本編に掲載していない写真をまとめて展示します。 |
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国鉄 越後線の惨状 |
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白山−関屋間(国道8号線とのオーバークロス付近)
地震のショックで道床が流出し、線路が傾いている。
交通手段を失った人々が、道代わりに歩いている。
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白山−関屋間
上の写真と同じところを下の道路から撮影。
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国道8号線
関新町〜白山浦付近 (電車通り) |
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国道8号線 関新3あたり
中央奥が硫酸会社。
道路の中央に沿って地割れが出来た。
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国道8号線 白山駅付近
倒壊寸前の建物。
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国道8号線 白山浦
奧くに県庁が見える。 |
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国道8号線 白山浦
断層がずれて大きく浮き上がってしまった民家。 |
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国道8号線 関新1付近
倒壊寸前の建物。
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川岸町の越後線とのオーバークロス
線路をあるく人々が見える。 |
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川岸町の越後線とのオーバークロス
上の写真と同じところを近づいて撮影。 |
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県庁横の倉庫
完全に潰れてしまった。 |
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正確な場所は不明
道路が大きく陥没した。 |
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横倒しになった川岸町の県営アパート |
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倒れなかったアパートも、1階が沈んで地下室のようになってしまった。 |
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完全に横倒しになってしまったアパート。 |
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今にも倒れかかってきそうな状態の中、懸命に家財道具を運び出している。 |
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ポツンと置かれたままのピアノが印象的だった。 |
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陸上競技場 |
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掲揚台も聖火台も傾いてしまった。 |
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新潟国体が終了してから、まだ何日にもたっていなかった。まだ架設スタンドも残されたままだった。 |
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スタンドの裏は吹き出した砂で埋まっていた。 |
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グラウンドは臨時のヘリポートとして使われた。
着陸する自衛隊のヘリコプター。 |
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上の写真の続き。 |
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昭和大橋付近 |
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昭和大橋の前に自衛隊の車両が止まっている。
上空にはヘリコプターが飛んでいるのが見える。 |
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落下した昭和大橋。 |
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公会堂前の道路にも何本もの亀裂ができた。 |
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下町(赤坂町) |
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地震直後の様子。
取りあえず家の前の道路へ避難した。 |
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地下水が噴き出してきた。 |
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公園か学校に避難したと思われる。
背後の空は、石油タンク炎上の煙で暗い。 |
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家の横の小路に水がかなりたまったところ。 |
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住民は2階へ避難。 |
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表の通りも完全に水没。 |
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赤坂町の家は床上まではこなかったが、畳すれすれの床下まで水がきた。 |
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2階からみた表の通り。
ふねが見えるが、車高の高い車は無理をすれば通れたようだ。 |
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この深さを自転車で行くのは相当きついだろう。 |
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湊町の方向も全部水没。 |
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給水車が来たのだろうか。
水を運ぶ人たち。 |
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同上。 |
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同上。 |
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どんな時でも決して笑顔を忘れない。 |
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自衛隊のジープの前で記念写真。 |
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元の早川堀のあたりだろうか?正確な場所は不明。 |
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自宅(現
関屋堀割町)の被害 |
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基礎からずれてしまった。 |
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同上。 |
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隣家の庭を走る断層。 |
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ブロック塀は方々で亀裂が入り、一部は崩れてしまった。 |
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玄関の前は、コンクリートがボロボロになってしまった。 |
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ここからは、母の友人の八木さんのご主人が撮影された写真です。父の写真にない万代橋から新潟駅にかけての様子がわかります。
写真の様子から、地震後数日たってからの撮影だと思われます。 |
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