蔵所堀と学校町界隈 その2

 

昔なつかしいバス切符売場。

昭和26年 (1951年)     新潟市関屋本村    Photo by Keiichirou Watanabe

蔵所堀があった頃は、当然今の国道116号線はありません。路線バスは学校町通を通っていました。最初は念仏寺の前が終点だったそうです。やがて少しずつ路線が延長されていきました。
私が小学校低学年の頃(昭和40年頃)、"競馬町行き”のバスが走っていたのを覚えています。
上の写真は、当時念仏寺の前にあった停留所ではないかと言うことです。
 

冬の学校町通。

昭和33年1月 (1958年)     新潟市学校町    Photo by Keiichirou Watanabe

今の学校町通では自動車は一方通行ですが、蔵所堀が埋め立てられて道路になる前は、路線バスが走っていました。バスも今よりずいぶん小型だったとはいえ、すれ違いは大変だったでしょう。
 
 

電化製品が普及する前の台所

昭和30年3月 (1955年)     新潟市白山浦    Photo by Keiichirou Watanabe
電化製品が普及する前は、食事のしたくのにも手間と時間がかかりました。ご飯はお釜で炊き、おひつに入れておきます。湯沸かし器がないので、冬の水仕事は相当つらかったと思います。
買い物はすべて学校町へ行っていました。冷蔵庫がないので、昼の弁当の材料を買いに朝から買い物に行くこともあったそうです。当時は八百屋、豆腐屋など、朝早くから店が開いていました。

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