『何の缶詰がお気に召し
ましたか』の問に対しては、第一
が蟹で、千人中二七〇人、ハイナ
ツプルが一二二人、牛肉一二〇人
鮭七一人、果物七〇人、その他海
苔、コンビーフ、福神漬、野菜、
鰹、筍、貝類の外四十種類をあ
げてゐます

 希望と註文

 最後に『缶詰に就いての希望等』
に対する答への中では『安価の希
望』によつて内容の新鮮なるを期
して製造月日を記入せよ等とその
他細部にわたる希望が多く、缶に
対する希望も■■■■■■■■■<真っ黒で読めない>
開缶を容易にする様、角型にせよ
いかものを予防して優良品推奨を
希望するなどゝ書いた者も沢山あり
ました(5月1日)

 都新聞の記事は資料その17(1)にした開会式の予告があり、続く開会式当日の朝刊の行事予告「今日のノート」に「食糧展覧會開会式 午前十時から上野の教育博物館(41)」と入っていたけど、それっきり、記事はなし。都新聞は芸能ものの報道に力を入れており、ラジオの内容紹介も読売に負けず「放送開始五四年記念講演」として食糧展覧會に合わせた畜産週間の講演者と講演要旨をほぼ毎日載せています。例えば畜産週間初日の3月25日の朝刊には「畜産食糧品の栄養的価値」と題する鈴木梅太郎の講演で、要旨の前に「農学博士鈴木梅太郎氏は東京帝大教授であります」という説明と顔写真をつけ「余り貧弱すぎる/牛肉牛乳の消費高/日本は牛肉が一年一人當り三斤/牛乳も一人當り一年に一升四合」という見出しで49行も要旨(42)が載っています。
 意外だったのは中央新聞。「現代食糧大観」では協力した新聞社に数えられていないけど(2)と(3)の2本を載せていました。(2)なんか簡にして要を得た記事だ。開会お知らせで入場料まで書いた記事はほかにないでしょう。「軍隊や学校の食糧状態もしらず、」がわからないが「知らせる」の意味で「軍隊や学校の食糧状態もしらす、」のつもりだったんじゃないかな。食料展の全記事の中でも、これには優を付けますよ。資料その17(4)は都新聞と同じく開会式予告の1本しか書かなかった萬朝報の記事です。

資料その17

  (1)糧友會の
    食糧展
     愈々廿三日から
      上野に開く

 陸軍糧秣本廠糧友会では來る二十三日から四月二十一日まで、上野公園両大師前文部省東京博物館に於いて、第一回の食糧品展覧会を開くことになりました、かういふ展覧会は日本に於いて
  初めて  の試みで、人間の日常生活に必要な栄養の関係やそれに関する東大、慶大等の各大学よりの参考資料、其他日本に於ける生産の状況、貯蔵に関する種々なる方法、炊事調理に関する知識の普及のために集められたる資料、其他種々なる参考品を陳列して見せる事になつた、一方種々な
  食糧品   を実際に作つてそれらの廉売等をもする筈で、人口食糧問題のやかましい折から有益な催しでありませう、尚小学校、女学校の生徒は指導教員がついて見に行けば無料で見せることになつてゐます(3月21日)


(2)上野公園で
    食糧展覧
     有益な實演あり
      主婦の相談相手

二十三日から上野公園両大師前に食糧展覧会が開かれる、糧友会の主催で在来の興行適なものでなく極まじめなもので食糧についての一切の知識をあきらかにし食糧消費の合理的解決をはかるもので家庭の主婦は必ず一覧すべきものである、入場料大人二十銭、小人十銭だが教師を指導者とした小学児童の団体は無料である、パンや羊肉料理や瓶詰、缶詰の実地を見せる、又試食の催しもある、軍隊や学校の食糧状態もしらず、何しろ糧食全般に亘つた広い知識をならべるのだから国民としても家庭の人としても見て置くべきものだ、呼び物は国防館、食道旅行、実演場などである(3月21日)


(3)食糧展
    上野學土院で

糧友会主催食糧展覧会は上野公園学士院に於て二十三日午前十時より閑院総裁宮の御台臨を仰いで開会式を開催定刻総裁宮の御台臨と共に開会を宣し殿下の令旨を奉戴し続いて総理大臣始め各大臣の祝辞あり十時四十分閉式、式後展覧会場を巡覧した
(昭和4年3月24日付中央新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)


(4)食糧展開会式  糧友会主催の食糧展覧会は愈よ明後廿三日より上野公園東京博物館に於て開催するが当日午前十時より閑院総裁宮殿下の台臨の下に盛大なる開会式を挙行、田中首相、勝田文相の祝詞あつて後殿下より令旨を賜はる筈(3月22日)

 
  

参考文献
上記(40)の出典は日本缶詰協会編「缶詰時報」8巻4号21ページ、昭和4年4月、日本缶詰協会=館内限定近デジ本、 資料その16(1)は昭和4年4月16日付時事新報朝刊7面広告=マイクロフィルム、同(2)は同年4月18日付同朝刊11面、同、 同(3)は同年5月1日付同朝刊5面、同、 (41)は同年3月23日付都新聞朝刊12面「今日のノート」、同、 (42)は同年3月25日付同朝刊8面、同 資料その17(1)は同年3月21日付同朝刊9面、同 同(2)は同年3月21日付中央新聞夕刊2面、同、 同(3)は同年3月24日付同夕刊2面、同、 同(4)は同年3月22日付萬朝報夕刊2面、同


 読売新聞に食糧展覧会の記事が載らなかったのは、ほぼ同時期に上野公園内の東京府立美術館で日本名宝展覧会を開いており、その主催社として、もっぱら名宝のことを書きまくっていたからです。この展覧会は3月19日から4月19日までで食糧展覧会とほとんどダブった。それで閑院宮載仁親王という宮様は、食糧展覧会と名宝展覧会と2つの総裁を引き受け、開会式が4日ずれたのでできたことですが、それぞれの開会式で令旨というお言葉を述べられた。「現代食糧大観」は「惟フニ我食糧問題ハ刻下ノ急務ナリ 此時ニ当リ本会ノ企アルハ洵ニ機宜ニ適セリト謂フ可シ(43)」というお褒めの令旨をありがたく頂いて全文をトップページに載せています。
 当時の読売新聞を見ると、名宝展覧会を成功させようと全力投球したことがよくわかります。元日号の名宝展開催を告げる社告(44)で火蓋を切ります。3月4日2面には「名宝展の関係者に/総裁宮の賜餐/閑院宮殿下、けふ正午/畏くも御本邸で(45)」と100人ほどの関係者を招く昼食会の予告記事、翌5日は「御殿に漲る名宝展讃に 総裁宮の御満悦 松平会長代してお禮を言上 昨日本社光栄の賜餐」と招待者リスト(46)付きの記事を載せています。開会前日の3月18日は「国宝と斯級二百点を盛り あす開会の名宝展 新館を加へても尚狭き盛況に 一両日展覧の名宝も多い」という見出しで、全ページを使って出品目録と役員名簿(47)を掲載(25)しています。また新聞社は滅多によその新聞社の主催事業のことは書かないのですが、この名宝展だけは価値を認めて短く開催するという記事を載せてます。
 さらに開会前日まで社会面に「日本名宝物語」を57回に掲載し、会期に突入すると、毎日社会面の左上を名宝展の記事を掲載しました。たとえば3月2日は縦見出しが4本で「驚嘆した一老人/『日暮し展』と讃ふ/遙々朝鮮、北海道からの参観して/入場者実に一万八千(48)」、その下に「きのふ日曜の名宝展」という横見出しがあるという具合で、記事も70行ほどあります。陳列された名宝には、華族などから数日だけと約束して借りた物が多く、入れ替えが頻繁だったようで、そのたびに「名大作を一堂に 『琳派デー』けふから 屏風に絵巻に各その妍を競ひ 目ざむる会場の豪華」とか「けふから新に八名宝出展 ゆくりなくも一堂に 『三大仇討』の遺品 『浄瑠璃坂の仇討』で仇隼人の 首を斬つた銘刀現る」「国宝『北野天神縁起』始め 亀山上皇御禮願の『不動明王』 絵巻に、掛物に、古筆に十三点」というように派手に報道を続けました。
 4月20日は「美術館始つて以来 記録破りの入場者 四回の札止め『日延べ』の直談判等 名宝展最終日の盛況(22)」という見出しで記事があり、その隣に「名宝展を終へて」というお礼の社告が載っています。記事には観客数の数字は書いてありませんが、最後の1日だけで4回も行列を止めたラッシュを示すように長い列の写真が付いています。
 糧友會としては、会期中は公園内に立て札と標識を40本立てた(50)のは、名宝展覧会への人の流れから、一人でも多く食糧展覧会へ導くためだったのですね。それから中外の記事広告では「まだ見ぬ人の見たいといふ熱心な希望に添ふて」会期を延ばしたと説明していますが、読売の名宝展が19日で終わったので、その2日後の21日で閉会せず月末まで日延べして観客動員数を挽回しようとしたのが真相でしょう。そうでなければ、新聞広告と全く無縁だった食糧展覧会がですよ、資料その12の会期延長の広告をだ、突然6つもの新聞に一斉に出した理由の説明ができない。本当に観覧を熱望する者が大勢いるなら黙っていてもよかったはずです。
 「現代食糧大観」に載っている団体入場のデータをみますと、4月22日から30日までの9日間の団体入場者数は22団体1940人(51)でした。これは全期間の全団体数の39.3%、団体入場者者数の35%に当たりますから、広告が効いたかどうかはわかりませんが、日延べは好判断だったと評価できます。
 東京日日新聞は、我が社の健康運動という年間キャンペーンを提唱して、健康関連の記事と国技館で開かれた台湾博覧会の後援記事が幅を利かせていました。
 では畜産関係はどうかと、畜産中央会が出していた「畜産」を調べましたら5月号に「JOAK記念畜産講演」として、戸田保忠、石崎芳吉、木村和誠3氏が放送用に書いたと思われる原稿を載せている(52)だけで、食糧展覧会の様子などは掲載していません。JOAKというのはNHKラジオ東京放送局のコールサインで、放送開始5周年記念講演という銘打って大勢の専門家がラジオで放送した。それと畜産週間が重なったのです。

 さて、これだけ食糧展覧会の新聞記事を調べてもジンギスカン料理、鍋羊肉、カオヤンローという名前は1回も出てこない。羊肉が報知新聞で1回、羊肉料理が中央新聞に1回、漸く使われただけでした。そうなると食糧展覧会の内容を詳しくまとめた「現代食糧大鑑」に頼るしかない。会期中は毎日、何々デーと銘打って一つのテーマに関して講演、映画、実演が行われたのですが、国策上大事だった緬羊増殖のために羊肉デーなどいくつかのデーで羊肉料理が取り上げられたのです。
 もしも、タラレバですがね。丸本さんあたりが糧秣本廠に顔出しする記者たちにジンギスカンをやるから、味見にきなさいよと一声掛けて食べさせていたら、さすが食糧展覧会だ、こんな珍しい料理が試食できると大きく取り上げられ、羊肉の価値も高まったかも知れませんが、当時はそうしたくだけた宣伝テクを思いつく余裕がなかったんでしょう。
 時間になったので、羊肉デーなどは次回に回しますが、糧友会が続けていた羊肉料理講習会の方は、昭和3年11月23日に九段坂上の和洋女子専門学校で第7回(53)、展覧会が始まる少し前の昭和4年2月9日に麹町区の三輪田高等女学校で第8回の講習会(54)を開き「糧友」にちゃんと記事が載っていますが、第5回と第6回講習会の記事が見あたらない。開催回の数え方が正しければ、昭和3年3月の第4回講習会が済んでから、糧友会事務局は食糧展覧会の開催準備で忙しくなり、記事掲載を忘れたとみられます。きょうはここまでにします。
 (文献によるジンギスカン関係の史実考証という研究の性質上、著作権侵害にならないよう引用などの明示を心掛けて全ページを制作しておりますが、お気づきの点がありましたら jinpagaku@gmail.com 尽波満洲男へご一報下さるようお願いします)
  

参考文献
上記(43)の出典は糧友會編「現代食糧大観」1ページ、昭和4年12月、糧友會=原本、 (44)は同年1月1日付読売新聞朝刊2面、同、 (45)は同年3月4日付同朝刊2面、同、 (46)は同年3月5日付同朝刊3面、同、 (47)は同年3月18日付同朝刊3面、同、 (48)は同年3月25日付同朝刊7面、同、 (49)は同年3月18日付同朝刊11面、同、 (50)糧友會編「現代食糧大観」42ページ、昭和4年12月、糧友會=原本、 (51)同52ページ、同、 (52)は畜産中央会編「畜産」第15巻5号2ページ、昭和4年5月、畜産中央会=原本、 (53)は糧友會編「糧友」4巻1号144ページ、昭和4年1月、原本、 (54)は同4巻3号133ページ、昭和4年3月、同