ジンギスカン鍋は黒焦げの黒子だ

 ジンギスカンという料理の主役は羊の肉ですが、鍋の存在を忘れてはいけません。北大生協のジンパセットもそうだが、アルミの使い捨て鍋がある、あれば洗わなくてもいいから便利だといってもだ、ずっしり重いあの鉄鍋を軽視しては困ります。
 ジンギスカン料理は、あの鉄鍋とともに進化し、発展してきたのです。あの鉄鍋はジンギスカンの兵士の兜をかたどったなんて、道民でもまだ、そう思っている人が少なくない。遺憾ながら鍋の歴史を本気で調べた本はないし、つい奇抜な名前から連想してしまうのでしょうね。
 ですから、私が研究するジンパ学では、かねて講義録ホームページの目次の下に、国産初とみられるジンギスカン鍋の絵など2枚を掲載して、全国民に向けて―は大袈裟だとしても、少なくとも私の講義録を読みに来くるぐらい向学心あふれる方々に対して、この有形文化財としても十分価値ある最古及び第2世代のジンギスカン鍋の捜索をお願いしてきたころです。
 しかしながら、さっぱり反応がない。もう3年はたったと思うけど、ゼロなんです。どこそこで見た覚えがあるという頼りないメールすらない。何故か、私は考えましたね。いま主流の星形溝の鍋とあまりにも形が違うので、理解できないのではないかとね。
 ジンギス印はじめ古くからの鍋を持っているというホームページを見付けるたびに、私の秘書兼御用人が問い合わているようだが、ほとんど親譲りでね、買った年月がはっきりしない。いまも通販ページの会社に鍋の製造元の住所を問い合わせても無視。親切にところでも、教えられないという返事が来る。私が鍋の通販でも始めると誤解しているらしい。なんとかオークションでも、とんと見かけないでしょう。
 浅草の合羽橋商店街に行って「ロストルみたいなジンギスカン鍋はないか」と尋ねたら、鼻であしらわれましたね。最近だがね、道立図書館で昭和58年4月、グラフ社発行の「東京かっぱ橋 料理道具カタログ」という220ページの本を見付けました。それによると合羽橋商店街には約190店があり「ありとあらゆる料理関係の商品がかっぱ橋に集まっている」とあり、写真入りで両手鍋・片手鍋7点、洋鍋6点、中華鍋6点、和鍋14点の価格を掲載しているが、ジンギスカン鍋はないんだなあ。はい「カタログ」の鍋の部4ページのコピーをスライドで見せましょう。金網の部にもないんですよ。

   

 ジンギスカン鍋の製造が始まったのは昭和58年以降だなんてことは絶対ない。今でこそ合羽橋商店街では店先にジン鍋を積み重ねているけど、スライドで見たように昭和58年のカタログにジン鍋のジンも載っていないということは、写真撮影や価格調べに協力した当時の有力店では扱っておらず、ジンギスカン鍋の流通は北海道、東北、甲信など地方の金物問屋、商社が仕切っていたと考えざるを得ません。
 いいですか、ジンギス印の初期の鍋は脂落としの隙間のある焼き面で、特に北海道でよく売れた。その後、北海道の金物業界から隙間なしで煙の出ない鍋を作ってくれと要望があり、そのリクエストに応じて隙間なしのジンギス印が作られるようになったそうです。その方は匿名希望なので、どこのだれとはいえませんが、愛知県で60年前からジンギス印の鍋販売に関係してきたAさんから聞きました。Aさんの話とそれに基づくジンギス印の鍋考察は、後日の講義でもう一度取り上げます。
 さて、私はロストル型の鍋を川型と呼んでおるが、そのイメージをつかむのにちょうどいい写真があるから、石炭ストーブを知らない諸君に示しましょう。

           

 はい、これはね、これから話すレトロスペース・坂会館の所蔵品です。鉄の輪の中に鉄棒が平行に並んでいますね。これが石炭ストーブの火皿、ロストルのイメージです。これは本当のロストルではなくて、食品製造装置の部分品だった。でも、イメージ説明にちょうどいいと思い、写させてもらったものです。細い棒が平行して面を形成している。これがロストルのイメージなのです。
 實物はストーブの燃焼部の構造によって様々で、山形だったり、細長かったりしていますよ。ですが、用途は面の上にある黒い石炭の塊が面の下からくる酸素で燃えるように空間に浮かせ、灰になって鉄棒の隙間から落ちるまで支えるものなのです。この部品でも金網より丈夫だし、そのまま七輪に掛ければ肉が焼けそうだと思うでしょう。いいですね。
 合羽橋の見聞に戻しますが、ジンギスカンブームとかで、急に増えた各地のジンギスカン店で川型鍋を使っている店が1軒もない、いや、ないと思うが、といっておくけれど、卸屋に扱っていないせいらしいとわかりました。星形でもジンギスカン鍋を客の見える場所に置いているのは、道内の金物屋だけといっても過言ではないのですな。合羽橋で見付かるのは、現代型のスマートな鍋か台の物用のミニ鍋ね。歩いてみて初めてわかった。
 そこでね、講義録と鍋で、あっ、元へ。講義録と並べてだ、鍋収集家の鍋をいつか紹介したら、もう少し鍋に関心を持ってもらえるのではないかと考えました。私が知る限りでも、これまでいくつか鍋の写真を並べ、推定でも年代を付けて見せた本はあります。
 平成17年に滝川市のジンギスカン王国滝川ウメェー実行委員会が出した「滝川ジンギスカン物語」という80ページの本もその一例です。この本には滝川市郷土館と松尾ジンギスカン所蔵の10種類の鍋の写真が載っています。うち1つは金網の籠を逆さにしたような形です。ジンギスカン普及を図った初期はね、まだ国内で鍋が作られておらず、金網で焼いたから、鍋に数えてもおかしくないのです。さすが滝川、これまでで最も多く鍋の写真を載せた本だと思いますが、定価が付いておらず、だれでも読める本なのかどうかわかりません。
 そこで私が出来る次の手として、鍋の変遷に注目させるためにも、古そうな鍋の写真を見てもらうページを作ることにしたのです。と同時にね、いま説明したロストルみたいな形の鍋情報を集めることにしました。これならまだ持っている家はあるかも知れない。骨董店では鍋は骨董品ではないと、あっさり追い出されるので、もはら古道具即売展にいきますが、私が川形と呼ぶロストル型の鍋にはお目にかかれずにいます。もはや消えた初代の鍋探しもさることながら、その次の川型探しを急ごうというわけです。
 私が鍋そのものは集めていませんがね、集めた鍋関係の資料を見せてと頼まれることがあります。大抵断るのだが、やむなく秘書兼御用人が代わりに北大構内で説明したとき、だれかに撮影され、あるホームページに私の資料パネルの写真が出ています。いずれこれらは講義の方で、どのように変わったのか、東京・日本橋濱の家の鍋考察や成吉思荘の鍋開発の歴史的意義などを話すから、期待していなさい。
 これまでジンギスカン料理全体を広くかつ詳細に調べて書いた本はありません。いまいった「滝川ジンギスカン物語」はね、高石啓一氏が平成8年に発表した論文「羊肉料理『ジンギスカン』の一考察」も収め、料理の歴史にも配慮されていますが、松尾ジンギスカンにいたる滝川における歴史であり、私が講義録の目次で示すように、時間軸は推古天皇、地理軸は北京からと、広げすぎみたいな範囲を扱った本ではありません。
 繰り返しますが、気楽に鍋を取り上げ、もっと多くの人々に古い鍋の重要性を教えておくべきなのですね。だから今回は教室を出て、皆さんと一緒に見学に出掛けたと想定して鍋をたくさん見てもらうことにしました。
 そこで取り上げ方なのだが、話主体の講義ではないから気楽に行きたい。私は坂一敬館長の奥床しい人柄を存じ上げておるからいうけれど、鍋コレクションがありながら、あるよともいわず温存している札幌市西区のレトロスペース・坂会館の見学を思い付いたのです。つまり、知る人ぞ知るレトロスペースの鍋ちゃんたちの顔を借りてね、ジンギスカン鍋の工学的発達研究の重要性の周知徹底を図る、換言すれば鍋の調査、戸籍作りも忘れちゃいかんよと知らせるために、私が勝手にね、レトロスペースのホームページを拡張しするようなページを作る。いうなれば勝手連になる。なに、勝手連がわからん?
 うーん、goo辞書にはないが、ウィキペディアには「勝手連(かってれん)とは、市民活動のスタイル・名称の一つ。主催者からの強制ではなく、あるテーマに賛同する者が自発的に集まってそのテーマを支援・実現していくことを目的とする。」とあります。そのほかまだ書いてあるが、ウィキはちょいちょい書き換えられるからね。いまいったのは平成20年2月5日現在の定義です。
 早い話が、石炭ストーブもたくさん持っているレトロスペース・坂会館の鍋ページを、私が勝手にを作ったようなものです。だから所蔵している鍋だけでなく、平成21年8月に催された、開館15周年記念祭に出陳されたジンギスカン鍋も加えることにしました。ただ、残念なのは鍋本体の解説はお印程度であることです。なぜなれば私の性格が謙虚だからではなくて、本当に私は鍋本体の研究については始めたばっかり、蓄積がないのです。やろうとした先人が居らず、いわゆる前人未踏の分野のせいなのです。
 そもそも鍋の各部分をどう呼ぶのかという点から定義していかなければならん。またそのデータの測定法もない。わかるでしょう。肉や野菜を焼くあの盛り上がった中央部をなんと呼ぶか。べったり焼き付きを防ぐあの溝、いや、凸凹というかね。つるりとした溝無しもありますが、あそこを何と呼ぶかというようなことから決めて行かなければ、話が始まらない。あれは溝でいいのか、山とみるか。私がそう呼ぶと定義すれば、ジンパ学ではもう決まりではあるが、スリットとか隙間とか研究者各自が勝手な呼び方をするようでは学問として成り立ちません。でも絶対にこれで行こうなんて、こだわりませんよ。今後参加してくる研究者のために、当分は緩くして置いた方がよさそうだからです。
 研究仲間が増えてからのことですが、共通の用語で情報を伝えられないと、議論が出来ないでしょう。ある鍋のデータがわかり、その肉を焼く面の模様、持ち手の作りがわかれば、ぴったり同じでなくても、ほとんど同じというぐらいの精度で鍋が再現できる。プラモデルみたいな鍋の模型が再現できれば、これは何鋳造製の何年型の鍋だからどうこうとか、これはどこの資料館にもない鍋だとか、実物同士を付き合わせなくても比較できるでしょう。
 科学では再現性が求められます。どこかの國の英雄的科学者の研究の成果が再現できないと問題になり、データねつ造がばれたことがあっでしょう。ジンパ学は文学部の講義ではあるけれども、少なくとも鍋の構造研究については自然科学的でありたいのです。的というところに私の心意気がある。ふっふっふ。
 そのために私はまず、JIS規格を考えている。このごろは金になりそうと見るや、特許だの商標登録だのとすぐ走り出す浅ましい連中が多くてね。ここでJIS規格の原案を公表してもいいのだが、少し様子を見ることにして、JISと呼ぶ理由だけを説明しましょう。これJinpagaku Institute Standard の頭文字を並べた名称ですぞ。笑っちゃいかん、至極真面目な話なのです。
 鍋の諸元として必要なデータは、以下の項目としました。これらの項目をA4判の紙に2枚分ずつ記入できる測定票を用意して、いざやったみたら大変だった。初めは測定尺の扱いに馴れていないから手間取る。やや馴れてきたら、計っているうちに持ち手のどこからの高さだったかとか、仮称と現物が一致しないなど頭がこんがらかってくるんだ。
 鍋を1枚ずつ台の上に乗せて測るよりも、台が広ければ3枚ずつ並べて、同じ項目を一度に測ると能率が上がるとわかったけれど、今度は測定票の記入個所を間違えたりしてね。差し当たり28枚を調べたのだが、1時間に3枚測定がいいところだった。持ち手は水平でなく垂れている鍋がある。付け根と先端と高さを測るにしても、今度は半円に近くて、縁が曲線でせり出して持ち手になっている場合、付け根と幅はどう現すかなど、きちっと決めかねるので、その辺はここらという場所を測ることにしているのが正直なところです。
 持ち手の高さを測るのに3角定規を使う。定規の先端を持ち手の下に差し込み、これ以上入らないという位置を覚え置いて、その高さをもう一つの定規で測る。それで学童用の安いのを買ったら、左利きの子も使えるようにと3角定規に目盛りが2通り付いていて、2枚重ねて使うと、そのまま高さが読めるんだね。ちょっとスライドで見せよう。はい、こんな具合に差し込むと先端の高さ、付け根の高さは付け根で測る。

       

   ところが持ち手の先が垂れているのだが、見た目ほど差が出ない。持ち手の先端断面が楕円か鋭角かによって、定規の斜辺が引っ掛かる位置が決まるためなので、この測り方でいいのかどうか決めかねているのです。
 それから同じぐらいの鍋なのに、鋳鉄の質の違いかやたら重いのがあるのですな。それで重さも大事な測定項目に入れました。レトロスペースには、精密天秤から上皿竿秤、パイプ手秤、カンカンといわれた風呂屋の体重計、選り取り見取り30種ぐらい秤があるのだが、どれも長年ものを乗っけ放しにしているので、精度は保証できないと館長にいわれましてね。
 120キロまで計れる体重計で測ったら、5キロを超える鍋は滅多にないということがわかっただけ。100グラム単位は読めないんですね。仕方がないから、5キロまで測れる三光精衡所のバネ式手秤をアマゾンで取り寄せた。収集家のお宅へ出かけて測ることも想定して携帯型です。まあ、いずれエクセルに入れたデータ一覧をみせるが、長さはミリ単位、重さは100グラムぐらいの違いは気にしないでもらいたいと思っています。

資料その1

  ジンギスカン鍋の測定項目と測定要領(暫定)

1)仮称 特徴ある名前をつける。
2)外径 鍋上部の注ぎ口のない場所の最大直径。
3)注ぎ口径 注ぎ口がある鍋は注ぎ口先端までの直径も測る。
4)持ち手径 3輪なり、平たい形にせよ、その両端を含む直径。
5)持ち手幅 取っ手というとドアのノブみたいなので持ち手と呼び、その最大幅。
6)持ち手張り出し 縁内面から持ち手の先端まで。
7)3輪持ち手 ポピュラーな3輪かどうか。
8)持ち手端高さ その先端底面から床面までの最高。非水平の持ち手は基部と先端の高さの2値とする。
9)内径 内面の壁が垂直でないものもあるが、その開口部の最大直径。
10)底面径 9)の持ち手下底面の直径。鍋断面の底が丸い鍋は丸底の頂点間を測る。
11)底面印有無 大中小などの有無。
12)底面文字列 MADE IN JAPANなど。
13)焼き面径 焼き面の傾斜が周環と接する位置の直径。
14)焼き面高さ 床面から頂点までの高さ。
15)火口有無 焼き面の山に脂落としの隙間の有無。
16)1連山数 鍋は∧型の山を重ねる形が多いので、それがいくつで1山を作っているか数える。ジンギス印などは頂点に届く両脇の2本の間に3山というのが普通。その場合両側も入れて4山とする。
17)頂点印有無 有無、ジンギス印なら兵士横顔影と書く。
18)周環幅 鍋内壁から焼き面基部までの距離。
19)脂溜有無 周環のなかで一段と低く、溝になっている場所の有無。へこみ分は裏側に突きだして七厘の縁との隙間を作る平面の突起になる。
20)脂溜数 19)の個数。
21)周環線有無 焼き面基部を一巡する線状突起の有無。
22)周環文字列 ジンギス印など。
23)雷紋有無 周環でのラーメン丼などに見られる長方形の線模様の有無。
24)雷紋数 長方形の対になった雷紋の個数。1対で1個。
25)縁傾斜有無 鍋の縁が垂直かどうか。ほぼ垂直は傾斜無しとする。
26)鍔縁有無 鍋の縁が外側に折り曲げられた部分を鍔と呼び、鍔縁になっているかどうか。
27)鍔縁紋有無 鍔縁上の模様、文字列の有無。
28)鍔縁幅 縁折り返し部の最大幅。
29)最高縁 鍋の縁上端のうねった曲線部の最高部の高さまたは縁の最高部。
30)平坦縁高 縁にうねりのない鍋は縁の高さ。
31)最低縁 29)の切れ目など最低部の高さ。
32)縁幅 縁の厚さ、鍔縁のある鍋は除く。
33)重量 鍋全体の重さ。
34)備考 特徴など気付いたことを書き込む。差し当たり鍋の真上と真下の写真及び書き出せない模様、マークは写真で残す。

 メモ
 吊り秤などを使い重量も測る。頂点の高さと直径から、仮想の円盤の体積が求まるから、それを鍋の重量で割って求まる数値を鍋厚係数とでも呼び、鋳込み若しくは鉄板の厚さを表現することにしておけば、比較もできる。
 鍋拓を取る。拓本や魚拓のように焼き面の模様を写し取って保存する。似た鍋があったとき、その鍋拓を当てがって同じかどうか識別する手かがりに使う。

 さらにJIS規格の測定尺を制定しました。日曜大工用のL型になった曲尺を2本組み合わせた。私は長い方が30センチ、短い方に15センチり目盛りが付いていて、各部の幅が3センチになっているものを買いました。それから断面がH型でパーツ箱の内部仕切にする透明プラスチック板を2つ組み合わせて接着し、重ねた曲尺2枚がスムーズに入る保持具を作りました。スライドを見て下さい。こんな具合です。手で曲尺がずれないよう重ねて抑えて測るのですが、保持具はそのズレ止めの補助になります。

      

 たいていの鍋は焼き面が盛り上がって縁より高いので、普通の曲尺や巻き尺では焼き面にぶつかって外径、内径などは測れません。そこでJIS尺の出番。片方の曲尺を差し替えてパイ(π)の字の形にして、焼き面を超えて測ります。使ってみてわかったのだが、30センチ以内と30センチを超える場合とで目盛りの読み方が違う。さらに外径などの測り方がややこしい。次のスライドを見なさい。これは30センチ以下の内径ほ測っているところ。片方の目盛りと動かしているもう片方の尺、スライド尺と呼べば、スライド尺の外縁が交差する位置が長さになる。30センチを超えたら、30センチにスライド尺が超えた長さを加えれば求まるけれども、外径の場合はちょっと難しい。

    

 目盛りが曲尺の外縁から付いているのに、外径などは尺の内側で測るので、尺の幅の3センチの差が生じる。両方の尺から合わせて6センチの差が出ることになり、あてがって得られた長さから6センチ引かなければならないのですね。スライドで示すような測り方で、資料その1にある通り外径のほか、注ぎ口の突端からの外径、持ち手両端からの外径も測る必要があります。次々測っているうちに、あれ、これでよかったかなと不安になってくる。理屈では持ち手張り出しの2つ分、2倍と内径の合計が持ち手径になるはずですが、測定票を整理すると、1センチの誤差どころか、まるで合わなかったりするのです。

    

 はい、次のスライド。JIS尺の得意技、頂点の高さ測定です。これが一番やさしい。大事なことは下の尺に対して直角が狂わないよう、きちんと重ねて持つことです。引き算なんかしなくても済むものに改良して、JIS型ジンギスカン鍋測定尺として特許をとっておき、なにがしかで頒布するかなあ。測定者の白衣と指輪が気になるという声が聞こえたよ。モデルさんに代わってもらったのですよ。

   

 でも、測定尺を売るなんていったのは、まずかったかな。まあ、私の講義録を読む人は皆フェアプレーを尊ぶ紳士淑女ばかりで、これを見ての抜け駆けはないと信じましょう。制作費プラスマージンというか、それなりの志をいただきたいね。その志が中国調査に行けるぐらいたまったら、うれしいなということです。
 それでだ、自慢の鍋を測りたいという人は、この測定尺を使ってデータを取り、公表してもらう。購入年月の精度に自信があるとか珍しい型という鍋は、私に報告してくれれば、鍋博物館とでもいうことにするかな、こことはまた別のページを作って広く見てもらえるようにしましょう。いや講義録を本にして、それに載せようかね。
 今いったことは空想に近いけれど、私の唱えるジンギスカン料理の肉を焼く鍋、食べ方ではなくて鍋の形の発祥地は旧満洲という仮説は、いずれ別に講義する予定であるが、ちゃんとした根拠があるのです。空想ではないことをぜひとも証明せにゃならんのです。近い将来、後期高齢者にはなるけれども健康に自信のあるうちに、中国東北地方、遼寧省へ出掛けて、あちらに残っている古い鍋を見つけ出すつもりです。そのときは団体割引で安く済むよう、同行する有志を募りますから、講義録をときどき見ていて下さい。お断りしておきますが、予定では平成22年です。
 はい、では坂さんちの鍋を以下に示します。これは仮公開ですから、これまでの訪問でメモのつもりで撮った写真だけです。角度などばらばらですが、いずれJIS規格に従った撮影角度で撮り直し、JIS尺で測った鍋データを添えて特徴を解説しましょう。

    

 全体にゆったりと広く、広い汁溜めが4つあります。汁溜めは持ち手にもなるように作られたのでしょう。磨いてみてわかったのですが、頂点のくぼみが北海道の形になっていたのです。わが北海道の広さを示そうとなだらかで広々とした焼き面にしたのでしょう。頂点のくぼみの奥が稚内、手前に来る縦溝の始まりが渡島半島、その右隣の縦溝の始まりが、何もないと歌われた襟裳岬ですね。汁溜めが広いのは、肉や野菜が焦げすぎないよう取り置きする場所として作られたと見るべきなのでしょう。葱だけでなく、野菜の品数が増え始めたころの鍋かも知れません。

    

 鋳物とは思えない凝った形の鍋であることは、写真でもわかるでしょう。梅鉢紋のような頂点の作りといい、焼き面の縦溝が落とした脂をいったん受けて、それをさらに流し出す環状の溝を置いて、すぐ外側に折り返す周環がシコロを意識して作られていて、兜型鍋のお手本ですね。焼き面を兜に見立てると、持ち手は腕を保護する袖に当たりますから、ありきたりの三輪の持ち手はふさわしくない。それで大きめの板に亀甲とも梅鉢ともとれる模様を付け、シコロに続く気分を表現したと思われます。持ち手の裏に「南部」「岩鋳」と銘がありますから、水沢の岩鋳に製造記録が残っているでしょう。左の持ち手の柄にある紐は、展示の際、つけた坂所蔵鍋の目印です。

    

 頂点のマークで松尾ジンギスカンが発注して作った鍋とわかります。汁溜めが2つあるこの形式の鍋がいまは使われていないようです。松尾ジンギスカンの同形式としては、頂点に「ニクヤク T2989」と文字を浮き彫りにし、もっと汁溜めの深い鍋があります。その鍋は第2回ジンギスカン王国滝川で、昭和41年から51年まで使われたと説明付きで展示されていました。
 これは頂点のマークが現用の鍋と同じく○に松のマークであり、汁溜めと一緒になっている注ぎ口も形だけに変わっていますから「ニクヤク」型の次に作られた鍋と推察しています。この浅い汁溜めが今の一筆書きの松紋みたいな松尾の登録商標の耳に変化し、汁溜めと合わせて4つ、持ち手あるように使える松尾独特の形になったとみています。いずれも松尾本店に調べてもらえば、製作年や使用期間がわかるでしょう。

      

 レトロスペース・坂会館の鍋コレクションの一部です。磨きを掛ける前でしたので、赤錆が目立ちますが、年代物がこう4枚並ぶと、なにか鉄製品の持つずしりとくる重量感というか迫力を感じますね。私はね、こうした鍋をたくさん観察することによって、お宝鑑定団の鑑定士みたいに、ぴたりと鍋の年代がわかるようになるものだろうかという疑問を抱いたのです。それで工学部のある先生にメールでお尋ねしたことがあるんです。それが親切な方で返事を下さっていわく、鉄鍋は難しかろうとね。
 早い話が鉄鍋はローテク製品だからだそうです。昔からの作り方で間に合うし、強度も必要ではないので、鋳物の品質の変化はあまりない。日進月歩で改良される車の部品なんかとは訳が違うのですね。そうなれば、なおのこと形を見分ける目と記録が大事ということになります。

    

 これが坂コレクションでは最新収集の鍋です。持ち手は三つ輪で全体に小さめで、2つだけ貫通している穴は真ん丸ではなくて、ほんの少し扁平です。これは、鍋つかみがないとき、火箸なり割り箸でこの持ち手を持ち上げるか、任意の穴へ差し込んで鍋を動かすためのようで、いまの真ん丸三つ輪型の持ち手より古い形ではないか。裏面に「みちのく」と「26CM」と読める字が、縁の向き合う位置に浮き彫りになっています。

     

 化粧水の使用前と使用後みたいですが、鍋の錆を落とす前と落とした後の違いがよくわかりますね。錆びていても肉眼では「みちのく」と読めますが、手を抜かず磨いてみましょう。岩手県水沢あたりの製品と思われます。「みちのく」印の鍋は、いまも生産されているようですが、検索しても出てくるのは通販ページばかりで、製造元などは全くわかっておりません。

        

 最もたくさん使われた鍋と考えられるジンギス印です。この写真ではわかりませんが、頂点に兜をかぶった蒙古兵士の頭の影絵マークが付いているものがあります。外箱があれば、箱にある絵で輪郭がはっきりわかります。少なくとも昭和20年代から生産されていました。脂を火に落とす隙間を火口と呼ぶと私が定義したが、この鍋はお手本みたいな火口があります。ジンギス印でも火口のない鍋もあります。
 ある時期のジンギス印は「ジンギス印」という文字とこの意匠登録番号「PAT NO 417157」を浮き彫りにしています。この型も数種あり、その後と推定しているのですが、ジンギスをローマ字書きにした鍋もあります。最近の製品もそうなっているのかどうか私は知りません。
 それから、この鍋底にも謎の「MADE IN JAPAN」という文字があります。われわれと同じようにジンギスカンを食べる外国があるので、この鍋を輸出していたなんて話は聞いたことがない。終戦後、進駐軍の兵士が好きになって帰国するときの土産に鍋が売れたというなら、わからなくもないけどね。国内でしか使われない鍋に、いちいち日本製と記すのは無駄だ。どこかが先鞭をつけたので、多くの鋳造所がうちもと真似ただけなのか。中国製の鍋が出回る前からそうだったはずですが、理由が知りたいテーマのひとつです。

     

 この鍋は同心円で段差を付けて脂を流下させる形をとった鋳物です。このタイプの出始めは焼き面がつるんとしていたようですが、多分焼いたとき肉が剥がしにくいということで、べったり焼き面に着かないよう段差を付けたと考えております。この鍋は、頂点の裏側に商標らしいもの、焼き面の裏側にパテント番号がある。番号は115703と6桁だから古いでしょう。検索すると設計者の意図がわかるはずですが、特許庁の検索は6桁に冷たいのでね、後回しになっています。マークの形の説明は難しいので、もう1枚のスライドで見せましょう。

        

 これは出っ張っているように見えるけれど、奥へ凹んでいるんですよ。数字の書き方から、この上下方向が正しいとすると、品という字で輪を作り、扇か何かの図案を囲むように見えなくもありません。社章にありそうなデザインですが、何もわかっていません。

        

 同じく同心円系列に属する鋳物の鍋です。これは正真正銘の新品、外箱と説明書があるのです。正寿堂というブランドから山形市の山正鋳造の製品とわかります。恐らく鍋をプレゼントされたけれど、ジンギスカン嫌いとか、間借りで煮炊きできないとか何か理由があって長くしまい込んだままになっていたものと思われます。上の写真の鍋にもっと厚みを持たせた感じで、どっしりしています。
 またその重量に合わせて頑丈な鋳物の持ち手が附属しています。持ち手の柄は輪を3段重ねにした形をしており、私の知る限りでは旧月寒種羊場時代に多人数の接待に使っていたとみられるやはり同心円の鍋の持ち手によく似ています。
 その鍋はこのホームページの最後にある縦長写真の最も手前にある少し錆びた鍋です。計測精査すれば、同じ持ち手だとわかるかも知れません。このように鍋がたくさん集めて調べることにより、だんだんわかることを期待して、私はね、こういう講義をしているのですよ。
 説明書のレシピがちょっと変わっているので、全文を資料その2としたので見て下さい。(1)付け汁をソースと呼び、酢が入ること(2)肉を漬け汁に浸すことなく塩と酒を振りかけるだけにする(3)好みにより昆布の出汁とソースと同量混ぜ、薬味を加えたソースも使う―という3点が、糧友会から始まったレシピと異なります。また焼く肉は羊肉に限らず、牛でも豚でもよいとし、さらに魚介類にもジンギスカン鍋が応用できると勧めています。この付け汁、いや半量割りのソースは、魚介類に合いそうな味のように思われます。

資料その2

ジンギスカン鍋

*成吉思汗料理のこつ

●ねぎ・白菜・もやし・ピーマン・松茸等御好みの季節の野菜と、羊肉・牛肉・豚肉を普通より厚目に切って、御使用下さい。(少量の塩・酒をふりかけておきます)

●最初鍋を強火で熱したら脂身をとかし肉をならべます。下部の溝に野菜を斜に立てかける様にして焼き、火の通ったものからソースをつけて召上って下さい。肉類の他、いか・かき・はまぐり等を同様にして焼くと大変美味しくいただけます。

●ソースは(1)醤油大サジ6・酒大サジ3・酢大サジ1其の他ニンニク少量・七味唐がらし等を加えるとビリッとして一層美味です。(2)昆布の出汁に半量のソース・酢・塩・酒・味淋・ゆずのしぼり汁少々のしたじにネギ・パセリのみじん切の薬味を入れましても美味しく召上れます。

●下部の溝に油がたまるとはねますので時々お取り下さい。

正寿堂
成吉思汗鍋の特長

●栄養をにがすことなく頂けます。肉・魚を焼いて出た脂で野菜も焼けますので栄養が逃げず、材料の風味をそこなうことなく持味を生かしておいしぐ召上れます。
●燃料も経済です
 鍋の底が凸状になつて居りますので弱い火でも熱を有効に利用できます。燃料は炭火・ガス・煉炭何でも使用出来ます。
●煙りが出ません
 脂肪分の多いものを焼いても煙が出ませんので室内でも屋外同様御使用頂けます

*成吉思汗料理のおこり

 広野に牧草を追って移動生活を続けた古代蒙古人の主食の大半は羊肉で、肉は栄養を逃さぬ様に焼肉として食べて居たようです。
 この野外料理が蒙古の武将成吉思汗の名をとつてじんぎすかん料理として今に伝えられたと言われます。

    

 長方形に近いこの鍋は、坂館長によると、寄贈者がジンギスカン鍋でないかも知れないといっていたとのことです。頂点に喜の2字が刻まれているし、丸くないからそう思ったのでしょうが、私は立派なジンギスカン鍋であると断定します。後で出てきますが、喜の字を刻んだ丸い鍋がジンギスカン鍋と載っている事典があります。魚の形の鍋など實に様々な形があるのです。
 次の鍋も角形なのですが、これは正方形、面白いでしょう。コレクションにどうぞとお客さんが持参された鍋だそうです。きれいな外箱が付いて、その蓋には「特選 成吉思汗鍋」「正寿堂謹製」と入った赤ラベルが張ってあります。検索すると正寿堂は山形市の山正鋳造のブランドとわかったので、おたくの製品に間違いないかと手紙を出したのですが、なぜか戻ってきたので、未確認のままになっています。

    


      

 目を引くのはあまり高くない頂点にあるKagomeというマークです。カゴメと来ればトマトケチャップですよね。このマークはカゴメ株式会社のケチャップやトマトジュースに付いているトマトマークとそっくりだ。だからカゴメがバーベキュー用に実験的に作った鍋かも知れないと尋ね回った結果、情報源は言えませんが、カゴメもジンギスカンのたれを売り出したことがあり、そのときの販売促進用の鍋と判明しました。
 カゴメの社史を読むと、かつてカゴメが使った▽と△を重ねて星形にした篭の目のようなマークからトマトのような楕円内にKagomeと入れたマークに切り替えたのは昭和33年以降なのですね。いろいろ製品があるので、一挙に切り替えられなかったようなのですが、ともあれカゴメは「成吉思汗たれ」も開発して、昭和40年9月から発売し、ベル・ソラチの金城湯池である北海道にも売り込んだのです。いずれそのころの広告も調べてみますが、トマト味をうたったかどうかね。はっはっは。
 詳しくはわかりませんが、ベルやソラチがかつてやった売り込み作戦と同じように、新製品のたれを一定量仕入れた精肉店にこの鍋を提供したのですね。だから、この鍋が鋳造されたのは昭和40年以降であることは間違いない。
 カゴメの社史に載っている年表は、製品の発売時期だけで販売停止の時期は書いていません。販売の消長を示す棒グラフもあるのですが、主要製品だけで「成吉思汗たれ」は載っていないことから、何年と続かず生産打ち切りになったのでしょう。そういう経緯からして、作った枚数も少なくかったと思われますので、貴重な1枚です。
 その下の写真は、このカゴメ鍋用ではないかも知れないと断りながら添えられた持ち手です。私はすき焼き鍋用の可能性大と判定しました。理由はGの字みたいな鍋の縁を銜える隙間の形です。握り側の角張った先端に爪みたいな小さな突起があり、垂直な縁をしっかり銜えるように作られています。また、カゴメ鍋の四隅の縁は裏側に丸味があり、この持ち手ではぐらつくので、違いますね。縁がすき焼き鍋みたいに垂直なニチメンの鍋と呼ばれる丸くこんもりした鍋にも、このハンドルは合いそうにない。
 それでね、私はハンドルの握りの透かしがotoと読めるし、咥えるところがGで、ゴトウという製造所を示すというのは冗談―といってきましたが、このハンドルは後藤忠夫という人が考案した義経鍋という獨独特の形をしたジンギスカン鍋専用のハンドルであり、冗談ではなく本当だったとわかったのです。平成30年にヤクオフで見付けた未使用の3人用義経鍋とそのハンドルをスライドで見せましょう。写真はジン鍋アートミュージアムの提供です。

      

 鍋の形の変遷の講義で取り上げますが、義経鍋は岩手県北上市の後藤忠夫という人が昭和33年に実用新案で登録しております。取り外しできる真ん中の鍋で煮物をしながら、周りの焼き面で肉を焼くようになっており、これは3人用ですが、4人用、5人用もあります。
 このotoの最後のoの上の跳ねだしを取り去り、字の中の隙間を全部埋めた形のハンドルを添えた4人用義経鍋の広告を見たことがあるのですが、真似たハンドルとみて半ば疑っていました。今回、一度も火に掛けていにない奇麗な義経鍋で附属品と確認できたので改めて紹介しました。
 次はちょっと興味のある鍋なので、スライドを取り替えながら説明します。北大生協のジンパセットの鍋は、薄いアルミをプレスした使い捨てですが、これはそのご先祖といえる鉄板をプレスした鍋で、このように錆びていました。同心円で段差はついていますが、焼き面に縁に向かう縦溝も脂を火に落とす火口もない、全体につるりとしています。ここかという程度の注ぎ口があるだけで、いかにもポンポンと型押しで作れそうな感じでしょう。

         

 坂館長はどこから手に入れたか記憶にないそうですから、先代社長時代のコレクションでしょう。私はお隣のベル食品がかつて雑誌に出していたの広告に使われている鍋に似ていますから、ベルの鍋に違いないとにらんでいたのです。
 道立図書館で教わったのですが、平成8年に出た札幌のタウン誌「すすきのタウン情報」3月号の特集「“鍋”をめぐる探検」に「旧・田中鋳造所」という記事が入っています。これがベル食品のおまけ鍋の製造など札幌の鍋事情に触れているので、資料その2(1)として引用しました。(2)は北海道新聞の記事で、やはりベルの前身である北共化学がたれのおまけに鍋をつけていた話です。

資料その3

(1)
 旧・田中鋳造所(昭和30年代半ばまでベル食品のジンギスカン鍋を製造していた)
 現在他二社と統合して三工鋳造株式会社となった旧・田中鋳造所の田中専務によれば、それまでベル食品では、薄手のプレス鉄板を使用していたため、肉が冷めやすく焦げやすかった。同社は30cm径のロストル状持ち手付き鉄鍋を製造、ミゾの付け方に試行錯誤したが、穴はなかった。月産は多いときで2000枚もあったという。現在でもサッポロビール園、宮の森ガーデンが採用している北海道型の鍋は、月寒の北洋鋳物が考案・意匠登録したが、同社倒産と登録切れ後に田中鋳造所で作った時期がある。松尾ジンギスカンも当初は滝川にあったヤマト鋳造に発注していたが、現在流通している鍋は、家庭用も含め、ほとんどが本州で生産されているという。


(2)
 五六年には札幌の北共化学(ベル食品の前身)が一般家庭向けに「成吉思汗のたれ」を発売した。当初の販売は振るわず、同社は三、四年後、なべの普及に取り組む。「一定量のタレを購入した精肉店になべを配り、それをお客さんに貸し出してもらうことで、消費を拡大していった」(門間芳克専務)という。

 (1)の記事には、年配の男性が椅子に座り、床に置いたカスベ型の鍋2枚を眺めている写真があり「三工鋳造の田中正治専務。田中鋳造所時代に製造していた″道産子鍋″と。」という説明がついています。
 私は田中さんが札幌市東区におられるので、一度お尋ねしたことがあります。そのとき工場としては注文された枚数を作ったら終わり、わさわざ残すことはしないそうで、かつて作った鍋は何枚もありませんでしたが、写真だけは撮らせてもらいました。それでサッポロビールの銘入り鍋はかつての田中さんが手がけた鍋の1枚であることがわかりました。いずれいろいろな鍋について話すときにそれらの写真を見せましょう。
 この記事2本ともう一つ、次のスライドが証拠です。これは昭和39年に札幌で発行されていたタウン誌「月刊さっぽろ」に掲載されていた広告です。「観光土産に鍋とたれの詰合せをどうぞ」とある通り、そのころベル食品ではたれ単独のほかに、鍋を付けたセットも売っていたのです。

      

 画面を変えます。はい、この広告の鍋は同じプレス鍋にしても、どうも縁が垂直に立っているよう見えます。レトロスペース・坂会館の鍋とは、少し違うようなので、どちらかが先に作られたのでしょう。今回15周年記念祭で展示するため、針金ブラシで錆を擦り、次のスライドで見られる通り、ぴかぴかにも磨き上げたところ、頂点にあった釣り鐘型のマークが出てきたのですよ。

    

 左の写真のように釣り鐘型の下の方に楕円形があるので、釣り鐘を斜め下から見上げたような感じですが、真ん丸はなにかわかりません。右は私が開発中の鍋拓によるベル印です。これは鋳物の鍋のマークで、さっき写ったモデルさんが苦心して写し取ったものです。裂け目に裏から当てた紙は肉眼では見えないのに、スキャナーで写すと、ばれるのですね。これはうまく取れた方で、ぼやけているところが、鍋拓の持ち味とでもいっておきましょうか。プレス鍋のはいまのマークとかなり違いうことがわかりますね。北共化学からベル食品と社名が変わったときにでも、いまのように、斜めの釣り鐘の中に水平にBELLと入れ、クラッパーのはっきり見えるマークに変えたと思と考えたのですが、そうではなく共用した時期があったのです。

           

 昭和27年は私が北大に入った年でね、そのころ札幌ではジンギスカンを食べさせる飲食店が何軒あったのかと北海タイムスのマイクロフィルムを見ていたら、ベル食品が1段だが、ベルラムネとベルシロップの細長い広告を出していた。資料その4(1)がそれで、真ん中で切って2つ重ねにしたが、上がラムネ、下がシロップの広告。私が注目したのは、ラムネとシロップと別々のマークを使っていたことです。
 よく見なさい。同(2)の右端のマークは鐘が垂直、同(3)の左端のマークは鐘が斜めでしょう。ベルはいまもシロップは作っているが、インターネットの「ベルヒストリー」にはありませんが、ラムネも売っていた時代があったのです。同(3)のように5月2日の朝刊に載った札幌8ラムネ業者による共同広告にベルは入ってますから、間違いありませんよ。
 後にシロップに使ったマークのハイクォリティーなどの文字を取り去って、すっきりさせて、社章に採用したとみられるのです。

資料その4
(1)
     


(2)                  (3)
   

(4)
        

 札幌市民、北海道民なら坂ビスケットといえば、たいていの人は知っている、食べたことがあるというでしょう。私なんか、町内会の災害避難訓練で、坂さんの乾パンも味見してますよ。せいぜい道内だけで知られているのかと思っていたらね、知る人ぞ知る。東京にいる私の友人の孫、小学生ですよ、その子が坂食品の割れビスケットを食べたいというから頼まれて買ってあげたことがあります。3種類あり、お徳用食品のお手本みたいな袋詰めだなんて褒めて、売れすぎるのは坂さんの望むところではないかも知れませんので、値段などは教えられませんが、これまた参考まで―ね。
 それから、レトロスペースと工場の場所の隣は、ジンギスカン党ならみんなが知っている成吉思汗たれのベル食品本社と工場なのです。いまいったホームページの「ベルヒストリー」にはラムネ同様載っていないけど、べル食品はたれと鍋の詰め合わせセットを売っていた時代があったのです。私は、上に示した坂コレクションの中のプレス鍋がその詰め合わせの鍋だとにらんでいたんだが、私の目は節穴ではなかった。うれしい証拠が見付かったんですよ。はい、次のスライドを見て下さい。



 はい、逆だって。いやいや、これが鍋の形の正しい見方なんです。これは戦後生まれの札幌新報という新聞で見付けたベル食品の鍋の広告です。札幌新報がいつからいつまで発行されたか、はっきりしないのですが、この鍋広告は昭和37年2月10日付82号2面と5月5日付98号1面にあったものです。
 見た瞬間、私は擂り鉢形の鍋だ、空前絶後の新型だと驚いた。でも、どうもおかしい。宣伝マンが鍋の上下を取り違えて版下、つまり原画を作ったせいとわかるまで、暫くかかりましたね。だから皆さんにはわかりやすく、初めから広告を逆さにして見せたのです。このスライドでは窪みを感じにくいが、ちょっと頭を傾けてご覧。
 札幌新報は週刊だったし、欠けた号の方が多いの何回掲載したかわかりませんが、ベルの広告担当は掲載紙を点検しなかったか、気が付かなかったかで、逆さ鍋のまま2回出したことだけは確かです。左隅に「■肉店でおもとめください」とあるから、金物店ではなく、精肉店にベルたれと一緒に卸して売ったとわかる。だから今風にいえばオープン価格だったかも知れん。
 マイクロフィルムの写真なので、黒くつぶれてますが、当時は瓶詰めと缶入りと2種類のたれがあったのですね。平成23年1月8日付北海道新聞の夕刊トップ記事は、この缶入りを「ベル缶」と呼び釧路など道東では、いまも愛されているロングセラー商品だと伝えていますが、いずれ市販のたれの講義で考察しましょう。ともあれ、この鍋は昭和37年春には「ベルの新製品」としてデビューしたことが明かになったのです。
 それから、ここまでベルの鍋しか示していないけれど、ソラチが販売促進のサービスに使った鍋もちゃんと残っています。二条市場にある精肉店に何枚か保存されていることは確認済みです。商売繁盛、御客が次々来るので写真も撮れずにいるのです。いずれ紹介できるでしょう。
  

参考文献
上記資料その1の出典は尽波満洲男作成、平成21年8月、同その2は山正鋳造編「説明書」、昭和*年*月、山正鋳造株式会社=原本、同その3(1)は「すすきのタウン情報」18巻3号83ページ、平成8年3月、情報発信あるた=原本、同(2)は平成11年11月3日付北海道新聞朝刊5面「20世紀」=マイクロフィルム、ベル食品作成「広告」は「月刊さっぽろ」53号60ページ、昭和39年6月、月刊さっぽろ=原本、 資料その4(1)と同(2)と同(3)は昭和27年5月12日付北海タイムス朝刊4面=マイクロフィルム、 同(4)は同年5月2日付同朝刊1面、同、

 レトロスペース・坂会館は平成21年で開館15周年を迎え、平成21年8月23日に15周年記念祭を催しました。そのとき催しの一部として坂コレクションのジンギスカン鍋8枚に加え、道央のジンギスカン鍋蒐集家有志の協力を得て、動態保存している鍋の実物55枚、写真で17枚を展示しました。うち大型の鍋12枚を使い、出席者たちがジンギスカン料理を食べてお祝いをしました。
 日本語では、鍋は1個2個という数え方が多く使われますが、この展示を手伝って鍋を運んだとき、重ねて持ったりすると、やはりジンギスカン鍋は1枚2枚だなあと実感しましたので、あえてここでは枚という数え方を使いました。
 内輪のお祭りにするという館長の意向で、新聞やテレビで報道されませんでしたが、ジンギスカン鍋をたくさん並べると、こういう壮観になるという記録写真を2枚、スライドで見せましょう。

 

 何だ、数えると40枚しか並んでないぞという人がいるかも知れませんが、このころもう特製コンロに大型の鍋12枚が掛けられていたし、某コレクターの鍋の一部は箱から出してみたら錆びていたので、針金ブラシで少し擦っていたりして、写っていない鍋がありました。

    

 会場はレトロスペース・坂会館の駐車場でしたが、すぐ隣がベルのたれのベル食品の本社と工場です。左手にその看板が見えています。ジンギスカンを腹一杯食べてからですが、出席者が注目しているのは紙芝居と称している鍋パネル。私の秘書兼御用人が鍋の形の変遷について私の考えを受け売りしているところです。研究仲間も参加して写真を沢山撮ったのですが、会場の雰囲気を伝えるのは、この2枚に留めました。
 1日限りの公開でしたが、ジンパ学研究者として絶対に見逃せない空前のイベント、いや本当ですよ。これだけさまざまな形の鍋を一挙に見るチャンスは、ちょっとないでしょう。それでね、レトロスペース・坂会館及び収集家諸氏の協力をお願いして、私は1週間の猶予を願い、公開後も主要鍋の測定と撮影をさせてもらいました。
 坂さんの鍋もすっかり磨いて並べられたので、見違えちゃいましたよ、はっはっは。まずは当日、パネルで見られた札幌市内在住の某氏提供の鍋コレクションの写真をスライドで見てもらいましょう。匿名を希望されたこの方は、名前を聞けば、大抵ええっと驚かれるぐらい有名な人なんですよ。送られてきた画像を秘書兼御用人がA5にプリントし、B3の台紙に張り付けたパネルに仕立てました。紙芝居の写真の左側で立っている2人の後ろにある細い脚立のようにみえる物干し器に下げてありました。
 鍋の呼び方と説明は、そのパネルに付いていた説明とほぼ同じです。所有者ご本人からのメールをもとにしているので、ここでは講義と同じように引用文とみなして青色の字にして私の話と区別しております。<>内が私のコメント。パネルではもっと簡単でしたが、これはジンパ学の講義なんですから、私の考えをできるだけ盛り込んでいます。

   

 <札幌市民なら大抵知っているテレビ父さんのユーモラスな顔を、鍋にしてしまった大胆さには、思わず笑ってしまいました。原画を縮めたため、よく見えませんが、鍋左側の影になっているところに50thとありますし、テレビ父さんの通販にもありませんから、札幌テレビ塔が生まれて50年の記念品として、塔関係者に配られたものでしょう。あの塔は私が北大生だったころ建ったはずだから50年にはなる。西3丁目あたりに高い柱を立てて、その上に仏壇みたいな扉付きの箱が乗っていて、その中に鎮座する白黒テレビの画面を見に、夜わざわざ出かけたなんて、信じられないでしょう。>

   

 造型的に面白い「ピラミッド」です。平面を組み合わせて立体化した無謀さが何とも言えません。発生の過程でドーム状の前段階……というわけでは全く無く、単なる製作者の天の邪鬼的性格の賜物でしょう。昭和30年代のものです。
<時代を感じさせる外箱が残っているはずなので、探しておられるそうです。鍋研究では、こうした外箱も製造年代や製造工場を知る重要な資料なのです。なんとかオークションで売るときのためにも、外箱はなるべく保存した方がよいと思うのですが、転勤族はそうもいかないよね。>

   

 松尾ジンギスカンの最新型IH対応鍋ですが、ジン鍋の進化の過程を示すもので保存すべきものと考えます。IH対応の場合は、どうしてもドーム<焼き面の盛り上がりを指す>の高さが制限されますが、どこで妥協するかがポイント、その点、この鍋は出来るだけドームであることにこだわったと言えます。
 センターの「松」の文字が、ここに来て初めて45度回転しているのが特徴ですが、松尾ジンギスカンの人に質問しましたが、その意図は不明です。ちょっとお洒落です。

<按ずるにですな、松印を曲げたのは、ひっくり返して底を見なくても、一目で従来の鍋と違うとわかるようにしたのであーる、なんちゃって。>

   

 <松尾ジンギスカンのIH対応鍋の底の写真です。私はまだ実物を見ていないので写真からの推察ですが、効率よく発熱させるよう底面をできるだけ厚くかつ平らにしながらも、焼き面の盛り上がりを保つよう工夫したと思われます。>

   

 <同じく松尾ジンギスカンの特製鍋です。私は松尾の調査をしていないので推察ですが、写真にある3枚のうちで、もっとも古いと思うのです。理由は頂点に「ニクヤク T2989」という字があり、汁溜めがついているからです。松尾は早くから商標の登録管理に意を用いておりますから、松印を登録する前で滝川市の電話番号が、まだ4桁だったころの鍋でしょう。>

   

 <同じく松尾ジンギスカンの特製鍋で、松印を入れるようになってから鍋ですね。やはり推察ですが「ニクヤク T2989」の次にできた鍋でしょう。頂点の造りは変わっても、汁溜めと焼き面の縦溝のパターンがそのまま残っています。>

   

 <同じく松尾ジンギスカンの特製鍋で、頂点の松印は同じですが、汁溜めの代わりに松尾の商標が付いており、縦溝が8本になっています。3つ輪の持ち手がちゃんと付いているし、商標のところは持ち手としても使えるにしても、飾りようなものなので私は耳と呼ぶことにします。
 私は松尾ジンギスカンの初期は、味付け肉だけではなく、付け汁を使うジンギスカンも出していたので、汁溜めが付いていたのではないかと考えます。味付け肉が普及して、汁溜めがいらなくなり、耳になったとみるのです。いずれ松尾さんに伺えば、松マークの45度回転とも合わせて私の見方の正否がわかるはずです。>

  

 真鍮製の鍋は謎です。ジンギスカン鍋よりは、プルコギ鍋に近いのかも知れません。ただ、参考までにお送りした、実際のプルコギ鍋(使い捨てジン鍋のように見えますが違います)と比較すると、プルコギ鍋は、頂上以外は穴があいておらず、突起なのに対して、真鍮製は穴が大量にあいていると言う特徴があります。

  

 <ということで、比較してもらうため展示されたプルコギ鍋の写真です。通販で売られているプルコギ鍋も、同じように頂点にしか穴が開いていません。私は韓国料理に詳しくないので、ご本人の定義に従いましょう。>

    

 <謎の真鍮鍋の焼き面のクローズアップです。火口のサイズや穴の方向が不揃いなのは、特注でこれ1枚のために作った木型のせいでしょう。>

   

 拡大して見ると、一つ一つ穴の大きさが違っていて、手作業の結果である事も推察されます。おそらく、好事家がオーダーしたものではないでしょうか?
<謎の真鍮鍋の底面です。確かにヤスリで穴を拡げたように見えます。3枚組の1枚です。>

   

 渦巻き雷紋は、上から見ると非常に美しい形状です。使用するのが惜しい鍋ですが、いざ使用すると縁が浅く使い難そうですね!
<というコメントからすると、ご本人は、まだこの鍋で焼いたことがないということでしょうか。それはさておき、雷紋の有無は識別のいい手がかりになりますから、今後鍋の仮称を付ける際に某氏にならって使いましょう。>

   

 ロストルの現代版は、厚さ9ミリの超厚鉄板で加工したものです。鋳物のような風情はありませんが、熱伝導や蓄熱力は抜群です。ジンギスカンを焼いても美味しいですが、ガツやミノといった歯ごたえ系の内臓に向いているような気がします。
 <この写真を見たとき、私は幻の糧友会の鍋かと思いましたね。講義録の目次の繪を見なさい。縁が無いから野菜は転げ落ちる。つまり、この鍋では野菜は食べなかった初期のジンギスカンのスタイルに戻らざるを得ない。55枚勢揃いしてもロストル型は出てこないという事実を直視してもらいたい。
 札幌市の大型ご回収有料化で石炭ストーブがレトロスペースにたくさん集まり、ロストルという単語が死語になりかけておるが、それより先にロストル型の鍋は消滅したのか。だから私は焦って探しておるのです。>

   

 <この竹と呼ばれる鍋は新しいもので、いま岩鋳という会社が竹27とか竹30として出しています。その小さめの鍋ですね。>

   

 溝無し平型はいま我が家で、最も使用頻度の高い鍋です。理由は@我が家では、松尾ジンギスカンのような漬け込みタイプを食べることが多いので、余計な脂を流すために溝が……とはあまり考えない(邪道ですみません)。A溝が無いだけに、鍋の掃除が非常に楽。B周囲が深く、ラーメンやうどんといった麺類を入れるのに適している(これも邪道かな?)。<楽しい我が家で食べるのですから、お好きなようにどうぞ。>
 「焼く」という調理はもちろんですが、「煮る」という調理も同時に、しかも上手に行なえるため、使い易いのです。これが、「竹」あたりですと麺を煮込む調理は、まず不可能だと思われます。
 ジンギスカン鍋は、「煮込む」機能が充実した、漬け込みジンギスカン(滝川タイプ?)向けのものと、「余分な油を流す」機能が充実した、月寒タイプ?に適した物の、二系統に分かれているとしたら面白いですね。
 松尾の鍋は、昔油溜まりがあったのに、現在では消滅してしまった理由が、そのあたりにあるのかも……な〜んて、勝手に考えています。

<卓見です。いきなり野菜を敷いた上に肉を乗せる焼き方の出現と最後に麺類を煮る食べ方とが相まって、縁の高い深型の鍋を作らせたと私は見ておるのですがね。鍋工場の方々はどう見て作ってこられたのか、ぜひ知りたいのですが、寡黙な会社が多くてね。例えばもっとも多く遭遇するジンギス印の製造会社は所在地すらわからず、講義録の公開を通じての呼びかけにも応じてくれないのです。将来の経営者の世代交代を待つしかないのかも知れません。>

   

 この溝無し煙突付きは「蒼き狼」<旭川の臼井鋳鉄工業製の鍋の商品名>の旧型というか、旭川バージョン<持ち手に浮き彫りで「旭川」という字が入っている新型>ではない方です。子供のころは、同じ煙突付きでも、煙突が中心ではなく端に付いているものを、我が家では使っていました。煙突を閉じる蓋もありましたが、鍋・蓋ともに行方知れずです。
<独楽みたいなこの煙突鍋は昭和30年代に売り出されたと聞いておりますが、それが端の方に煙突がある鍋だったのでしょうか。>

   

 <収集家某氏は、縦溝が花びら型で頂点が丸い突起になっているこの鍋を菊花紋と呼んでいます。確かに菊の紋に似ていますから、私もこの呼び方を使わせてもらいましょう。写真で数えると32弁のようです。>

   

 <昔の日本の武将が被った兜を連想してのことと思いますが、某氏は兜型と呼んでいます。菊花紋との違いは頂点の丸突起が広いことと、編み笠のみたいに見える浅くて間隔の狭い縦溝ですね。写真で見る限りでは、實に繊細で芸術作品みたいですね。>

   

 <持ち手の形がちょっと変わり型の同心円型です。同心円に放射状に溝を付けるタイプがいつごろから始まったものかなど、鍋の形の変遷はわからないことだらけなのです。古そうな鍋だが、いつごろから使っているかと尋ねても、子供のころからこれで食べていたとかね、製造なり販売なり年代の手がかりを得ることが、そもそも難しいのです。>

   

 <いま通販でよく出回っている縁の高さより頂点が低い深型の鍋です。鍋表面の仕上げがとてもきれいで、古い鍋を見馴れた私に言わせれば、とても同じ鋳物とは思えません。>

 以上で某氏収集の鍋の紹介を終わります。いずれ某氏のお許しを得てお屋敷の方へこれらの諸元測定に上がるつもりでおります。ところで、下のスライドの物体は何かわかるかな。ジン鍋で魚の干物を焼いてみせているわけではない。もちろん鯛焼きではない。特製の坂ビスケット?そりゃ考えすぎだ。ちょっと考えて下さい。

 

   はい、次のスライドで示しますが、答えは鍋を持ち上げるシャチホコ型ハンドルでした。鍋つかみといいたいのですが、鍋をつかむ厚手の手袋を指すことが多ので、ハンドルと呼ぶことにします。ハンドルの形が珍しいので写真を撮らせて欲しいと私がお願いしたことがきっかけで、記念祭に特に出陳されたのです。左胸びれのすぐ後ろに「サロン印」と刻まれていますが、右側、この写真の裏側ではうろこだけです。

      

 所有者は月寒種羊場に勤務されていた方で、奥さんの嫁入り道具の1つだったそうで、いい話でしょう。ですから結婚された年から発売時期がわかるのですが、そのほか、この鍋には立派な発売時期の証明があるのです。はい、スライドを変えます。これは昭和34年10月の読売新聞で見付けた広告です。鍋はわかりますが、何で持ち上げているのか見当が付きませんでした。同じ鍋はある人のコレクションで見て、焼き面が二つ重ねになったユニークな鍋とわかったのですが、ハンドルは行方不明でね。あるとき初めて実物に出会い、ぐにゃり曲がったものはこれだったのかと納得しました。
 室内で撮ったので、シャチホコが輝いたのか鍋が黄色がかって見えますが、実物の色は前のスライドの通り黒です。

   

   実際に鍋を持ち上げると、広告と同じようになり、50年たっても金色を保っているハンドルの形が見えなくなるので、あえて鍋の縁にかませるだけにしました。広告で読めるように鍋は3種あったのですが、写真の鍋は中型という家庭用とみられます。
 というのは、今回の記念祭で、もう一回り大きいサロン印の存在がわかったからです。それは鍋だけだったので、このハンドルを試してみたら、鍋縁が僅かに厚いのですが、そのまま立派に使えたのです。ですからその大型の鍋にも、買ったとき同じようなシャチホコ型ハンドルが付いていたと推察されたのです。
 いまさっき焼き面の脂落としの隙間は火口と呼ぶと決めましたが、この鍋の焼き面の上側の火口は脂を落とすけれども、それが火に入らないので火口とは呼びにくい。だから、この鍋に限り、隙間と呼びますが、上側と下側の焼き面の隙間が重ならず、きっちり塞ぎ合うようずらしてあるのです。
 脂が上側の隙間から落ちても、樋状に成型された下側の隙間の間で受け止めて周環に流し出す。上側を外して二枚の間を掃除できますが、頂点の突起と周環の突起で所定の位置にきちんとはまり、回転はしません。このため脂は火の上に落ちないし、また下側の隙間を通して上側の焼き面裏側に炭火からの熱が直接当たる巧妙な設計になっています。
 また、下側の底面はくぼみで2つの輪を形作っており、外輪に「サロン印成吉思汗なべ」、内輪に「PAT.P32・10180」、「PAT.P32・41543」、「PAT.P32・25805」、「PAT.P32・13533」、「PAT.P32・13532」と登録番号が入っています。脂落としの仕組みが実用新案として認められたようですが、まだ特許の方まで調べておりません。はい、次のスライド。
  

参考文献
上記スライドは昭和34年10月9日付読売新聞朝刊9面、サロン印広告=マイクロフィルム

      

   洋風の鍋みたいなこの二重鍋は結構売れたようで、料理の本にも顔を出しています。昭和42年に出た「主婦と生活カラークッキング」の第1巻「肉料理」の調理器具のページにハンドル付きで載っていることを示しました。下に吉沢久子氏による解説記事があります。中華鍋とフライパンでだいたいできるけれど「しかし、ゆとりがあれば、油きりをかねたバスケット付きの専用揚げ鍋や、フォンデュー鍋と呼ばれるクシ揚げ鍋、すきやき、ジンギスカン焼き、鉄板焼きの器具、直火焼きにはバーベキューセットと小型の金グシを。」と書いてあります。
 二重鍋に20という番号が付いていますが、これは使い方を説明するためで「ジンギスカン鍋 羊肉や野菜を油を塗った笠の上で焼いて食べる。」とあります。確かに二重鍋の場合は、上の焼き面が外れるので、笠と言えなくもありません。末尾に「協力 銀座松屋」とあるから、松屋では、そう呼んで売っていたのかも知れません。
 それから「若い人の料理」という本に、遠藤きよ子氏による「ジンギスカン」の作り方が載っています。その説明写真の上隅にこの鍋が少し写っています。下側鍋の回転止めの突起の付近だけ、いま見せたハンドルのシャチホコが噛みついた位置の斜め左下に見える小さな出べそのあたりだけですから、焼き面端の急な立ち上がり角度と合わせて、写真の鍋はサロン印とわかる人はほとんどいないでしょう。ふっふっふ。
 この2冊は「日本で唯一の女性雑誌専門図書館」である石川文化事業財団のお茶の水図書館に行き、司書の方の手もお借りして探し出しました。同時に「主婦の友」もたくさん見ましたが、鍋の研究には、こうした料理の本調べが欠かせないことを覚えておいて下さい。
  

参考文献
上記スライドは主婦と生活社編「「主婦と生活カラークッキング1巻 肉料理」144ページ、昭和42年10月、主婦と生活社=原本、集文社編「家庭の料理6巻 若い人の料理」85ページ、昭和44年2月、集文社=原本


 このページに対する意見、わが郷土史料館の鍋情報を知らせたい、マイコレクションを取り上げて欲しい、改良JIS尺を作ったなど、私に知らせたいことがあったら、目次下のアドレスにメールを送って下さい。いい意見、無視できない情報は私の判断でこのページで公開しまします。ただし件名は私の望む通りに書かないとgmailがスパム扱いしますからね。いいですね。
 それから「ジンギス印鍋」の生産者へ特にお願いがあります。これまで調べた鍋で最も多かったのはジンギス印です。現在も通販のホームページにあり、生産を続けていると思います。鍋の歴史を知るためにジンギス印関係者の方の連絡をお待ちします。

                                尽波研究室

 (文献によるジンギスカン関係の史実考証という研究の性質上、著作権侵害にならないよう引用などの明示を心掛けて全ページを制作しておりますが、お気づきの点がありましたら jinpagaku@gmail.com 尽波満洲男へご一報下さるようお願いします)



 この写真の鍋はレトロスペース・坂会館の所蔵品ではありません。北星学園短大教授溝口雅明氏の初期コレクションの一部です。溝口氏は鍋を85枚迄ふやして仮オープンし、さらに鍋を集めて平成28年11月、岩見沢市万字地区にジンギスカン鍋博物館(正式館名はジン鍋アートミュージアム)を正式に開きました。その後、館長収集の鍋のほか有志からの寄贈があり、平成29年9月現在は214枚に達しています。
 溝口館長は現役の教授であり、平日は研究と授業があるので、土日限定、入館無料で開いており、フェイスブックで博物館の開館日を知らせています。雪が降ると博物館へは車で行きにくくなるので冬季は休館など、それやこれやで溝口館長はB級博物館と称しています。その様子などは、目次ではこの「札幌・レトロスペース坂の鍋コレクション紹介など」のすぐ下にある「世界唯一のジンギスカン鍋博物館、ここにあり」で紹介しているので、そちらか、下の「次のページ」をクリックして読んで下さい。