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新潟市文京町と信濃町にまたがる地域に、かって関屋競馬場がありました。
その歴史は古く、明治39年9月に新潟で最初の競馬がここで開かれたそうです。その後半世紀に渡って市民に親しまれてきましたが、関屋分水予定地内の住宅の移転先にするため、昭和39年12月をもってその歴史を閉じ、新潟市東部の豊栄市との境界の現在地へ移転しました。
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浜浦町側から競馬場スタンド方向を望む
昭和34年(1959年)6月 新潟市浜浦町 Photo. by Keiichirou Watanabe.
競馬場の浜浦町側は、簡単な柵で仕切られているだけだったので、簡単に中へ入ることができました。
上の写真は、浜浦町側のから、関屋側に向かって撮ったものです。写真右側にスタンドが写っています。スタンドの向こう側が競馬場の正門でした。
写真中央奥にみえるのは、当時有明台小学校の前にあった超短波中継所のアンテナです。
関屋競馬場は、松林に囲まれて、普段はとても静かな所だったそうです。私自身はスタンドの方の記憶はありませんが、木の柵越しに何頭かの馬が走っているのをみた確かな記憶があります。自宅から母に連れられて、工業高校の宿直当番の父へ弁当を届ける途中だったと思います。
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左の写真でもわかるように、ごく簡単な木の柵で、実に開放的でした。

左の道路は、現在の浜浦町線です。

昭和34年(1959年)6月 新潟市浜浦町 Photo. by Keiichirou Watanabe.

関屋競馬場の周辺、とりわけ浜浦町側は広い松林になっていました。浜浦町には、関屋中学校、新潟工業高校、浜浦小学校がならんでいたので、児童、生徒は松林の中を通学していました。

私の伯母は関屋の団九朗にから関屋中学にかよっていましたが、当時関屋のほうから通っていた生徒の中には、遅刻しそうになると競馬場を横断することもあったそうです。もちろん学校で禁止されているので、渡っているところを見つかって、校内放送で怒鳴られることもあったようです。

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大雪のなか、松林を通って学校へ向かう生徒。左に競馬場の柵がみえる。

昭和36年(1961年)1月 新潟市浜浦町 Photo. by Keiichirou Watanabe.

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