」日記

97/11/02(日)

朝からお尻が少し痛かった。 便秘していたからだろうとたかをくくって、そのままドライブに出かけた。 夕食後、家に帰る途中、対向車両が急にUターンをしたため、100km/hからのフルブレーキングしたときにお尻はさらにいたくなった。 接触ぎりぎりのところで回避したため、体中に力が入ったのだろう。 家に帰ってから、布団に入るが痛みは収まらない。 それどころか、さらに悪化している。 けど、我慢して寝る。

97/11/03(祝)

結局、30分から1時間おきくらいに痛みで目が覚めた。 朝、7時くらいには我慢できなくて起きてしまった。 電話帳から、近所にあり祝日でも診てくれる肛門科を探す。 9時になったのでさっそく電話をして診察の依頼をする。 病院で診てもらうと「ほぼ手術が必要である」との宣告を受ける。 とりあえず、専門の先生の診察が必要なため、翌日の午前中にもう一度来るように言われる(休日のため、胃腸科の先生が診てくれた)。 痛み止めの薬をもらって帰る。 痛み止めを飲んでもまだ痛いが、前日よりはましである。

97/11/04(火)

朝、病院に行って、院長先生に診てもらったところ、今日か明日には入院が必要と言われる。 病名は内痔核および脱肛。 いわゆる「いぼじ」である。 脱肛に関しては押し込んでもらう。 あまりの痛さに涙が出る。 しかし、押し込んでもらうと少し楽になった。 入院前に血液検査とX線写真に心電図の測定。

とりあえず、午後は出社して業務の連絡を行う。 電車で行く方が速いが、座れないと地獄を見るので、車で行った。

夕食後、ボウリング場に行き、リーグ戦の欠席の連絡と代わりに投げてもらう人を捜す。 リーグ戦は欠席しても金を払わなくては行けない。 せっかく、6位まで上がったのだがしょうがない。 寝る前には、また少し外に飛び出してきた。少し痛い。

97/11/05(水)

朝起きると、すでにお尻は痛い。 排便を済ませると、押し込んでもらったものはすべて元に戻ってしまった。 11時から入院だったので、その前に入院に必要な買い物に行く。 11:15頃、病院に着き、入院に関して説明を受ける。 生まれて初めての入院である。 昼食は普通に出た。 午後に再度、診察を受ける。 夕食は重湯と澄まし汁のみ。 寝る前の一時間で、1リットルの下剤を飲むように言われる。 寝る前に下剤は効いてしまう。

97/11/06(木)

夜中にも下剤の効果はあらわれ、トイレに行く。 朝食はもう無い。

午前中に大腸の検査もついでに行う、と言われる。 腸内をきれいにするため、浣腸をされる。 お尻の毛も剃られた。 お尻に穴の空いた検査用の服を着る(当然、上は丈が長くお尻は隠れる)。 大腸の検査は無事に済んだ。 少し、大腸が大きい以外には異常はないそうである。 昼食は当然無い。

15:30頃、手術室に入る。 手術用の服では寒い。 看護婦さんにおなかが冷えると文句を言う。 うつぶせの状態になる。 右手人差し指に脈拍計、左腕には血圧計がセットされる。 麻酔を打たれるが、普通の人よりも効きが悪かったようで、多めに打たれる。 手術は始まった。 執刀医はまだあまり経験が無いようで、院長先生からの指示が飛ぶ。 少し不安になったが、どうしようもないのであきらめる。 あまりにも暇なため、脈拍計と血圧計ばかり見る。 途中、看護婦さんにどれくらい進捗したか聞く。 最後の方で、切除した部分を見せられる。 親指の関節から先の部分くらいの大きさのものが2つあった。 その他に小さいのがひとつあったらしい。 手術は終わった。 手術台に上るときは自力だったが、麻酔が効いているため腰から下は思うように動かない。 そのため、排尿用に尿道に管を挿入される。 看護婦さん2人がかりで担架に移される。 下半身は真っ裸の状態であり、ちょっと情けない。 病室に戻る。 ここまで大体1時間。 麻酔が切れ始めた夜7時頃から、肛門に激痛が走る。 痛み止めの注射を打ってもらう。 2回目の注射までは記憶にあるが、夜中にもナースコールをして3回目の注射を打ってもらったらしい。 2回目の注射の時点で、すでに意識はもうろうとしていた。

97/11/07(金)

6:00に挿入していた管を抜かれる。 管を抜いて2日間ほどは排尿が困難であった。 膀胱に力を入れているつもりだが、お尻にも力が入るため痛い。 朝、右の肩には注射の際に起きた内出血の痕があった。 麻酔を打たれた腰のあたりにも鈍い痛みがある。

朝食は重湯。 この日より、午前と午後の二回、化膿止めの筋肉注射を行う。 筋肉注射は痛いと聞いていたが、痛いときと痛くないときとある。

朝、起きてからずっとお尻は痛い。 聞けば、止血用にガーゼを押し込んでおり、それを取るまでは痛いとのこと。 午前中に、そのガーゼを取ってもらうと確かに楽になった。

昼食と夕食は5分粥と普通のおかず。 まだ、術後で体力は落ちたままであり、よく眠れる。

97/11/08(土)

薦田さんがお見舞いに来てくれた。 頼んでいた本とともにケーキと雑誌も差し入れしてくれた。 ケーキは結局、一人で3つ食べた。

夕方、母がやってきた。 来る必要は無いと言ったのだが、結局、心配できたらしい。 そこまでしないでもらいたかったので、家には連絡したくなかったのだが、手術の同意書に保証人の欄があったため、連絡をせざるをえなかった。

まだ、体力が回復してないので、今日もよく眠れる。 食事はもうすでに通常の食事になっている。 「つけかえ」と言われる、薬の注入と座薬の挿入はちょっと痛い。 しかし、後にもっと痛いものがあることが判明する。

97/11/09(日)

午前中に「つけかえ」を終え、昼食を取った後、看護婦さんに散歩の許可をもらう。 近くのコンビニを物色し、さらに、灰色の公衆電話を探す。 病院にも公衆電話はあるが、ピンク電話である。 カードも使えないため、看護婦さんに携帯電話の使用を黙認して貰っていたが、それではモデムは使えない。 病院から歩いて3分くらいの所に目的の公衆電話を見つけた。 これで、NIFTYSERVE経由でメールを送れる。 夕方、もう一度外出許可を貰い、メールを見る。 15通たまっていた。 夜、メールの処理をする。 もう、すっかり体力は回復しているのに昼寝をしたため、夜、眠れずに困った。

97/11/10(月)

回診時に、担当医に「朝方はお尻が痛くなる」旨を告げると、担当医は「痔の患者さんは、朝痛いというんだよね」と言われる。 全然答えになっていない。 自分がなってみたらきっと実感できるだろう。

「つけかえ」が終わったら、散歩がてらNIFTYにアクセスしようと思ったが、外来の患者さんが多かったためか、つけかえは16:30頃にやっと終わった。 診察などが終わらないと、外出はできない。 いつ呼び出されるかわからないからである。 基本的には退院後の付け替えの外来患者が来た時に併せて行うらしい。

公衆電話でノートパソコンを手にしてる姿は、端から見れば異様な光景であろう。 もっとも、私の友人には、朝のラッシュ時にパソコン通信のログを整理するの強者がいるから、それに比べればこわっぱであろう。 PHSがあれば電話代も安く済むのに、と思う。 メールを見ると、fjニュースグループ管理委員として推薦された、というメールが届いていた。 候補者になるかどうか悩む。 結論は今度の日曜までに出さねばならない。 最後の筋肉注射を打たれる。

97/11/11(火)

今朝は普段よりお尻が痛い。 朝食後の排便時には少し出血した。 朝の回診時に伝えると、「あなたのは大物だった割には術後の経過は良い方です」と言われた。 そんなに大きかったのだろうか? 確かに、昨日のつけかえで一緒だった別な患者さんは、小指の先くらいのが4つほど、と言っていた。

午前中に、シャワーを浴びる。 手術後、初めてのシャワーである。 さすがに気持ちがいい。 しかし、ひげは相変わらずのばしたままである。 ひげが伸びたのは3日目くらいまでで、あとはあまり伸びていない。

昨日で、筋肉注射による抗生物質の投与は終わり、服薬に切り替わる。 夕食後、つけかえがあった。 とうとう、肛門に指を突っ込まれた。 激痛が走り、体中からあぶら汗が吹き出る。 同室の人から聞いていたが、こんなに痛いものとは思わなかった。 傷口を正常な状態にするためらしいが、あれで切れ痔になったりしたりしないのだろうか? しかし、院長先生にされなくてよかったらしい。 院長先生は指が太いのでさらに痛いそうである。

看護婦さんにマカロニスクリーンセーバーを見せる。 とても喜んでいた。

97/11/12(水)

入院2週間目に入る。 今日の回診時に、主治医から「つけかえ痛いけど、今日もがんばってね」と言われる。 あの痛みは体験したものでないとわからないであろう。 痛くなくできないのか?と尋ねたら、傷口が治ってくれば痛くなくなるそうである。 ということは、少なくとも入院中はこの痛いつけかえが続くと言うことである。 早く良くなって欲しい。

昼前に少し離れたダイエーまで買い物しに歩いて行く。 近くのコンビニには小さめのヨーグルトがないからである。 11月というのに連日最高気温は20度を超えており、今日もトレーナーを着ただけなのに帰ってくれば汗をかいてしまった。 まぁ、暖かい方が外に出歩く気になるから良い。 ベッドにずっと寝ているだけでは、ただでさえ弱い足腰がさらに弱まってしまう。

夕方、つけかえがあった。 昨日よりも長く感じたので、その旨、先生に問い合わせると「気のせいですよ」とはぐらかされる。 昨日は初めて指を入れたから、少し短めにしてくれたのだろう。 その後、お尻の痛みがほとんどなく、非常に楽だったので油断したのだろうか、夜中から少しまた出血があった。

97/11/13(木)

手術からちょうど一週間たった。 みんなに脅かされていた院長先生によるつけかえがあった。 しかし、思っていたほどではなく、身構えていたにも関わらず、肩すかしをくったような感じであった。 しかし、やはり痛いものは痛い。 汗がやはり吹き出し、看護婦さんに汗かいてますよ、と言われる。 今日は抜糸があったらしい。 少し、ちくちくした痛みがあった。 まぁ、最近は溶ける糸を使っているので、抜糸というよりかは溶け方の悪い部分だけを取り除いているという事である。

今日も、買い物に行った。 豆類を買うためである。 便秘にならないようにするために、繊維質を多く含む食事をすることが必要だからである。 私の場合、放っておけば肉ばかり食べてしまうので、できるだけ習慣づけなくてはと思って、とりあえず乳製品と豆類を取るようにしている。 とはいえ、豆類といっても、食事を作れるわけではないから、買ってきてすぐに食べられるものと言えば、酒のつまみであるピーナッツとか大豆やグリーンピースを揚げたものである。 しかし、これらの食品は通常の野菜の何倍も繊維質を含むため、便秘には良い(はずである)。

97/11/14(金)

今日は朝からおなかが張っている。 病院の食事以外に便秘になりにくいものをたくさん取っているのと、ガスがたまっているせいである。 まぁ、とりあえずたくさん食べているのだからしょうがない。 Accum.=In - Outという式は常に成り立つのだから。 とか考えてしまうあたりがchemical engineerなのであろう。

朝の回診時に退院の予定を聞いてみたが、予定通り2週間程度の入院で済みそうである。 つけかえの時の診察でも同様の回答であった(回診とつけかえの先生は違った)。

今日は、入院患者の入れ替えがあった。 入院したときから一緒だった方は、最近、高熱が続いていたのだが、細菌に感染していることがわかり、個室に移されたためである。 入れ替わりに別な患者さんが入ってきた。 92歳という高齢のため、耳が遠く、看護婦さんとのやりとりが面白い。 下手な漫才より笑える。 が、看護婦さん本人にとってみれば大変なことであろう。

97/11/15(土)

昨日移ってきた患者さんの事を笑えると思ったのも昨日の夜までであった。 その患者さんは、夜中12時頃、突然、何かを探し始め、10分くらい経った頃であろうか、部屋からいなくなってしまった。 20分くらい経っても帰ってこないので看護婦さんに連絡すると、なにやら、かゆみ止めを使いたくて探していたのだが、見つからなかったために夜中に家に帰ろうとしたらしい。 さすがに同室の我々に迷惑がかかるということで、睡眠薬を投与したのであるが、問題は朝にあった。 薬が強かったらしく、朝、目は半分覚めているのだが、体が全然ついてこない。 自分ではトイレに行きたいらしいのだが、体は言うことを聞いてくれないようである。 起床後の検温時には看護婦さんにトイレに連れられていったが、次の尿意があったときは看護婦さんが間に合わず、失禁してしまったようである。 結局、午前中はずっと薬が体に残っていたようで、眠りっぱなしであった。 午後は午後で、ベッドから転落するし、一緒の部屋にいる我々の方がつらい。 また、痰がからんでいるのだが、吐き出さずに飲み込んでしまうのを聞いていると気持ち悪くなる。 幸いにも、今晩は外泊許可をもらったので、家に帰って眠れる。

97/11/16(日)

病院に戻る前に、買い物を済ませ、ついでにウォシュレットを見に行く。 洗浄機能だけのものであれば、4〜6万円くらいである。 さすがに本家TOTOのものは高いが、うちの便器はINAXだから付くわけもない。 TOTOとINAXの間にはお互いの便器にあわせるという考えはないらしい。 他社はどちらでも取り付け可能なのだが。 取り付け工事費は7,8千円くらいかかるらしいが、ナショナルなどの製品だと自分でも取り付けはできそうである。 まぁ、退院したときにでも買いに行こう。

さらに、髪も切りに行った。 入院以来のばしていた髭もついでに剃ってもらう。 私の髭は、妻には非常に評判が悪かった。 看護婦さん達にはそんなに受けは悪くなく、もったいないとか言われたのだったのだが。

夜はワールドカップ予選を見る。 イランに2点目を入れられた時にはもうダメだと思ったが、選手交代がいい方に働いてなんとか勝てたようだ。 そろそろ寝よう。

97/11/17(月)

昨晩もやはり夜中に起こされてしまった。 今回は、痰のからみがかなりひどく、看護婦さんが背中を叩いている音が病室内に響いた。 また朝には失禁している。 こういうものを見ていると、生きるというのは何なのだろうか?という疑問が生じる。 夜、眠らないからといって睡眠薬を飲まされ、朝、薬のせいで失禁し、自力で立ち上がるのもままならない状態である。 自分の祖母もそういった状態であったが、たまに見舞いに行く程度であったため、あまり考える話ではなかったが、目の当たりにすると考えさせられてしまう。 午後にもトイレに間に合わず失禁してしまう。 完全介護の病院に入った方が良いのではないかと心配してしまう。

私の病状はと言えば、もう、内部にはほぼ膿は無く、あとは、肛門とその周囲の皮膚との境目の部分の炎症さえおさまれば良いそうである。 座り続けることができれば退院は可能であるという。 確かに、今の状態では長時間座っているとお尻が痛くなる。 今日から座る訓練の開始。 まぁ、2,3日で済むであろう。

97/11/18(火)

今朝もまた5時頃に起こされてしまった。 また、おじいちゃんの失禁である。 今日、個室が空いたらしいので、明日くらいには病室を移動するのではないか?という看護婦さんの言葉に期待したい。 まぁ、今日のつけかえ時に先生からあと二日で退院してもいいです、という許可を貰ったので、私にはあまり影響がないが、他の二人の患者さんにとっては非常にありがたい話であろう。

私の痔核は、前、右、後ろの3ヶ所だったらしいが、そのうち、右と後ろの創口はもうすでにほぼ治っているらしい。 ただ、まだ前の創口が治りきっていないとのことである。 確かに排便時には前側に若干痛みがある。 どの箇所が大きな痔核だったのか今度聞いてみよう。 今日の回診時には、自分のカルテを少し見せてもらった。 大腸検査をした際に撮影した痔核の写真が4枚添付されていた。 確かに大きい。 あれでよく今まで生活していたと思う。

97/11/19(水)

今日、おじいちゃんは2回失禁した。

つけかえの時に先生に各種の検査結果を説明してもらった。 血液と尿の検査では、肝機能に関する部分が手術後に上がっている他は特に問題がないようである。 手術前の血液検査ではB型,C型肝炎や梅毒の感染有無も調べられていた。 手術時に感染する可能性があるからだろう。

97/11/20(木)

今日はようやく退院である。 後半の1週間は寝不足であったが、それでもよい休養になった。 まだ、2,3日に一回は通院してつけかえを行う必要がある。 それ以外の日は、自分で軟膏を注入しなくてはならない。


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