菜月のいない1日


早いもので、菜月が生まれてもうすぐ2年になろうかという今日この頃。
友達から1通の手紙が来た。
結婚式の招待状。
1月20日、東京での披露宴。

どうしようか、しばし考えた。
朝早くでて、夕方の飛行機で帰ってくれば日帰りで行ける。
1泊となるとあきらめもつくが、日帰りならば...
そう、問題は、丸1日、なっちゃんが家でよい子でお留守番していられるだろうか、ということにつきるのだ。
なんせ、この1年と10ヶ月の間、医者に行ったり、買い出しに行ったりで、数時間あずけて出かけることはあっても、半日以上、菜月と離れていたことは、ただの1度もないのだ。
考えてみれば。

が、
「たまにはいいんじゃないの?オレが見といてあげるよ。」
ほれぼれするようなとーしゃんのこの一言に後押しされ、私は友達と広島空港から飛行機に乗ったのだった。


飛行機に乗るのなんて、ほんと久しぶりのことだった。
なんせ、飛行機で東京へ、どころの話ではない。
電車で広島市街に出るのだって、けっこうたいへんなのだ。
お茶やらお菓子、おムツを詰め込んだリュックを背負い、ベビーカーに乗せて駅まで行く。
そして、ベビーカーをたたんでかつぎ、菜月の手をひいて電車に乗る。
電車の中では、飽きないように、人の邪魔にならないように気をくばり、電車から降りると、寒くないか、危なくないかと気をくばる。
帰る頃になると、疲れてきた菜月の
「抱っこ、抱っこ」
こうなると、片手にベビーカー、片手に菜月。
その上、買い物して荷物なんかが増えていた日には...(^^;;;
それが今や当たり前となってしまった今日この頃。
飛行機で東京へ、それどころの話ではない。


だから、飛行機に乗る、しかも1人で、なんて、実に実にほんとうにひさしぶりのことであり...
飛行機で、ゆっくりコーヒーを飲みながら雑誌に目を通す。
誰にも邪魔されない私の時間。
こんな何気ないことにも
「なんて優雅な時間なんだ...」
と感動したりする。

地下鉄で切符を買い、1人で改札をぬけ、1人で電車に乗る身軽さ。
電車の時間を気にしながら、階段を一歩一歩登っては座り込む菜月をせっついて歩かせる苦労もなく、電車の乗り降りのたびに、菜月の足下に注意することもなく、ただ自分のことだけに注意を払っていればいいという気軽さ。
そして、何よりも、1人でいるということの、なんなんだ、この体の軽さは...

でも、そんなことは、たったの2年前までは、自分も普通にやっていたことなのだ。
ところが、仕事をやめ、菜月を出産してからは、菜月とマンツーマンの生活。
たったの2年前のことなのに、それはもう別世界の話のようであり、ひさしぶりに会った友達から聞く仕事の話 は新鮮で、
「自分も会社勤めしてた時、こういうことがあったよ。」
という話をするのも、そして、よく考えてみれば、仕事していた時のことを思い出すのも、実にひさしぶりだなぁと気づく。


子連れには、

やはり公園が一番


(1歳10ヶ月)



今、生活の中での話題のほとんどすべては、菜月のことと言っていい。
関心事と言えば、
「最近、ほんとに食べないんだけどなんでだろう?」
「人見知りが激しいのっていつ頃治った?」
「歯磨きってちゃんとさせてくれる?」
「昨日、『赤ちゃん本舗』行ったけど、紙おむつ安かったよ。」
というようなことであり...
日差しが暖かくて、菜月と遊ぶ公園さえあれば、私の生活には何の支障もない、というような、考えてみれば、実に狭い世界に生きているわけで...
それ以外のところで何かが起ころうと、ほとんど私の生活には関係なかったりするのだ。

だけど、ほんの2年ほど前までは、私も会社勤めをし、会社の帰りには飲みにも行き、休みにはバイクでツーリングにも行った。
それをいったん思い出してしまうと、やはり「1人」であった時の身軽さがなつかしく、「自分のための時間」「ゆとり」「自由」...子供ができてから、失ってしまったものの大きさに愕然とするのだ。


最近のマイブームは、

お絵かきなのだぁ


(1歳10ヶ月)


が、悲しいかな、空港にいても、町中を歩いていても、遠く東京に来ていても、なぜか、子供のおもちゃばかりが目にとまる。
「こんなん、喜ぶかな?」
「あ、こっちがいいかな。」
何か菜月の喜びそうなものはないかと、いつの間にか、そんなものばかり探してしまっている自分がいる。

「たまには、菜月と離れてリフレッシュしてきたら。」
そう言われて出てきたのに、披露宴で食事をしていれば、
「なっちゃん、ご飯、ちゃんと食べてるかな?」
同じような年頃の子をみかければ、
「なっちゃん、何して遊んでるだろう。」
菜月のことばかりが頭に浮かぶ。

そして、帰ってきた私の顔を見た途端
「おかぁしゃん、おかえり!」
屈託なく笑い、かけてくる菜月を抱き上げ、その重さに、なぜかほっとする。


買ってきたブロックを全部出して、

おもちゃ箱に入って遊ぶ菜月


(1歳9ヶ月)


いつもいつも「抱っこ、抱っこ」。
機嫌が悪くなると抱っこ、眠くなってくると抱っこ。
1日に何度も何度も抱っこしたり、おんぶしたり...
10kgをちょっと越した、この重さに辟易し、
「ったく。」
といつも思っているのに、やはり、このずっしりとくる菜月の重さがないと、どうも手持ちぶさたなのだ。
身軽すぎると、どうも不安なのだ。
自分の身ひとつだと、何かを忘れている気持ちになる。
何かが足りない気がして、落ち着けない。
不思議な感覚だ。

でも、考えてみれば、菜月が生まれてから、菜月がそばにいなかった日など、1日もなかったのだ。
はじめて経験した、菜月のいない1日。
それは、菜月から離れてホッとし、菜月に会ってホッとした1日だった。

羽田を離陸した飛行機の中から見る、一面雪景色の東京は、実にきれいで、ひしめきあい、立ち並ぶ家のなんと小さいことか、と思う。
空から見ると、この箱のような小さな小さな家の中で、日々、怒ったり、すかしたりしながら、菜月と奮闘している、もっと小さな自分があることが、なんだか実に実にちっぽけな気持ちがし...
「なんだっていい。もっとおおらかにいこうじゃないか。」
などと、気持ちを新たにするのだ。


最近、1人でテレビを見るということが

できるようになりました


(1歳10ヶ月)


が、留守中、特にゴネることもなくいい子にしていたという菜月は、やはり、菜月的には、すごくがんばっていたものらしく、その反動の大きいこと、大きいこと。
それから1週間がたつわけだけれど...
視界から私が消えるや、
「おかぁ〜しゃ〜ん、おかぁしゃ〜ん。」
と大声で呼び、寝る時もけっして私の体から離れようとしない。
時々、薄目を開けては
「おかぁしゃん、おる!おかぁしゃん、おる!」
と私の存在を確認し、私が体のむきを変えることさえ許さなかったりするのだ。
かーしゃんのいなかった1日の空白が菜月に与えた不安感は、よほど大きかったものらしく、前以上にがんじがらめの今日この頃。


まだまだ手がかかるのだ...

(1歳9ヶ月)


あの時思った、もっとおおらかにいこうじゃないかの気持ちはどこへやら、
「独身の時は自由でよかったなー。」
「ったく。さっさと寝ぇっちゅうに!」
ぶちぶち文句いいながら、今日も菜月と奮闘の1日。

空から見ると、この箱のような小さな小さな家の中で、日々、怒ったり、すかしたりしながら、菜月と奮闘している、もっと小さな自分があることが、なんだか実に実にちっぽけな気持ちがしたあの日。
あの日は、ほんの2週間前の出来事なのだけれど...(^^;;;

今や、その思いは、すっかりどこかに置き去りになり、
「ほら、見てごらん。なっちゃん、飛行機が飛んでるわぁ。」
大きな空をときおり見上げながら、とりあえずのところ、今日も、この小さな菜月に振り回されながら、目の前のことだけで精一杯な、やはり変わらぬ日々なのである。


お外にいると、ご機嫌なのだぁ

(1歳8ヶ月)