旧石器時代は人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6000年前と考えられている。 無土器時代、先土器時代ともいう。 2009年、出雲市の砂原遺跡で12万年前から7万年前のものと見られる石器が出土した。現在の調査では 石器に残された明確な加工痕等により、人が住んでいたことを証明する日本最古の遺跡ではないかと報じられている。
群馬県みどり市 岩宿博物館(3万 年前) 狩猟対象のナウマン象 |
村落を統合する首長があらわれ、みずから王と称して遠く落陽まで使いをだす。中国の史書に「倭奴国」「倭国王」 などとみえる。そして「邪馬台国」が成立する。弥生時代の紀元前300年から紀元後300年の600年の間に、国家の形成は歴史の第一歩を踏み出す日本史上きわめて重要な時代である。 「後漢書」東夷伝に後漢の光武帝が中元2年(57)に委(やまと)の"奴の国"に印綬を下賜したとある。奴は日本の小国家の一つで、福岡県那珂川流域に推定されている。 1 2 3
【魏志倭人伝:古語訳10】 男女の風俗 その風俗は淫らならず。 男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稲・紵麻を種え、蚕桑緝績し、細紵・ケンメンを出だす。 その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。 有無する所、タン耳・朱崖と同じ。 女王卑弥呼が生きた時代の弥生人の装身具。 弥生後期(AD200~300年)の住居と穀物倉庫 権力の象徴(鏡・勾玉・剣)として大和王権へ!! 弥生後期の渦巻き文様の木製の甲と盾 弥生中期 古墳時代 飯塚市の立岩遺跡(左)から発見された弥生中期の男性首長は、前漢鏡6面、南海産のゴホウラ貝の腕輪、鉄剣、鉄矛に付着していた布が絹であることが調査でわかっている。 日常の労働に携わる服装ではなく、宗教的権威と軍事力を背景に集団を統率する立岩の首長であったと推定される。 |
4世紀、5世紀は「謎の世紀」と言われてきた。 古代史の研究に、記録・文書・木簡・金石文、また瓦や磚(せん)・土器・ 布帛(ふはく)に記された文字が重要な資料になる。ところが、4世紀の日本の国土で文字を物語るあかしはいまだみつかっ ていない。弥生中期に「57年 委の奴国、後漢に朝貢し」とあるが、文字が伝わったことと、文字が使われたことと同 一視してはならない。一番古い文字使用例は、和歌山県の隅田八幡宮蔵の人物画像鏡銘文に48文字が鋳出されている。 「癸未年(きび・みずのとひつじ)」とあり 443年か503年説で学会の定説にはなっていない。文字文化の未成 熟が、4・5世紀を謎につつまれた世紀とする、一つの大きな理由とされている。 刻書土器 墨書土器 金石文 【古墳中期の最古の金石文】 翻刻 癸未年八月日十 大王年男弟王在 意柴沙加 宮時 斯麻念長寿 遣開中費直 穢人今州利二人等 取白上同二百旱作此竟
古墳時代の髪型 弥生時代の髪型
古墳時代の遺物から、大和王権を検証する。 古墳前期(300~400年) 古墳中期(400~500年) 古墳前期(300~400年) 古墳後期(500~600年) 前方後円墳:全長242m |
推古朝に飛鳥文化、天武・持統朝に白鳳文化が花開く |
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