御存知のように、山本るりかの誕生日は8月22日と設定されている。
例年この時期はプロ・アマを問わず野球が盛り上がる頃である。
とっとと
本題へ行く


        プロ野球は首位争いが激しくなるあたり、その辺では既に上位と下位の
        差はハッキリしているので優勝を狙えるチームは絞られている。
高校野球についても同様、毎年6日〜8日の開幕で大会期間は二週間。
8日開幕でも順調に雨天日なければ21日には決着がつく。

阪神タイガースは「死のロード」に追い込まれる時期、サターン版軸で
考えた1979年
は上位が僅差で切迫しており、その阪神と中日、広島が
毎日のように順位が替わる一位の座を争っていた。
タイガースは調子が下がり気味ではあったが、小林繁と山本の投手陣、
そして主砲掛布がチームを引っ張っていた。あ、あと若菜捕手もね。

さて、せっかくだしこの年の各ヒロイン所在道府県から
甲子園出場したチームを紹介してみましょうか、

南北海道 札幌商業
青森県 弘前実業
宮城県 東北
石川県 星陵
神奈川県 横浜商業
愛知県 中京
京都府 宇治
大阪府 浪商
香川県 高松商
広島県 広島商
福岡県 八幡大学付属
長崎県 諫早


注目は「激戦区神奈川代表横浜商業高校」、「このとき既に山下監督健在石川代表星陵高校」、
「春の雪辱果たすか大阪代表浪商高校」、「今となっては『古豪』広島代表広島商業」のよっつ。

で、ベスト4には神奈川横浜商業、大阪浪商高校、和歌山簑島高校、徳島池田高校、が
残ります。準決勝の結果いかんでは春の選抜と同じ浪商と簑島の近畿決勝となるところでしたが
池田と簑島というカードになり、最終的には一点差で簑島が勝利し、春夏連覇を果たしています。

この年、その決勝戦は8月21日に行われました。
その翌日にサターン版のるりかは生まれたことになります。

男女問わず友達の多かったるりか、ちょうど夏休み中で誕生日を祝ってもらえない、
可哀相かな、と思ったが彼女くらいの性格の持ち主だったら毎日のように
太陽のもとでたくさんの友達と野球したりプール行ったりしていそうですよね。

昼は高校野球、夜はプロ野球。夏になったら野球を見て、そうしたら今度はプレーしたくなる、
山本るりかが野球好きに育ったのにはそんな背景があったんじゃないんでしょうか。



、そろそろ本題に入りますが。
「センチキャラとユニフォーム」で、最初私は山本るりかの背番はとりあえず
「1001」だ、と設定しました。たしかアニメ・センチメンタルジャーニーの次回予告で
「見ないとせつなさ1001倍」という文句があったんですよ、無論この「1001」とは
中日ドラゴンズを象徴する男、星野仙一からとっているということは言うまでもない。


ところがそのあとで、「ドラのエースナンバーとしては20もあるぞ」というお話を頂きました。
まぁ、真面目な線ですよね。当然のごとく星野仙一の現役時代も三年目から引退までは
20番でしたし、先に言った1979年度の新人王候補小松辰雄も星野投手引退後にその
背番号を譲り受けていました。小松投手引退後はしばらく欠番になりました。
つけるにふさわしい投手がいなかったのでしょうか、入団時にフロントからその番号を
打診された佐藤秀投手('93年一位、'98西武へ移籍)も「自分には荷が重い」と、
断ってしまったそうです。それから数年が経ち、ようやく20番をつける選手が現れました。
韓国球界のスター、ヘッテタイガースの宣銅烈投手が中日へやってきたのです。
一年目こそ慣れなかったものの、二年目以降はドラのエースストッパーになりました。


でも、それだからといって、るりかにもドラのエースナンバー「20」をそのままつけさせる、
そういうのも芸がありませんよね。もうひとひねりした理由がなくっちゃぁ・・・。


そう思っていたある日、何気なく資料とかいろいろ見ていて気が付いたことなんですが・・・。





まあ、とりあえずこの絵を見て下さい。
るりかが説明書や雑誌などで紹介されるのによく用いられるイラストの模写です。
一番使われているデザインなので皆さん何度も御覧になっていると思いますが、
なんとなく引っかかるようなことはありませんか?
普段は見過ごしていることなんですけどね・・・、





続いてこれは、ゲーム本編でるりかが不機嫌な意思を表すときのポーズです。 
まぁ、かなり私の描いた模写が崩れてしまって申し訳ないんですけども。


アニメ・センチメンタルジャーニーにあったイラストでは更に決定的なものが
もうひとつあったんですが今、手元にそれがないので紹介できないです、残念。


で、このふたつのイラストを見て、何か気がついたことはありませんか?











そうですよね、横浜ベイスターズ監督、
権藤博氏のポーズにそっくりですよね。



るりかはセンチヒロインの中で「最も頬杖をつくポーズが多い」んですよ。
(別に数えたわけではありませんが)



で、調べてみました。権藤博氏の現役時代。



通算成績:実働 5シーズン

 210試合登板 82勝 60敗 667奪三振 340自責点 防御率2.69 



 御存知のように権藤さんは投手の命ともいえる肩を酷使したため、
投手としての野球生命は短く、たった四年でマウンドを降りました。
しかし五年目からは打者として活躍、サードを守り三年間野手生活を勤めます。



八年目に投手へ再び転向、しかし結果を残せずその年引退します。
彼が現役だった1961年から1968年までのことでした。






で、そのチームが中日ドラゴンズ、
背番号は20
だったの。
(マジ)



ちなみに権藤博投手以前にドラゴンズの20番をつけていたのは
なんとあの元祖フォークボール・杉下茂投手だったのだ!

(すぎしたしげる:通算525試合、215勝123敗。1985年に野球殿堂入り)



余談も読んでって下さい。



仮説:
 山本るりかは偉大なドラゴンズOB、権藤博氏を尊敬している。
何となく頬杖ポーズが目立つのはなんとなく彼を意識しているから。



きっと小学生の頃、クラスの連中とやっていた野球で連投していてだれかに
「昔ドラにおった権藤みたいだがや」といわれて彼の存在を知ったんだろう。


 じつはるりかは連投がたたって肘、あるいは腕に疲労を感じていたんだ。
アンモナイトを落としてしまったのはそのせい。主人公が転校していったあと
みんなと遊ばなくなったのはまだ満足に投げられる状態ではなかったし、
男子に打たれるとわかっていたら投げたくもなかったから。(これは嘘です)




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いないと思うけど、この文章の転載は行わないでね。 
Fri, 29 Jan 1999 01:26:24  Written by Tatsushi Koba
Last up Thu, 04 Feb 1999 16:49:11            

参考:プロ野球記録博物館、朝日新聞縮小版