四国一人旅 2002年11月24日(日)

徳島市〜名東軒〜日和佐〜ウミガメカレッタ〜室戸岬



☆2002年11月24日

 東急イン前から眉山を

東急インの朝は、携帯の呼び出し音で始まった。
Zさんからの電話で、7時45分前くらいだっただろうか?
やはり、船旅や四国初日の興奮からか、 あまり睡眠がとれず、寝坊してしまった。

今日も午前中、ありがたくもZさんは徳島を案内してくれる。
8時ホテル前待ち合わせを30分遅らせてもらい、
Zさんの声で疲れも吹っ飛ばし、すぐに身支度をして、8時半前には、チェックアウト。

その時フロントマンから、
「台風が来ているようだから・・・気をつけて旅を下さいね」と言われる。
「え?今どき台風??」と思いながらも、ホテルの前へ。

しばらくすると、もう昔からの知り合いのように気さくな笑顔でZさんが現れる。



 徳島・吉野川

青空の中、Zさんと吉野川へ向かう。
綺麗な大きな川だ。
Zさんと知り合わなかったら、
吉野川をよく見ずに、よく知らずに、 四国を後にしたことだろう。

四国は高知にある「四万十川」が、最後の清流として有名である。
しかし、この吉野川も素晴らしい川だった。

そして四国にとってとても大事な川。
徳島県以外の水源としても、欠かせないのだ。  


 吉野川第十堰

四国三郎と呼ばれる吉野川、
昔は、暴れん坊のように氾濫することで有名だったという。
これがその川の氾濫を抑えるために、
江戸時代の1753年に作られたのが第十堰である。
補修が重ねられた歴史のある、生活には欠かせない堰。

長さ381m、幅21mという巨大な堰。
実際そこに行ってみると、
人工的な中にも、自然の暖かみを感じてしまう不思議さがある。

昨今ここに可動堰を作ろうという動きがあるのは、
かなり有名になっているが、何百年もかかって工夫されたこの堰に、
はたして可動堰が必要なのか?私も疑問に思った。



 吉野川河口

吉野川も河口に来ると、そこは海である。
もう11月も下旬、しかしサーファーにとっては、波が命!?
ボードを抱えるサーファー。なかなか絵になる。

すぐ近くでは、釣りもしている人がいて、
吉野川自体が、
いかに徳島の人に取って身近な存在かがよく分かる。
 



 眉山からの徳島市

眉山へは、阿波踊り会館からロープーウェイで行けるようになっている。
Zさんとは、そのロープーウェイを使わず車で登っていくことになった。
そののどかな山道を、散歩コースとしている人達がいる。
ところによってはかなり急な山道、良い運動にもなるようだ。
ところどころに紅葉も色づき、綺麗な道である。

実際山頂に来てみると、
そこからは徳島市を360度一望できる。
眉山、忘れられない山となった。




 名東軒(みょうどうけん)

時間はもうお昼。
お昼はやはり徳島ラーメン、「支那そば」のお店である。
名東軒もZさんのお勧めのお店で、12前にはそこに着いたが、
お客さんもどんどん増えてくる。

ここでは、Zさんお勧めで「肉大の卵入り」をたのむ。
肉はまた、チャーシューかと思いきや、ここの肉は肉である。
スープは同じく豚骨しょうゆ味で、
さらにこってりした見た目であったが、食べてみるとしつこくなく、
卵となじんで美味い。
麺も美味い。
もちろんここでもスープを全部飲み干した。



その後、徳島東急インに戻る。Zさんとは、ここで別れることになる。
まだ旅は始まったばかりなのに、この別れは辛い。
必ずや未来の再会を約束し固い握手をし、別れた。
Zさんはメールの印象通りの、いやそれ以上のナイスガイだった。
(ナイスガイとは石原裕次郎のニックネームということをここに追記する)

 徳島市から、日和佐へ

Z氏と別れ、これから完全なる一人旅となる。
55号線を使い、室戸岬まで。

空は曇ってきた。フロントでいわれた台風の影響だろうか?
とにかく今日の宿泊地である室戸岬まで雨は降らないで欲しい。

ちなみに徳島市内は、かなり開けていた。
主要道路にはコンビニやファミレスはおろか、ファーストフードのお店やブックオフ等もある。 中でも「ハードオフ」というPC関連のセコハンのお店には驚いた。
これは早く関東でも登場して欲しい、店だと思った。

その開け方は15年の年月を痛感され、少々寂しい気もした。
四国全体がこうなっているのか?
その寂しい疑問は、けっしてそうではないとすぐ解消される。

徳島が都会だっただけなのである。





 日和佐大浦海岸

1時間ほど走り、日和佐へ。
案内板は、分かりやすくすんなり大浦海岸へたどり着けた。
以前ここに来た時には迷い、近くを歩く中学生に道を尋ねたものである。
そんなことを思い出しながら、海岸近くに車を止める。

空は曇っていたが、大浦海岸の海の色はとても綺麗だった。  
毎年夏になると、ウミガメがここに産卵にやってくる。
その気持ちが分かるような気がする。

しかし、そのウミガメの上陸は年々減っているのだという。
いつまでも、ここにウミガメが来て欲しいと思った。




 うみがめ博物館カレッタ

カレッタとは、赤海亀の学名だという。
日和佐には、修学旅行、一回目の一人旅でやってきたが、
その時には、まだこの「うみがめ博物館カレッタ」はなかった。

その後ガイドブックでその施設が登場するようになって、
是非行きたいと思っていたところだった。

ここに来てみると、中では車椅子を貸してくれるという。
ならば借りて中を見ようと思い、お願いする。

この写真のアカウミガメは、大きく写っているが、
まだ生後2〜3年の水槽に入っていた。
しかしその存在感は、もう大きなウミガメと変わらない。
陸ではのろのろ歩くウミガメが、大海原では優々と泳ぐ。
私は、そういうウミガメが大好きだ。



 国民宿舎うみがめ荘

上にも書いたが、ここには立ち寄る形で、20年以上前に2回来ている。
建物は、その時のままだった。
(1978年一人旅参照)

今回も1階の、土産物が併設する所に入ってみたが、
清潔な国民宿舎だった。

マシュマロにアンズジャムの「ウミガメの卵」という
お菓子は相変わらず売っていた。
買わなかったが嬉しかった。  


 南阿波サンライン

ラジオの情報では台風はそれたとのことであったが、
影響はまだあり、ここの海岸線はかなり荒れ、
こんな感じの写真が撮れた。
室戸岬までは、こんな海岸線が続く。

途中、海部町にある、ふれあいの宿遊遊NASAという
変わった宿泊施設などを見ながら、
室戸岬へと向かう。


 室戸岬

4時半過ぎには幾分波の荒れは収まり、 5時には室戸岬に到着。
早速、「ホテルニューむろと」チェックインする。
ここは1泊2食付きのいわゆるお宿で、 安心して休むことが出来る。

ここ室戸周辺では、携帯のアンテナがなかなか立たなかったが、
四国に来て初めての、カツオのタタキも交えた夕食をいただき、 海洋深層水のお風呂に入った後、
フロントの方に、昔ここに泊まったことを話し、 そのことで話が弾み、瞬く間に楽しい時間が過ぎて時計は10時を回っていった。

フロントの方に楽しい話のお礼を言い、部屋に戻る、
窓の外は雨になっている。 明日は大丈夫だろうか?と思いながら、また荒れてきた室戸の波を聞きながら眠りに入った。




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