ハワイに行けました!

北支部 倉原 タカ


 あこがれのハワイ6日間に参加して、想い出の数々を綴ります。まず感じたことは、街にはちり一つ落ちていないことです、マナーの良さにはびっくりしました。日本人も見習わなくてはいけません。
 公園で、日立のCM「このきなんのききになるき」でお馴染みの大木を見ました。この木を最初見たときは背中にピリッと電気が走るほど感激したことを憶えています。ガイドさんによると、もう160年は立っているということでした。ダイヤモンドヘッドにも行きました。とにかくハワイは海の綺麗なところでした。 ハワイは広くて大きくてとても1週間くらいで見て回ることはできそうにないところです。もう一回行きたいなぁと思っています。でも、暖かくてのんびりしたここにいると、気持ちもどこかおおらかになってきます。こんな気持ちになったのは何十年ぶりでしょうか。
 私たち姉妹は台湾で生まれ小学校2年の時まで台湾で育ちました。父の仕事の関係で、住んでいた家がアメリカ領事館の近所でした。よく、領事の子供と遊んでいたことを今でも憶えています。でも、姉が女学校にはいるため、日本に帰ることになりました。
 私は、あまり苦労をすることもなくのんびりした大人になったので、脳内出血で倒れたときはもう私の人生も終わったと思いました。でも、努力すると、今では歩けるようになり、自分のことはできるようになり、ハワイにまで行って来ました。主人に一番感謝して、二人の息子にも感謝しております。



  
 母親がハワイにまで行ってしまいました。震災の年に脳内出血で倒れてから4年、お袋はもとより、親父も良くがんばったと思います。母も書いていますが、ICUに入り鼻腔チューブを入れられていた姿を見たときは、私たちも覚悟しました。こうゆう仕事をしているので、何度もこのような場面には立ち会っていましたので、結構冷静に医師から告げられる事実を受け止めていたような気がしています。その後、
母は、余程の努力を重ねたのでしょう、主治医も驚くほどの快復ぶりでした。脳神経外科は3ヶ月で退院し、その後一般病院、老健施設と2年あまりのリハビリ入院生活を経て、家庭に戻ることができました。一番重症な時に申請したので2種2級の身体障害者手帳を持っています。しかし、キャベツを千切りすることができ、ハワイに行ってしまうほどの母なのです。
 何が母をそこまでさせたのでしょうか? きっと「家に帰りたい」その思いひとつだったと思います。親父は厳しく「自分のことができないなら退院するな!」と言っていましたので、これが、「自分のことができれば退院できる」と、お袋はとっていたのではないかと思います。『自分のことはできるようになり』と、書いているのが、母の一番の思いだったと思います。
 呑気な母は、次は「グランドキャニオンだ!」と、勝手なことを言っています。



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