憧れのサハラ砂漠を縦断
砂と語らう毎日
1997.12.19−1998.1.22

シンゲッティー
シンゲッティー(モーリタニア)

北アフリカからサハラ砂漠を越え、
ダカールの海へ

関空→ロンドン
ロンドン→ジブラルタル
ジブラルタル→モロッコ
モロッコ→モーリタニア
モーリタニア→セネガル





 さあ、いよいよ旅立ちだ! 最後まで残った仕事を片づけ職場を後にした。
もうここに足を運ぶことはないだろう。35歳の冬、大きな大きな賭けだった。

友人たちに見送られ関空を飛び立った。
長い旅になるだろう。7ヶ月後、再び戻ってきたとき自分はどう変わっているのだろうか?

東京からのメンバーと合流し12月20日ジブラルタルへ到着した。
目の前に見えるアフリカ大陸。今、旅が始まる。




染色場
カバブ
 ジブラルタル海峡を渡ったモロッコはイスラムの国。コーランの声とスパイスの香り、そして人々の喧噪が私たちを迎えてくれた。左の写真はフェズの皮革染色場。メディナと呼ばれる街の真ん中にある。メディナにはあらゆるものが揃っている。しかし、納得のいく買い物をするのは至難の業。定価のない社会、自分が認めた価値の分だけを支払う。初めはうっとうしいが、互いの価値観を評価し合う合理的な方法なのかもしれない。
 イスラム圏は羊肉をよく食べる。中でもスパイシーな挽肉を串に巻いて焼いたカバブは庶民の味、メディナのそこここでおじさんが大きなかけ声をかけながら売っている。早速、私たちもかぶりついたのは言うまでもない。
薪拾い

私たちの足「ゲルバトラック」 イギリスベッドフォード社製の軍用トラックである。様々な改造を施し、荒野を旅するにふさわしい実に頼もしい相棒だ。今日のランチは、アトラス山脈の麓で準備中。これから、サハラに向かうため、同時に焚き火用の薪拾いも行った。生活全てをまかなうゲルバトラック。私たちの旅は、まさにトラックと共にあるのだ。
 もちろん4WD、荷台に座席を作り定員はスタッフを含め21人。極度に選び抜かれた装備品には機能美がある。ファッションではない生活するための装備が満載されている。
 料理は当番制、スタッフの一人がキャンプマスターとして基本的に指示監督するが、自慢料理を作ることもできる。今夜は、日本から持ってきたカレーライス。右の大鍋に満杯、推定60皿分を21人で平らげた。まだ、出発して10日も経っていないのに日本食が美味しく感じてしまう。→
 朝食は、トースト&コーヒー。昼食はサンドウィッチ、そして夕食は、シチューにパスタかライスがほとんど。大自然をおかずにして満腹になるしかしょうがない。イスラム圏では、アルコール類のゲットも困難である。
クック担当
ベルベル

 ベルベル人の子供たちと戯れている所。ゲルバのツアーはハイライトとしてたまに観光的な部分も含まれており、フェズやマラケッシュといった街ではメディナ観光が、また、先住民族の踊りなどを見れる機会も設定されている。この写真はそんなハイライトのひとつ。古いカスバ「テルウィット」の晩、ベルベルダンスを見学しているときのひとコマ。
 最初は、レンズを向けると毛布をかぶったりして逃げていた子供たちも、踊りが進むに連れ心を開いてくれたのか、こんなに素敵な笑顔を見せてくれるまでになった。しかし、とても寒い。ハイアトラスの峠部分にあたるこのへんは標高約2,000M。ブッシュキャンプをした翌朝、手洗い桶の水が凍った。
コンボイ

 モロッコとモーリタニアの国境は正式には開かれていない。西サハラ問題が未解決のままだからである。旧西サハラ・ダッハラの街からモーリタニア・ヌアディブに向けて一本の道が続いている。ここを、軍に護衛されながら走行する。これがコンボイである。毎週2回、細々とした線だが確実に二つの国はつながっている。今回は四輪52台・二輪7台が国境を越えた。
スタック

 国境越えは、実に二日を要した。遅々として進まない入国検査。あげくの果てには、人数を数え間違えコンボイ全体が調べられるはめに。原因は、なんと私たち兄弟、彼らはkuraharaと並んで記載されていたメンバー表を正確に読みとることができなかったらしい。
 やっとのことで入国したものの、時はすでに深夜、明かりのない荒れ地を飛ばしていたら突然大きな衝撃が走り、トラックは傾いたまま止まってしまった。タイヤが隠れてしまうほどの大きなスタック。月明かりの中、岩を探し穴を埋めて脱出したのは未明3時頃、精根尽き果てその場でビバーク。キャンプ場にはとうとう着けなかった。
ルーフシート

 ゲルトラ自慢のルーフシート。トラックの運転席上に5人が登れる特等席。風はもろに当たり寒いし、直射日光もきつくて大変だけれど、アフリカを肌で感じるには最高の所! しかし、みんなすごい格好! この写真だけ見ると山賊か強盗集団の集まりのよう。


 ゲルバスタッフの3名。→
 ツアーリーダー:ダッグ(中央)
         ジンバブエ生まれのイギリス人
 ドライバー:フランシス(右)
         イギリス人
 キャンプマスター:ベアッティー(左)
         ドイツ人(女性)
 このバイタリティーに溢れた3名が我々の旅をサポートしてくれました。けど、彼らも世捨て人が多かった今回のツアーでは「日本人パワー」に相当苦労したと思う。24時間一緒にいると、国民性の違いを如実に感じてしまいます。
スタッフ
篠塚健次郎
 パリダカールラリーのSS(スペシャルステージ)スタート地点に遭遇しました。左は2位の篠塚選手。左下が今年優勝したフォントネ、下が3位のサビーです。他にも増岡さんや菅原さん浅賀さん、そして山村礼子さんにも遭いました。私が着ているのは、98年オフィシャルTシャツ、そして1〜4位までの全選手のサインがあります。今回の旅での宝物。
 真摯な目でスタート地点を見つめる篠塚さんと、若い女の子ににやけるサビー。これも国民性の違いでしょうか? パリダカはバマコからここまで3日で走っています。私たちがそのバマコにたどりついたのは約1ヶ月後のこと。
フォントネ
サビー
ダカール
 ←Aコースの終わり、ダカールの海岸で。
 ジブラルタルから始まった旅もダカールの海で終了。ここで、砂波麗ちゃんと薫ちゃん(上の写真右の女の子)が帰国し、入れ替わりに3人が合流。5日のリラックスタイムの後、マリに向けて旅立つ。 この頃になると旅が日常化してきて、自分が何をしているのか、何をしたいのかを旅をしている自分をベースにして考えることができるようになってくる。生活感を帯びたシンプルな考え方ができるようになってくる。



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