わが横浜ベイスターズ


横浜ベイスターズに対する思い

 私は20年近く横浜大洋ホェールズ並びに横浜ベイスターズを応援してきている。
このページは、横浜ベイスターズに対する熱き思いから作った。
(HPアップの時からこのコーナーは存在している。)

昭和35年(1960年)ただ一度のリーグ優勝。日本シリーズ4連勝での日本一。
(4勝0敗でまだ日本シリーズで負けたことがない)
三原魔術と恐れられた、当時の大洋ホェールズを、私は知らない。

 私が、横浜ベイスターズのファンとなったのは、それから17年後の、横浜球場に本拠地を移した横浜大洋ホェールズからである。
 その後、優勝という言葉は、私たち横浜ファンにとって、開幕直後しか許されなかった(^^;)。
 猛烈な開幕ダッシュをしても、マスコミや、他のチームのファンからは、「春の珍事」と冷やかされ、実際5月を過ぎる頃から息切れをしてしまい、順位を下げ、オールスターを終わる頃には、いかに上位チームを食うか、それだけが、横浜大洋ホェールズ及び横浜ベイスターズというチームの存在価値であった。

 しかし、横浜ベイスターズには、私を惹きつけて離さない、とてつもない魅力がある!!

なぜそこまで横浜ベイスターズに引きつけられたか?

 マリンブルーの横浜球場を本拠地とした、横浜大洋ホェールズはとにかくスピード感あふれる試合をしていた。以前の川崎球場という狭い球場から、グランドも広くフェンスも高い人工芝の横浜球場に移ったのだから当然のことであろう。
美しい球場、一新したデザインの良いユニホーム!、そんな中で、走り回る横浜大洋の選手、当時巨人一辺倒だった野球界の中で、そのテンポの良さに新鮮なものを感じ、次第と魅了されていった。

  今はもう引退してしまった、屋鋪、高木、加藤の、ガンガン盗塁していく近藤貞雄監督命名のスポーツカートリオ(のちにスーパーカートリオとも言われた)の存在は、走る野球を定着させたものといえよう。
この頃には、完璧な横浜大洋ファンとなってしまった。
 マリンブルーのユニホームに身を包み、Wの帽子をかぶって横浜球場を走り回る横浜大洋の魅力は、たとえ成績不振で監督が替わろうと、選手の移り変わりがあろうと、なおかつ球団名が「横浜ベイスターズ」と一新しようと、普遍することなく、どんどん応援したくなっていったのである。
毎年のように1つ数を足しながら、何十何年ぶりの優勝と言う大きな目標を掲げて!!

横浜ベイスターズのファン

 ものの道理であると思うが、応援する野球チームは強くあって欲しい。優勝が最終目的であるなら、やはり優勝できるチームであって欲しい。
 ファンにとって、最終目標に向かって突き進むチームや選手達を見ることほど、喜びに思えることはないと思う。
プロ野球セパ12球団の中で、たった一度の優勝と、その後これほど優勝に遠ざかっているチームに、はたしてどれ程多くの、またどれくらいのファンがいるのだろうか?。
「優勝よりも、良い試合を望むファン」「けっして優勝を期待しないファン」と、はにかみながら、ついつい立て前でそういう事が言えても、最初から本音でそれを言うファンは少ないであろう。やはりファンとしては、優勝を夢見るものである。しかし、夢物語として終わるシーズンがあまりにも多すぎて、今まで辛い思いをしたファンも数多くいたのも確かだと思う。また、ファン廃業をした人達もいると思う。

 その中で、永年ファンを貫いてきた人達の、優勝の二文字を夢見ながら応援するロマンはベイスターズファンならではの格別のものであると思う。
 いや、今やそのロマンの実現たる横浜ベイスターズ優勝は目前と迫っているのである。

全国に散らばる横浜ベイスターズのファンの皆さん!今こそ、本音で声高らかに、「優勝」と言う二文字を開幕から日本シリーズまで叫び続けようではないか!!

さらに、これからベイスターズファンになろうと思っていらっしゃる皆さん!今年のベイスターズは、間違いなく応援のし甲斐があります。素晴らしい感動を味わえます。

さあ、みんなで手を取り合って、ベイスターズを応援しようではありませんか!!

 
前へ(ベイスターズの扉)  次へ(98年!今年こそ優勝だ!)

 

頑張れ!ベイスターズの扉に戻る

メインページにもどる