招福除災
祭祀と呪い
【厭魅(えんみ)】 ・ 【託宣(たくせん)】 ・ 【神託(しんたく)】
科学が未発達の時代に、人間界・自然界に起きる現象は『神の仕業』と考えていた。
殊に災異変異現象は、神の怒りの表象とされ、怒りを鎮撫し平安を取り戻すため各時代にさまざまな祭祀・呪いが行われた。
「日本書記」が伝えるように、仏教の受容をめぐって、蘇我氏と物部氏とが対立しやがて武力闘争となり決着をみたように、日本古来の神を祀り祭政一致を願う物部氏に対し、大陸文化の進んだ制度文化を取り入れる仏教そして道教思想容認派は、予想以上の抵抗があった。仏教受け入れは個人・氏族の”招福除災”を叶えるために受容されたものであって、受容の最大の理由は優れた呪術性に基づくものであった。その後、律令国家(延喜式内)成立期にどのように国家、あるいは民間に受け入れられどんな祭具を使ったか興味深い。
特に陰陽寮の存在を注視したい。
平安時代描写絵巻
安倍清明が右に二匹の式神を従え祈祷/”色紙絵馬”3枚がみえる
呪符木簡 のろい木製人形代 木製人形代
延喜式内の律と令。刑罪を規定する『律』(盗賊律)には厭魅には注して「人形を作り、人身の刻み心臓に釘を刺し、眼に釘を打ち、手を繋足を縛り、その人を疾苦さんとする」ことをそのひとつにあげている。日本の『律』を唐律は全面的に倣っており、学者の間ではその実効性に疑いがもたれているが、こと厭魅に関しては『続日本紀』にもしばしば現われ、上記の呪い人形の発見で実効性が証明されるのである。ちなみに厭魅は八虐の一つとされ、犯せば徒刑(懲役刑)に処せられる。
8世紀末から9世紀の日本の政情不安の状況下、政治的策略によって非業の死を遂げた人のえん罪が崇りをなし疫病などの災異をもたらすという御霊観念が生まれた。新たな災異変異にあたって御霊の鎮魂鎮祭は専ら道教思想だけでなく神祇・仏教の預かる所ととなる。
- < 厭魅(えんみ) >
『念を込めた人形(ひとがた)には魂が宿る』と言った思想が生まれ、『相手に見立てた人形を作れば、念が相手に届く』といった風に変化し、ついに人形を憎い相手に見立て、念を送って呪う』という、厭魅の方式が確立した。
- < 託宣(たくせん) >
神仏が人にのりうつったり夢の中に現れたりして、その意志を告げること。また、そのお告げ。
- < 神託(しんたく) >
神が自分の判断や意志を巫女(みこ)・予言者などの仲介者、あるいは夢・占いなどによって知らせること。神のお告げ。
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