まるこの日常生活の記録と映画鑑賞記


6月16日(金)
 朝、5時に起きてチキンライスを作った。理由は「チキンライスが食べたかったから」。 で、朝からチキンライスを食べた。もちろん、お昼のお弁当もチキンライス♪
 予告編では全く惹かれるものがなく、観る気もなかった『ニコラ』だったけど、“ぴあ”のプレビューを読んで、ちょっと興味が沸いてきたので観に行った。少年が毎晩見る悪夢が現実になっていく…という話らしい。なんか、面白そうだもん。
 金曜日の夜だというのに、劇場はガラガラだった。そっか、金曜日の夜だからガラガラなのか。こんな暗そうな映画をわざわざ選んで観に来るカップルも居ないし、金曜の夜なのに他の予定がない(と思われる)人間が5人ほどピンで観に来ていた。その中のひとりが私だったりするんだけどね。

   12歳の少年ニコラは、半年前に父親から子供を誘拐しては臓器を盗む男たちの話を聞いてから、その男たちが出て来て弟を誘拐される夢をみたり、時には想像の世界にどっぷりとはまり、自分が現実に居ることも忘れてしまうことがあった。そんなニコラは、スキー合宿である事件に遭遇し、自分の想像が夢か現実かの区別がつかなくなってしまう。

 空想癖がある少年の、心の奥にある闇の部分に入り込んでいくというサスペンス。彼の想像や悪夢は、いつも“死”に達する。それは残酷な殺人鬼の無差別殺人であったり、父親の事故であったり、自分の身体が切り刻まれた姿であったり…。そして、そんな彼の心の奥には、父親への静かな憎しみが渦巻いている。わずか12歳の少年が心に描くイメージは、下手なホラー映画を観ているよりもよっぽど怖かった。
 カンヌ映画祭審査員特別賞、フィレンツェ映画祭グランプリを受賞しているだけあり、作品の出来としては悪くないのだろうが、観たあと嫌な気分になる作品だった。 レベル3


 これは絶対にデートでは観ない方がいいわ。でも、“ぴあ”のプレビューとは内容がちょっと違ってたゾ。


6月15日(木)
 劇場の混雑を懸念して、早く観たかったけどずっと先送りにしてきた『エリン・ブロコビッチ』をようやく観に行く。公開初日からもう3週間経つが、レディースデーだけあって劇場は大半が女性で、9割くらいの入りだった。混むことを考えて、比較的早めに劇場に着いた私は、指定席のすぐ後の、素晴らしく映画を見やすい位置をキープ出来た。でも、休憩時間が終わって予告編が始まってからも、場内に入ってくる人たちは絶えず、スクリーンを遮って席を探していらっしゃるので、とってもうざったかった。『レインディア・ゲーム』『リプリー』『パーフェクト・ストーム』『パトリオット』など、気になる映画の予告編をたくさんやってくれたのに、どれひとつ集中して観ることは出来なかった。うー。やっぱり、混んでる劇場はキライだい。

   2度の離婚歴を持ち、3人の子供を抱えるエリン(ジュリア・ロバーツ)は、なかなか職に就けず困っていた。そんな中、交通事故の被害者となった彼女は、裁判に負けたことをきっかけに、自分の弁護をした法律事務所に居付いて働き始める。ある日、ファイル整理をしていたエリンは、不動産案件の書類の中に不審な医療記録を見つける。興味を抱いた彼女は、それに関する調査を1人で始め、やがて大手電力・ガス会社であるPG&E社が、様々な病気を引き起こす6価クロムを排出し、付近の住民たちの健康を著しく損ねていることを知る。しかもPG&E社は、それを住人たちに安全な3価クロムだと説明までしていた。病気に苦しむ人々に接しながら、エリンはPG&E社を相手取って訴訟を起こす。

 水質汚染を引き起こした企業を相手取り、住民が集団で訴訟を起した実話といえば、最近『シビル・アクション』が公開されたばかり。ドキュメンタリータッチで、その訴訟の行方を追ったこの作品とは違い、『エリン・ブロコビッチ』は、エリン・ブロコビッチというひとりの女性の生きざまをテーマに描いている。
 女性が男性と同じ土俵で社会を生きていくのは、とても大変なこと。女性であるというハンディキャップを埋めるために、女性たちはいい学校を出たり、資格を取ったりする努力をしている。それでも、“女性は所詮女性”という社会の偏見は決して消えたりはしない。そんな中で、エリン・ブロコビッチは、学歴も資格も持っておらず、おまけに3人もの子供を抱えているのに、その熱意で結果的に男性以上の仕事をやってのけた。仕事に傾けたひたむきな情熱が報われるというサクセス・ストーリーであり、善が勝って悪が負けるという、誰もが望むハッピーエンドは、観ていて痛快だった。
 更にこの物語が観客を惹き付けるのは、エリン・ブロコビッチ自身の魅力である。大企業を相手取っての訴訟を、彼女は自分の利益とは考えず、あくまで住民たちのために行う。それも、自らの生活を犠牲にして。美しさとスタイルの良さだけでちやほやされた過去を持ちながら、その後に2度の離婚を経験し、人生の挫折を味わった彼女が「この仕事をして生まれて初めて尊敬された。だからやめない」と言ったセリフには、とても説得力があった。
 もうひとつのエリンの魅力は、やはり誰もが羨む美貌だろう。でも、自分の美貌と女の武器をフルに使って男性に上手に取り入る女性は、下手をすれば同じ女性から敵視されることがある。エリンもまた、自分の美貌と女の武器を使って男性に取り入って行くが、彼女が観客の女性の多くを味方にしてしまうのは、彼女が決して“女”を売っている訳ではないからだ。20センチのミニスカートをはいて大胆に足を見せ、胸の大きく開いた服でおっぱいを半分だけ見せて男性を骨抜きにする。自分が見せられるギリギリのラインで勝負をかける。この、ほとんど男性をコケにした行為が、観客の女性たちを痛快にさせる。しかし、見せられる部分は惜しげなく見せるが、実はエリンは固い女性である。現に、彼女は言い寄ってきた隣人のジョージにも、簡単には心を開かない。この“固さ”が、また観客の女性たちを味方にして行くのだと思う。
 『インサイダー』でタバコ会社を敵に回した主人公の男性は、タバコ会社からの執拗ないやがらせや脅迫にビビる。彼が不安になるので、彼を全面的に頼ってきた妻も不安になり、彼の元を飛び出してしまう。エリン・ブロコビッチも、PG&E社から同じような脅迫を受ける。それを知った恋人のジョージはやはりビビって彼女に仕事を辞めるように忠告するが、エリン自身はビビらない。見えない暴力に屈することなく、それに立ち向かって行こうとする。そのカッコよさは、強い女に憧れる同性から尊敬のまなざしでもって見られる。誰に対しても自分の気持ちを隠すことなく、言いたいことをはっきりと言ってしまう性格も、見ていて気持ちがいいほどだった。男性に媚びることなく自分で道を切り開いて行き、結果として大金を手にしたエリン・ブロコビッチは、現代の女性の憧れの女性像なのだろう。 レベル5


 しかしまぁ、何ですねぇ。劇中で一番会場でウケたセリフが、エリンの「634人にフェ○したの」だったんだよね。しかも、女性が一斉に笑ったの。逆に、男性の笑い声はひとつも聞こえてこなかった。これは面白い反応だったなぁ。


6月14日(水)
 『ザ・ハリケーン』の試写に当たった。木曜日のと、金曜日のと、月曜日のに。今月に入ってから、バカみたいに試写に当たり始めたけど、当たっても行けないやつばっかで、ほとんど意味がない。『ザ・ハリケーン』も、この前、匿名希望くんと劇場に観に行く約束をしたばかりだから、試写では観ない。私が『鬼教師』を観てる間に、友人たちはほとんどこの映画は観てしまっているので、結局譲る相手もいなくて捨ててしまった。やっぱりツイてんだかツイてないんだか分からない。10枚だけバラで買ったサマージャンボ宝くじも外れちゃったしなー。


6月13日(火)
 業界通なすカレーくんの誘いを蹴って飲み会に走ってしまった『ナインスゲート』だったが、その後彼から「俺っちの今年のワースト」と聞き、すっかり観る気を失くしていた。でも、ジョニー・デップは好きなので、タダだったら観てもいいかも…と思っていたら、チケットを入手出来たので行くこととなった。本日のツアーは全部で7名。なぜか今日もボブが居る。

 本の探偵コルソ(ジョニー・デップ)は、悪魔関係の本を収集しているバルカンから仕事を依頼される。この世に3冊しか存在していない17世紀の悪魔書『9つの扉』は、実は本物は1冊しかないとも言われている。その中の1冊を入手したバルカンは、残り2冊を探し出し、あらゆる角度から比較して真贋を判断して欲しいというのだ。しかし、その仕事を引き受けたコルソは、やがて恐ろしい体験をすることになる。

 単純に言えば『スリーピー・ホロウ』と『エンド・オブ・デイズ』を足して「3」で割ったような作品。B級映画のニオイがしない、B級映画という印象だった。突っ込みどころは満載、でもかなりマジでやっている姿勢が見受けられるので、笑ってはいけないところがつらい。ジョニー・デップはやっぱりカッコよかった。それだけ。 レベル2


 ジョニー・デップは大好きだし、いい役者だと思うのだけど、あまり作品に恵まれていない気がするのは私だけ? 彼の代表作は?って聞かれた時、なんだろうって考えちゃう。『フェイク』は良かったけど地味な作品だったし、『ギルバート・グレイプ』ではディカプリオに食われてた。やっぱり強烈な印象を残した『シザー・ハンズ』かな? でも、もう10年も前の作品じゃん。そろそろ“いい映画”に出て欲しいな。


6月12日(月)
 スペインに旅行に行っていたミス・デイジーから、「ただいま」のスカイメールが入った。彼女が濃いぃスペイン人に引っ掛けられないか心配だったけど、「スパニッシュじゃなくて、イスタンブール人に声かけられちゃった」と書いてある。…イスタンブール人って、何? イスタンブールって、国の名前だっけ? 地理に弱いまるこっち、しばし悩む。
 そんなミス・デイジーと『MONDAY』でデート。月曜日だから『MONDAY』を観る。これ、常識…と思っていたら、何と同じことを考えていたヤツラがいた。約束もしていないのに、ボブとスティーブがそれぞれピンで劇場に現れたのだ。せっかくのミス・デイジーとのツーショットデートを邪魔されてしまって、ちょっとガッカリ。
 ボブがミス・デイジーに「何でイスタンブール人って分かったの?」と聞くと、彼女は「だって、イスタンブール行きの搭乗口のとこに居た人だったから」と答えた。うーん、さすがミス・デイジーはファンタスティックだ。更にボブの知識で、イスタンブールは国の名前ではなく、トルコの都市の名前らしいということが判明した。だから、“イスタンブール人”というのは“名古屋人”と言っているのと一緒なのだ。でも、私たちは“名古屋人”という言葉を平気で使うので、ミス・デイジーは決して間違ってはいない。

 高木光一(堤真一)は、あるホテルの一室で目が覚めた。しかし、ここがどこなのか、なぜ自分がここに居るのか全く分からない。必死に記憶を呼び覚まそうとした時、胸のポケットから取り出したタバコと一緒に、“お浄め塩”が落ちた。それを見た彼は、自分が知り合いの通夜に出ていたことを思い出す。そして、そこからの記憶を辿って行き、自分が酒に酔って一晩のうちにとんでもない事件を起したことに気付く。

 『弾丸ランナー』『ポストマン・ブルース』『アンラッキー・モンキー』の3作で、サブ監督&堤真一コンビは“巻き込まれ型”のブラックコメディで楽しませてくれた。今回の『MONDAY』が今までの作品と少し違うのは、泥酔してキレた主人公が周りを巻き込んで行くというストーリーだったことだ。
 酒に酔って記憶を失うとことは私にもある。普段はとてもおとなしい人なのに、酔ったとたんに人格が変貌してしまう人も見たことがある。酔って駅のベンチで眠ているサラリーマンはしょっちゅう見るし、なぜか他人の靴を履いたままの状態で見知らぬ公園のベンチで目が覚めたという人の話を聞いたこともある。こんなに日常生活でありがちで誰もが考えつきそうなネタなのに、今まで誰も映画にしようと思わなかったのだろうか。それが不思議なくらいだ。その、酒に酔ってキレまくる男の役を、さすがの堤真一は完璧にこなしている。素になれば二枚目なだけに、そのキレ方は見ているだけで可笑しい。
 主人公の高木は徐々に記憶を取り戻し、自分が八方ふさがりの状況に置かれていることに気付く。私はそんな彼がどうやって出口を見つけてくれるのかに興味をそそられていた。それだけに、ラストシーンではかなりがっかりさせられた。観る側にラストの受け取り方を委ねるという映画はよくあるが、この作品であの終わり方はあまりにもずる過ぎる。せっかく面白い映画だったので、最後には不可能なことを可能にしてしまうくらいの奇想天外さが欲しかった。途中まではかなり高レベルだったが、ラストシーンでかなりの減点。 レベル2.5


 続けてレイトショーで『発狂する唇』を観るというボブとスティーブを残して、ミス・デイジーと私は劇場を出た。だって、『発狂する唇』には全く興味がないんだもん。ミス・デイジーがボブたちと別れる時に発したセリフは「じゃあね、発狂してきてね〜」だった。やっぱり、彼女はファンタスティックだ。彼女は謎のイスタンブール人にも、「オ〜、ジャパニーズ、ファンタスティック!」と声を掛けられたらしい。よく分かってらっしゃる。


6月11日(日)
 梅雨だから仕方ないが、ここのところ週末もパッとしない天気ばかりでヤだ。雨が降っていたのでうざったかったけど、匿名希望くんと約束していたので、朝1番の回で『ヴァージン・スーサイズ』を観る。劇場は雨降りの日曜の朝1番の回としては、まずまずの入りだった。ひとりで来てる人も結構居た。でも私だったら、誰かとの約束なしならこんな日の朝いちの回じゃ絶対に観ないな。…ってゆーか、家で寝てる。
 せっかく作ったけど、ひとりで4回もカレーを食べ続けるのはキツいので、フリーザーパックに入れて持って行き、ひとり暮らしをしている匿名希望くんに2食分ほどおすそ分けした。私自身はとってもいいことをしたような気がして満足しているが、それを彼が喜んでいたかどうかは定かではない。

 リスボン家には、13歳から17歳までの美しい5人姉妹が居た。厳格なクリスチャンであるリスボン家では、娘たちは学校以外の外出をほとんど禁じられ、慎み深い服装を強いられていた。ある日、理由も明かさないまま、末っ子のセシリアが浴室で手首を切って自殺する。すぐに病院に担ぎ込まれ一命は取りとめたが、彼女の自殺願望は消えることはなかった。退院を祝うホームパーティの最中、彼女は2階の窓から飛び降り、庭の柵に体を貫かれて今度こそ帰らぬ人となったのだ。セシリアを失ったリスボン家は、悲しみに明け暮れた。やがて、神経が過敏になったリスボン夫人は、娘たちをなお一層の厳しさで縛り付けるようになる。そして、それに耐えかねた4人の娘たちは、集団自殺を図った。

  『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』という実話の原作を基に作られた作品。フランシス・フォード=コッポラの娘、ソフィア・コッポラの初監督作品である。
 最後には姉妹たちが自殺してしまうことは分かっているので、彼女たちがなぜ死ななければならなかったのか、私はそれに興味があった。しかし、この作品は彼女たちを側でいつも見ていた少年たちの目でもって語られているので、彼女たちの気持ちの裏側に深く入っていくことはない。あくまで、外側から見た現実を伝えるに留まっていて、少々肩透かしを食った印象だった。
 末っ子のセシリアの自殺の理由は誰にも分からなかった。神秘的なものに強い憧れを抱いていたセシリアは、単純に“死んでみたかった”のだろう。それは物語の導入としては構わないと思う。しかし、残りの4人の姉妹にはちゃんとした自殺の理由はある。極めて普通の精神を持った彼女たちが、耐えきれない圧迫感や焦燥感や悲壮感に囚われ、自殺するまでに至った経緯を、彼女たちの心の中にもう少し深く踏み込んで見せて欲しかった。
 生まれた時からの真正クリスチャンの友人から聞いた話では、キリスト教では結婚前のセックス、器具を使った避妊、堕胎、自殺などを強く禁じているそうだ。リスボン夫人が年子で5人の娘を産んだ理由も、年頃の娘たちを心配して軟禁状態にしたがった理由も、彼女が熱心なクリスチャンであるという背景を頭に入れて観ると大いに納得出来る。それだけに、娘の自殺がどれほどのショックであったかは、私たちには図り知ることは出来ないだろう。私には、自分が産み、13年間大切に育ててきた娘が理由もなく自殺してしまった時の母の気持ちが一番痛かった。 レベル3


 『ヴァージン・スーサイズ』は、ネガティブ思考の人にはハマる作品らしい。私は極めてポジティブな人間だから、分からなかったのかな。




2000.6.1〜6.10

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