旧石器時代  人が住んでいたの?~古代人

 旧石器時代は人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6000年前と考えられている。 無土器時代、先土器時代ともいう。
2009年、出雲市の砂原遺跡で12万年前から7万年前のものと見られる石器が出土した。現在の調査では 石器に残された明確な加工痕等により、人が住んでいたことを証明する日本最古の遺跡ではないかと報じられている。

  1. 旧石器時代  前期 前250万年~前12万年
  2. 旧石器時代  中期 前 30万年~前 3万年 日本人の痕跡
  3. 旧石器時代  後期 前  3万年~前 1万年
岩宿1石器(約3万年前):明治大学博物館蔵 ナウマン象 体長3.6m:北海道忠類村出土
群馬県みどり市 岩宿博物館(3万 年前)  狩猟対象のナウマン象



 縄文時代  縄文人の群像~委人・倭国 

 縄文人のシャーマン(下2)は、門歯4本をフーク状に削り、左右犬歯他を抜歯。
耳に呪術性の強い猿の撓骨製耳飾り、足には猪牙製の足環を付け、身を飾ることで集団や個人を脅かし、 時には破滅に導く霊に対する備えをしている。
 又、他の遺跡から発見されたシャーマン(下1)は、鮫の歯の耳飾り、ヒスイの垂れ飾りを付け、首には呪術 的な鹿の角を下げ、両手には貝製腕輪をはめ呪術性の強い装身具を身につけている。
 石棒(下4)を野外に据える例は、集落の中央での祖霊崇拝の祭祀という説は、 形状から男性祭式を想定し、女性祭式の土偶祭式(下3)と対照的に考えられている。 そして安産・多産、そして大地の農穣を祈る祭祀用具と比定すれば、縄文人シャーマンの持つ意味も理解できる。

1、芦屋山鹿貝塚出土のシャーマンの装身具:縄文後期 2、愛知県伊川津貝塚出土のシャーマン:縄文後期 3、市原市国分寺台遺跡の壊された土偶:縄文後・晩期 4、石棒 祖霊崇拝の祭祀:縄文中期後葉
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  1. 草創期  前10000年~前7000年
  2. 早 期  前 7000年~前5000年
  3. 前 期  前 5000年~前3000年
  4. 中 期  前 3000年~前2000年
  5. 後 期  前 2000年~前1000年
  6. 晩 期  前 1000年~前 300年

弥生人群像 日本の美術370抜粋

縄文前期の縄文人イメージ 1、みみずく土偶の装飾(前頭部に挿す櫛:埼玉滝馬室遺跡と群馬千網谷戸遺跡) 2、土偶から復元した結髪と櫛:週間朝日百科日本の歴史 縄文後期半の縄文人イメージ
縄文人の髪型と櫛。耳に穴をあけた耳飾り。

1、縄文人の服装 2、編布・縄・つる・網・籠・つる製釣り手:縄文晩期

1、磨石斧と柄:縄文前期 2、火炎状把手付鉢形土器:縄文中期 3、X字形把手付鉢形土器:縄文中期 4、木製櫛:縄文前期
縄文期に出土した遺物から祭祀を検証する。



 弥生時代  弥生人の群像~邪馬台国

 村落を統合する首長があらわれ、みずから王と称して遠く落陽まで使いをだす。中国の史書に「倭奴国」「倭国王」 などとみえる。そして「邪馬台国」が成立する。弥生時代の紀元前300年から紀元後300年の600年の間に、国家の形成は歴史の第一歩を踏み出す日本史上きわめて重要な時代である。
「後漢書」東夷伝に後漢の光武帝が中元2年(57)に委(やまと)の"奴の国"に印綬を下賜したとある。奴は日本の小国家の一つで、福岡県那珂川流域に推定されている。

1、素文壷形土器(弥生式最古
 福岡板付遺跡):弥生前期 2、漢委奴国王(漢の光武帝より印綬):弥生前期 3、横帯文銅鐸 総高19.8㎝
(鳥取米子):弥生中期
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  1. 弥生前期 前300年~前 50年 弥生土器
  2. 弥生中期 前 50年~後200年 委奴国王
  3. 弥生後期 後200年~後300年 邪馬台国
弥生人群像 日本の美術370抜粋

魏志倭人伝:古語訳10】 男女の風俗
その風俗は淫らならず。
男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。
禾稲・紵麻を種え、蚕桑緝績し、細紵・ケンメンを出だす。
その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。
兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。 有無する所、タン耳・朱崖と同じ。

上記番号①、古鏡 上記番号②、勾玉 上記番号②、首飾り 上記番号③、腕輪 上記番号④、頭飾り 上記番号⑤、青銅製の矛と短剣 上記番号⑥、木製短甲
女王卑弥呼が生きた時代の弥生人の装身具。

1、登呂遺跡 2、登呂遺跡
弥生後期(AD200~300年)の住居と穀物倉庫


1、古鏡 2、勾玉 3、青銅製の矛と短剣
権力の象徴(鏡・勾玉・剣)として大和王権へ!!

1、復元された木製の甲 2、木製の甲(静岡伊場遺跡出土):弥生後期 3、木製の甲(静岡伊場遺跡出土):弥生後期 4、復元模型隼人の盾(渦巻きの鉤形文様):弥生後期・古墳時代
弥生後期の渦巻き文様の木製の甲と盾

1、男性首長:弥生中期(飯塚立岩遺跡) 2、女性首長:古墳時代(熊本向野田古墳)
弥生中期                   古墳時代

 飯塚市の立岩遺跡(左)から発見された弥生中期の男性首長は、前漢鏡6面、南海産のゴホウラ貝の腕輪、鉄剣、鉄矛に付着していた布が絹であることが調査でわかっている。
日常の労働に携わる服装ではなく、宗教的権威と軍事力を背景に集団を統率する立岩の首長であったと推定される。


 古墳時代  古墳人の群像~大和王権

 4世紀、5世紀は「謎の世紀」と言われてきた。
古代史の研究に、記録・文書・木簡・金石文、また瓦や磚(せん)・土器・ 布帛(ふはく)に記された文字が重要な資料になる。ところが、4世紀の日本の国土で文字を物語るあかしはいまだみつかっ ていない。弥生中期に「57年 委の奴国、後漢に朝貢し」とあるが、文字が伝わったことと、文字が使われたことと同 一視してはならない。一番古い文字使用例は、和歌山県の隅田八幡宮蔵の人物画像鏡銘文に48文字が鋳出されている。 「癸未年(きび・みずのとひつじ)」とあり 443年か503年説で学会の定説にはなっていない。文字文化の未成 熟が、4・5世紀を謎につつまれた世紀とする、一つの大きな理由とされている。

1、弥生中期:刻書最古「奉」の文字 2、弥生後期(邪馬台国):墨書最古「田」の文字 3、古墳中期:金石文最古「48字に長寿を念じて造る」
刻書土器        墨書土器        金石文

【古墳中期の最古の金石文】 翻刻
 癸未年八月日十 大王年男弟王在 意柴沙加 宮時 斯麻念長寿 遣開中費直
 穢人今州利二人等 取白上同二百旱作此竟

  1. (読み下し)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月十日、大王と男弟王が意柴沙加(おしさか)
      の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の
      二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。

1、古墳時代の髪型 2、弥生時代の髪型
古墳時代の髪型          弥生時代の髪型

  1. 古墳時代 前期300年~400年
  2. 古墳時代 中期400年~500年
  3. 古墳時代 後期500年~592年

古墳人群像 日本の美術371抜粋

1、頭飾り:(福井県出土) 2、金製垂飾付耳飾り:(佐賀県出土) 3、貝製の腕輪:(大阪府出土) 4、金銅製眉庇付兜:(千葉県出土) 古墳中期 5、日本の天皇の七支刀:(奈良石上神社蔵) 古墳前期 6、王権を指揮する玉杖:(三重県出土)
古墳時代の遺物から、大和王権を検証する。

1、群馬県茶臼山に出土した古墳埴輪家:古墳前期(AD.4C~5C) 日本建築史序説より 2、埴輪子持家:古墳中期 原色日本の美術より
古墳前期(300~400年)         古墳中期(400~500年)

1、女性首長(碧玉腕飾・鏡):(熊本向野田古墳) 2、女性首長(ガラス玉装):(奈良県藤ノ木古墳)
古墳前期(300~400年)         古墳後期(500~600年)


前方後円墳:全長242m



 飛鳥時代  飛鳥京~平安遷都  日本国(倭国から日本へ国号を変える)

  1. 飛鳥時代  592年(推古)~710年(持統) 
弥生人群像 日本の美術370抜粋
推古朝に飛鳥文化、天武・持統朝に白鳳文化が花開く




【草岡神社奉賛会】
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