カメルーンの赤い道
彼はどこを見つめているのだろう
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サヘルから熱帯雨林まで
変化に富む国々を巡る赤土の道
素朴な村の人たちに出会う旅
トーゴ→ベニン
ベニン→ナイジェリア
ナイジェリア→カメルーン
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たくさんの人に出会った旅だった
偶然の巡りあわせにすぎなかったのかもしれない
人と出会い話をするたびに自分の心がときめいていくのがわかるような気がした
心を導く道標のように出会った人の話を聞いていた
人に「運命」というものがあるとしたらそれは人に出会うことなのかも知れない
旅立つまでに多くの人に出会った 旅を始めてからもそうだった
これからもいろいろな人に出会い、自分に問いかけることになるだろう
だから・・・ 人間は面白い
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Cコースは、トーゴの首都ロメから始まりました。コース別参加者の入れ替わりのみでささっと駆け.抜けたトーゴ、そしてベニンも足早に通り過ぎました。1ヶ月あまり苦しめられた熱帯地方ともおさらばし、私たちは再び熱風吹きすさぶサヘル地帯へとやってきました。ローカルな国境を越しナイジェリアへ入ります。治安が悪く官兵の腐敗が横行しているこの国、ラゴスへは向かわず、北部ののどかな地方を抜けました。結局カメルーンに行くまでの12日間、観光色をほとんど感じることなく旅を続けていました。
写真の温泉(プールではない)は、国の東部に広がる「ヤンカリナショナルパーク」の「ウキキウォームスプリング」です。ここも、エアコン付きのコテージが点在し、昔は、サファリ客も大ぜい訪れて賑わっていたのでしょうが、今は訪れる人もほとんどなく施設は壊れ荒れるにまかせているといった感じです。私たちツーリストにとって、内乱などで直接的な影響はないにしても政治が落ち着いていない国を旅するということは、悲しいものです。
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後ろにいるのは、ナント象です!
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カメルーン北部の道を走るゲルトラ・ルーフシートに乗る“おやじさん”こと大工の坂口氏です。日本ではJeepに乗り野山を駆け回っているおやじさん。大工という職業柄もあってか実に器用で、アウトドアライフをエンジョイされていました。 飼い慣らされた日本の(流行の)アウトドアとは違いここではなにが起こるかわかりません。しかも、だれも助けてくれる人はいないし、マニュアル本もありません。こんな時に本当に役に立つのは、今まで自分が自分自身の中に培ってきた考え方や生き方といったものです。状況が状況だけに、これが答えだといったものを探し出すのは困難です。むしろ、ここでは答えを探し出すプロセスを試されているのだと思います。頼るものがない、そういった時にどう価値判断をくだしていくのか、それには自分自身に問いかけ答えを出していくしかないのです。
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カメルーン北部、ナイジェリアとの国境地帯に広がるマンダラ山地に点在する特徴的な家屋と、ハードな山道です。 カメルーンに入った私たちはチャド国境に近い「ワザナショナルパーク」でゲームドライブを楽しんでから一路南下し始めました。
旅も折り返し点の100日を過ぎました。けど、まだ100日もあります。旅が日常になり自分自身がわかり始めたこのころが一番楽しかったのかも知れません。
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カメルーンもあまりツーリストの匂いを感じない国でした。その分、街の人の反応はダイレクトです。ゲルトラが止まるやいなやワーッと人だかりができます。果物や揚げパンいろんなものを売りにやってきます。まだまだ、食生活が貧しかった私たちが飛びついたのは言うまでもありません。特にこのあたりバナナのプランテーションが盛んで、再び熱くなりだし辛くなってきた私にとって美味しいバナナは貴重な満足できる栄養源でした。
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ゲルトラ内部
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個人用ロッカー
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これがゲルトラの内部です。左が座席配置で右が座席のシートを外すと現れる個人用ロッカーです。試行錯誤を重ね実に良くできているこのトラック、まさに私たちの生活を支えながら走っています。水をジェリ缶18本約360L、燃料の軽油を約500L積み込み、缶詰やパスタ類などの食料も満載しています。ですから、ピストが続いて少々遅れようが、街がなくてたとえ補給ができなくても結構走ってしまいます。いわゆるツアー的な観光では、移動手段にすぎない乗り物が、私たちにとっては家であり、キッチンであり、スーツケースなのです。
さて、このみすぼらしい長椅子、長時間の旅には向かないと思いきや実はそうでもないのです。対面同士に座っても位置を少しずらせば足を伸ばすことができる。これはあたりまえ! 空いているとき(ルーフシートに5人上がりキャブに3人いくと13人しかいない)は、座席で寝ることもできます。また、窓際のサイドロッカー(食料や本が入っている)の上は風がじかにあたる最高の座席であり寝床なのです。前向きロマンスシートではこうはいきません。このルーズさフレキシブルさがゲルトラの秘訣です。
また、ロッカーは34*30*80の大きさしかありません。座席シート1枚分に3人、ここに200日あまりの装備を入れるのだから大変です。自ずと装備は厳選され無駄なものはなくなってきます。左が私の詰め込み状況ですが、モンベル製品のおかげで実にコンパクトに収まっており楽勝といったところでしょうか? ただし、この影には着たきり雀の生活がありました。
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川で洗濯&洗体?をしているところです。汚い話になりますが、カメルーンのこのあたりサヘル地帯や、砂漠を旅している時には衣服はおおむね2セットで回していました。要するに、洗濯ができるときに着替えるといったパターンです。アウトドアでそれも移動が毎日という旅を続けていると一番困るのが洗濯です。水が大量に使えない所や逆に雨が多くて乾かない地方では特に困りました。水があればとにかく洗濯、これが、私たちのパターンでした。 実はこの川、上流で牛が水を飲み身体を洗っていたのです。でも、これぐらいのことではもうどうじない私たちです・・・
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カメルーンは南北に長い国です。途中に険しい山岳地帯があるために、南北を結ぶ幹線国道はなく、大きく迂回しながら赤土の未舗装路をひたすら走り続けるしかありませんでした。マンダラ山地のリムスキーを立ってから実に6泊7日の間、連続ブッシュキャンプ(キャンプ施設のない原野でキャンプをすること)をしました。北・西アフリカに関してはキャンピングの文化というものがあまり浸透していない・ツーリストの受け入れ体制が整っていないためにキャンプ場についても、設備は貧弱でした。特に都市部のキャンプ場にその傾向はひどく、むしろ夜空を見上げ静かに休むことのできるブッシュキャンプの方が好きだという意見が多数を占めていたように思います。なんでもトラック「ゲルトラ」のおかげで、設備がなくても生活してしまえる私たち、「不便をお金で買っている」とまで、クックのベアッティーに言われた私たち。確かにその通りです。けど、不便とは引き替えに、時間や常識などに左右されない自由な世界を私たちは享受しているのです。これが、この旅の醍醐味なのです!
しかし、ひどい道です。さすがのゲルトラも不調を訴えます。フロントデフからのオイル漏れ、他にも機関部品の不調もあり満身創痍です。コ・ドライバーのフランシス(左の英国人)が油まみれになりながら必死にメインテナンスを続けます。覗きこむのはおやじさん。スタッフ、私たち、ゲルトラも含めて運命共同体なのです。
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Cコースの添乗員・長谷川さんと
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防塵マスクに安物サングラス
埃が積もったTシャツによれよれセネガルパンツ
みんなこんな格好、街に入れば異様な集団!
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赤い道をひたすら走り続けるゲルバトラック。 旅は再び熱帯雨林のギニア湾にたどり着きました。思い返せば、モロッコに渡り初めてしたキャンプも雨、ギニア湾岸のリンベでした最後のキャンプも雨でした。
私たちは、この後ドゥアラからナイロビまで飛行機で飛びます。
東アフリカ・南アフリカは、「PARADISE」であり、「DEFFERENCE WARLD」だとスタッフの三人が声を揃えていっていました。
いろんなことがあった北・西アフリカ。多くの想い出と感動を胸にナイロビ行きの飛行機のタラップを登りました。
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