関屋競馬場は、浜浦町と競馬町にまたがっていました。かっては競馬町行きというバス路線があったぐらいなのですが、競馬町は、文京町、信濃町、関屋弥生町に分かれて消えてしまいました。わずかに踏切や店の名で名残をとどめています。 | |||
昭和29年(1954年)の新潟市内地図 |
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越後線関屋駅のすぐ脇の踏切の道が、関屋競馬場の正門へまっすぐ続いていました。競馬開催の日には、この道を大勢の人がゾロゾロと歩いていったそうです。 | |||
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競馬場正門に続いていた道から、一本関屋分水側の通りには、競馬町マーケットが健在です。 写真からはちょっとわかりにくいのですが、正面、側面に「競馬町」の文字がはっきりと読み取れます。 |
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信濃町のいっかくにある関分公園の片隅に、かってこの地に関屋競馬場のあったことを示す碑がひっそりとたっています。 関屋競馬場の思い出も、遠く遙かなものになろうとしています。 |
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