spacer.gif (85 バイト)

関屋競馬場は、浜浦町と競馬町にまたがっていました。かっては競馬町行きというバス路線があったぐらいなのですが、競馬町は、文京町、信濃町、関屋弥生町に分かれて消えてしまいました。わずかに踏切や店の名で名残をとどめています。
sekibun.jpg (87774 バイト)

昭和29年(1954年)の新潟市内地図

越後線関屋駅のすぐ脇の踏切の道が、関屋競馬場の正門へまっすぐ続いていました。競馬開催の日には、この道を大勢の人がゾロゾロと歩いていったそうです。
この踏切には、今でも「競馬場」の名がついています。
keibafumikiri.jpg (23309 バイト)
競馬場正門に続いていた道から、一本関屋分水側の通りには、競馬町マーケットが健在です。
写真からはちょっとわかりにくいのですが、正面、側面に「競馬町」の文字がはっきりと読み取れます。
keibamarket.JPG (46696 バイト)
信濃町のいっかくにある関分公園の片隅に、かってこの地に関屋競馬場のあったことを示す碑がひっそりとたっています。

関屋競馬場の思い出も、遠く遙かなものになろうとしています。

sekibunkoen.JPG (50754 バイト)
新潟競馬場の碑

明治四十三年九月六日越後競馬会によって、第一回新潟競馬がこの関屋の地に開催された
以後五十七年の間、あまたの変遷をかさね、昭和二十九年日本中央競馬会に引き継がれ県並びに 市主催の地方競馬が行われてきた
総面積三十万平方米 馬場一周千六百米
馬券売上年間十一億七千万円に達した
やがて信濃川治水の一環として関屋分水が計画され競馬場を市の東部に移しその跡へ分水関係地域の六百余戸を移すこととなった
かくて昭和三十九年十二月八日の競馬を最後としてこの住宅街に転生した
ここに一斤の石を留めてその大要を記す

昭和四十一年三月

新潟県知事 塚田十一朗