余談:1   ドラゴンズの歴代新人王を探る。



打者は谷沢、藤波、田尾、立浪

いずれもチームの中心打者として活躍を続けていました。
(現役選手は立浪のみ、現在も活躍中)


投手は権藤、藤沢、与田、森田、川上

与田、森田は有名な例です、星野監督が新人年度に
使いすぎて壊してしまった、というね。


藤沢投手は前から述べている1979年度新人王、
受賞後は「なかずとばず」だったそうです。

で、権藤さんは中日の新人王投手は大成できないという
ジンクスの「はしり」となった人物だったんですね。



このデータが正しければ昨年新人王をとった
川上憲伸投手も今後は活躍できないことになります、
今後は真価が問われる彼に注目!








余談:2      ドラゴンズの歴代ストッパーの話。



現在は韓国の英雄、宣銅烈投手であることは周知の事実。私も彼のセーブをあげる
ところをこの目で喰らっていますし(とはいえ、九回二死から一点とられたが・・・。)、
もう数年はこのまま続けてくれそうですよね。他には中山裕章投手もおるが。


同じく海外は台湾の英雄、郭源治投手(たしか日本に帰化)を忘れてはならない。
中日が最後に優勝した年('88年)に37セーブをあげMVPを獲得した、
球団史上最高のストッパーである。日本球界引退後は台湾でプレーしていると
いう話も聞くがまだ現役なのか、国籍はどうしたのかなどは私は知りません。
台湾の人気女優と結婚したってのは彼のことでしたっけか?


実は、星野仙一投手も「抑え」してた時期があったそうです。
1974年、「セーブ」という記録が導入された年です。
このとき彼はセ・リーグ最多の10セーブをあげたそうなのですが
タイトルとしては記録に残っていないんですね、これが。


1977年から「最優秀救援投手」のタイトルがスタートしました、
今のように「救援勝利」+「救援完了(セーブ)」=「セーブポイント」では
計算していなかったとは思うのですが、初のタイトルホルダーはやはり
中日から出ています。鈴木孝政投手、中日一筋17年間、
124勝 94敗 30引分 96セーブ 121セーブポイントの大投手!


で、最後にあげるのが昭和1965年。まだセーブ記録のなかった時代に
ドラゴンズの火消しとして活躍した選手を紹介しましょう。



まず、当時中日の投手コーチでついこの間野球殿堂入りした近藤貞雄氏。

彼が球界に残した功績とは言わずと知れた投手の分業制確立であります。

代打や代走のスペシャリストがいるならば、投手にあってもいいじゃないか。


そう言う理由で彼はリリーフ専用投手を指名します。そうです、




あの板東英二投手です。



ゲーム後半に投げることが多くなった板東投手、'65年に12勝、'66年に13勝しました。
ただし巨人V9時代の当初だったために目立たなかったんだと思う。

最近は彼を「元プロ野球の選手」と知っている人は少ないでしょう。

高校野球では甲子園のヒーローでもあった彼は一試合の奪三振記録も
持っているんですよ。プロでは中日に11年間投げて77勝しています。
(ちなみに使用した背番号は30と14。)




サターン版ではるりかと主人公の関係時は1991年の秋である。
これがどういうときか御存知でしょうか、中日・星野監督が辞任し
高木守道新監督誕生したあたりなんですよ!
るりかが「考える野球」を意識するのならばこの時期は逃せない、
当時権藤氏はダイエーの投手コーチであった。
あー、でもごめん、これ以上ネタがつながらんわ。

 

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Last up Thu, 04 Feb 1999 17:10:10           

参考:プロ野球記録博物館、朝日新聞縮小版、竹書房「まんがパロ野球ニュース」なかむら治彦「プロ野球なんでもカルト講座」